風来の清十郎 ~あやかし百景見聞録~

スズヤ ケイ

桜の古木

 それは見事な桜の木であった。


 樹齢何百とも見える太い幹は低い位置で二つに分かれ、そこからさらに四方八方へ広がるようにして枝が伸びている。


 盛夏にして葉はよく生い茂り、根元に立てば雨よけに丁度良い。


 かような場所に行き会えたのも何かの縁。


 夕立に降られた旅装の男はこれ幸いとばかりに、古木の葉の陰へもぐり込んだ。


 次の宿場町はすでに視界の端に見え、一走りすれば着く距離である。


 しかし、元より多少の足止めなど気にするような急ぎ旅ではない。


「ちょいと邪魔するぜ」


 男は律儀に軽く一礼すると、編み笠の顎紐を緩めつつ、幹の分かれ目を腰かけに見立てて雨宿りを決め込んだ。


 編み笠が背中へ落ちると、束ねた黒髪と精悍な顔立ちが露わとなる。


 歳は三十あまり。


 左目を覆う黒の眼帯が目を引く、背丈六尺程の偉丈夫だった。


 名をさかき清十郎せいじゅうろうという。

 腰に差した剣の腕を頼み、自由に諸国を巡る風来坊である。


「なんと見事な枝ぶり。咲いた様も、さぞ美しかろうなあ」


 塞いでいない右目を細め、頭上を仰いで清十郎は呟いた。


 黒い瞳に素直な喜色を浮かべ、口元は自然のままに緩ませている。



 己の両腕でも抱えきれぬ程の太い幹。


 長く伸びながらも、自重負けせぬ力強い枝。


 とめどない雨をしっかりと跳ねのける瑞々しい緑葉。


 葉の隙間からはかすかながら薄陽が射し、雫が伝う幹をきらめかせている。


「ふ。咲かずとも十分か」


 古木はまさに今、天の恵みを一身に受け止めて、生を謳歌しているのだ。


 萌ゆる緑葉の鮮やかさは、花にも劣るまい。


 清十郎は一人得心し、うるし塗りの煙管きせるを取り出して、しばしの休憩を楽しんだ。



 清十郎は武芸者ながら、風流を好む。


 美しいもの。艶やかなもの。旺盛なもの。儚いもの。


 特にこれ、と決めている型は無い。


 人が感じるものとは、その時々で異なる、と清十郎は思っているからだ。



 例えば、今清十郎が好ましく眺めている景色。


 街道をわずかに外れた小高い丘に、でんと構える年経た巨木。


 ざんざんと葉桜を叩く雨音。


 歪み曇る視界の先には今宵の宿。


 これが目的あっての旅なら、足止めに苛立ちの一つも湧こう。


 しかし清十郎の旅路に目的地はない。


 故に、こういった不意の遭遇をこそ楽しむのだ。


 立ち寄った町々で一時いっとき用心棒などをして稼いでは、再び漫遊見聞の旅へ出る。

 それが清十郎の生き方だった。



 清十郎が休憩を始めて、どれくらい経っただろうか。


 辺りには夕闇が落ち、夜の気配が満ち始めるも、雨は未だ止まず。

 清十郎は心地の良い雨音に包まれ、思わずうとうとと居眠りを始めていた。


 しかしそれを遮る者が現れる。


 清十郎は人の気配を察知して目を開くと、少しばかり離れた場所に女が立っていた。


 年頃は二十の半ば辺り。地味な恰好ながら、美しい女である。


 しかし清十郎はいぶかしんだ。

 いかにうたた寝していたとはいえ、武芸者の端くれである。近寄る者があれば気配で起きる。


 それがこの女はどうだ。自分に気取られずにこれほど接近するなど、それこそ突然降って湧いたものとしか思えぬ。


「どうした、娘さん。おれに何か用か」


 取り落としそうになっていた煙管を咥え直し、清十郎は尋ねた。

 無論油断はしていないが、別段緊張することもなかろうと、刀に手はやっていない。その気になれば一瞬で抜刀できるからだ。


 女はそんな清十郎の泰然とした様に見惚れたようにしていたが、気を取り直したようで、鈴を鳴らしたような澄んだ声で告げた。


「お侍様。今すぐこの木の上までお登り下さいませ。これからこの場にて物騒な事が起こりますので」


 そう一礼しながら言って来るも、理由もなしに納得する清十郎ではない。


 しかし女の声には焦りと慈悲がない交ぜになり、有無を言わせぬ不思議な迫力に満ちていた。

 まるで聞く者をも不安にさせる、魔性の言霊のように。


 清十郎は女の目を見詰め、悪意の無きを読み取ると、


「……わかった。後で事情を聞かせて貰おうか」


 女への質問を飲み込んで、指示に従うことにした。


「聞き入れて下さり、ありがとう存じます。ではこちらへ……」


 女はすたすたと桜の木へ歩み寄ると、その姿がすうと溶け消え、気が付けば清十郎の頭上から手を伸ばしていた。


 やはり物の怪の類か。


 清十郎は敵意より興味が勝り、むしろ楽し気な笑みを口元に浮かべると、女の手を取り木の高みへ登って行った。


 木の天辺近くまで来ると、生い茂った葉によって、清十郎達の姿は完全に覆い隠された。


「ここまで来れば安全です。しばしここにて身を潜めておれば、すぐに終わりますので」


 話すごとに、女の声に妖艶さが混ざって行く。


 清十郎は危うく気を持って行かれそうになるものの、これから始まる事への興味が意識を繋ぎ止めた。


 敢えて何事が、とは聞かぬ。

 見ておれば知れる事であろう。


 覚悟を決めた清十郎は、悠然と煙管の煙を吸い込み、高みの見物と洒落込む事にした。

 そんな肝の据わった清十郎の態度に、女も感嘆している様子であった。


 女と木を登っている最中に雨は上がっていたらしく、ぴちょんぴちょんとわずかな雫だけが葉の間を垂れる。


 やがて葉陰の向こうに、宿場町から駆けて来る小さな影が目に入った。


 それは二十前後の若い娘であった。


 必死の形相で、後ろを振り返りながら走っている。


 背後を見れば、やや離れて堅気とは思えない男達が群れて娘を追いかけていた。


 身なりからして遊び人や博徒のようである。

 大方路上で声をかけた娘に袖にされ、逆上して追い回しているのだろう。


「手出し無用に願います」


 助太刀をしようと清十郎の気が揺らめいたのを見越して、女が声をあげた。やはりただの女ではない。


「このまま見過ごせと?」

「はい。あれは『餌』ですので……」


 その意味を問い返す前に、娘は桜の古木の下に辿り着き、幹を背にして震えていた。


 そんな娘を、下卑た笑みをした男達が取り囲む。


 弱い者苛めを見過ごすのは清十郎の主義に反するが、女が目配せで制してくるならば仕方ない。成り行きを見守る事にした。


「こ、来ないで! 見逃して下さい!」


 女の悲痛な叫びが響くが、男達はそれを聞いてさらに興奮するばかり。


「馬鹿を言っちゃいけねえ。ようやく追い詰めたってのによ。逃がす訳がねえだろう」

「さあ、おれ達と一緒に楽しもうや。散々手を焼かせてくれたんだ。その後は遊郭に売っぱらってやるからなあ!」


 どっと下品な笑い声が場を包む中、男の一人が娘に近寄ってゆく。


「おら、こっちへ来な!」

「いや! 来ないで! それ以上近寄ったら……!」

「どうするって? 女の細腕で……うおおお!?」


 欲望に歪んだ男の顔が、不意に恐怖に歪む。


 娘の足元から土を割って生えた古木の根が、男の足首を捉えて宙吊りにしたのだ。


「近寄ったら、食べちゃうからあ! あっははははは!!」


 小動物のように縮こまっていた娘は、狂ったように笑い出した。


 古木の根が出現した穴は地割れの如くに広がって行き、周囲を地震のような大きな揺れが襲う。


 根に囚われた男は地割れに呑まれ、長い悲鳴を響かせながら地下へ消えて行った。


 それを見て他の男達は慌てふためき逃げ出そうとするが、時既に遅し。


 周囲に広がった地割れから幾本もの根が飛び出しては男達を捕まえて、次々と穴の中へ引きずり込んでゆく。


「……なるほど。喰らうために呼び込んだか」

「同胞を喰らう所業をお見せしてしまい、お気分を害されましたか?」


 納得した清十郎の一声に、女は心配そうに尋ねる。


「いいや。いい気味だ。もっととっちめてやりな」

「……やはりあなた様は変わっておいでですね」

「おれは薄汚い野郎は嫌いでな。お前さん達の方がよっぽど綺麗で好ましく思える」

「まあ……」


 女が頬を朱に染める。


「くそ! このまま喰われてたまるか! 先生! 助けて下せえ!」


 一人の男が根の触手と格闘しながら、離れて様子を見ていた浪人風の男に助けを求めた。


 見れば、浪人の周囲には切り払われた木の根が散乱し、用心棒として滅法腕が立つのであろうことを示していた。


「うむ。……あの古木が本体か」


 いつの間にかに姿を消した娘がいた場所を見据え、浪人が走り出す。


「不味いな。あれは別格だ。悪いが節介を焼かせてもらうぞ」


 言うが早いか、清十郎は木の枝から飛び降りていた。


「──せいやあ!」


 木の根を切り払いつつ古木に肉薄し、幹に斬り付けた浪人の目前に、頭上から降って来た清十郎が割って入る。


 きぃん!


 高い金属音と共に、浪人がたたらを踏んで後ずさった。


 清十郎の体重を乗せた煙管の一撃が、見事に浪人の凶刃を弾き返したのだ。


「おのれ、何奴!」

「誰でもいいだろう。ただ、見ちゃいられなくてな。桜は愛でるもの。斬り付けるなんざ無粋だぜ」

「化け物だぞ、そいつは! この惨状を見てもそんなことが言えるのか!」


 刀で古木を指し示しながら、浪人が叫ぶ。


「これが化け物なら、お前さんらはけだものだろう。見た所、女衒ぜげんの真似事をしているな? 女を攫っては遊郭に売り、客を取れなくなった女郎はこの辺りに埋めてきた。そうだろう?」


 清十郎が煙管を突き付けると、浪人と生き残っている男達の顔色が変わった。


「ど、どうしてそれを……!?」

「何。おれは人より少しばかり色々と性質でな。お前さんらの悪行を知っちまった以上、おれはに付くことにしただけだ」


 親指で桜を指し示すと、くるりと煙管を回して構えて見せた。


「ほら、来な。お前さんが筆頭だろう。性根を叩き直してから古木の餌にしてやる」

「まさかそれで相手をするつもりか? 何故抜かぬ!」


 あくまで刀を抜く素振りを見せない清十郎に、浪人はこめかみに青筋を浮かべて尋ねる。


「小汚い外道の血で刃を汚したくないのさ」

「言いおったなあ! 後悔しても遅いぞ!」


 清十郎の挑発に激高した浪人の刃が迸る。


 しかし清十郎の技はそれを軽く上回り、柳の枝のように浪人の刀を縦横にいなしてゆく。


 そして隙あらば身の各所を打ち据え、浪人を青痣だらけにしていった。


「くそ、こんな片目の奴なんぞに……!」

「そら。これで終いだ」


 それまでで一等鋭い踏み込みを見せてから、清十郎の煙管が浪人の手の甲を打ち、次いで流れるような動作で刀をはたき落とした。


「おのれ……おのれええええええ……!!」


 すでに気力を根こそぎ削られていた浪人は、迫り来る根の触手に抗えず、あっさりと穴の底へと消えた。


 その頃には、他に捕まっていた男どもも喰い尽くされ、地割れが元に戻って行った。


「一昨日来るんだな」


 そう言い放ち、清十郎が一服始めると、


「あれなる手練れが混じっていたとは。私どもでは手を焼いたことでしょう。ありがとう存じます」


 木の上にいたはずの女が寄ってきて頭を下げた。


「好きでやったことだ。礼はいらねえ。ところでお前さんは、樹木子じゅぼっこかい」

「……お見通しなのですね。桜の精と名乗れればよかったのですが、仰る通りでございます」


 清十郎に指摘されると、女は寂し気な笑みを浮かべて目を伏せた。


 樹木子とは、古木に邪念が貯まり、あやかしとして動き出したものを指す。多くの場合人を襲い、生き血を啜ると言う化け物だ。

 だが、この桜の古木はいささかおもむきが異なるようだ。


「周辺に埋められた女郎の恨みが古木に宿ったか……」

「憐れと思われましょう。浅ましいと思われましょう。男達を誘惑しては喰らい、身を維持する化け物に成り果てた私どもを」


 顔を伏せたまま自嘲する女に、清十郎はかぶりを振った。


「いいや。お前さん達は受けた怨みを晴らしているだけだろう。あの下衆どもはただの自業自得だ。お前さん達が気に掛ける必要なんざねえさ」

「……なんと……よもやこの身に落ちて、そんな優しいお言葉をかけられるとは……」


 女は面を上げるも、両袖で顔を覆い小さく嗚咽おえつを漏らす。


「よせよせ。大袈裟だ」


 どこか照れ臭そうに言って煙管をふかす清十郎に、女は涙目のままで尋ねた。


「お侍様、お名前はなんと……?」

「榊清十郎だ」

「清十郎様……もし今宵の宿がお決まりでなければ、私どもに歓待させては頂けませんか」

「それは願ってもないが。こんな野っぱらでか?」

「ふふ。少々お待ちくださいね」


 女がぱんぱんと手を叩くと、木の葉がはらはらと舞い落ち始め、二人の周囲を舞い踊る。


 すると清十郎の視界が一瞬ぐにゃりと歪んだと思えば、なんとも立派なお座敷が現れ、己もそこに立っていたのだった。


「大した幻術だな」

「幻だなんて、野暮ですよ。さあ、今宵は現実を忘れて、たんと楽しんでいって下さいな」


 女が艶を帯びた声を出すと、座敷の襖という襖が一斉に開き、煌びやかな着物に身を包んだ女郎達が現れ、手に手にご馳走の乗った膳や、酒を載せた盆などを持ち寄り、清十郎に殺到した。


「旦那様。本日は誠にありがとうございました。まずは一献」

「旦那様。こちらのお料理もどうぞ。はい、お口を開けて下さいな。あーん」

「ずるいですよ。こちらもどうぞ。あーん」


 代わる代わる美女の接待が清十郎に押し寄せる。


「おいおい、落ち着け。順番に相手するから。って、聞いてるか、おい」


 両手に花、どころか全身美女に群がられては、さすがの清十郎も形無しである。


 酒につまみと次々口に押し込まれ、全身を愛撫され、夢心地のまま清十郎の意識はおぼろの中へと溶けて行った。




 ────




 ぴちょん。


 枝を伝う朝露が、大の字で寝ていた清十郎の鼻を濡らした。


「んん……? 朝か……」


 寝ぼけ眼で半身を起こすと、やはり昨日の桜の古木の根元で寝入っていたらしい。


「夢だった……か?」


 欠伸を噛み殺しながら一つ伸びをすると、ふと視界にちらりとあり得ないものが映った。


 それに意識を奪われ、思わず古木を見上げると、清十郎の顔に感嘆が広がっていく


「夏場に桜……だと」


 昨日は緑に溢れていた古木が、なんと枝一杯に桜色の花弁を蓄えているではないか。


 清十郎はがばりと跳び起き、夢ではない事を確認すると、


「昨日のろくでなしどもを栄養にして咲き誇ったか。礼はいらんと言ったのに、律儀なお嬢さん方だ」


 古木が自分のために花を咲かせたのだと悟り、言葉とは裏腹に、満更でもない表情を晒して唸った。


「実に見事なり。これはで見る価値がある」


 言うが早いか、清十郎は左目の眼帯を外していた。


 すると、水晶を彷彿とさせる青く澄んだ瞳が現れ、桜色を反射させた。



 清十郎の眼帯は、浄眼じょうがんと呼ばれる希少な青い眼を隠すためであったのだ。



 浄眼の持ち主は、程度の差こそあれ、世の中の表裏を見通す。

 故に人の業そのものを見破ることができ、昨夜の男どもの所業を暴くに一役買ったのだ。


 夜中、不意に現れた女を疑いもせずにいたのも、浄眼によって害意が無い事を見抜いたからである。


 しかしその希少性から蒐集家に狙われる事も多く、常日頃から眼帯で隠しているのであった。


 今、その穢れ無き青いまなこは、穢れなき桜の花弁を視界一杯に映し込んでいた。



 清十郎は、風流にして儚きものを好む。



 この桜のような、人の濁った意思の介在しない、真に美しいものこそ浄眼に映すべきだと考えているからだ。


 そういったものを探すため、全国を行脚していると言っても過言ではない。


「礼にしては過剰だぜ。お嬢さん方よ」


 盛夏の桜という、誰もが目を奪われそうな光景を前に、清十郎は嬉し気に一人ごちた。

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