ラズリルージュの血の箱

根占 桐守(鹿山)

群青の空を紅に染める者

 その赤子は、特別だった。

 誰よりも一層、血の色が濃く。

 赤子でありながら、誰よりも強い力を秘めていた。

 ヒトビトは赤子に、群青の空の石ラピスラズリより「群青の空」の名を授けた。


ラズリ群青の空〉と。


 ◇◇◇


『ねえ。どうして、わたしたちの血の色は外のヒトビトと違う色をしているの?』

『それはね。私たちのご先祖様が〝果実〟をお食べになったからよ。かつて世界の秘宝であった——〝空〟の力を秘めた聖なる果実。私たちは、空の聖なる力を宿しているの。なかでも、ラズリルージュ。あなたは一等、特別なのよ』

『わたし? とくべつ?』

『ええ。あなたは一族の誰よりも……血に、愛されてるのだから。それに、お姉ちゃんがこんなにあなたのこと大好きなんだもの! 特別に決まってるわ!』

『うん! わたしも、ラピスお姉ちゃんがだいすき!』


 姉のおっとりとした声が、頭の内側から鼓膜を激しく叩いている。

 わたしは、右手にぶら下げていたをそこらに放った。


 ……もう、これで最後のはずだ。


 アズール、スマルト、エアロ、マリン、アクア、セレスト、セルリアン、コバルト、シアン、インディゴ、ネイビー、サファイア、ターコイズ、タンザナイト……。もう何人殺したのかは、覚えていない。

 しかし、自分以外の呼吸の音が消えた。これで、全てのはずだ。


 異国には「蠱毒こどく」などという呪術があるらしい。何匹もの蟲を入れ物に閉じ込め、最後の一匹となるまで喰らい合わせる呪術。この殺し合いは、それの模倣だろう。


 外のヒトビトからうやうやしく、「最後のとなるまで殺し合いなさい」と伝えられた一族のみなは、喜んで己の親兄弟を殺し、子供も殺していった。

「ようやく、空の果実へと」と、口々に泣いて。


 わたしには、何も理解できなかったけれど。


 産まれた時から死ぬまで、わたしたちを堅牢に仕舞い込んでいる長方形型の建造物。その、ひと月に一度しか開かない扉から、たくさんのヒトビトがなだれ込んでくるのが見えた。


 いつもは、管理用ロボットを通じて、声しか聞いたことがないヒトビト。それを、わたしは産まれて始め見た。


 彼らはわたしを見て、しきりに手を叩いて目を細め、歯を晒しながら笑っている。


「美しい。美しい」

「時をかけて、辛抱強く果実のたちの数を増やした甲斐があった!」

「血が、外壁まで溢れ出ていた! 我々が造り出したモノよりも、やはり一層美しい。完璧だ!」

「さあ、……ラズリよ。千年の時を経て、この世界に蘇りし我らの秘宝よ! 共の全てを喰いつくした完全なる果実なら、更にこの世界を〈空〉へと近づけてくれる!」

「いや、この世界はようやく——〈空〉と成るのだ!」


 わたしは顔を拭いながら、幾人もの血で濡れた服を脱いで素っ裸になる。そのまま、手を叩くヒトビトで出来た道を通って、初めて外へと出た。


「……あっお」


 かつて姉が語った。わたしたちに宿っているという聖なる〈空〉は、恐ろしいほど青かった。


 視線を空から少し下げると。目の前には、まるでを隔てているような。くすんだ青色をした鋼鉄の大扉と、てっぺんが見えないほど巨大な青い壁が、ぐるりとこちらを囲むように造られていた。

 微かに開かれた大扉の向こう側には、細い道を挟んで、無数のオンボロで奇妙な建物が所狭しとギュウギュウに詰まっている。外のヒトビトは、この扉からわたしたちのもとに来たのかもしれない。


 そして視界の端に映るのは、ここを囲む巨大な壁を超えた先……はるか遠くに立ち並ぶ、背の高い青色の建造物群。それらは、空に比べれば如何にも安っぽい青だった。

 わたしは、初めて見た〈外の世界〉に直ぐ飽きて、生まれ育った建造物がある背後を振り返る。


 それは、まさに〈箱〉であった。

 姉が語った、幾千もの〈貴き空の青血あおち〉に濡れた——


「青い、箱……〈血の箱〉だ」


 わたしには、その血濡れた箱の「青」こそが、世界の全てだと思った。

 そして、この箱以外の「青」は、世界に要らないと。強く、確信する。


「完全なる果実よ。欠片共の聖なる血で満ち満ちたこの産屋こそが、あなたの玉座です。さ、あが」

「わたしは、〈果実〉なんて名前じゃない」


 あっという間もなく。の血の箱から出てくるヒトビトを、全て捻り殺した。

 何となく、ヒトビトの肉を引き裂いてみる。すると、ヒトビトの血の色は、吐き気がするほど汚い色だった。


 何だ、この目に刺さるような色は。


 その血の色は、少し先に見えるオンボロの建造物群と埃っぽい細道よりも、酷く汚く見えた。


『ヒトビトから私たちへの供物の儀の時にね、またこっそり聞いたのだけど。外のヒトビトの血は、〈アカ〉という色をしているんですって。いったい、どんな色なのかしら。ね、ラズリルージュ』


 昔、母から教えてもらったという「ルージュ」という言葉。意味は誰もわからなかったけれど。姉は、その言葉をたいそう美しいと感じたらしい。

 よく、わたしの「ラズリ」の名に付け加えて、そんな愛称を好んで使っていた。


 また、「ラズリルージュ」とわたしを呼ぶ姉のやさしい声が、朧に脳を打つ。今度の記憶の感触は、まるで撫でられるような。柔らかいものに思えた。


 姉が語った〈アカ〉という色は好きじゃない。

 だけど、血の箱以外のを消すには、もってこいの色だった。

 わたしは、目の前に聳え立つ、世界で一番美しい青で彩られた血の箱に向かって深く誓う。


「わたしたちの血の箱。それ以外の青は要らない——わたし、ラズリルージュは、血の箱に誓う。偽物の青は全て、彼らの〝アカ〟で塗りつぶすと」


 もう、迷うことはない。

 だって、わたしたちは——聖なる秘宝〈空の果実〉の血を引く、青の一族なのだから。

 わたしは、皆の青血を呑み込み。皆の時間を貰い、皆の意思を抱いて生きてゆく、〈最後の青〉の守り人なのだから。


 さあ、こう。


 この目の前にある奇妙なオンボロ道と、遠くに見える安っぽい青の建造物群だけでなく。遥か先の地平線までをアカい血で塗りつぶそうとも、まだ足りない。

 わたしはそこらに転がっているヒトビトの、まっさらみたいな──色の無い服を纏うと、大きな鉄の扉をくぐって、眩しく光差すオンボロ道を歩き出す。

 そして、アカと青が混じり合った手をかざして、空を仰いだ。


「空まで〈アカ〉で染めてやる——わたしたちの青は、血の箱だけでいい」


 すでに、血の箱とオンボロ道を仕切る鋼鉄の大扉のくすんだ青には、ヒトビトの肉がこびり付き──血の箱を一層引き立てる、痛いような「赤」へと塗り替えられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラズリルージュの血の箱 根占 桐守(鹿山) @yashino03kayama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画