【4】ラブとラフ

 俺は今、社長席にいる。社長席とは一般的に、車の運転席の後ろに位置する席の事で、車内の上座と呼ばれたりする。座り位置的には便利だ。運転席と助手席で繰り広げられる漫才に対して、我関せずと無言を貫くことに多くの労力を必要としない。

「ばあさん、夜何食う?」

「純一君、絵里ちゃんのこと言ってるのかな?」

「ばあさんのまずい飯じゃなくて、上手いもん食いに行くか。」

「おかしいなぁ、毎回教えてあげてるのに未だに覚えないんだよなぁ。あとまずい言うな。」

 2人揃って仕事を辞めたうちの両親は、夫婦漫才師になったらしい。ライブ会場は実家のリビングと車の中。仲良くやって頂く事は大変嬉しく思うのだが、絡まれると少々めんどくさい。忍者のように静かな呼吸で、スマホと戯れながら茶を濁すと決めた。

「あんたたまには帰ってきなさいよ?そうしないとお母さん、お父さんにずっといじめられてるんだから。」

「うい。」

 絡まれた。振り返った母に短く応じる。22歳息子、夫婦のあり方について考える。

 人間関係が移り変わるものであるという事を、理解できる歳になった。子供の時分は窮屈で、仲間はずれにならないために、無理矢理話を合わせて友達の輪に入っていく。そんな窮屈な体験をした人間の数は少なくないだろう。むしろこちらの方がマジョリティなのかもしれない。しかしながら、それが狭い世界の出来事であったのだと、大人の世界に足を踏み込むほど気づかされる。歩む道が変われば人付き合いは変わる。新天地には新しい出会いがあって、旧友との付き合いは減っていく。それが自然な流れではあるし、別に旧友を嫌いになったわけでもなければ、幸せであってくれれば良いなんて、月並みな感情を持ったりもする。一緒にカブトムシを追いかけた少年やら、毎日のように酒を酌み交わした悪友やら、手を握って歩いた彼女やら。きっかけがあって会わなくなった者もいれば、自然と会う頻度が減った者もいる。その変遷の中で、本当に馬が合う奴と長い付き合いが出来るのであれば、これ以上の幸福は無いと、大真面目に思っている。そんな変わり続ける人間関係の中で、いつまでも変わらないのが『血』であるのだと思う。


*********************


「ほんでな、りこはゆうくんに言ってん。ゆうくんが地元の友達と遊ぶことは全然良いし、むしろ楽しんで欲しいと思ってるて。でもさ、りことの予定が決まってたのに友達と集まることになったからまた今度ね!って言うたりさ、りことおる時にスマホばっかいじってさ、電話来たから出なきゃ!は違うんやない?って。それが1回ならまだしも何回もあんねんで?りこはゆうくんの地元の友達わからへんし、仲良しグループの中に女の子もおるって言うてるからどうしても不安になってまうねん。ほんならゆうくんがじゃあ地元の友達紹介するからりこも今度来てやって言うねん。仲良くなったらそういう不安もなくなるやろって言うねん。けどな、りこが言いたいのはそういうことやないねん。別に仲良くなりたいんやのうて、目の前の彼女より電話の友達を取る意味がわからんねん。なんでりこが嫌やって言うのにそーゆーことすんの?って聞いたら、俺の友達悪く言うな、例えりこでも友達悪く言うなら許さん別れるって言うねん。もうその時点で泣きそうやってんけど、ほんまに腹立ったからりこと友達どっちが大事なんって聞いたらそんなん選ばれへんって女々しいこと言うねん。もうほんまに呆れて家飛び出してきてんけどこれってりこ悪くないやんなぁ!?」

 ふぅ。さて、どうしたものか。

 耳元からあふれ出る不満と不安の不協和音が、早くも俺の心をへし折ろうとしていた。時は数時間前に遡る。

「相談乗ってくれへん?」

 数ヶ月ぶりの連絡はそんな唐突な一言だった。送り主は大学1年の時に共に授業を受けていた数少ないよっ友の1人、りこ。関西弁がチャームポイントの普段はおっとりした女の子だ。テスト範囲やら授業の課題やらで、当時は頻繁に連絡を取っていたが、学年が進んで授業が被らなくなってからはすっかりご無沙汰だった。それこそこのままフェードアウトしていく関係なのだろうと思っていた手前、久方ぶりの連絡を嬉しく思うと同時に、勝手にちょっと気まずくなる。

「ええで、どした?」

 とりあえず無難に。相談の内容が皆目見当がつかないからこそ、了承と疑問を手短にぶつける。

「電話が良いんやけど。夜暇?」

「いいよ」

 相変わらず暇を謳歌するぼっち大学生。本日夜にお悩み相談電話に挑み、どんな問題であろうと解決して見せよう。そう意気込んで、どんな悩みが舞い込むかと思えば、出てきたのは痴情のもつれによる罵詈雑言。電話主兼相談主であるところのりこと、その彼氏ゆうくんの友人関係におけるすれ違いを軸に、どろどろとした恋模様が繰り広げられている。これが俗に言う地元問題であり、世の若いカップル、特に片方がアクティブで交友関係が広く、もう片方がそこまでアクティブでない場合に頻発する恋愛あるあるである。いわゆる恋愛相談というやつを現在進行形で俺は受けている事になるわけだが、こちらも経験はほぼ皆無、残り香に縋るような人間なので気の利いた一言など出てこない。

「まぁそれはちょっと彼氏さんが良くないかもなぁ。辛ければ別れても良いんじゃね?」

 絞り出した一言。とりあえずりこを傷つけないために思考を巡らせ、次に進むべきだと進言する。我ながら安全圏を進んだと思う。

「でもゆうくん本当は優しいねんで?だから友達も多いし、りこみたいなダメダメな女と付き合ってくれるねん。顔もかっこいいし子供にも優しいし。ゆうくんの全てが悪いわけじゃないねん。だから別れるとかは考えられん。」

「お、おう。」

 ヤバい、泣こうかな。それか電話切ろうかな。ムズすぎるだろ恋愛相談。もはや何を言ってもダメな気がしてくる。

「でもなんかさっきゆうくんからごめんねってメッセージ来ててん。まだ許す気にならんから既読付けてないねんけどな、いつも謝りはするんよ。でも謝ったあとすぐまた同じ事すんねん。だからほんまにな、カクカクシカジカ。」

 その後も、りこの不満爆発電話は永遠の如く続いた。俺はというと特に何も言えないまま適当に相槌を打っているだけだった。1時間ほどがたった所であくび混じりにりこが言った。

「ふぁ…。ごめん喋りすぎたわ。でもスッキリしたありがと。」

「どういたしまして…。」

 何もしてないのになんかすげえ疲れた。これだけ話したりこは今から憂さ晴らしにカラオケに行くらしい。体力化け物だろ。

「最後に1個だけ聞いて良いか?」

「ええよーなにー?」

 1時間に渡って聞き続けたりこの話。9割9分を悪口で占めたこの電話は、果たして意味があったのだろうか。適切と思える助言はできなかったし、りこも積み重ねた不満を再認識しただけな気がする。人が出会って、人に恋して、人と付き合う。その儚くも尊い物語を、りことゆうくんのW主演にて聞かせて頂いたわけだが、現実が夢物語と呼ぶにはあまりにも苦しいことを突き付けられた。バッドエンドの映画を消化不良で見終わったような、名作を読み切った読後感のような、むず痒さと充足感が同居するこの心境で、最後に、どうしても聞きたかった。話を聞けば聞くほど、不思議で堪らなかったこと。

「りこはさ、彼氏さんのこと好きなの?」

「・・・。」

 クエスチョンマークに続いたのは沈黙だった。それはそれは長い沈黙だった。1時間の電話よりも長いと、そう感じさせるほどの沈黙だった。聞こえなかったわけでも、無視されているわけでもないのはわかっている。りこの言葉が、すんなりと彼女の喉を通って来ない理由もわかっている。わかってしまっているからこそ、聞きたいのだ。君の心はどちらを選ぶのか。

「うん。あいしとーよ。」

 長い長い沈黙の後で、りこが選んだ言葉は『愛してる』だった。「おやすみ」と言って電話を切る。

 不満という名を冠した感情が、これでもかというほど膨れ上がる時を過ごして、連絡を無視してまで、相手に対して譲れないものがあって、1人カラオケで叫びたくなるほど、すり減らした心があって。傍から見れば、身を削っているとしか思えないその言動の先で、りこがゆうくんへと抱く感情は『愛してる』なのだ。愛って何なのだろう。なんだか俺の方が頭痛くなってきた。


*********************


「って事があったんだけど、愛ってなんだと思う?」

「知らん。」

 お袋の味と言って思い浮かべるもの。一般的には味噌汁だったり肉じゃがだったり、家毎に個性が出る料理の事を言うと思う。しかし俺の場合、実家の「麦茶」がそれにあたる。まぁおそらく、某有名企業の麦茶パックを使っているので、他の家庭でも大して変わらないのだろうが、なんとなくこの麦茶を飲むと実家にいる安心感が喉を満たす。そんな麦茶を一息に飲み干して、リビングの椅子にどっかりと腰を下ろした俺は、夕飯の準備をしている母に先ほどの疑問を投げかけた。結果、3文字で切り捨てられる。

「人のことは良いけど、あんたは彼女いないわけ?」

「おらんね、不思議なことに。」

 落胆よりも呆れの表情を浮かべた母に、両手の平を上にして、おどけたポーズを取る俺。母とは昔から、恋愛関連の話を時々する。20数年の人生を振り返って、今現在俺の恋愛遍歴に一番詳しいのは母なのではないかと、本気で疑っている。

「孫の顔って見せた方が良いですか?」

「当たり前でしょ。何言ってんの」

「へい」

「そんないつまでも1人でいるもんじゃないよ」

「仮に10年後に結婚したとしても、まだうちの両親より早いけどな俺」

 再び浮かぶ母の呆れ顔。今度は得意げな煽り顔を返してみる。父と母が夫婦漫才をする一方で、客観視すればこちらの親子漫才の完成度も高そうだ。自分でこんな事は言いたくないので黙っておくけど。

「今時30になっても独身なんて珍しくないし、まぁボチボチやるよ」

「まぁねぇ、でも20代後半とかは周りで結婚する人が増えるわよ。かぁちゃん達の時も友達がどんどん結婚してったからねぇ」

「やっぱ時期的には考えるよな、30手前とかみんな焦るんだろうね」

「うーん、でも友達の旦那さん達を結婚式で見た時、あれなら私は別に良いかなって思ったけどね」

「おい、やめとけ」

 水の沸き立つ音と共に、肉じゃがの香りが室内を満たす。今夜の晩ご飯はお袋の味になる模様。軽快な音楽が、ご飯の炊き上がりを告げる。愛がなんなのかとか、恋がなんだとか、知ったこっちゃない。しかしながら、想いの大きさに押しつぶされそうになりながら、彼氏とのすれ違いに苦しんで、幻想を泳ぐようなりこの愛と、何年経っても同じ屋根の下、慣れ親しんだ味を噛み締めながら、漫才が飛び交う両親の愛。自分がそのどちらに憧れるのか。問われればもう、否、問われる以前に明らかだ。愛って難しい。

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『生きる』を探す 織園ケント @kento_orizono

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