幼馴染と最後のデートを
春海水亭
時よ止まれ、美しくはないけれど
***
幼稚園の頃の私の一人称は「ぼく」だった。
別に自分のことを男の子だと思っていたわけでもなければ、自分が女の子だとわかっていて、男の子になりたかったわけでもない。
ただ、周りの男の子が自分のことを「ぼく」と呼んでいるから、性別によって一人称や口調を使い分けるという考えがなかった幼い頃の私もそれを真似て自分のことを「ぼく」と呼んでいたに過ぎない。
だから、高校生になった今では周りの女の子と同じように、私は自分のことを「私」と呼んでいる、ある人と二人きりの時を除いて。
***
「……ごめん、待った?」
「五分遅刻!このぼくを待たせるなんて、ヨウスケも偉くなったもんだね!」
ヨウスケが慌てた様子で玄関の扉を開く。
隣の家に住んでいるヨウスケは幼稚園の頃からの幼馴染だ。
そして彼の前でだけ、私は幼稚園の頃のように「私」のことを「ぼく」と呼ぶ。
「さぁ、今日はぼくとデートだよ、ヨウスケ。嬉しいよね?」
「映画を見に行くだけなのに、大げさだなぁ」
私もそう思う。
もちろん、年頃の男女が二人で映画を見に行くのは俗世間においてはデートと呼んでも良いのだと思う。だけれど、幼い頃からさんざん二人きりで遊んだ私たちは今さら映画を見に行ったところで、デートと認識しづらい部分がある。
それでもおどけるように「今日はちゃんとしたデートだよ、デート!」と言った。
恋人同士がそうするような指の絡め方を私は知らない。だから握手するようにヨウスケの手を握った。「やーめーろ」と口では言うけれど、ヨウスケは無理にその手を振り解こうとはしなかった。握る機会をめっきり失っていた彼の手の温もりは、小さい頃と何も変わっていないように思えた。
恋人同士というよりは幼稚園児や小学生がそうするように、私たちは手を振りながら歩く。もっとも私たち――というには語弊がある。私が強く振り、彼の手もそれに引きずられる形で強く振れている。二つの手が一つの振り子になるには一人分の力だけで十分だ。
「で、今日は何を見に行くんだっけ?」
「恋愛の……奴だよ」
具体的にどういう映画なのか、私は知らない。
ヨウスケの好みでもなければ、私の好みというわけでもない。
ただ、同級生にデート用として選んでもらった映画を見に行くだけだ。
そうだ、今日の目的は二人で映画を見に行くことではない。
二人でデートをすることだ。
バス停に向かう時も、隣り合って空いた席に座る時も、駅でバスを乗り換える時も、バスを降りて映画館のあるショッピングモールに向かう時も、私はずっとヨウスケの手を離さなかった。ヨウスケの手をずっと暖かったけれど、私の手に温もりはあったのだろうか、マニュアルに従うように私はデートという儀式にするべき行為にチェックを付けていく。
私の財布の中に眠るタイトルすら覚えていない映画のペアチケットは、デートという儀式の象徴に思えた。
中身ではなく、外側をなぞることに意味がある。
同じ時を過ごした十七年間――今さら中身が急に変わったりはしないだろうから。
***
バスを乗り換えてまで向かった郊外のショッピングモールは、普段遊びに行く範囲から遠く離れている。
別に映画に見に行くだけなら、市内に映画館はいくつもあったし、映画を見に行った後に何かをしようと思っても、駅前の映画館に行けばその周りにショッピングモールの中にあるようなものはなんでもあった。
それでも二時間もかけてショッピングモールを目指したのは、私たちのデートをクラスメイトに見られたくなかったからなんだろう。
別にクラスメイトに見られて今さら恥ずかしがるようなことはない。
学校では「ぼく」なんて一人称は使わない、私の私だけれど――私とヨウスケの距離感は恋人なんかよりもよっぽど近くて、意識しなければ、肌がぴたりと触れ合うような距離感だった。
「なんで、あなた達付き合ってないの?いや、付き合ってないつもりなの?」なんてこともよく言われた。だから、今更二人でデートしている姿を見られたとしても、なんともない……なんともないはずなのだ。
「ポップコーンはキャラメルで味でいいか?あとお前のコーラはゼロカロリーのやつな」
「うん、うん、ぼくの好みをちゃんと覚えていて偉いぞ」
「はいはい、あ俺は普通のコーラお願いします」
まだ二人手を繋いだまま、売店でポップコーンとドリンクを買う。
ポップコーンは二人で一つ、飲み物だけは別々。
ヨウスケは私の好みをきっちり把握している――もっとも、私が注文したってヨウスケの好みのものを買えるだろう。好みは昔から変わらない。
「で、恋愛映画で良いの?」
「……いいの」
映画の好みだって昔から変わらない。
私もヨウスケも街が景気よくぶっ壊れるような怪獣映画が好きだった。
そして、お誂え向きみたいに盛大に街を壊す怪獣映画のPVが劇場に流れていた。
「ぼくはヨウスケと恋愛映画が見たいんだ」
「……ん」
ヨウスケは無言で頷く。
繋いだ手が熱くなるように感じた。
私の熱かヨウスケの熱かはわからない。
ただ、私たちの間にある一つの熱の塊は同じ温度を共有していた。
***
十七年間の人生の中で一万回ぐらいCMを見たようなありふれた恋愛映画だった。
愛し合う二人に訪れる試練、それを乗り越えようとする二人の姿に感極まってすすり泣く声もあったけれど、私は、ああ大怪獣が全部ぶっ潰せばいいのになと思っていた。
ただ、愛し合う二人が一つのベッドを眠った時、思わず手の力を緩めていた。
今さら、セックスで恥ずかしがるような年齢でもない――それでも、隣にはヨウスケがいると、私は――自分がわからなくなった。
ヨウスケはこのベッドシーンを見ながら、何を思っているのだろう。暗い映画館、スクリーンの映像が作り出す陰影は彼の顔色を伺わせない。
映画の終盤、とうとう困難を乗り越えた二人――劇場中が感涙するシーンで、私とヨウスケだけが――いや、私だけが泣いていなかったのかもしれない。隣から鼻水をすするような音が聞こえた。私は答え合わせをしないで、スクリーンだけを見ていた。
隣に座る幼馴染が怪獣映画を観る時にそうだったように、人間ドラマに対して興味を持たないままだったらいいなと思った。
スタッフロールが流れる。
私は隣を見ない。
徐々に明るくなっていく劇場。
私は隣を見ない。
「出ようか、サリ」
「うん、行こっか」
声をかけられて隣を見る、うっすら赤くなった幼馴染の目。
握る手に余計に力を込めながら、劇場の外に出た。
不意にヨウスケに身長を抜かされたのはいつの頃だったろうと考える。
小学校の頃までははっきりと私のほうが高くて、中学校に入ってから私と同じぐらいになった。そして中学生を卒業するぐらいには、私がちょっとだけ背伸びをしないと同じぐらいになれなかった。
私たちはフードコートに向かって、同じラーメンのセットを注文した。ヨウスケは大盛りだったけど。
それから二人で映画の話をした。
ヨウスケは熱く語って、私はその熱を冷ますことがないようウンウンと頷く。
「でもさ、二人が結ばれて良かったとおもうよ、ぼくはさ」
映画体験はぼんやりとしていたけれど、それだけは間違いなく言えることだと思う。
「うん、ハッピーエンドで良かった」
「ま、めでたしめでたしの後で別れてるかもしれないけどさ」
そう言って二人で笑った。
めでたしめでたしの後にも物語は続いていて、かならずしも幸せであり続けるわけではないと私たちは知っていて、そして、それを冗談に出来る年齢だった。
それから、私たちは自分の部活の話をした。
ヨウスケは美術部で私は調理部。
中学校の頃はふたりとも帰宅部で、一緒の帰り道を歩いていたけれど、高校に入ってからヨウスケは熱心に絵を描くようになった。
趣味としての本気なのかな、それとも――もっと本気なのかな。
一緒に過ごせる時間はどんどん減っていく。
私はいつまでもヨウスケの前では「ぼく」でいたいと思っているし、ヨウスケには私の知っているヨウスケのままでいてほしい。私の知らないヨウスケを増やさないでほしい。
でも大丈夫。
ちゃんとわかってるよ、永遠に変わらないものなんてないって。
フードコートを後にして、ゲームセンターに寄って、色々と遊んだ後にプリクラを撮った。
きっと、もっとちゃんとしたデートというものがあって、私たちのそれはごっこ遊びなのだろう。
けれども、それは十分楽しかったし――なんだか絶望的だった。
***
二時間かけて、私たちは家に帰る。
季節は七月、日が落ちても外は薄っすらと明るいまま。
「……ぼく、今夜は帰りたくないな」
冗談めかして言ってみる。
会おうと思えば、明日も明後日も明々後日も会えるくせして。
「なんだよ、それ」
ヨウスケは苦笑する、どんどん大人に近づいていく顔で。
「というわけで、ヨウスケ。ぼくについてきて」
私はヨウスケの手を引っ張って、二人で通った小学校に向かう。
小学校の頃はヨウスケ一人なんて簡単に引っ張って走れた。
けど、今じゃ――ヨウスケが合わせて走ってくれないと、いや、目的地がわかっていればヨウスケはあっという間に逆に私の方を引っ張っていくだろう。
私たちの通った小学校には屋外プールが道路に面する側にあって、ちょっと高い柵を越えれば容易にプールサイドに侵入出来る。
「プール行こ!」
「あっ、ちょっと待て!」
私を追って、ヨウスケがプールサイドに入り込む。
昼間はじりじりと小学生の足裏を焼くであろうプールサイドの床は、今は夜の闇に当てられてひんやりと冷えている。もっとも、私たちは靴を履いたままだからどちらにせよ、その熱はわからないけれども。
「ヨウスケ!おいで!」
私は鞄をプールサイドに放り捨てて服を着たまま、ドボンとプールに飛び込む。
冷たい水の感覚が心地よいと同時に、服がまとわりついて気持ち悪くもある。
「あのなぁ……」
「きもちいいよ」
「……わかった」
僅かな逡巡の後、ヨウスケもプールに入り込む。
「小学校のときにもさ!夜のプールに忍び込んだよね!」
私はそう言いながら、ヨウスケに水をかける。
「あぁ……サリがどうしても入りたいっていうからさ!」
ヨウスケも私に水をかけ返す。
水飛沫を月光が照らして、私たちは月の欠片をかけ合うようだった。
「あの時はどうしても夜のプールに入ってみたかったんだ!でも……でも、今日は違うよ」
「サリ……」
「ヨウスケについてきてほしかったんだ」
私はニッコリと笑っている――つもりだ。
水面はゆらゆらと揺らめいて、私の顔は歪んでいる。
笑顔を浮かべることができているだろうか。
「ヨウスケ!美術部の後輩の娘に告白されてたよね!」
「……知ってたんだ」
「ん、まぁ……このぼくにデート用のチケットをくれるようなおせっかいな友達がいるからさ……それに、ぼくもこの前、告白されたんだよね」
「知ってる」
「やっぱ、知ってるよね」
もしも、どちらかがその告白に頷いていたら、こうして夜のプールにいることは出来なかっただろう。
「私さ!ヨウスケとさ!ずっと大好きな幼馴染同士でいたいよ!変わらない関係のまま!ずっと!でもさ……無理だよね!」
ヨウスケは男という生き物になっていくし、私も女という生き物になっていく。
たとえ、自分でどう思っていようとも――周りがそれを許さない。
だから、私たちにはデートごっこが必要だった。
それが形だけの儀式だとしても、ただ何もない二人からは変えられなかった。
時間が止まらないなら、全部むちゃくちゃにしてやる。
「だったら、さぁ……付き合おうよ、私たち」
風が吹けばあらぬ方向に飛んでいきそうなほどに弱々しい声だった。
「好きだよ、ヨウスケ。大好き」
その言葉に嘘偽りはない。
変わらないものはない、私もヨウスケも嫌でも変化していく。
ならば、自分自身の手で変えたい。
嘘偽りはないはずなのに――どうして、自分を疑ってしまうのだろう。
好きで好きでたまらない相手なのに、そして答えはわかっているのに――どうして答えを聞きたくないのだろう。
「俺も好きだよ、サリのこと」
ヨウスケの表情は小さい子のように弱々しく見えた。
多分、私もヨウスケと同じ表情なのだろう。
「付き合おっか」
「なんで、私たちさぁ……お互いに好きなのに……ねぇ」
顔が濡れていて助かった、と思った。
多分、ヨウスケもそう思っていたのだろう。
「私たちさぁ、結ばれてハッピーエンドなのかなぁ」
「……どうなんだろうな」
私たちはプールから上り、プールサイドに腰掛けて足をぶらつかせる。
私もヨウスケも相手を別の誰かに渡したくないという思いは共有しているはずだ。
けど、これが正しかったのかもわからない。
ヨウスケは私が「ぼく」をやめたことに何も言わない。
わかっている、とっくの昔に「ぼく」は作り物になっていた。
「ぼく」のままでいたいというのも、時間と世界に対するあまりにもか弱い抵抗だった。
「言わなきゃよかったのかなぁ」
「でも……一緒にいたいよな」
「うん」
「好きってなんか気持ち悪いよな」
「そうだね」
「でもさ……俺、サリのこと好きだよ」
「うん、私もヨウスケのこと好き」
口に馴染まない「好き」を唱えながら、それでも家族愛や友愛ではない愛があることを私たちは感じていた。
「でも、俺は別にサリが無理して自分のことを私って呼ばなくてもいいと思う」
「……ありがと」
「俺たち、きっと変わっていくけど……でも、無理して変わらなくていいよな」
「そうだね、今すぐじゃなくてもいいから……僕たち、いつか本物になれたらいいよね」
指の絡め方を相変わらず知らないまま、隣り合った私たちは小学校のように手を握った。
それは私たちを結びつける歪な鎖のようだった。
けど、いつの日かその手を解いて――優しく結び直すような確信もあった。
永遠に変わらないものなんてないって、わかってるから。
世界は変わらないことを許さないけれど、それでも変わり方ぐらいは選べるはずだから。
幼馴染と最後のデートを 春海水亭 @teasugar3g
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