あと半歩の勇気(下)
「これが完成したら一緒にキャンプに行こうか」
詠子は試作品を眺めながらそう言った。
僕はそのときは自然な気持ちで、
「うん、そうしよう」と答えた。
催事の帰り道、満足感のなかに、その約束のことがもやのように漂っていた。
来週からは二人とも長い休みに入ってしまう。キャンプに行くとしたら、その機会しかないのではないか。
製品が完成し、プロジェクトが軌道にのれば、チームが開発から営業へと作り替えられてしまうこともあり得ない話ではない。
僕はいつキャンプのことを切り出そうか、間を考えていた。
しかし、木漏れ日たちの光の綾をうけ、誇らしげな彼女の横顔をながめていると、その瞬間瞬間がかけがえのないもののように思えて、ついに解散まで言えなかった。
「あと半歩前に」
その言葉をあとにして僕はトイレを出ると、民宿の広間へと戻った。障子をすかしてくる光、そして畳の上に他の客はなく、いるのは僕だけだった。食べ終えた昼食の器はまだ下げられておらず、テレビの音だけが響いている。
テレビの画面は、夏の終わりを言い、それは紅葉の訪れを告げるものだった。気温が低い高地ではすでに草花は秋めいているようだった。
急須からお茶をそそぎ、一口に飲み干す。立ち上がって窓辺にいき、障子をひらくと、たしかに色づきはじめている山々が連なっていた。
窓の近くにゆれる名も知らぬ草、それも紅く燃えようとする寸前の、輝かしい色合いをみせていた。
僕はスマホを取り出し、視界の一部を写真として切り取った。
「紅葉がすぐそこに」
それは僕には大きすぎる半歩だった。
(おわり)
あと半歩の勇気 無頼庵主人 @owner-of-brian
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