第十五話「天が認めた蟻の思い」


 これまで、眷属の側近候補となった狐達に対して裏で工作を行っていたこと。そして、今回の蘇芳すおうに対する奇襲及び、許可なく『神通力』を使用し同胞を瀕死に追い込んだこと。

 その主犯である青鈍あおにびは勿論、取り巻きの二匹も自らの保身を優先、共犯である筈の状況を脱しようと目論んだ。―――故に、三柱は彼らを「同罪」とし、稲荷山を追放するべきではないかと考え始めた。


 「悪いことは言わん。明日、日が昇るまでの間にこの地を去りなさい」

 「そんな……!」

 「ぼ、僕らは青鈍に強いられていただけです!」

 「ど、どうか御慈悲を……」

 これまでの結束は何処へやら。内部崩壊した関係を隠すこともせず、二匹は主犯格である青鈍より少しでも自身の罪が軽くなるようにと懇願した。

 「お前達……絶対に許さないからな!!」

 「僕らはアンタを信じてきた……裏切ったのはそっちじゃないか!!」

 「アンタのせいで、僕らまで加害者扱いだ!!」

 「黙れ! 元はと言えば、お前達が役に立たないからこんなことになったんだ!!」

 「「何だと……!!」」

 「お前達、いい加減にしろ!」

 「稲荷三柱様の御前で……何とはしたないことを」

 喚いて内輪揉めする三匹をつるばみが制止し、白狐の教師が嘆くように呟いた。


 今だに地べたで口論を続ける青鈍達を冷徹な表情で見下ろし、佐田彦サタヒコは告げた。

 「―――先程から、うぬらは何を勘違いしておるのか。我らは神であって、仏ではない。……慈悲だと? それを欲するならば、今一度穢れを纏い、地獄で閻魔王にでも懇願することだ。同胞への殺害未遂など、あってはならない大罪……黄泉では、霊魂すら残して貰えんだろうからな」

 「良いこと? 『罪』というものはね、一度妥協という形で許容してしまえば、他の者達にも同じように許していかなければならなくなるの。それ相応の『罰』を受けることで、ようやく折り合いが付くのです。本当に貴方達が青鈍によって罪の共有を強いられていたのだとしたら、それはとても気の毒な話ですけれど。……それでも、彼の側にいることは貴方達が自ら選択したのでしょう?」 

 「「!!」」

 大宮能売オオミヤノメに続き、宇迦之御魂ウカノミタマが口を開く。

 「すまないが、私達もこの地の秩序を保つ必要があるんだよ」

 そう言うと、宇迦之御魂は蘇芳に視線を移して尋ねた。

 「だから蘇芳、被害に遭った本人である君の意見も聞かせてほしい」

 話を振られた蘇芳が青鈍達を見る。―――そこには、今後の行く末を不安視して怯えた表情を隠さなくなった彼らの姿があった。

 「ざまあみろ」と、吐き捨ててやりたい。――蘇芳はそんな衝動に駆られたが、理性を保って溜息を吐いた。

 「(俺は、どうやら無慈悲にはなり切れないらしい……)」

 苦虫を嚙み潰したような顔をした後、蘇芳は顔を上げた。

 「もう、終わったことです。俺は稲荷様―――宇迦之御魂神様のお陰で、二度は死なずに済んだわけですし。……でも、また同じことをされるのは御免ですね。自分の身の安全は確保しておきたい所です」

 「ふむ……」

 「どうしますか、宇迦之御魂」

 佐田彦が腕を組み、大宮能売が宇迦之御魂に尋ねた。

 「今回被害にあった蘇芳本人が許すというのなら……猶予なるものも必要かな」

 宇迦之御魂がそう言うと、希望の光が差したと言わんばかりに青鈍達は顔を上げた。―――しかし、それもすぐに絶望へと変わる。

 「私達は仏ではないから、罪そのものを軽くすることは出来ない。だが君達が改心する気でいるのなら、他県よそにある仏教系の稲荷神社へと移ってもらい……そこで今一度、何もない状態から修行してもらうことにしようか。君達が既に得ている神通力や妖力も、元は神々私達の影響を受けたものだから返してもらうことにはなるけどね」

 「?!」「えっ……」

 「そ、そんな……」

 「同じく狐を眷属とする荼枳尼天ダキニテン殿には、私から伝えておくよ。大丈夫、修行を詰んで仏の眷属になれば、また神通力も妖力も得ることはできるから」

 「……尤も、仏の世界となると神道流我々よりも厳しい修行となるであろうがな」

 「苦しい道のりでしょうが、貴方達が慈悲を求めたのですからね。向こうの言葉を借りるのならば……これも『因果応報』というものです。精進なさい」

 「ま、待って……」

 「お、お許しください……!!」

 「お願いします! どんな罰でも受けますから……!! どうか剥奪だけは……っ」

 「稲荷山ここに居させてください……!!」

 「―――!!!」

 「―――!!」

 最後まで情状酌量を求めていた青鈍達だったが、犯した罪の重さは拭える程に軽くはない。彼らは正式に『御先稲荷おさきとうが…白狐への進級権利』を剥奪され、稲荷山を追放されることとなった。


 後日―――蘇芳が噂話をしている狐達から聞いた情報では、紹介された仏教系の稲荷神社にも、青鈍と取り巻きだった二匹は来ていないとのことだった。彼らは行方を眩ませ、今は何処に居るのかも分からないのだという。

 稲荷山を自ら出て行ってしまった「薄氷ウスライ」という唯一の友を失くした寂しさも相俟って、後味の悪い結末となってしまったことに蘇芳は内心穏やかではなかった。

 「……」

 「薄氷や青鈍達のことが気になるのか」

 「……別に」

 橡が問うと蘇芳は気まずそうに顔を背けた。

ぎこちない空気が漂い、何かを言いたげにお互いが様子を伺った。だが意外にも、先に言葉を発したのは蘇芳であった。

 「稲荷様の気を浴びた時、生前……過去への執着から自分が固定概念に囚われていたんだってことが分かった」

 「!」

 「……それでも。稲荷様方への信仰心こそ持つことはできたけど、俺は今だって人間を好きにはなれない。本当は……こうやって人型に化けていることも好きじゃない。人間を受け入れることは何百…いや、何千年は必要かもしれない。嫌いなもんを払拭するには時間が掛かる」

 「……」

 橡は蘇芳を見つめ、発する言葉の続きを待った。

 「だからこそ、嫌悪感の対象が同じ薄氷と気が合ったんだって―――今となってはそう思う。俺はあいつによく似ていたし、あいつも……俺によく似ていたから」

 「……そうか」

 「それなら、同じように囚われている薄氷も眷属になれたら……俺みたいに稲荷様の気を浴びれば、少しは背負ってる重い感情も軽くなるんじゃないかって、そう思ったんだ」

 「蘇芳……」

 「でも、それは俺の物差しでしかなかった。俺なんか比にならないくらい、薄氷の抱えてるものは重かった。―――俺が、甘かったのかもしれない」

 眉間には皺を寄せ、唇を噛んで拳を強く握った蘇芳を橡は横目で見つめ、口を開いた。

 「お前は何も悪くないよ」

 「!」

 「悪いな、お前にとっては大事な友人なのに。こんな言い方は冷たく聞こえるかもしれない……だが、自分の選択を他者に託してはいけないんだ」

 「……」

 「お前達が決別したその場に居なかった俺が、軽々しく言えた義理ではないんだが……。あれだけお前の後ろを着いてきた薄氷が、自ら離れる決断をしたんだ。その意図は汲んでやるべきなんじゃないだろうか」

 申し訳なさそうに、気まずそうに。頭を掻きながらも穏やかな口調で告げた橡を横目で見た後―――蘇芳は、ゆっくりと深呼吸をして前を見据えた。

 「……んなこと、分かってるよ」


 その後の蘇芳は、橡や教師―――そして何より、自身を見定めてくれた宇迦之御魂の言葉を糧に心を改め、勉学と修行に勤しんだ。見違える程に急成長でのし上がった彼の潜在能力は凄まじいもので、初めこそ

 「また何かしら企んでいるのでは」

 などと疑い、納得がいかない様子だった周囲の狐達も彼の実力を目の当たりにしたことで認めざるを得ず、口を噤むようになっていった。





 藤原家の衰退と平家の没落、源平合戦によって平安時代は終わりを告げ、人の世は武家政権である鎌倉へと移行した。

 薄氷、そして青鈍達の逃亡から、軽く百年は過ぎた頃のこと。季節は春・大安吉日のある朝―――稲荷山の麓では、稲荷大神・宇迦之御魂の直眷属こと側近就任の儀式が行われた。

 この時既に神通力を取得していた蘇芳は、相棒となる橡と共に神妙な面持ちで片膝をつき、目の前の稲荷三柱に頭を垂れた。

 「左に橡―――『左京』、右に蘇芳―――『右京』。稲荷大神・宇迦之御魂大神直眷属として迎え入れる。この儀をもって其方そなた達を側近と認め、ここに名を与える」

 先代の白狐の一匹がそう告げると、宇迦之御魂は二匹の前に歩みを進めた。

 「左京、そして右京……よろしく頼むよ」

 「「謹んで」」


 『右京』―――旧名・蘇芳。

 落ちこぼれだった彼が、自身の努力によって稲荷眷属・宇迦之御魂神の側近にまで成り上がった。儀式の場には、もう彼を嘲笑う者など誰も居ない。―――吹雪ふぶいた桜の花びらが、右京の進級を祝福しているようであった。

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稲荷さま滞在奇譚 墨染 香茶 @k_aburaage

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