その4

「木下くん、どんなお客さんに売れたいの?」


 閉店後、店長と木下さんの会議が開かれた。


「やっぱり若くて可愛い女の子ですかね」


 木下さんは満面の笑みを浮かべて答えた。自転車と言っても、所詮は男。

 ここにきて、この自転車志望の若者の本性を見た気がした。所詮は自転車になりきれていない、ただのスケベ。


「うーん」


 店長が厳しい表情で考えてしまった。


「僕が思うに、君には老人の方が売れると思うんだよ」

「え?」


 木下さんはションボリした表情を浮かべた。何だ、その顔は。


「なんだいその顔は?」


 当然、店長が言う。


「いや、あの。その」


 どれだけ取り繕っても、さっきの木下さんの顔は、明らかに老人になんか売れたくないという表情であった。


「君は自転車だろ。買ってくれたお客さんは誰でも喜んで乗せなきゃいけないだろ」

「解ってます。解ってますとも!」

「解ってたら、何でそんな表情ができるんだ!」

「ですが、店長がどんな方に売れたいかって仰るから!」

「そこが問題なんだ」


 そう言って、店長は木下さんにはめていた値札を取り上げた。


「しばらく、この値札は預かっておくよ。君はまだ自転車としては足りないことが多すぎる」

「そんなぁ」

「今日は、帰りたまえ!」


 怒った店長に言い返すこともできず、肩を落として店を後にする木下さん。

 店長は見抜いていたのだ。最後の最後で自転車になりきれていなかったのだ。

 無意識に出た、あの顔こそが真実だった。


「初めて買ってもらった自転車に跨った時、僕の世界は広がりました」


 帰り道、誰も聞いちゃいないのに、いきなり自分の事を語り出す自転車。内心、「やっちまった」と、私に対して取り繕うとしているのだろう。


「補助輪が外れて、本当に風になったと思うくらい凄いスピードで前に進んで行ったんです」


 自転車、続ける。

 私は上の空で聞いていた。


「これなら海外までも行けちゃうって。自転車って凄いって。それが僕が自転車に憧れたキッカケだったんです」


 その結末が「若い女をケツに乗せたい」である。この十数年で木下さんの自転車への愛は少しづつ歪んで行ったのだろう。


 その帰り道。公園の前を通ると木下さんが足を止めた。


「あの子」


 見ると公園で泣いている女の子が一人。そばには倒れた自転車。


「自転車の練習ですかね」


 木下さんは公園に入っていき、その子に話しかけた。

 彼女は一人で補助輪を外して自転車に乗る練習をしていたようだ。私も記憶にあるが、補助輪なしの自転車に乗るのは、子供が初めて通る人生の試練だ。

 木下さんはその子を自転車乗せ、後ろから押してあげることにした。


「それ!」


 スピードが乗ってきたところで木下さんは手を離す。女の子はグラグラとハンドルを右へ左へ大きく揺らしながら、転んでしまう。

 二回、三回、日が暮れだし、暗くなっても、木下さんと女の子は同じことを繰り返した。


「もういいよ」


 彼女が言った。

 悲しそうなその顔は「自分は一生自転車に乗れないんだろう」と思っているような表情だ。


「もう一回、乗ろう」


 木下さんは彼女に言った。


「今度は僕が自転車になるから」

「え?」


 彼女の驚いた顔。

 木下さんはリュックからカゴとライトを取り出し。彼女に背を向けて、股間にライトを装備した。ついでにカゴも取り付けた。


「僕に乗って」


 木下さんは彼女の前で四つん場になった。

 突然現れた怪異の自転車の前で戸惑った表情を浮かべる少女。


「僕は絶対に転ばないから! 乗って!」


 恐る恐る少女は木下さんの背中にまたがり、彼の両腕をつかんだ。


「いいかい、自分の自転車と同じようにペダルを漕ぐんだ」


 そう言われた彼女は、ゆっくり見えないペダルを漕ぎだした。

 その回転に合わせ、木下さんは前に進んでいく。

 安定感の悪い自転車と違って、自転車の方がバランスを保ってくれる。

 木下さんには自転車にはない魅力が一つ隠れていた。


「ありがとう、自転車さん!」


 彼女は私と木下さんに手を振って、帰っていく。


「何で売り込まなかったんですか?」


 私は木下さんに尋ねた。


「いや、夢中で忘れていました」


 苦笑いを浮かべる木下さん。


「彼女が、自転車を嫌いになりそうだったから」


 木下さんはそう答えた。こいつぅ。


「それに、彼女に僕が教わりました。僕が自転車を好きになった理由を」

 その時、彼の顔が一際強くなったように見えた。


 翌日。

 木下さんは店長に頼んで、新しいサービスを始める事にした。

『補助輪を外して乗れない子供用自転車。無料』

 木下さんの胸にはそう書かれたプレートが取り付けられた。


「なんか、自分が生まれてきた使命を見つけたような気がします。若い女の子に乗ってもらえていますし」


 そう冗談を言って、木下さんは明るく笑った。


「彼が彼の道を見つけてくれて、嬉しいよ」


 店長も木下さんの選んだ道を安心して見ていた。


「お別れしなくて済んで、ホッとしたよ」


 店長は私にしか聞こえない声でそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アマチュア自転車 木下さん ポテろんぐ @gahatan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ