罪悪と罰の家

アンガス・ベーコン

楽しそうに銃を撃っていた

 一ヶ月前、ジェイクの一人娘が腕を骨折した。

 治療費を賄うには進学費を費やす他なかった。

 ジェイクはまともな職に就けない。真っ当に生きていける男ではない。

 金を取り返せれば、娘のためならば、ジェイクはどんなに穢れても構わなかった。

 ある日、ジェイクはウェブ上で破格の条件の仕事を見つける。

「写真を撮るだけで二千ドルだと……」

 彼は躊躇いなく仕事を請け負った。依頼人からの返答は早く、彼は二つ返事で了承を得る。

 



 ジェイクは紙切れに描かれた地図を見返し、嗄れた声で呟く。

「間違いない。ここだ」

 ジェイクは車を降りると、雑草と植物に覆われた一軒家に歩み寄った。

 仕事を請け負ってから届いたものは、郵便ポストに入っていた一枚の地図と、錆びて劣化が進んだ一本の鍵。仕事の内容は、地図に記された現場へと向かい、外観から内装全ての写真を撮ってくるというもの。たったそれだけのことで、ジェイクは失った学費以上の金をその日の内に受け取れることになっている。

 一目見て分かることは、人の手が及ばない針葉樹林の中に開けた空間があり、そこに二階建ての一軒家が建っているということだけ。

 写真は自身の携帯端末で撮影し、指定されたアドレスへ送信することになっている。

 ジェイクは直ぐに外観の撮影を終えた。一先ず写真を送信しようとしたものの、電波が通っていない。

 一度引き返そうかとも考えたが、期限は今日中である。猶予は少ない。

 ジェイクは内装もまとめて撮影することにする。

 彼は玄関の前に立ち、ジーパンと腰の間に挟んだ拳銃のグリップ部分を掴むことで、咄嗟に手を伸ばすべき先に確信を得た。それから家の扉に鍵を差し込んで錠を回転させる。丸いドアノブを握り、扉を引いて開ける。顔に埃が当たる。

 ジャケットの袖で顔を拭い、先ず玄関を撮影する。すると、開け放ったままの扉が自然に閉じた。ジェイクは驚いて振り返る。

 閉じ込められた。

 脳裏に過った言葉を振り払うように、ジェイクは再び扉を開けておく。

 リビングに入り、何事もなく撮影を進めていくと、書斎らしき一室で写真立てを見つけた。中には一枚の写真が収められたままで、ジェイクは自然と写り込んでいる人物と目を合わせてしまう。

 その人物は女性だった。透き通った青い瞳、セミロングのブロンズヘアー、目立つ涙袋と、左目の下にあるほくろが特徴的だった。

「ベリンダ……?」

 喉の奥から込み上げて来たものは、離別した妻の名前だった。

 彼女以外の人物は切り取られていて判別が付かない。

「ふざけるな」

 ジェイクは写真立てを倒す。もう二度と目を合わせないように。

 階段を上り二階へ足を踏み入れた途端、ジェイクの吐息が白くなる。埃のせいだと考えたが、全身に伝わる悪寒と鳥肌の感触に否定される。

 体を凍てつかせる恐怖を振り払い、手早く写真を撮影し、廊下の角を曲がって進む。一つ一つの個室を見て回り、写真を撮り、再び廊下の角を曲がる。そこで違和感に気が付いた。

 廊下が長すぎる。

 振り返るとまた同じ光景と間取り、そして壁の模様と家具、部屋の位置。角を曲がっても何も変わらない。部屋の扉は開かなくなっている。

 閉じ込められた。ジェイクはそう思った。

「冗談じゃない」

 ジェイクは部屋の窓から飛び降りると決意する。拳銃を取り出し、ドアノブに鉛弾を撃ち込んだ。

 そしてドアに蹴りを入れるが、びくともしない。勢いで自分自身が後ろに飛び退き、壁に叩き付けられる。衝撃で壁に飾られていた絵画が落下し、チェストの上に置かれていた固定電話に当たった。

 ジェイクの足下に転がった受話器から、女の声がする。

「楽しそうに銃を撃っていたんですって?」

 ジェイクには聞き覚えがあった。

「誰だ、お前は」

「命乞いをしていた犯人を、痛めつけて楽しんでいたんでしょう」

「誰だ!」

 ジェイクは受話器を踏みつけ、電話機を蹴り飛ばし、鉛弾を撃ち込んで破壊する。だが女の声は止まない。ただノイズを混ぜただけだ。

【監視カメラに映っていた。そこにあるとは気付かずに、お前は楽しんでいた】

「やめろ!」

【暴力を楽しむような人間が、警官でいられるはずがないわ】

「違う違う違う! 俺は、あいつに襲われたんだ。だから銃を撃った!」

【監視カメラに映っていた。そこにあるとは気付かずに、お前は楽しんでいた】

「なんなんだよ! なんなんだよお前は!」

【娘のメアリーにも暴力を振るっていたんでしょう?】

「違う! 腕が折れたのは事故だ! あの子が自転車に乗っていて、車とぶつかっただけで……」

【どうしてあの子が必死に自転車を走らせていたと思う?】

「どういう意味だ」

【あなたから逃げるためよ】

「嘘だ! あの子が残ったのも、俺の、俺のことを慕っていたから」

 女の声は唐突に幼さを帯びた。

【怒らないで、お父さん】

 突如、廊下の角から、水気を含んだ足音がする。少しずつ少しずつ、音が近くなる。

 ジェイクは足音の方を向いた。廊下の照明が明滅し、角から現れた何かの姿もまた明滅している。

 嗅ぎ覚えのある死の臭いが鼻を突く。死後長い年月を経て液状化した、腐肉の臭いだった。

 得体の知れないそれは汚泥を滴り落とし、近付いて来る。姿形は目視出来ない。だが、近付いてくることだけは分かる。ジェイクは一目散に走り出した。

 廊下の角を曲がり、再び廊下の角を曲がり、もう一度廊下の角を曲がる。さらに廊下の角を曲がった瞬間、電話線に足を取られて躓いた。

 迫り来る何かはもう、目と鼻の先にいた。ジェイクはそれに向けて銃を撃つ。しかし、弾丸は迫りくるものに当たらず、照明が砕けただけ。ただ辺りを暗闇に閉ざし、迫り来るものの姿をはっきりと浮き彫りにした。

 ジェイクの瞳に映り込むものは、二つの紅い瞳を灯す四肢のない女。長く白い頭髪の一つ一つは、まるで独自の意志を持った生命体のように蠢いている。

 女の頭髪が束になってジェイクの口の中に入り込み、眼球を内側から押し出して喉の奥へと進む。次は内臓の中を弄る。そして筋肉という筋肉に絡み付き、体の自由を奪った。まだ、彼は死んでいない。

「やめろお! やめろおおおおおっ……ご……こが……かは」

 ジェイクはそのまま、闇の中に連れて行かれた。




 メアリーの骨折した右腕は壊死した。医者は最善を尽くしたが、切除する他なかった。

 メアリーの事故を知ったベリンダが彼女を引き取ることになり、二人は不自由さの中でも平穏な日々を送る。

 ジェイクは行方不明になったままだ。彼のその後を知る者は誰もいない。少なくとも、この世には誰もいない。




 ジェイクの一件から五年後、土地の所有者は再び仕事の依頼をウェブ上に公開する。

 依頼内容は、外観と内装を全て写真に収め、指定のアドレスへ送信するというもの。報酬は二千ドル。

 こうして定期的に贄を用意せねば、あの呪われた家は鎮まらない。

 またもう一人、罪悪と罰の家に罪深き者が手招かれる。

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