終焉の花束

江川無名

第1話 Finis of Pax

 孤独と何か。周囲に誰もいない事が孤独なのか。周囲に誰かいても孤独と言えるのか。


 孤独の定義を求めて彷徨う異形が世界を壊す。


 異形のせいで世界は深淵に包まれていた。深紅の空の下には、崩れ去った街並み。海は枯れ、森は燃え、雪は解けている。

 世界を壊すたびに異形は全てを吸収し、力を増幅させ、異形は更に異形に変わる。それ故につけられた名は――《全ての成れの果て》。




「《全ての成れの果て》は今も尚、世界を破壊し、8割は既に人類が生きるには不可能な基準に到達しています。……ですが、《全ての成れの果て》が発見されて3年経過した現在でも、完全な対抗策は見つかっていません」

「それでは、我々は死を待つのみなのでしょうか?」


「そういう訳ではありません。――あの異形が力を増幅させる際に周囲に一定時間放出するエネルギーには、人類に何らかの能力を付与することが判明しています。ただし、放出したエネルギーそのままでは一切有益な効果は得られないため、ある方法でエネルギーを変化させなければなりません」

 

 研究施設の一室で数十人の顔を確認しながら、異形を語る女性が一人。彼女は《全ての成れの果て》が放つエネルギーを研究している研究者だ。

 唯一の可能性を実現するために、彼女は目の前にいる人々を必死に説得する。



 ――デメリットを一切語らずに。


 

 例えば、彼女は純粋なエネルギーには一切有益な効果を得られないと語っているが、悪益は存在しており、変化を加えていないエネルギーに接触してしまうと、人間は朽ちるように死に至ってしまう――。

 他にも、能力を付与すると判明しただけで、それを実現する方法はまだ完成していない等、問題点は山積みな状況であり、タイムリミットと問題の天秤は一切つりあっていない。



 何故、彼女が周囲に向けて好意的な内容しか語らないのか――。それは良く言えば、不安を煽らないようにだが、悪く言えば、不安要素を語れば協力を得られないからだ。

 人類の全滅が近い状況であるからこそ、不安要素の多いことには投資したくないと考えている人が多い。――残り2割しか残されていないのに、ではなく、残り2割しか残されていないからこそ、1つの失敗が滅亡に繋がってしまうと考えられているらしい。


 政府も国も形など成していない。残された人類が生き延びるために、戦争さえ止めて1つに纏まろうとしている姿は、過ちに向かっていようとも、美しいものなのかもしれない。


 

「お疲れ様です」

「ええ」


 女性の話を全てを聞き終え、散った人々を横目に女性に話しかけるは若き青年。生まれた時から持っている、染まることを知らない白髪が特徴的だった。


 2人は一番最後に部屋を後にして、別の部屋に向かうために、とにかく簡素な廊下を歩く。

 

「大事なところ言ってませんでしたね、クレーデレさん」

「聞くけど、貴方は絶望か希望どっちが好きかしら?」

「どっちもだと思いますけど」

「随分と達観ね」

「それは皮肉ですか?」

「……貴方の心に任せるわ」


 クレーデレの不可解な皮肉に首を傾げつつも、青年は乱れた白衣を整え歩き続けた。

 窓もない無機質な廊下は、歩く人達を世界から隔離されたような感覚に陥らせる。

 


 そんな無機質な空間は、周囲に誰もいなければ、まじめな話をするにはもってこいの場所だった。


「それよりも――。貴方は覚悟、できたのかしら?」

「当の昔に」

「それなら良かったわ。……ティエル君は私の希望よ。もしかしたら、人類の希望となり得るかもしれない」

「…………分かっています」


 2人の間に剣呑な空気が流れる。――最悪の状態のまま沈黙が続き、両者が嫌気をさしていた頃、丁度良く目的の部屋に辿り着く。

 クレーデレは自動ではない部屋の扉を押し開き、はにかんだ笑顔を浮かべた。



「陰気臭い空気も話も終わり!! ほら、今日も可愛い可愛い双子の妹が迎えに来てるわよ!!」


 彼女はティエルの背中を右手で叩く。

「こんばんは……」

「はいこんばんは、フォムニエさん」


 椅子に腰かけていた、長く綺麗な白髪を持つフォムニエと呼ばれる女性が、ティエルとクレーデレが部屋に入ってくるのに気が付き、すぐに立ち上がってクレーデレと挨拶を交わした。

 その後、フォムニエは透き通った藍色の目でティエルを見つめたまま、彼の白衣の左袖を右手で掴む。

 


「ティエル、早く家に帰るよ」

「分かった分かった。あまり服を引っ張らないでよ

「…………」


 ティエルはフォムニエの右手をそのまま放置し、10センチ程度背の低い彼女の頭を自由のきく右手で撫でた。彼女は、男性にしては華奢なその手を拒まず、薄目を閉じて受け入れる。


 

 5秒程で満足したのか――ティエルはフォムニエの頭から手を離す。

 彼女はどこか不満げそうな表情を溢すが、誰にも気付かれない内に元の穏やかな表情に戻す。

 しかし、家に帰るために部屋を出る際、フォムニエはクレーデレの方に顔を向けて、静かな怒りをのせて睥睨し、挨拶もせずに部屋を後にした。


「やっぱり嫌われているのね」

「そりゃそうですよ。……だって、ニエルは俺以上に――。いや、これは言うべきではないですね」

「え、そこまで言われると気になるのだけれど」

「世界が終わらなければ分かりますよ」


 世界の存続を望んだ言葉を残し、ティエルもフォムニエの後を追うように、部屋の入り口に向かう。


「じゃあ、また明日ね。……いい夢を」

「クレーデレさんこそ、いい夢見てください」


 終わりが近い世界に住んでいるとは思えない程、比較的平和で穏やかな会話と光景だった。

 明日終わることはなくとも、1ヶ月後はどうなっているか分からない。そんな状況における平凡は、2人の擦り減った心を癒す。


 クレーデレと別れた後、別に部屋に少し足を運び、その部屋にある自分のロッカーの中から鞄を取り出し、白衣をかける。

 彼等の私服は随分と質素であるが、今の世ではまだ瀟洒な方であった。



 2人が外に出ると、遠くから複数人の視線が刺さる。冷たい風が吹き、痛みを感じる寒さを身に受けても、建物の中に入らず、寒さを凌ぐこともできないボロボロの服で過ごしている人々。

 何人ではない――何十人も、1本の小道に集まって、なんとかなんとか生きている。


 この景色を見れば、「家」があるだけでどれだけ幸福な事か、誰も彼もが痛感する事だろう。


 研究施設の周囲には、それなりに高層な建物が立ち並ぶ。しかし、その建物の大半は形があるだけ。電気も水道も通ってはいない。上階の床は崩壊し、中で過ごすことは勿論、そもそも中に入ることさえままならない。


 荒れ果てた惨状に心を痛めるティエルと荒んだ人々を視界に入れても特に気にも留めないフォムニエ。――双子とは思えないくらい対称的な感情を抱いていた。


「……お嬢ちゃん」

「おじさん」


 フォムニエ達に話しかけたのは、立つことすら困難になりつつある老人だった。彼女は老人に近づき、かがみこむ。


「お嬢ちゃんにあげた花は、まだ元気に咲いてるかい?」

「うん……枯れることなく、綺麗に……咲いてる」

「そうかい。それは良かった」

「……本当はもっといっぱいお話ししたいけど。――私はもう、帰るね」

「また、いつか……花が好きであるなら」

「…………いい夢を」


 フォムニエは立ち上がり、その場を後にした。



 20分程度歩いた距離に2人の家はある。

 ティエルは靴を脱ぎ、スイッチを押して部屋の明かりをつける。明かりとはいっても、電気は殆ど通らなくなっており、蝋燭で灯す明るさと大差ない。


 濡らしたタオルで体を拭き、軽い食事をとって、2人は暖を取るために同じベッドに潜り込む。

 普段なら2人とも5分足らずで浅い眠りにつくのだが、今日は違った。――フォムニエがティエルの袖を掴んで、彼に対して向けた素直な感情を吐露し始めたからだ。


「大変なのは知ってるけど……私はもう少しティエルと一緒にいたいの。……気持ちはわかるでしょ?」

「分かってるけどさ。今の研究が成功すれば、あの異形を殺すことができるかもしれない」


「…………あの異形がこの場所の到達するのはいつ?」

「……早くて半年。遅くても1年……ってクレーデレさんは言ってた」


 半年はあくまで最悪に最悪を積み重ねた時の予測であり、現実的なタイムリミットは9ヶ月とされている。



「間に合うの?」

「間に合わせる」

「そんな0に近い可能性なんて信じないでよ」

「別に滅びを受け入れていない訳じゃないけど、少しは足掻いてもいいんじゃないかとも思ってる」

「…………」

「俺はニエルにもクレーデレさんにも……他の人達にも生きてほしいって思ってる」

「……………………」

「ああ……わかった。諦めるつもりは毛頭ないけど、もう少しだけニエルとの時間は作るよ。……それでいい?」


 フォムニエは長い時間沈黙を貫いていたが、最終的に、ティエルの言葉を受け入れ小さく頷いた。

 ティエルは僅かに口角を上げて微笑み、彼女の頭を優しく撫でる。


「それじゃあ、この話は終わり! さっさと寝よ」

「……うん、おやすみ」

「おやすみ」



 共にいる時間を増やすと約束したからか、頭を撫でたからか――どちらにせよ、フォムニエはティエルの行動で安心し、1分足らずで可愛らしい寝息を立て始めた。


 彼女が眠ったのを確認したティエルは、穏やかな表情から靉靆とした表情に変える。



「……ごめん、ニエル」



 そして、彼はポケットから何かを取り出し、眠りにつく彼女の右腕に向けて――。


 …………。

 ……。



 ――花瓶に挿している雪降花の1輪が、枯れることなく地面に落ちた。




「……いき、て」




◇◇◇




「フォムニエさんもエネルギーと適合することが分かったわ」


 眼鏡をかけたクレーデレは、前にあるディスプレイのグラフや不可解な文字列を眺めながら、ティエルに向けて告げる。


「俺にだってあるんです。当然でしょう」

「それと適合力はティエル君よりも高い結果になっているわ」

「……そうですか。それなら、万一があっても死ぬことはないですね」


 クレーデレは椅子から立ち上がり、短く揃えた黒髪の前髪を指でくるくると捻る。それは考え事をやめた時に出る彼女の癖だった。



 彼女は癖を止めることなく、ディスプレイの横に置かれている、透明な容器に入った緑色のエネルギーを眺める。

 エネルギーは実際には無色であり、空気みたいなもの。――しかし、それだと、容器が破損した場合など非常事態に対処ができない。そのため、エネルギーに色付けがなされたのだが、緑色である理由は、純エネルギーは毒であり毒といえば緑、という至極単純なものだった。



「このエネルギー達もタダじゃない。回収するだけで何人もの犠牲者が出た。決して無駄にはしない」


 クレーデレは今は亡き者達に想いを馳せながら、決意を新たにする。

 

 エネルギーを回収するためには、《全ての成れの果て》に近づかなければならず、例え、エネルギーから身を護るための防護服を着ていようとも、異形本体に殺される。

 


「命が命を繋ぎ、最後には必ず報われる。そうでなければならないの。…………もうすぐ完成する。――ワクチンのある部屋へ行きましょう」


 2人はエレベーターを使い最上階に向かう。そこにあるのは他の場所より暗い部屋。如何にも何かある――そんな異質な雰囲気だった。この部屋は他の部屋よりも若干寒く、ティエルは右腕を擦って寒さを和らげる。


 そんな寒い部屋の中にいたのは1人の男性。中央に設置された中の見えないケースを見つめていた。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ、リベロ君」

「リベロさん、お疲れ様です」

「――早速本題ですが、3日前に仮説に則り行った実験で1つの結果を得る事が出来ました。その結果をもとにエネルギーに変化を与え、生成したワクチンがこの中に入っています」

「凄い速度ですね……」


「実験回数は足りていませんが、一昨日から昨日にかけて、マウスによる実験も行い、エネルギーに適性のあるマウスが何らかの反応を示すことも分かっています」

 

 リベロはケースの下にあるボタンを押すと、軽快な音が鳴り響き、ケースが縦に4分割される。そのまま、土台に埋もれるように下に落ち、代わりに中から4本の注射器がゆっくりと姿を現した。


 無色の液体が入った小さな注射器。不吉と呼ばれる数が用意された――。

 

「1本足りない……。おかしいです……ここに入れるのは限られた者だけ。……誰かが盗みを働いた? そんな人いるわけが――」

「取り敢えず、落ち着きましょう。――ただ、もし外部に出て、適合しない人が接種したら取り返しのつかない事になる」


 焦燥しきったリベロを一度落ち着かせようとクレーデレが肩を掴もうとした時――研究施設の最下部から突如として爆発音が響き渡った。

 


「……何!?」

「最下部で爆発が起こったようですね」

「取り敢えず、下の方に向かいましょう!!」

「僕はエネルギー貯蔵室の方へと向かいます!! 今は誰もいない時間で、万が一の事があったら困りますので!!」


 研究施設に起きた状況の整理を行うために、3人は目的地へと走り出した。



 ――爆発という名の咆哮は、いついかなる時も悪夢を見せる。



 昔も現在も未来も――。




◇◇◇




 消える夢が、望む未来が、失せる運命が、フォムニエの心を蝕む。

 心を蝕む原因は、彼女が思いを馳せる兄にあった。


 フォムニエは、ティエルが生に足掻いていることを知っている。可能性を捨てていないことを知っている。――夜の会話からもそれは明白であり、彼を止める事が出来ないということも彼女は知っている。

 しかし、彼女は残り僅かな時間をティエルと過ごしたいと願っていた。


 母も父もいない。唯一の家族である彼と――ただ、少しでも一緒に過ごしたかった。

 可能性なんてないに等しいのだから、諦めて最期の時まで隣で笑っていてほしい、と彼女はベッドの中で思う。

 勿論、彼の足掻きを信じたい気持ちも彼女の中になくはなかったが――。



「もう……いいでしょ?」



 彼女は身体を持ち上げ、右腕を擦りながら、近くにある窓から外を眺める。赤く朱く紅い――業火に焼かれる最後の大都市。

 その景色は、彼女を焦燥した表情で瞠目させるには充分だった。

 


 人が建物を燃やし、人が人を殺める。

 ――生命いのちに縋った烏合の衆が、世界を壊し始めていた。

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