夜勤明けのマーメイド

維 黎

夜明けのマーメイド

 ――ドンガラガッシャーン!


 ドアの開閉を知らせるカウベルが盛大に鳴り響く。うるさいほどに。

 しかしながらこれでもまだ聞こえにくい者も多く、要望を聞いたオーナーは近々、盛大な音を響かせるシンバルベルに変える予定とのこと。

 基本的に耳があまり良くない者が多い。特に地上おかではあらゆる音が聞き取りにくいのは、水中に住まう者にとっては共通のことだ。

 水中では振動――つまり音波を聞いている種族がほとんどだ。とはいえ、慣れと経験で克服できる。

 地上に上がってそれなりに長い年月を過ごしたディグヴァヴァは、それを克服していた。

 BARマーメイド。

 水生種族御用達のいわゆるメイドBAR。ちなみに人間種の言葉に訳すと"海のマー女中さんメイド"となるらしい。

 ディグヴァヴァは叔母が経営するマーメイドに勤めて49年になる。


 来店したのは珍しくも人間の男。

 ディグヴァヴァは内心驚きつつもその表情を変えることはない。他種族が半魚人の表情の変化がわかるのかどうかは関係ない。

 来店された方がどのような種族であれ、御主人おきゃく様には平等に接する。それがプロだ。そしてディグヴァヴァはプロだと自負している。例え時給アジ3匹のアルバイトだとしても。


「――おがえりなㇲいませ、ごㇲじんさァまー。どんぞ、どんぞ。こつらのてぇーぶる席へ、どんぞー」


 人間種の共通語であるネイティヴな大陸語もこの通り完璧に話せる。


「あー、セイレーンのエレンちゃんか、人魚のピーパーちゃんはいるかな?」


 おそらく人間の若い御主人様だと思われるその男は、ディグヴァヴァが差し出したおしぼりで手を拭かずに、いきなり顔を拭いた後、短く刈り上げた坊主頭をごしごしと拭きながらお気に入りの娘を指名する。

 他種族の表情や性別などはわかりにくいものだが、豊富な経験がディグヴァヴァには御主人様が若い男だと告げている。だがそれにしては仕草がおっさん臭い。


(チッ! 若さしか取り柄の無いあばずれの女どもをご所望かい)


 心の内で舌打ちをするディグヴァヴァ。どうやら半魚人の女マーメイドはお気に召さないらしい。

 もちろんそんな態度はおくびにもださ――


「あれあれぇ? 何か嫌な顔してるぅ? 僕は魚人間は好きじゃないんだ。湿ってるし臭いしぃ。だからお尻ぱっつんぱっつんのエレンちゃんか、胸がぼいんぼいんのピーパーちゃんがいいの! 早く呼んでよ、もう!」


(こいつッ! 私の接客用0円笑顔フェイスガードを見抜いただと!? 小さいおっさんレプラコーン水虎シータイガーなどの水妖種族ならともかく、ただの人間ごときに? まさかニュータイプとでも言うのか!!)


 この道49年。

 酸いも甘いも知り尽くしたディグヴァヴァは、マーメイド一の女中メイドだと自負していたのだが。


(私もロートルだということなのかしら――ね)


「しょーしょーおまつくださいませ、ごㇲじんさァま。エレンぢゃんば、おやずみさせてもろてけつかってん、ピーパーぢゃんだばおよびしますよってに」

 

 流暢な大陸語で接客対応するディグヴァヴァ。

 胸中、口惜くちおしい思いがあったとしても御主人様の要望に応えてこそのメイド。私情は捨て去らねばならない。

 人間の御主人おきゃく様を人魚にまかせ、ディグヴァヴァは店奥の更衣室へと戻りメイド服を脱ぐ。

 夜更けから夜明けまでがディグヴァヴァの勤務時間だったが、今日はほんの少しだけ早めに上がることにする。

 本来なら深夜手当替わりの賄いである鯖缶で一杯ひっかけてから帰るのだが、今日はそんな気分にはなれない。


「――寄る年には勝てないのかしらね。若いころはヌテヌテと粘りのある鱗肌だったのに、すっかりスベスベの肌になってしまったわ」


 マーメイドにとって湿り気のあるヌテヌテねっとりとした肌が若さの象徴なのだ。

 ディグヴァヴァはスベスベとしたつるつるお肌をさすりながらため息をつく。

 が終わったディグヴァヴァは店を出る。


「家に帰って料理する気分でもないわね。どっかで干物くさやピザでも買って帰ろうかしら」


 夜明けのメイドBARマーメイドを後にした夜勤明けのディグヴァヴァマーメイドは独り呟くと家路につく。


 なべて世はこともなし。



               ――了――

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜勤明けのマーメイド 維 黎 @yuirei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ