泡になって消えた人魚姫、異世界で聖女になる

竹部 月子

泡になって消えた人魚姫、異世界で聖女になる

 その想いが実らなければ、泡になって消えるんだよと魔女は嗤った。このナイフで王子の心臓を刺し、人魚に戻りなさいと姉たちは泣いた。


 王子は明日、別のひとと結婚してしまう。

「愛しています」とさえ伝えられないまま、人魚は船から身を投げ、黒い海の泡となった。




「聖女殿、聞いてる?」

 人魚はハッとして、素足で砂浜に立つ青年を見上げる。

「今夜、決戦だよ。大丈夫?」

 ごめんなさい、大丈夫。

「ホントかなぁ」

 今は町人のような軽装だが、彼はれっきとしたこの国の第二皇太子だ。


 海の藻屑となって消えたはずの人魚は、見知らぬ浜辺で目を覚まし、そこで何故か「異界からの聖女」として祭り上げられた。

 それもそのはず、絶海の孤島にポツンと繁栄していたこの王国は、悪しき巨大クラーケンにより滅亡の危機に瀕していたのだ。


 人魚はおあつらえ向きに、魚の尾を取り戻していた上に、水中でも地上でも呼吸できる水陸両用になっていた。

 声は失ったままだが、皇子とは念話という力で、意思疎通できるらしい。


「クラーケンは用心深いから、すぐに沖まで逃げちゃうんだ」

 だから今まで、とどめをさせなかったんでしょう?

「うん、でも今回は逃がさない。船を三角形に配置し、浅瀬で待機させる。聖女殿がクラーケンを誘いこんだら、船から鋼鉄の網を海底まで降ろす。これでクラーケンを捕らえて、あとは船上から一斉掃射する予定だ」

 クラーケンが逃げようとして、網を引っ張ったら船が傾いて沈んだりしない? 

「大丈夫。船は沈まないし、クラーケンも逃がさない。……それより」


「クラーケンより速く泳げるって本当だよね? 嘘じゃないよね?」

 本当よ。私の泳ぎの速さは、見たでしょう?

「聖女殿は、気軽に自己犠牲に走るから、信用ならないんだよ。怪我禁止、無理禁止。いいね?」

 了解。

 王国兵を真似して、額に手をあてて敬礼すると、皇子は人魚の髪をくしゃっと撫でて船に乗り込んでいった。




「父上、クラーケンを討伐したら僕に聖女殿をください! 浜辺に別荘を建てて、一生大事にします」

 陛下の御前で、第二皇子はそうねだった。

「馬鹿者、まず本人の了承をとってからにせい!」


 今は人の姿でもないのに、そんなこと叶うはずがない。光栄に思いながらも、全く本気にしていなかった人魚は、じきに彼がどれだけ真面目にそう言ったのか、分からされることになった。

 とにかく皇子の熱量は高く、愛情表現を一切惜しまないのだ。


 皇子との日々がつもるうちに、人魚はかつての恋を苦く懐かしいものだと感じるようになった。

 声を失っても、想いは伝える方法はあったはずなのに、ただ王子様が自分に気付いてくれることだけを待っていた。淡くて幼い恋だった。

 自分を見てほしければ、ほっぺたを挟んでグイッとこっちに向ければ良かったのだ。少なくとも、皇子はいつもそうして、うつむく人魚を振り向かせるのだから。 




 闇夜に浮かぶ船は、人魚にとって辛い思い出ばかりだったが、今日は違う。

 軍船の甲板に並ぶ兵からの期待と信頼を受け止め、一度高く跳ねてから、一気に海底まで潜った。


 クラーケンの棲み家に着くと、その巨体の周りを誘うように旋回する。人魚が身にまとった金銀の装飾品が、ひらひら光ると、魔物の目がギョロリと動いた。

 かかった!

 浅瀬で待つ皇子に届くように、強く想って、尾びれで水を蹴る。矢のように水中を進むと、クラーケンもエサを逃がすまいと、体に似合わぬ俊敏さで追いかけてきた。


 人魚の頭より大きいクラーケンの目が、ぬっと横に並ぶ。速い、と息を呑む間に、伸ばされた触腕が細腰に巻き付いた。

 クチへ運ぼうとするクラーケンから逃れようと、人魚はめちゃくちゃに身をよじる。

 海底の砂をまきあげ、視界がほとんど効かない状態で、人魚は触腕にナイフを突き立てた。

 ごばっと、クラーケンはスミを吐き、ゆるんだ拘束から逃れたエサに、憤怒の形相で追いすがる。


 その時、闇夜に炎が走った。軍船が篝火かがりびをたき、エモノが罠にかかったことを知らせたのだ。海中に張り巡らされた網に、クラーケンは狼狽の様子を見せる。

「聖女殿、よくやった! 上がって!」

 皇子が手を伸ばし、人魚は迷わずその手をつかむ。


 無数のモリが打ち込まれ、暴れるクラーケンに船は激しく揺れる。それでも、軍船は沈まない。最後に一斉に大砲が火を噴き、水しぶきは雨のように甲板に降り注いだ。




 水平線から太陽が昇る頃、浜辺にクラーケンを引き上げた王国兵たちは、祝い酒を酌み交わしていた。

 少し離れた岩場に腰かける人魚と第二皇子は、冷やかし半分、見守り半分で、良い酒の肴になっている。


「ここに海に張り出すようにテラスを作ってさ」

 別荘の間取りを説明していた皇子は、あっと声をあげて人魚の元まで駆け寄った。

「僕と結婚してくれるか、聞くのが先だった」

 断られるなんて微塵も思ってない皇子の瞳は、この夜明けのように希望に満ちて輝いている。人魚は、頬を染めてにっこりとうなずいた。

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