蕾
「大丈夫、あんたなら受かるわよ」
そう言ってこちらを見つめる母の視線が痛い。
車から降りて、制服のスカートを正し他の生徒たちで出来た列へ母と手を繋いで並んだ。
入試の合格発表当日、吐く息も白く染まる外気と受験生のピリついた神経が互いを牽制するように制服の上から私の胸を刺す。
頑張ってきたことは否定しない。寧ろ褒められて然るべきだ。二年生の中頃、右掌にはラケットを握り続けて出来た二つのタコがあった。三年生も終わりを迎えつつある今、ひとつ増えたタコは薬指の第一関節にあった。
ラケットを握り、闘志を燃やした一年半と同じだけの熱量で勉強に打ち込んできた証だ。
「高校でもさ、やるんだ。テニス」
「いいんじゃない?」
縮みあがった心を奮い立たせるため、口にした。
穏やかな声で肯定する母。
チームメイトたちとの約束だった。全員が違う進路を目指していることがわかったとき、キャプテンが言い出したのだ。
『大会出てさ、皆がずっと勝ち進んだらどこかで絶対会えるじゃん。また一緒に試合できるじゃん』
決して強くはないチームだったが、誰も無理だとは言わなかった。
次の日にはキャプテン自身が「徹夜して作ってきたわ」と、ミサンガを配り全員の左手首に巻いた。
左手を見れば、その時のミサンガがまだ巻かれたままになっている。
私はミサンガを撫でながら列を進んだ。
「あのね」
「ん?」
「今回、英語がさ、点数よかったんだよね」
「そっか」
「うん」
母はあまり喋らない。会話も続かない。しかし冷たくなっている私の手にカイロを握らせ、繋いでいた手をほどいてマフラーを外し、私に巻いてくれる。
試験勉強で部屋に閉じ籠っていた時期もそんな優しさで私の背中を押してくれていた。
「母さん、今日までありがとうね」
自然と口から出た言葉はあまりに仰々しく、母さんが頬を緩ませ後ろに並ぶ女子生徒が変な声をあげた。
「違う、違うの。一緒に受験してくれてってこと」
「わかってる。でも、隣に立って応援してやりたくなるくらいあんたが一生懸命だったってだけだよ」
「……ありがとう」
母は「どういたしまして」と私の手を握り、「もう見えるよ。番号、確認しな」と私を前へ並ばせた。
気づけばほぼ最前列まで来ている。鈍く痛みを走らせていた心臓は鼓動を早め、ばくばくと全身に血を巡らせる。
「504、504番……」
数字がゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。連番の下、五つ数字が飛んでまた連番。かと思えばひとつ飛ばしで六つ連番。あの時あそこの席に座ってた人、落ちたんだ。そんな他人事のような気持ちもふっと沸いては消える。483、まで来たところで途切れ、隣の板へ飛んでいる。
テレビの特集で泣き叫ぶ男子生徒を見ているときは情けないと思ったが自分の結果がわからない今ですら私は既に泣きそうだった。
振り返れば母は居ない。人波に揉まれてどこかへ移動したか、と思ったが隣の板で私を待っていた。
一緒に、と駆け出そうとするとポケットのなかでスマホが鳴った。友達の合否の結果報告かもしれない、そう思いスカートへ手を伸ばすと手首がぐいと引かれた。
誰かの制服のボタンにミサンガが引っ張られたようだ。ちぎれてしまったミサンガが地に落ちてあっという間に踏まれ土だらけになってしまった。軽く払い、指に結びつけ母のほうへ向かい、再び数字の山へ目を向けた。
"485、487……501、502"
500、ごひゃく、五百。いよいよ私の番だ。処刑台に着いたときのマリーアントワネットはこんな気持ちだったのだろうか。膝が笑って歯が震える。これ以上先を見たくない。顔を手で覆い、うっすら開いた目で指の隙間から覗き見る。
"……503、504、506……"
止まった。すべての音が。人が。世界が。
そして、こみ上げてきた涙にぐにゃりと歪みすべてがまた騒々しく動き始めた。
笑顔で私を抱き寄せた母の激しい鼓動を、この掌は今でも忘れない。
短編文庫 黒川魁 @sakigake_sense
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