52――目覚め


 ふと気付いたら、コートの上に立っていた。前後に何があったのかはわからないけど、オレはボールを床にバウンドさせてドリブルさせながら相手校の動きを観察する。


 まるで水の中でドリブルしているかのように、スローモーションで景色が進む。視線を動かすのですら、かなり精神力を削られる。ダァン、ダァンと妙に頭に響くボールが床にぶつかる音を聞きながら、真正面からこちらに向かってくる敵ディフェンダーをジッと見据えた。


 部長ぐらいに体の大きなディフェンダーが、オレの10mぐらい先でいきなり飛び上がった。人の身長を遥かに超える跳躍に、必死に首を上向かせる。いくらバスケ選手がダンクやブロックショットで高く飛ぶとはいえ、明らかに無理がある高さだった。だけどオレはそんな疑問すら頭に浮かばず、そんな対戦相手を迎え撃つべく両足を踏ん張った。


 普通なら相手のファールにするために上半身がこちらに向かってくることが多いのだが、何故か下半身がこちらを向いている。右足を伸ばし、こちらに迫るバッシュの裏を見ながら来るであろう衝撃に身構えた。


「それ……飛び蹴り……」


 思わず夢で叫んだ言葉がか細く自分の耳に届いて、意識が覚醒へと向かうのを感じた。ゆっくりと目を開けると、そこにあったのは白い天井だった。ピッピッという電子音が聞こえて首を動かすと、集中治療室とかでよく見る血圧と心拍数が確認できる機械があった。


「……あれ? オレ、何がどうしたんだっけ?」


 思わず出た疑問の声だったけど、何故かものすごく喉がガラガラといがらっぽい。数日水分を飲んでいないのかという喉の乾き方に、自分の身に何が起こったのか余計に気になった。その後すぐに部屋に入ってきた看護師さんが、オレが目覚めていることに気付いてキビキビと状態を確認してくる。頭が痛くないかとか、自分のことがわかるかとか。そんな当たり前の質問をした後、早足で部屋を出ていった。


 しばらくして戻ってきた看護師さんは、後ろにお医者さんっぽい白衣のおじいさんを伴っていた。そしてその人はオレもよく知っていてお世話になっている、女子になってからオレの体を診てくれている教授だった。


「気分はどうだい? ひなたくん」


「……教授? ここ、いつもの施設ですか?」


 教授の質問に掠れ声でそう返すと、看護師さんが吸い口をオレの口に当てて水分を流し込んでくれた。多分水だと思うんだけど、ちょっと甘くておいしい。コホンと小さく咳払いをすると、少し喉の調子が戻ったような気がする。


「ここは大学病院だよ、ちょっと伝手を使ってここにひなたくんを運ばせてもらったんだ」


 教授が言うには、オレのバイタルデータなど性別が変わった後の管理は教授のチームが担っている。だからまったく関係のない病院で治療や投薬をされたりすると、これまでの研究データが役に立たなくなるんだって。オレの近所にあるかかりつけ医は教授に協力している病院だから心配しなくてもいいのだが、北海道まで離れるとまったく関わりのない病院の方が多いらしい。


 オレが競技中に相手選手と接触して意識がないと聞いて、飛行機に飛び乗ってここまで来たそうだ。この病院には教授の知り合いのお医者さんがいたので、すごくラッキーだったらしい。学会とか学閥などで横の繋がりが強い医者の世界だから、逆に敵対というか水が合わない場合もあるらしい。もし自分のコネや伝手が使えない病院だった場合は、チャーターしたヘリを乗り継いで来なければならなかったところだと教授は笑いながら冗談を言っていた。


 両親や姉も駆けつけようとしてくれたみたいだけど、それは教授が止めてくれたらしい。診察の結果、タンコブや倒れた時にできた軽い打ち身以外は特に脳内出血などの重篤な症状がなかったので、せっかく長距離を移動しても無駄足になる可能性が高かったからだ。交通費だけでもすごい出費だもんな、教授が止めてくれてよかった。


 特に何も悪いところは見当たらなかったのに、2日ほど目覚めなかったらしくて教授は結構肝を冷やしたらしい。精神的な疲労や様々な要因が重なった結果だろうということで、動けるなら明日にでも退院して地元に戻った方がいいだろうとのこと。向こうの施設の方が、より詳細な検査なんかができるみたいだからね。


 忙しい身である教授は、テキパキとオレの体を診察してから引き継ぎのために病室を出ていった。病院は大部屋ではなく個室で、確か個室って別料金がかかるんじゃなかったっけと内心で青くなる。遠征先だし財布の中にはそんなにお金は入ってないんだよな、監督がまだ帰ってなかったら借りるしかないか。


 そんなことを考えながらしばらくぼんやりしていると、今度は監督が病室内に入ってきた。おお、よかった。ひとり残されて全員帰ってたらどうしようかと思った。思わず笑顔になってしまったオレに、監督はちょっと心配そうにしながら『大丈夫か?』と聞いてくる。なんか別の意味が含まれているような気がしたけど、まぁ気にしないでおこう。


「それにしても、だ。ひな、お前の病気だけど、実は結構重いとか話していないことはないか?」


 監督が真面目な顔で突然そんなことを言い出すので、オレは咄嗟に理解できずに小首を傾げてしまった。伝わらないもどかしさに任せて監督が話したのは、主治医がわざわざ関東から北海道までたったひとりの患者のために来るなんて普通だと考えられないということだ。まぁ、それはオレもそう思う。教授が意欲に燃えているのは、オレの体に起こった超常現象を医学で解明することだからちょっと説明がし辛い。


「ちょっと重要な治験みたいなものに協力してて、それで教授が来てくれたんですよ。私のためというか、研究のための方が比重は大きいんじゃないかな?」


「……あの人、医者なだけじゃなくて大学教授もしてるのか」


 教えられていた言い訳に、あくまで研究のためという情報をプラスして話す。すると監督がちょっとズレた感想をつぶやいて、この話は終わりになった。そして話題は決勝戦へと移る。気になっていたんだけどオレからは言い出しづらかったので、監督の方から話題を振ってくれて助かった。


 あの後意識のないオレを保護するために試合が止まって、担架でコート外に出て待機していた医者が診てくれたけど意識が戻らず。連絡係のマネージャー先輩に付いてもらって、病院への搬送のために運び出されたそうだ。マネージャー不在になってしまった先輩たちには、本当に申し訳なく思う。


 一方試合の方は南さんの行為はディスクォリファイング・ファウルを取るまでには至らず、アンスポーツマンライク・ファウルというになった。そこで監督が抗議するも翻らずに試合が再開されそうになったが、相手校の監督がなんと南さんを交代させたのだ。学生スポーツの全国大会決勝ということで注目も高く、高校生を一発退場で断罪するというのも主審にはハードルが高かったのかなというのもまぁ理解はできる。


 個人的にはわざとファウルするのも戦術の内だし、相手が怪我したりしないものならアリだとは思うんだよな。ただあちらの指導者は今回のファウルはやり過ぎで、学生スポーツだからこそ部活も教育だと考えているのか彼女の行為の責任を交代というかたちで取らせたのだろう。


 相手校の他のメンバーも他校ならエースレベルだけど、オレの負傷に発奮した部長とまゆの前に惜しくも敗れ去ってなんと優勝してしまったそうだ。もちろん他の先輩たちも頑張ったらしいんだけど、このふたりの鬼気迫る活躍が言葉にできないぐらいすごかったらしい。ちゃんと録画したそうなので、向こうに帰ったら観せてもらおう。


 先輩たちはオレが目覚めるのを待ってくれてたみたいだけど、滞在費がギリギリなのもあってすでに地元に戻ったらしい。まゆは最後まで残るとダダをこねたみたいだけど、さすがにお金の問題はね。責任者として監督が残ってくれて、現在に至るということだった。


 チームの優勝は嬉しいけど、それに貢献できなかったのはすごく悔しい。いや、まゆと部長の発奮材料になったのはまぁ貢献と言えなくもないだろうけど。でも、ちゃんと自分の役割を果たして勝ちたかったなと思う。


 南さんともちゃんと正々堂々と勝負したかったし、ああいう手段に出る前に止めてくれる人がいたらよかったのになと考えずにはいられない。まぁ、一発退場をもらわなかったから首の皮一枚は繋がったからよかったんだろうけど。オレは1年生で南さんは3年生、高校ではもう公式戦での対戦もないだろう。ウィンターカップに彼女が出てくる可能性もなくはないけど、部長が抜けたうちのチームが全国まで行けるかどうかは不透明だからね。


 そんな言葉にできない不完全燃焼感を抱きながら、念の為ひと晩様子見で病院に泊まって翌日には退院して北海道を発った。急だったので飛行機の席は確保できたけど、空港での待機時間が結構長かった。おかげで退院祝いに監督がメロンパフェとかソフトクリームとか奢ってくれたから、すごく得した気分だったけどね。さすが北海道、ミルク味が濃くておいしかった。


 ちなみに病院での支払いは教授が帰る前に払ってくれたらしい。後でお礼の電話をしたら、『必要経費だよ』と笑っていたけど今回の彼の出費は結構なものだっただろうに。オレも協力してお金をもらっていることだし、今度はちゃんと支払おう。あんまりお世話になり過ぎるのも、無理な要求をされた時に断り辛くなるからね。

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TSしたオレが女子バスケ選手としてプレイする話(改訂版) 武藤かんぬき @kannuki_mutou2019

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