第2話 Finis of Urbs Ingens

「ティエルが危ない……!!」



 フォムニエは服を着替えて家の外に出る。

 死に恐怖はない。最終的には全員死んでしまうことも知っている。


 晴れることのない赤い空の下には、更なるあかが世界を染めていた。

 炎と血――2つの赤が混ざり合う悪夢のような空間。黒煙で前は見えないが、地面ははっきりと確認できた。

 擦れた血痕や乾いていない粘り気のある血。鼻をさす鉄の匂いは命が尽きてい。

 

 フォムニエはその光景に目を背け、口と鼻を右腕で塞ぎながら、研究施設に向かって走り出した。



 路地裏は複雑な形をしており、幾つもの十字路が存在する。普段の道を辿り、5つめの十字路を通り過ぎようとしたが、体を少しだけ出して、フォムニエはすぐに家の陰に隠れた。


「共存なんてしてはいけなかったんだ!! 2人生き残っていれば、世界はまた復元できる!!」

「仲良しごっこのせいで、俺達の死が近づいている!! 家を奪われ、家族の命も消え失せた……もう何も――いらないんだ」

「どうせ誰も助からない。……でも、信じるために。これは最後の足掻きなんだ」


 1人の男性が壁に背中をつけてへたり込み、子どもを守るように抱き抱えている女性の下に、拳銃を向けながら近づいていく。

 男性の顔の右半分は皮膚が溶けており、左半分は目を抉るような古傷が縦に刻まれていた。――見続けていると、自分に痛みが移ってしまいそうだ。


「お願い……せめてこの子だけは」

「エネルギーとやらは限りがあるらしい。これも抗うためだ。悪いな」


 発砲音が2回鳴り響く。子どもと子どもを愛した母が死した音。――心臓部から鮮血が飛び散り、2人の背後にあった壁が真っ赤に染まる。


「殺されるかもしれない。迂回するルートを探さないと」


 フォムニエは来た道を戻り、別の道に迂回する。

 何処に行っても争いの火種は撒かれていたが、迂回した事で、多少なりとも危険性を下げる事ができたようだ。

 


 ――しかし、道を変えてしまったがために、フォムニエは悲しい現実を知ってしまう。


 炎は踊らず煙のみが舞っている、他の小道より僅かに広い通路の端で血の海に溺れる老爺が1人。彼はフォムニエによく花を上げていた人物だった。


 彼の近くには焦げた服の破片が、爆風により吹き飛んだ左腕の上に覆いかぶさっており、灰と化した花々が、風が吹くたび世界に消える。

 

「おじさん……!!」

「最期は人に殺されるとはの……戦争の時も生き抜いたのだが。……でもこれもまた……運命、なのではなかろうて」


 フォムニエが焦燥した表情で近づきしゃがみ込むと、老爺はゆっくりと右手を持ち上げ、彼女の頬を撫でる。

 血だらけの手がフォムニエの左頬を赤く染め、さらさらした血が右腕を伝い地面に溢れる。


「……お嬢、ちゃんは……まだ、花は好き……かい?」


 右腕が――静かに落ちた。


「…………はい、大好きです」


 フォムニエの言葉を聞くことなく息絶えた老爺の表情は、意外にも穏やかなものだった。


「安らかに――」



 彼女は近くにあった、血を浴びてはいるが、燃える事なく残された花を一輪だけ手に取る。

 老爺が何処からか持ってきたネリネの花は、他の花が灰になったにも関わらず、気高く生き続ける孤独な存在だった。


 フォムニエは牢屋の胸元に花を添えて、目を閉じ両手を合わせる。

 「つぎ」があるかは不明であったが、もし存在するならば、また出逢えることを信じて、彼女は祈りを捧げた。


 

 祈りを終えて彼女は立ち上がり、再び研究施設に向けて、慎重に走り始める。


 裏路地の惨状は酷いもので死屍累々と死体が転がっていた。赤子も老若男女も関係なく、人がいれば無残に殺されていた。


 それは生きるため――或いは、「死」と呼ばれる拒むことのできない末路から見て見ぬふりをするため。

 滅びゆく世界の中で「生」を求めることを誰が否定できようか。何者かによって「死」を強制される未来から見て見ぬふりすることを誰が否定できようか。


 他者を犠牲にしてまで「生」を求める人の目を盗みながら、フォムニエはただ走る。

 横の路地から銃声が鳴り響いても、目の前から人々の断末魔の叫びが聞こえてきても――ただ、1人の青年に会うためただ走る。



 残り数分で辿り着く――そんな時、研究施設の方から轟く破裂音。全てを破壊し、全てを墜とす――悪魔の鳴き声。

 フォムニエは立ち止まり、施設の方に視線を向ける。



 ――崩れ出していた。高く巨大な研究施設の一部がゆっくりと。



「っ!! ……やめて……やめて……!!」


 フォムニエは滅びを受け入れている。だが、知らないところでティエルが消えてしまうのは嫌だった。

 

 彼女はティエルが死んでいないことを願って、危険な道であるかも気にせず、最短距離で研究施設に向かって走り出した。




◇◇◇



 

 警報がけたたましく鳴り響く赤い廊下をティエルとクレーデレは駆け抜ける。


 侵入者が研究者を殺し、研究者が侵入者を殺す鼬ごっこが続き、下に降りれば降りる程、死体の数が増えていく。


「こっちです!!」


 非常扉が閉まったことにより、通路が限定されている。ティエルは閉鎖されている箇所を端末で確認しながら、侵入者を避けてクレーデレを下の階にまで導く。


「下の階の者からの連絡によると、エネルギーの情報が歪曲した挙句に誇張して伝わってしまっているようです」

「……下に降りるとは言ったけれど、この状況をどうやって打破するか思いついていないわ」

「リベロさんと一緒にエネルギー貯蔵室に向かえばよかったかもですね。この現状だと、エネルギーを回収だけして、研究施設を破棄しなければならなくなりそうです。……時間がないのに――」


 ティエルは親指の爪を甘噛みする。

 僅かな望みをかけて、「死」を覚悟して「生」に縋る。ティエルは彼等の心境が理解できないわけではなかった。しかし、その僅かな望みさえも勘違いのせいで消えそうとしている訳であり、先導者に心底腹が立っていた。


 彼は腸が煮え返りそうになるのを必死に抑えて、階段を下り5階にまで辿り着く。

 5階は既に鎮圧化されていたが、生存者の確認は出来ない。職員と侵入者、両方ともに全ての犠牲を以って諍いは終わりを迎えたようだった。

 乱離骨灰とした死体も肉片もまだ温かいが故に、生を想わせる。


 

 ティエルは絡み付くような液体の上を歩いて奥に進んでいく。

 叫喚、慟哭、悲鳴が頭上と足元から鳴り響いているにも関わらず、不思議と静けさのある廊下だった。

 

「……っ!! 止まってください!!」

 


 ティエルは左隣を歩いていたクレーデレの前に左腕を伸ばし、制止する。

 彼の指示に従いクレーデレが足を止めたその瞬間――左側の扉が強烈な破壊音を鳴らし、完膚なきまでに破壊された。


 破壊された扉の先から出てくるは、《全ての成れの果て》の姿態に右半分を侵食された1人の青年。研究施設の制服が残された元の体を覆っていた。

 

「ァァァァァ……」


 その青年の顔は、クレーデレもティエルも見知ったものだった。彼は毎日のように顔を合わせる仲間であり――クレーデレにとっては生き残っていた唯一の友人だった。


「もしかして」

「もしかしなくてもですよ。……俺は何も言えません」


 目の前に生きている人間は誰もいない。――彼を生きていると認識するのは、誰が見ても無理があった。

 異形に呑まれる体に、壊れた声音。生を実感させる要素は彼からものの数秒で消え失せる。

 

「ユメを視テイタかッただけ、イキていタカッタ――」

 

 ――いや、魂だけはまだ生きているのかもしれない。夢も希望も絶望も――語れるならば。


 しかし、それは本当に彼が想い、伝えたい言葉なのだろうか。ティエルは正解を見出せずにただ、現実を呪い、侵された青年を睨みつけ続けた。

 

「――ハナニ――ナイ」


 ティエルは近づいてくる青年に、迷いながらも拳銃を取り出し銃口を向ける。

 打つも打たぬも後悔はする状態。――なら、どの選択が正当なのか。どの選択ならば、彼から赦しを得られるだろうか。


「コロセ……オレヲコロ――クレ!!」


 ティエルの迷いを捨て去ろうとするかのように、青年は意思を取り戻し、自分の未来を叫ぶ。


 涙のない慟哭。未来のない命。自分のない体。

 何もないからこその最期の選択――救いの手を彼は求める。

 ティエルは彼の意思を受け入れ、引き金に添えた人差し指に力を込める。


「ティエル君!!」


 発砲を認めないと、クレーデレの荒げた声が廊下に響く。――しかし、その声を受けても尚、ティエルは力を緩めなかった。

 彼の最期の想いを理解できてしまったから。



 最終的に、彼に向かって発砲することはなかった。



 ――青年の体が頽れながら、黒く変色し始め、徐々に痩せ細っていく。

 純エネルギーを浴びたことによる症状であり、抗うことのできない死の作用。

 ティエルは拳銃を下ろして彼の元に近づき、右手を彼の首筋に当てる。



 息の根は完全に――止まっていた。



 青年が朽ち果てたことで静謐さを取り戻した廊下に、クレーデレの悲哀に満ちた溜息が響く。


「なんで、ティエル君は発砲しようととしたのかしら?」

「――得体の知れない何かに蝕まれて死ぬくらいなら、誰かに……知り合いか、大切な誰かの手で死にたいって俺なら思いますよ」



「…………そう、なのね」


 死した青年の服から転げ落ちた注射器をクレーデレは手に取る。


「盗んだわけじゃないのね。エネルギーに汚染されて、生きようとして、あのワクチンを打った。でも――」

「想定以上に適合しなかった」

「《全ての成れの果て》からエネルギーを回収するための作戦が、昨日の夜、決行されていたけれど――対象者だったのかしら?」

「分かりません。ただ、そうでなかった場合、エネルギー貯蔵室がこの短時間で破損している可能性があります。急いでリベロさんの元に向かいましょう」


 

 この廊下が闃然としていようとも、研究施設全体でみればその限りではなく、至る部屋が破壊され続けている。もし、あの部屋に侵入され、エネルギー貯蔵器が破壊されてしまえば、状況が状況。研究施設内にいる全員が死に至ることはまず間違いない。



 不特定階に存在する貯蔵室に向かって、ティエル達は足を進める。


 クレーデレはあくまで平然とした態度を装ってティエルの後に続いていたが、精神状態は不安定になっていた。

 無数の死体と友人の死を目撃したのだ。どれだけ精神力が高くとも、通常時の精神状態を維持するのは困難だろう。



 ――そして、この世界に現時点で希望はない。絶望の次にあるのは絶望でしかない。不安定な精神を安定させる出来事が起ころうはずもない。

 

「リベロ君! 何があったの!?」

「貯蔵機が破損してしまったらしく、内部は純エネルギーで充満しています。この扉もどれだけ持つか分かりませんし、この手を離したら一瞬でぶっ壊れますよ」


 体の至る所から止まることなく血が零れ落ちているリベロは、貯蔵室の扉を閉ざそうと背中を押しつけていた。


「時間がありません。ワクチンを確保して、すぐにこの施設から離れてください」

「何をするつもりなのよ?」

「エネルギーを施設中に放てば、侵入者の鎮圧が可能です。他の研究員には外部に避難するか、防護服を着用するように指示を出しました。ワクチンの保管してある部屋にも防護服はあるので、2人も無事に避難することが出来るでしょう」


 ティエルが端末を確認すると、誤字だらけではあったが、確かにリベロから避難もしくは防護服着用の指示が送られてきていた。


「少し待って。その言い方だと貴方が犠牲になろうとしているみたいじゃない。貴方の防護服も――」

「そんな悠長なことを語ってる場合ですか!? あの扉が壊れたら、3人揃ってお陀仏ですよ!!」


 廊下奥の非常扉は閉ざされていたが、侵入者が破壊しようとしているのか――何度も鈍い音が響き渡り、その度に扉に罅が入り、侵入者の姿体が露わになっていく。


「…………それに僕はもうエネルギーに当てられてしまいましたから。――僕もここまでです。この研究施設と一緒に朽ちるだけですね」


 その言葉に偽りはなかった。リベロの右足が徐々に黒く変色し腐敗しようとしていた。

 彼に救いの手を差し伸べることは叶わない。

 唯一、ワクチンの接種が可能でかつ、リベロに適性があったならば、彼を救うことができただろう。しかし、彼に適性はなく、今すぐワクチンを用意することもできない。


「――行きましょう。クレーデレさん」


 リベロを見捨てる覚悟を決めたティエルは、クレーデレの手を掴み、最上階に向かい始める。

 彼女もリベロを救えないと理解していた。助けたいという感情を抑え込み――ただ一言告げた。



「…………つぎの貴方に幸あれ」

 



◇◇◇




「――つぎを必ず……守ってください」



 2人の姿が見えなくなった時、リベロは小声で呟く。

 例え、己が死んだとしても。例え、世界の全てが終わったとしても。誰かが《全ての成れの果て》を駆逐し、子どもが育つ環境が残されてさえいれば、この世界はいつか復元されて――人々に「つぎ」が訪れる。


 ちっぽけな可能性であろうとも、その可能性への道は既に開かれているはずである。

 

 あと少しで非常扉は完全に破壊されるが、2人がワクチンを入手し、防護服を着用するまでの時間はありそうだ。


 破裂音、爆発音、衝突音。遠慮も憂慮もない侵入者の破壊活動が止まることなく行われ続けている。

 迷いがない――。この場所にエネルギー貯蔵室があると明確に理解しているだろう。


「あんた達が求めたエネルギーの正体ってのは、クソみたいなものですよ。真実を捻じ曲げたって、現実は変わらない。――さあ、一緒にクソにでも屍にでもなりましょうよ」


 ――は、非常扉を完全に破壊し、自らの方へと向かってくる愚者に対して笑みを零す。

 この世界に残す最期の想いにして、さいごの微笑み。



 未来を繋ぐために――彼は貯蔵室の扉を迷うことなく叩き壊した。

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