Upper 40km/h

ハヤシダノリカズ

300→0

「ねぇ、私が魔女だって言ったら信じる?」

 唐突に結子が聞いて来た。

「え?何?」考え事をしていたオレは聞き返す。窓側に座っている結子の方に顔を向けると、彼女はオレの方を見ておらず、後方に流れて行く車窓の景色をぼんやりと眺めているようだ。

「だから、私が魔女だって言ったら、シンちゃんは信じる?って聞いたの」

 これから初めて結子の両親に会いに行くという新幹線の車内で、結子はとても平坦で無感情な発声で、そう言った。


「えーっと、そうだな。ちょちょいっと、結子が超常的な現象でも見せてくれたら信じるよ」オレは結子の熱量を感じさせない冗談に付き合う。そうか、付き合ってもう、三年になるんだな。こうしたやり取りの中に、オレは熟年夫婦のような息と間を覚えて、改めて付き合ってきた期間を噛みしめる。まだ知らない結子の両親に会う緊張を結子はほぐそうとしてくれているのだろうか。少しは気が楽になったかも知れない。考えていた挨拶の文言は忘れてしまったけど。


 結子はオレの方を向いた。その目には強い感情など見えないけれど、ふざけている様子はない。

「ん、じゃあ、見てて」そう言うと、結子はオレの座席の前の薄っぺらなテーブルの上に載ったコーヒーカップを手に取って蓋を開けたかと思うと、すぐに元の位置に戻し、そして、右手の人差し指を立てて言った。「浮きなさい」と。


 すると、カップの中のコーヒーはゆっくりと空中に浮きあがった。カップはテーブルの上で微動だにせず留まっている。中の黒い液体だけがカップの形状のまま、ふよふよと浮き上がっている。オレはそれを凝視する。その黒い、カップの形状のままの、液体の塊であるコーヒーは少しずつ球状に形を変えていく。オレは片目でその現象を捉えたまま、もう片方の目で結子を見ようとしたが、そんな事は出来るハズもなく、結子の方に顔を向ける。「え?マジで?」マヌケ極まる声をオレは、上げた。


「口、半開きだよ、シンちゃん」

 結子の冷静な目と指摘で、オレは口を閉じる。そして、鼻から大きく一息吸って再度言う。「マジなのかよ」と。

「今まで、言い出せなくてゴメンね。それも、今から私の両親に初めての挨拶に行こうっていうこのタイミングで言う事じゃないのかも知れないけど」そう言いながら、結子は立てていた人差し指をゆっくりと水平に、そして下向きに下げていく。その指の先のコーヒーはゆっくりと静かにカップの中に納まっていく。オレの鼻は思い出したかのようにコーヒーの香りを脳に伝える。まるで鼻が「これは現実だぞ」と言っているかのようだ。


「おぉ。す、スゲェな……」コーヒーの香りに続いて、新幹線が常時出している走行音が耳に入ってくる。何を言うべきかは分からないが、勝手に口は動いていたし、どうやらこれは紛れもない現実らしい。


「これ、結婚後に打ち明けるのも違うと思ったし、でも、お付き合いって段階で言うのも難しくてさ」

「あ、あぁ。そういうものか。……、あぁ、もしも別れてしまって、その後で、オレが『結子は魔女』とか言いふらしたら、そりゃま、面倒だし」

「結婚後に『実は魔女でした』って言うのもフェアじゃないでしょ?」結子は少し寂し気な表情でそう言う。

「んー、そうなのか? 昔のテレビドラマでやってた『奥さまは魔女』って、旦那は奥さんが魔女だって知っていて結婚したのかな。そういうタイトルのドラマがあったって事しか知らないし、見た事もないんだけどさ」話す事でオレはアタマを普通の状態に持って行こうと意識する。容器も無しに液体を浮かせる手品なんてものはない。さっきの現象を結子が起こしたのなら、それは紛れもなく超常現象で、それは魔女の力なのかもしれない。


「さぁ。私もそのドラマはタイトルしか知らないし分からない。でもさ、私たちが結婚して、子供を授かって、その子供が女の子だったら、その子はいずれ魔女になるの。男の子だったとしても、その先の、私たちの孫になる子が女の子だったら、魔女になってしまう可能性は五十パーセントくらいはあるの。だから、この事は言っておかないといけないと思ったの」

「あ、あぁ。そうか。なるほど」オレはやっぱりマヌケな返答を繰り返す。「で、でも、結子が魔女である事が問題なのかも、将来授かるオレ達の子が魔女になる事がどう問題なのかもよく分からないんだが」オレは一所懸命に脳を働かせる。何を言えばいいのか、何を聞けばいいのか、何を言ったらいけないのか、どんな顔をすればいいのか、何も分からないまま、思いついた事をオレは口にする。


「私たちが魔女である事を大っぴらに言う事はないわ。それで、得する事なんてないもの。むしろ、損する事の方が多いし、ヘタをしたら迫害の対象にもなる。だから、現在、私が魔女である事が問題になる事はほぼないわね。魔女の力を誰かに見せつけるような事なんてしないもの」

「それじゃ、問題なんてないんじゃないの?」

「ううん。シンちゃん、あなたとただ恋人同士って関係であるなら、何も問題はないの。でも、私たちに子供が出来て、その子が女の子だったなら、それは結構大変なのよ」

「どういう事?」

「魔女の力は思春期を終えるくらいまではとても不安定なの。魔女の力が暴走する可能性もあるし、それに、他の人とは違う自分というのに不安になるし、魔女の力があるという前提がある以上、友達とはどうしても価値観のズレが生まれちゃう。だから、友情も育みにくいし、孤独を感じてしまいがちなの」

「うん、あー。うん」オレは結子が辿って来た人生を想像しようと、アタマの中で『自分がもしも思春期の魔女だったら』と思いを巡らせる。でも、よく分からない。そして、生返事をしていた自身を自覚して、半開きの口を再度閉じる。


「えっと、何から考えたらいいのか、どんな風に想像力を働かせればいいのか、分からなくてさ。オレはどうやら、だいぶ混乱しているみたいだ。……、とりあえず、魔女の力って何が出来るの? さっきの、念動力?以外にも色々出来るの?」

「そうね、ひと昔前の映画や漫画で描かれていたような事なら一通りなんでも出来るわ。最近の映画や漫画にあるようなややこしい感じのヤツはたぶん出来ないと思うんだけど」結子は天井を見上げながらそう答えた。なるほど、最近の映画や漫画の超能力とか魔法って、ややこしいもんな。


「じゃあ、瞬間移動も?」

「できるわ」

「じゃあ、空を飛んだり?」

「できるわ」

「人をカエルに変えたりも?」

「できるわ」

「誰かの病気を治したり?」

「それは難しいわ」

「時間を止めたり?」

「それはできないわ」

 オレが思いつくままに、フィクションで見た事のある魔法だか超能力だかを結子にぶつけると、結子は淡々とそれに答えた。

「へぇ。人をカエルに出来るのに、病気が治せないとか、瞬間移動ができるのに時間は止められないとか、不思議だな」

「そう?シンちゃんからはそう思えるのね。私にはごく当たり前なんだけど」

「でも、色んな事が出来るんだな。リスクもなしにそれらが出来るとしたら、それはちょっと怖いかも。いや、リスクはあって当然かも知れないし、そのリスクも怖いかも」

「そういうトコロ、好きよ、シンちゃん」結子はようやく硬かった表情を崩してオレに微笑んだ。「イチイチ真面目に相手の話を聞いて、自分なりの展開をしていくトコロ、シンちゃんのとても素敵なトコロよ」そう言った結子は一転して真剣な顔をして、「リスクもあるし、私たちの魔法には色んな条件もあるのよ」と言った。


「やっぱりあるんだな。そりゃそうか」

「まぁね。魔女だってバレる事が一番のリスク。変人と見られるか、好奇の目に晒されるか、魔女狩りの連中に狙われるか」

「魔女狩りっているのか」そう言いながら、結子が覚悟と信頼をもって現在話してくれている事をオレは自覚する。そうか。オレは結子の全てを受け止めなきゃならない。

「狂った連中よ。話がまるで通じない狂信者たち。私たちを狩る事で天国へ行けるとか、そんな教義を信じ切ってるみたい」

「マジかよ。そんな奴らが分かりやすく『オレは魔女狩りだ』と名乗ってくるなら対処のし様もあるけど、街中の通りすがりに刺されたりしたら防ぎようがないじゃん」

「ま、おかげさまで、アイツらの悪意に敏感な魔女だけが生き残ったからか、私たちはアイツらの悪意にはすぐに気づくけどね」

「そうなのか。それなら、まぁ、大抵の超常の力は使いこなせる結子だ。返り討ちに出来そうだね」

「ところがそうでもないの」

「うん?」

「これは魔女一人一人で違うんだけど。魔法には発動条件があるのよ」

「うん」

「流石にね、無条件無制限に魔法を使えたりはしないの」

「そういうものなのか」

「ええ。例えば、人によっては生まれた時から共にあったぬいぐるみを抱いていなければ一切魔法を使えないだとか、そうね、軽い条件であれば例えば、片方の耳を手でふさぐ事が魔法発動の条件という人はいる。でも、その条件が軽い人には出来る事が限られているし、その条件が重い人程なんでも出来るの」

「へぇ。それぞれに個性があるんだな」オレはしみじみと頷いた。でも、大抵の事は出来ると言った結子――コーヒーを事も無げに浮かせた結子が、それほど重い条件を満たしながらアレをやったとも思えない。どういうことだ。


「私は魔女の片鱗をなかなか見せない子供だったらしいの。お母さんは『この子の魔法の発動条件はなんなんだろう。それが今のところ満たされていないからこの子には魔女の片鱗がまだ見えていないけど、その条件が突然満たされて、魔法が暴走したら危ないわ』って、小学生くらいの私をヒヤヒヤしながら育てていたんだって」

「なるほど。魔女一人一人に魔法の発動条件が違うから、お母さんでさえ、どうすればいいか分からなかったんだな」

「うん。そうなの。でも、ある時、家族で車で出かけた時に、私の初めての魔法が発動したの」

「へー。どんなタイミングで、どんな魔法が?」

「お父さんが運転している時に、後部座席にお母さんと並んで座っていた私は窓の外を眺めていたの。そうしたら、反対車線を走っている車が、フラフラと横断歩道の手前で立っていた一人の女性に突っ込んで行ったの。その女性は赤ちゃんを抱いていたわ。それを見ていた私は「危ない!」って思って、「どうか助かって!」って念じたの」

「おぉ。うん。それで?」

「そうしたら、その親子はフワッと空中に浮き上がって、歩道に突っ込んでいったその車はその下を通って街路樹にぶつかったわ。そして、その親子はゆっくりと地面に降りたの」

「それが、結子の最初の魔法だった訳か」

「うん。それを見ていたお母さんは、嬉しそうなホッとしたような、でも不可解なような複雑な顔をしていたわ」

「どうしてだろう」オレは結子の母親がどうしてそんな表情をしていたのかを疑問に思って、そう言った。

「そう、まさに『どうしてだろう』ってお母さんは思ったみたい。『どうして、いきなりこの子の魔法が発現したの?この子の魔法の発動条件はいったい何?』って」結子はオレの『どうしてだろう』という言葉をオレの想像外で使って答えた。

「結子の魔法の発動条件はなんだったんだい?」

「私の身体がおよそ時速40キロ以上で動いている事っだったのよ」

「あぁ!」オレは思わず大きな声を上げた。


 なるほど。自身の身体が時速40キロ以上で動いている状態という条件は確かに厳しいし、結子の魔法の発現が(おそらく魔女業界では)遅めになったのも頷ける。そして、条件が重い魔女ほど魔法が万能になるというさっきの結子の説明も合点がいくし、ここは走る新幹線の車内だ。今なら結子にはなんだって出来るのかも知れない。

「はー。この新幹線の車内なら、結子にはなんだって出来るんだな」オレは思った事をそのままに声に出していた。

「そうね。さっき言った瞬間移動も、この走っている新幹線内ならいくらだって出来るわ」

「ん?この新幹線内限定なの? 例えば通過する駅のホームにパッと移動出来たり、すれ違う対向の新幹線内に移れたりはしないの?」

「それは、難しいわ。通過する駅のホームに移動したなら、移動先のホームの上の私は動いていないもの。移動先でも時速40キロ以上で私が動いていないと魔法の条件を満たしてはいないから」

「じゃあ、対向の新幹線は?」

「出来ない事はないんだろうけど、イメージがしにくいし、それに怖いわ。移動先のイメージが強く持てないと向こうの座席の中に飛んでしまうかも知れないし」

「なるほどー」

「並走している電車になら移動してみた事はあるけどね」

「スゲェ」

「それをしたところで、なんの役にも立たなかったけど」結子はそう言って小さく笑った。


「じゃあ、この新幹線内なら、人の心も読めたりするの?」ふと思いついてオレは訊ねる。

「まぁ、読めない事もないけど、それは、魔法関係なしに人の顔色を見て『あぁ、たぶん、こんな事を考えているんだろうな』って想像するのと大差ないわ」結子の答えを聞いてオレはホッとする。オレは聖人君子じゃないから心を読まれて結子をガッカリさせる事だってあるだろう。もしも心をしっかり読まれてしまうのなら、結子とは車にも電車にも乗れなくなる。

「ま、人の心を覗くなんてやっちゃいけないし、やらないけどね」

「まぁ、そうだよね」

「あと、魔法で人の心は動かせないわ」

「なんだよ、それ」

「例えば、片思いの相手に『私を好きになれ!』なんて新幹線車内で念じても、それはムリなの」

「ふーん。まるでやろうとした事があるみたいな口ぶりだね」

「若気の至りよ。高校時代の修学旅行で、親友の真理ちゃんの意中の男の子に『真理ちゃんを好きになれ』って念じてみたけど、それはダメだった。そりゃそうよね。人の思いをどうこうするなんて、神様にだって許される事じゃない」

「そうだね。それはやったらいけない事だろうね」

「うん。真理ちゃん、元気かなぁ」結子は話している間に思い出した高校時代の親友に思いを馳せているようだ。

「真理ちゃんは、その男の子の事を吹っ切って、今は別の恋をしていたりするんだろうね」オレは顔も知らない真理ちゃんの事を思い描こうとしてみる。真理ちゃんは結子が魔女だという事を知っていたのだろうか。

「そうね。きっと、今は別の恋をしているか、もしくは結婚していたりするのかも知れない」

「なんだよ、今はもう付き合いないの?」

「あ、あぁ、うん……」結子は歯切れ悪く答えた。


「実はね、真理ちゃんに、その男の子の事を忘れさせてってお願いされちゃってね。真理ちゃんには私は魔女だって言っていなかったんだけど、不安定だった私の、暴発するように発動しちゃった魔法を真理ちゃんには何度か見られていてね。それで、真理ちゃんは私にそんな事を頼んできたの」

「そうなのか」結子が魔女という事を知っている結子の家族以外の人間がオレの他にもいたのか。

「それで、私は彼女の願いに応えたわ。人の心は動かせないけど、記憶を少し消すくらいの事は出来たから」

「それは、切ない話だけど、真理ちゃんは相当に辛かったんだな」

「うん。でも、それに応える時に、私は真理ちゃんの中の、私と友達だったという記憶も消したの」

「え、どうして?」

「私の魔法に頼ったという記憶がぼんやりとでも真理ちゃんの中に残っていたら、もう、そこから私との友情は徐々に壊れていくわ。そういうものなのよ。アレはとても辛いの」どうやら、結子は真理ちゃん以前に、魔法で友達を助けてそこから友情が破綻したという経験を何度かしているようだ。過去を懐かしみながらも辛そうな結子の目はそれを物語っている。


「それでね、シンちゃん」

「うん?」

「私、やっぱり、シンちゃんとは結婚できない」

「えっ!どうして!」

「私、この新幹線内で、ずっと魔法を使っていたの。調査というか、解析の魔法よ。シンちゃんの血筋……、血縁者を辿る魔法」

「え?」

「シンちゃんの叔父に当る人が、どうやら、魔女狩りの人たちと少し深い付き合いがあるみたい」

「ま……」マジか、と言いたかったのか、待ってくれ、と言いたかったのかオレにも分からない。オレは短く発した自身の声のその真意も理解できないまま結子の顔を見つめる。

「シンちゃんの事は大好きよ。でも、私の一族を危険に晒す訳にはいかないわ。だから、ゴメンね。今まで、本当にありがとう」

「ちょ……、待っ……」

 オレの言葉を遮って、結子はオレにキスをしてきた。柔らかい唇の感触、結子の髪のにおい。そして、光を失って行く視界……。


 ---


 車内アナウンスが次の駅への到着を告げる。オレはチケットを確認して降車の用意を整える。隣り合わせた女性は美人でオレの好みにドストライクだったが、ついに話しかける事もままならなかった。

 せめて、会釈だけでもして、その正面の顔を見たいと思ったオレは、座席を立つ際に彼女に向かってペコリと頭を下げた。優しく微笑みかけてくれたその女性はやっぱり美しかったが、少し泣きはらしたような目をしている。そうか、泣いていたのか。むやみに話しかけなくて良かったのかも知れない。いや、話し相手になる事で、オレはもしかしたら彼女を少しでも癒せたのだろうか。どうなのだろう。

「どうか、良い旅でありますように」

 もう少し気の利いた事が言えないものか、オレ。彼女が旅の途中かどうかなんて分からないのに。そう言い残して、オレはデッキに向かった。


 さて、オレは今日、どうして、新幹線に乗ってこんな遠くに来たんだっけ。何か大事な用事で来たような気がするんだけど……。デッキのドアの窓ガラスの向こうの風景は徐々にゆっくりとその流れて行く速度を落としていく。

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