第3話 Finis of Omnia in Mundus

 赤色のみならず緑色の警報まで光り始める。それはリベロがエネルギー貯蔵室の扉を開放し、エネルギーを研究施設に充満しはじめた証。


 2人がすれ違った研究員は皆、防護服を着用できている様子だったが、実際にはどうなのか――それは誰も理解できていなかった。



 ティエルとクレーデレは最上階の異質雰囲気漂わす部屋に入り込み、一先ずの安寧を手に入れる。


「最悪の顛末を迎えそうで気分が悪いです。……この状況を打破することができる方法は1つしかない――」


 侵入者は何も悪だけではない。野次馬や家族のことが心配で中に入ろうとする者だっているはずだ。


 

 フォムニエとか――。



 流石に外に避難した研究員が止めるだろうが、彼等がもし彼女に、或いは他の誰かに気が付かなかったら。それにもし――エネルギーが外に漏れ出したら。

 そんな考えたくもない更なる最悪の事態を回避するためにも、早急に現状況を打破し、エネルギーを消滅、ないしはしなければならない。


 ティエルは4本のうち3本のワクチンを小さな箱に移し替え、残りの1本は自分が着用している防護服のポケットにしまった。


 彼はクレーデレにワクチンの入った小さな箱を手渡し、合図を交わす。そして、閉ざされた扉を開き、ゆっくりと部屋の外に出た。

 外は誰もいない。


「――行きましょう」


 タブレット端末は既に最低限の機能さえ果たせていない。外部の状況も理解できない状況にティエルは歯噛みする。

 

「リベロの命を無駄にはできません。急いで研究室の外部に避難して――」

「いや……いやぁぁぁぁあああああああ!!」

 

 一際響く女性の金切声。痛々しくて、生々しい。

 

 最上階のすぐ真下――そこにいたのは、防護服を着用した2人の誰か。1人の防護服を着た人物が他の研究員の首を締めあげていた。

 それは裏切りだろうか。或いは――。


「やめて……やめて、やめて」


 そんな懇願を誰かが聞き入れることはなく――彼女の防護服の頭部を剥ぎ取った。

 貯蔵室の1階上、エネルギーの充満率が異様に高かったのだろう。防護服を剥ぎ取られた研究員の女性は限界まで命乞いの悲鳴を上げるが、願いは叶わず10秒足らずで断末魔に変わり、命が尽きた。

 

 誰かは彼女を投げ捨てる。死体が音を鳴らし転がっていく。――人間らしくない姿で。

 彼女を気にも留めずに向かってくる誰かに、ティエルはすかさず拳銃を向ける。



「――何者だ?」

「俺達もそこまで正気を失い馬鹿になった訳ではない。周囲の状況で理解できないわけではない」


 男性と思わしき人物が発したそれは、質問の回答にはなっていないが、疑問の解決口にはなっていた。


「エネルギーが危ないことだって、ワクチンを必要としていたことだって……すべて初めから知っていた」

「なら、どうしてこんなことをしたのよ!?」

「すべて必要ないからだ」

「必要……ない? 世界を救わなきゃいけないんですよ、こっちは!!」

「……今の外を知らないのか? 世界は救いに溢れている。神が生み出した《ししゃ》の存在によって――すべてが終わるのだから。我々は受け入れなければならないのだ。世界の終幕を。神の選択を!! そしてそれは世界の救いとなる!!」

「盲信者の戯言で多くの人々が殺さないでちょうだい!!」


 今更言ったとてもう遅い。人は死に、世界は壊れ、希望は――。

 しかし、それを否定するしか現在いまを拒む術はなく、クレーデレはただ吼えた。


「醜い存在が救われる唯一の方法は死のみ。世界を醜いままにさせはしない」

「そんなことは――」



 ティエルはポケットにしまってあったワクチンを取り出した。それに気が付いたクレーデレは彼に向かって糾弾する。


「ちょっと待ちなさい!! まだ実験は終わっていないわ!! それにあの子だって――」

「俺だって人体実験の対象なんですよね!? それにどうせ死ぬんだったら」


 例え、誰かにどれだけ泣きじゃくられた声で叫ばれようとも彼の決意は変わりやしない。

 彼女の懇願も、切望も、靉靆も無視をして、ティエルはワクチンを左腕に突き刺した。


 異物となる液体が体内入り込む。痛みと共に熱さが巡る。何かが血脈を流れ、何かが心臓を貪りつくす。


「ああ!! ……ぁぁぁああああああ!!」


 彼は左腕を抑えて跪き、痛みを誤魔化そうと叫び声をあげた。痛みに合わせて、身体も変化する。

 そして、身体の一部が異形になり果てた時――ティエルは我を失った。




◇◇◇


 

 

 次にティエルが自我を取り戻した時、目の前には血だらけの死体が一つ転がっていた。しかし、彼は罪悪感すら感じていなかった。感じていたのは――空腹感のみ。


「エネルギーが足りない。エネルギーが大量にある場所へ……エネルギー貯蔵室に」


 ティエルは既に防護服を着用してはいなかった。身体に起きた変化のせいで、防護服が完全に破れてしまったからだ。

 彼は死体を蹴飛ばし、畏怖と心配の混ざった表情を浮かべるクレーデレを無視して、貯蔵室へと向かう。既に研究室中に充満しているエネルギーすらも全て吸収しながら。


 貯蔵室の扉の前には、リベロの原形を留めていない死体が転がっていた。ティエルはその死体から一度目を背け、周囲のエネルギーを吸収していく。僅か数秒でエネルギーは消え去り、緑色のアラートも完全に停止する。


 彼は異形となった姿でリベロの前にしゃがみ黙祷する。10秒程度黙祷した後、ティエルは立ち上がり、クレーデレに向かって断腸の思いを噛みしめながら口を開く。


「これで研究施設にエネルギーが充満することはなくなったはずです。――アレに殺された人達は報われないでしょうが」

「そんなこと……」


「身体は大分落ち着きました。一瞬乗っ取られていたようにも感じましたが、この調子なら大丈夫でしょう」


 ティエルは醜い形に成り果てた右手を何度も握っては開きを繰り返し、自分の状態が安定していることを確かめた。

 肉体部分の状態は安定していたが、空腹感が満たされた直後より彼に襲い掛かっている罪悪感が、酷く重く痛く熱く彼を押しつぶしており、精神状態が安定しているとは言えなかった。



「ティエル!!」


 

 そんな時、一番聴きたかったが、今一番聴きたくなかった声が聴こえてくる。

 可愛らしく何処か消え入りそうなのに、心配からか確かな存在感を示す少女の声。


 フォムニエはティエルに無事で会えたことに喜ぶのも束の間、彼の人間の一部を失い化け物と化した全身を見て瞠目する。


 そして、すぐにティエルの横にいたクレーデレの胸ぐらを掴み、睨みつけた。

 

 

「何をしたの!? ティエルに何をしたの!! 答えなさいよ!!」



 何処に力があるのか――少し強く握っただけで折れてしまいそうな程華奢な右腕で、クレーデレの体を持ち上げようとする。

 しかし、クレーデレの体が持ち上がるよりも先に、ティエルがフォムニエを制止した。



「俺の意志でやったんだ。クレーデレさんは何も悪くない」

「たとえそうだったとしても、ティエルを止めれていない時点で悪いわよ!!」


 フォムニエはクレーデレの胸ぐらから手を離したが、表情は一切変わらず、敵愾心と憤怒が剥き出しだった。


「ごめんなさい、フォムニエさん。でももう時間がないの。――ティエルくんよく聞いて。その力があれば、本当にあれを倒せるかもしれない。可能性は正しいかもしれない。急いであれの元に向かいなさい」

「クレーデレさんは!?」

「後から行くわ。気をつけて」

「わかりました。クレーデレさんこそ、気をつけて。ニエルをよろしくお願いします」

「えっ」

「勿論、分かっているわ」


 クレーデレはフォムニエの右手を掴もうとする。しかし、フォムニエは彼女の手を振り払い、ティエルの方へと近づいた。

 それは最後の最後まで彼と共に生きることを誓っているが故の行動だった。


「……死ぬときは一緒に死ぬ。1人は嫌」



 異形であろうとお構いなしにティエルの右腕を握るフォムニエ。その手に込められた力は何があっても離さないと言わんばかりに力が込められていた。

 こうなったフォムニエは、死や痛みを引き合いに出そうと、引き下がることはない。


「…………わかった。俺も死ぬ気はないけどさ」

「大丈夫なの?」

「……なんとかします。ニエルは俺の大事な妹なんで、絶対に殺させませんよ」

「分かったわ。じゃあ、また後で落ち合いましょう」



「はい……!!」


 クレーデレは小さく微笑むと奥の方へと走り去っていった。彼女が向かう場所はおそらく――。


 ティエルはフォムニエの左手を強く握り直し、外に出るために階段降り始める。


「あんまり無茶はしないで。逃げろって言ったら逃げてね」

「…………ん」


 肯定とも否定とも取れる返事だったが、ティエルはフォムニエが理解してくれたと信じるほかなかった。


 

 研究施設の外に出ると、空は紅く、地も紅かった。

 争いは人間の死という結末をもって収まりつつあるが、依然、火花と鮮血が宙を舞っていた。


 不気味な空と罪悪感の塊である地上から目を背け、ティエルは都市の外へと向かって走り始める。

 《全ての成れの果て》が何処にいるかは大体しか分からない。しかし、早急に見つけ出し殺さなければならない。

 もし、この都市で起こっている争いが完全に終わる前に倒せたのなら、僅かでも無辜な人々を救うことができるかもしれないのだから――。



「――――――――!!!!」



 しかし、その淡い期待は文字に出来ない咆哮によって完全に否定された。


「!? ……どうして――。まだ、遠くにいるはずだっただろ」


 あと少しで都市の外に出れる状況だった。故に、《全ての成れの果て》がティエルにははっきりと視認出来ていた。

 その姿は、漆黒の体から紺色の触手のような何かを何十本と生やした不気味で不快極まりない。

 


 《全ての成れの果て》は沈黙を貫いていたが、5秒程経った時、突如として周囲に白煙のようなものを撒き散らし、紅く発光し始めた。


「まずい!!」



「――――――!!!!」



「ニエル!!」


 ティエルは隣にいたフォムニエを抱き抱えるようにして、地面に倒れ込んだ。



 そして、次の瞬間――鼓膜を破りかねない程の爆音が、天を劈かんと鳴り響いた。




◇◇◇




 再びティエルが目を開けた時、周囲には何もなかった――「其れ」以外。



 何もかもが消え失せていた。



 建物も、人の姿も、全ての生命も――。

 今の今まで行われていた醜い争いは何だったのか――そう思わせる程一瞬で周囲の世界が死んだ。


 唯一の救いは、彼の胸にフォムニエの温もりがあることだろう。

 しかし――。


「何もかもが……無駄だった」

「ティエル……何があったの?」


 フォムニエはティエルの下から無理矢理顔を出し――周囲の状況に慄然とする。

 ティエルは徐に立ち上がり、座り込んだままのフォムニエの前に立った。



「ニエルはここで待ってて。若しくは遠くに逃げるんだ」


「嫌!!」

「駄目だ!! あれに普通の人間が近づいたら駄目なんだ。今、あいつを殺せる可能性があるのは俺だけなんだ」


「そんなの……。うっ……死んだら嫌……だから」

「…………」


 ティエルは靉靆とした表情で微笑み、フォムニエの頭も撫でた。異形なものになったとしても、温もりだけは変わらなかった。


 暫く頭を撫でた後、彼はゆっくりと右手を彼女から離し、《全ての成れの果て》に近づいていき対峙する。



「無駄だったとしても、つぎは繋ぐ」


 

 無策で無謀過ぎる戦闘を彼は仕掛けた。其れはすぐに彼の存在に気が付き、交戦体制に移行した。



 無意な戦いの始まりだった。




◇◇◇




 激しい閃光。激しい爆発。激しい破裂音。

 ――それらが意味するのは、終わることの知らない対立。


 倒すべき存在がいるからか――都市を破壊するまでに至った爆発を《全ての成れの果て》が発生させることはない。

 そのため、フォムニエはなんとか無事だった。逃げる時間はあったはずだが、彼女は一歩も動かずに、戦いの顛末を見届けようとしていた。



  《全ての成れの果て》とティエルの間には、圧倒的な体格差と戦力差があるにも関わらず、意外にも互角の戦いをしているように見えた。


 しかし、それは本当に見えていただけで、終わりは随分とあっけなかった。


 其れの触手が1本、ティエルの腹部を突き刺した。大量の紅い液体が、肉塊と共に宙を舞う。紅い空が降らせる真紅の雨。


 深紅の空がより深い色になり、絶望の色へと変わる。


 其れは触手を引き戻すと、違う触手でティエルを吹き飛ばし、フォムニエの近くに転がり落とした。

 彼女は涙を浮かべ、焦燥し切った表情でティエルの元に向かった。


「ティエル!! ティエル、ティエル!!」


 息はある。話すこともできる。彼女を視ることもできる。


 でも――生きることだけは叶わない。


 彼は貫通した腹部を右手で押さえながら、《全ての成れの果て》へ思いを馳せて呟いた。



「もしかしたら、共存できたのかもしれない。争わなければ……きっとできたんだ。それに――」

「今は喋ったら駄目。私が何とかするから」


 なんとかすると言っても何か策があるわけではない。それでも助ける術を探して足掻かなくては、ティエルが死んでしまう。


「よく聞いてくれ、ニエル」

「な、何?」


 ティエルは異形のものではなくなりつつあった右手でフォムニエの頬を撫でる。そして、彼は彼女に今からやるべきことを伝えた。


「――――」



「っ!! そんなのできっこない!!」



 彼が口にした言葉は、誰が聞いても到底理解できるものでも容認できる内容でもなかった。家族なら尚更拒絶する内容で、ニエルは涙を零しながら、首を何度も左右に振る。



「愛してる。お前が……」

 


 彼の手が落ちた。同時に彼の姿は、人なる者の姿へと戻る。

 泣き続けたくても、叫びたくても、戻りたくても、目の前にいる《全ての成れの果て》はフォムニエの方へとゆっくりと肉薄してきている。


 覚悟を決めるしかない。故に――彼女は彼の指示に従った。



 次の瞬間。

 周囲に無数の花が咲き誇った。鮮やかで色とりどりの花が――。それらの花は希望を見せるためのものにも、絶望から目を背けるためのものにも見えた。



 紅い空の下に咲き誇る花々の中心にいるのは、可憐な少女――普通の人間ではあり得ない身体能力を持ってしまった憂いな少女だった。



《全ての成れの果て》から逃げるために青年から託されたその力。しかし、彼女はその力を《全ての成れの果て》を殺すために使う。

 理由は簡単で、逃げることは無意味に過ぎないからだった。



 最後の巨大都市は崩壊し、残された都市の住人は、自分だけは生き残ろうと無意味な争いを繰り広げるだろう。例え、目の前の異形を殺そうとも、その争いを止めることは出来ない。



 世界の滅びは止められない。

 


 だからこそ、明るく健気な花を咲かそう。

 


 ――世界が少しでも光輝いて見えるように。



 孤独と何か。周囲に誰もいない事が孤独なのか。周囲に誰かいても孤独と言えるのか。



「私は――」


 目の前にいる《全てのFinis of 成れの果てOmnia Mundus》との未来を叫ぶ。

 それは共存か対立か――。



「――――!!」



 時間は永久に消えた。運命が選択されたからだ。

 終わりもない。始まりもない――無限の中の現在いまだとしても――。




 彼女は花々の上で運命の終焉を願った。

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終焉の花束 江川無名 @ekawa_muna

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