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「ねー、あすかちゃんの名前ってなに色なの?」

 小さい頃、同じクラスの子にこう聞かれた私は、一体なんて答えるべきだったのか。

 ――私は今日も空を見上げる。

 何故か、と聞かれると少し困ってしまう。一言で言うなら……そう『空がキレイ』だから、だと思う。

 

 私の名前は更科飛鳥さらしなあすか、花も恥じらう女子中学生。

 最近の悩みは、雨期のせいで肩まで伸ばしている髪のセットがなかなか上手くいかない事。それと、そろそろ進路を気にしなければいけない事。それと――『マイノリティ』を自覚している事。

 マイノリティとは言ったものの、友だちと呼べる存在は勿論いる……数は少ないけど。

 そういった物理的な話でも精神的な話でもない、体質的な話とでもいえばいいのだろうか。

 というか、友だちが少ないのもまぁ……少しは気にしてるけど。

 もう中学生になって三年目なのに、人付き合いが苦手というのは中学生的にも、人間的にもかなりアウトだと思っている。

 ま、まぁとりあえず中学生なんて悩みが多い時期なのだ、と私は開き直る事にした。

 ただそれよりも私が言いたいのは、この学校……いや、この世界は私に対してかなり厳しめ、という事なのだ。

 この世界では、全人口の約80%が『共感覚シナスタジア』持ちだと言われている。

 共感覚とは数字や文字を見た時、音楽を聴いた時に色が付いて見えたり感じたり、または他人の視線を感じた部分に、肌に直接触れられた様な感覚を持っている事だ。この他にも存在するが、その人ごとに持ち得る感覚は違う。


 ――でも。

 私には『それ』が無いのだ。


 最近クラスメイトたちの中で流行っている『色当てクイズ』――事前に紙に答えを書いて、それを色だけで当てる、というゲームがあるのだが、私にはさっぱり答えが見えてこない。

 色だけなんて、赤いのはリンゴ、青いのは海、白いのは体操服、みたいな物だ。

 しかも、それが共感覚を使う物で、リンゴの色は紫と灰の二色だの。海という音の響きは緑っぽいだの。こんなの到底当たるはずもない。

 だけどそんな正解が不可能そうなクイズなのに、共感覚を持っている人たちでは通じる部分があるらしく、当てているところを何度か見た事がある。そして今日もどうやら、正解者が一人いたようだった。

 凄いというかなんというか……私はただ意味が分からない、理解が出来ないと思った。

 こうして私は授業の合間にある短い休み時間を、今にも雨が降りだしそうな空模様と同じ気分で、いつも過ごしている。授業が始まってからも窓の外を眺めていたけど、太陽は一向に見えてこなかった。


 私たちは昼休みに、屋上でお弁当を広げていた。いつもは他にも生徒の姿が見えるのだが……今日は湿った空気と曇天が広がっているからなのか、私たち以外には見当たらなかった。

 床に座り込んでいる私の隣にいるのはたった一人の友人、白鷺麦しらさぎむぎだ。

「そういえば飛鳥ってさ、いっつも外見てるけどなんで?」

 麦は行儀が悪く、お弁当の中身を箸でツンツンといじりながら、不思議そうな顔で聞いてきた。

 不意に投げかけられた質問に、正直に言いたくなくて誤魔化す。

「うーん、なんとなく?」

「えー、なにそれー! 教えてくれてもいいじゃん」

 私が誤魔化そうとしたのがバレているみたいで、答えが返ってこなかった事に対して口を尖らせる麦。それに少し焦った私は諦めて、半分だけ白状する事にした。

「別に何かある訳じゃないんだけどね。なんていうか、つい見ちゃうっていうか? これは妄想の話なんだけど、空からスカイダイビングで、降りてきてる人を見てるって感じというか」

「あはは! 何それ!」

 麦はお腹を抱えながら笑う。ひーひーと荒く呼吸を繰り返している彼女に対して、私は口だけ笑いながら説明を続ける。

「電車で暇な時とかやらない? 外を見ながら屋根とか電線に人を走らせるってやつ。もしかしてまた私だけ?」

「全然やった事ないよー! あっはは!」

「まぁそんな感じでつい外を見ちゃってるだけで、何か目的があって見てるって訳じゃないんだよねー」

 麦が笑ってくれたので、私の暇潰しも捨てた物ではないのかも、なんて勘違いしそうになった瞬間。

「でもそれって、なんか寂しいね」

 ――ポツリと零すように呟いた麦。その言葉に、私は大きな衝撃を受けた。

 私が話した内容は『失敗』だったという気持ちと、心の奥底から急速に湧いてくる感情たち。私はこの濁流に、グチャグチャに飲み込まれて声が漏れた。

「え……?」

 冷え切った自分の手からは、お箸が滑り落ちる感覚さえも伝えてこなかった。

 私から反応がなかったからか、麦から追い打ちが届く。

「なんか一人遊びの延長っていうかさ。それって暇だからやってるって事だよね?」

「そう、かも……あはは」

 図星を突かれた私は、溺れないように必死に取り繕う。

「ていうか飛鳥っていつも一人でいるよね。私以外に友達いないの? あ、そうだ。今度みんなでどっか遊びに行かない?」

「——っ! 私は、いいよ……止めとく」

 麦に悪気がない事は分かっている……。それでも私に深く刺さる言葉に、心は荒んでいく。

「またそうやって遠慮するんだから。飛鳥が『持ってない』のなんてみんな気にしないのに」

 持っている側である麦の『その言葉』を聞いた瞬間、私の激情が溢れる。

「何それっ! 私の気持ちも知らないで……そんな事言わないでよ!」

 自分が生きてきて初めて出た怒声に、麦も戸惑っている。

「え、なんで急に怒ってるの?」

「麦には分からないよ!」

 自分で止められない感情のまま、麦に対して言葉を叩きつける。

 私は落ちた箸を急いで拾い上げると、まだ半分も食べていないお弁当を片付けた。そしてそのまま逃げる様に屋上から走り去った。


 ◇


 ――あれから数日。私は麦と喧嘩……ではなく、一方的に怒ってしまった事を後悔していた。今日もまた謝る切っ掛けも、勇気も持てずに一日が終わってしまったからだ。

 麦の他に仲の良い友人なんていない私は、退屈な帰り道を一人で歩いていく。

 心も身体も下を向いていた私は、曲がり角を曲がった瞬間、人に気付かずぶつかってしまった。軽い衝撃と同時に「あっ」と声が聞こえたと思ったら、カランカランと何かが倒れたような音もした。

「ごめんなさっ……」

 私はすぐに謝ろうとして顔を上げる。

 すると、目を閉じたままの女性が、近くの『なにか』を探しているようだった。その仕草で私はすぐに、女性の目が見えていないという事に気付いた。私は目の前に落ちていた白い杖を慌てて拾って謝る。

「す、すみません! 杖、これですよね?」

「いいえ。こちらこそ、ごめんなさいね」

 そう言った女性は私のお母さんよりも若くて、見た目も声も綺麗なお姉さんだった。

 お互い立ち上がりながら、私がもう一度謝ると、お姉さんは「杖を拾ってくれてありがとうね」なんて言いながら笑った。

 ぶつかったのは私が前を見ていなかったからだというのに……お姉さんは、自分から「ごめん」と「ありがとう」を伝えてきた。私はそれを、凄く素敵でカッコいいと思った。

 だからなのか。

 自分から行動する事の少ない私が、つい衝動的に自分から声を掛けていた。

「あ、あのっ! お姉さんの事もっと知りたいです!」

「あら? うふふ、可愛いお嬢さんにナンパされちゃったわ」

 そう言われた私は自分で言った言葉に気付いて、恥ずかしくなってしまった。

「ちちちが、そういうつもりじゃなくて!」

「そんなに慌てなくても。……ふふっ、大丈夫よ」

 お姉さんがからかっていた事に気付いた私は、恥ずかしさの上限を更に越えていく。きっと今の私は耳まで真っ赤に染まっていると思う。

 でもその途中でお姉さんに見られる心配がない事を思い出すと、胸を撫で下ろした。

「落ち着いたっぽいかしら。じゃあそうねぇ……あ、このすぐ近くに公園があったでしょう? 立ち話も疲れるし、そこでどうかしら」

 お姉さんのその提案に、私は「はいっ」と即答するとまた笑われてしまった。お姉さんと喋っていると、顔がずっと火照ったままな気がしてきた。私は頭をぶるぶると左右に振って気を取り直す。

 今から目が見えていないお姉さんの事を、私が先導してあげなきゃなんて思っていたのだが、お姉さんは杖でコツコツと音を鳴らしながら歩きだしていた。

 私は少し驚いていると、前の方にいるお姉さんが振り返って待ってくれていた。

「来ないの?」

「あ、すいません! 行きます!」

 固まっていた私は返事をすると、お姉さんの隣まで急いだ。追い付いた後は横に並んで歩きだす。

「その……目が見えているんですか? それとも『共感覚』ですか?」

 恐る恐る聞いてみる事にした私に、お姉さんは「どっちだと思う?」なんて、また笑いながら聞き返してきた。私はやっぱりお姉さんは『持っている』んだと思って、少し後悔した。


 ◇


 つい勢いでお姉さんに話し掛けてしまった時よりも、自分の気持ちが沈んでいるのが分かってしまう。そんな自分の事も嫌になってきて、すぐにでも帰りたくなってきていた。

 でも私から話したい、なんてお姉さんの都合も考えずに言ってしまったせいだし。今更やっぱりやめます、なんて言い出せないよね。なんて事を考えていたら、公園の入り口はもう目の前まで迫っていた。

「ええっと、この辺りだと思ったんだけど……」

 そう言ったお姉さんは壁に向かって杖をぶつけていた。どうやらその場所は工事中みたいで看板が立っていた。入口はもう少し先の方に見えている。

 私は不思議に思いながらお姉さんへ教えてあげた。

「入口はもう少し先みたいです」

「あらそうなの? あはは、やだ恥ずかしいわ」

 顔に手を当てて笑ったお姉さんの顔は、少し赤くなっていた。

 私が先に入口の前まで歩いて、お姉さんを呼ぶ事にした。入口は少し段差になっているところがあるので、バリアフリー化されているスロープ――なだらかな坂の場所を通る。

 そうして全面にタイルが敷かれている公園に入ると、噴水のすぐ近くにあるベンチを見付けた。

「座るとこあったんで、ここでどうですか? 目の前に噴水もありますよ!」

「あ、ほんとね。水の音がするわ」

 私は、周りの様子を観察していそうなお姉さんの手を握ってベンチに座った。お姉さんの身体が一瞬、ビクッと跳ねるとゆっくりと隣に座った。

「ここなら落ち着いて話せそうね」

 お姉さんはやっと一息付けた、といった様子で息を吐いていた。

 ベンチに座った私たちは、まだお互いの名前も知らないままだったので、お姉さんからの提案で自己紹介から始める事にした。

 でも、私は何を言ったらいいのか分からなくて、しどろもどろになってしまう。すると、お姉さんから喋りだしてくれた。

 「じゃあまずは私からね。名前は夜望初香やもういかっていいます。すぐ近くのマンションに住んでいるの。あなたももう分かってると思うけど……私の目ね。ほとんど見えないの、って言ってもこれでももう何年も一人で暮らしているのよ? 凄いでしょ」

 初香さんは少し汚れた白い杖を撫でながら「国に頼りっきりだけどね」なんて言って笑う。

 「私の事はこんなところかしら? さあ次はあなたの番、どうぞ」

 「あ、は、はい。私は更科飛鳥といいます。今年中学三年生になりました。後は、えっと……特に、ありません……」

 私はさっきと同じで、いざ自分の事を喋ろうとした時に、何を話せばいいのか分からなくなってしまった。

 そんな私の事をジッと見つめていた初香さんが、急に手を叩いてパン!と音を立てた。

「なるほど、分かったわ。じゃあ飛鳥ちゃんが今悩んでいる事を教えてくれるかしら」

 初香さんにそう聞かれて、私は目が丸くなった。

「え、どうしてそれを……」

「ふふっ。私は目が見えないと言ったでしょう? その分、耳に頼った生活をしていると段々とね。耳がよく聞こえるようになるの。相手が喋っただけで、どんな顔をしてどう考えているか分かっちゃうのよ」

 初香さんが私に教えるように優しく説明してくれる。

「それって……。やっぱり初香さんは、共感覚を、持っているんですね……」

 声を聞いただけで、相手の事が分かるなんて、それはもう『共感覚』だ。私の声は自分でも驚くほど沈んでいた。でもそんな私の言葉を、初香さんは笑って否定する。

「あら? なにか勘違いしてないかしら。私は目が見えないだけの、ただの一般人よ」

「一般……。でも私は、一般人じゃ、ないんです……」

 自分の喉から出てきた言葉は震えていて、段々と視界も歪んでいく。そんな私の様子を感じ取ったのか、初香さんが更に喋りだした。

「飛鳥ちゃんが一般人じゃないとしたら、じゃあ……誰なのかしら? テレビで大人気のアイドル? 悪の組織と戦う魔法少女? それとも、ただ悩みがあるだけの一般飛鳥ちゃん?」

 その言葉に、私はまたからかわれたような気がした。だから「馬鹿にしてるんですか!」なんて叫びそうになる。口から出そうになったその瞬間、真剣な顔で真っ直ぐに私を見据える初香さんの目に気付いた。

 初香さんの目には光が映っていないはずなのに。その開かれた目からは、真摯な気持ちが伝わってきた。


 ◇


 私は今日も初香さんと会う為に、いつもの公園へと足を運ぶ。

 初香さんがいつものベンチに座っているのが見えたから、私は小走りで近付いていく。すると、その音で分かったのか、私の方を向いて手を振ってくれている。

「お待たせ。こんにちは、初香さん」

「こんにちは、飛鳥ちゃん」

 私は初香さんの隣に座って息を整える。それに対して初香さんが「そんな急がなくても良かったのに」なんて笑ったけど、私が早く会いたかったからしょうがないよね。

 ベンチに座って落ち着けた私は、初香さんに今日受けた授業の事や、お母さんに対しての愚痴なんかを話していく。

 初香さんはかなり聞き上手で、私の話を嫌な顔もしないで、全部聞いてくれる。たまに弄ってくるけど、私が悪い事はちゃんと叱ったりもしてくれる。一人っ子の私からすると、急に出来たお姉ちゃんのような存在だ。

 綺麗だし優しいし良い匂いがするし、ちょーっとイジワルだけど友達になれたのは本当に嬉しい。

 最近はこうして、毎日放課後に待ち合わせて話を聞いて貰っているのに、なかなか話題が尽きない。初香さんといると楽しくて、すぐに帰る時間になってしまうのは残念だけど、明日もまた会えると思うと、帰る時の足取りも軽くなる。

 昨日なんてお母さんに「最近機嫌いいわね、何かあったの?」なんて聞かれたくらいだ。勿論、その事も初香さんに喋っておく。

「確かに。最近の飛鳥ちゃんはよく笑っているもの、お母さんもそれが気になったんじゃないかしら」

「えー、そうかなぁ。お母さんいっつも怒ってるし、また遊んでるんじゃないかー、って思ってそうだけど」

 私がそう言うと、お母さんの事を怖がっているのが伝わったようで、初香さんが訂正をしてきた。

「そんな事ないよ。お母さんはきっと、飛鳥ちゃんの事が凄く大事だから、つい口うるさくしちゃうんだと思うよ。お母さんと飛鳥ちゃんは見えている物が違うから、何でも教えてほしいんじゃないかな」

 初香さんには前に『お父さんとお母さんは共感覚』で『私だけ単感覚』な事を喋っていた。だからこそ心配なんだよ、と言われた。その気持ちはよく分からなかったけど、私は初香さんが言うならそうなのかな……なんて漠然と思った。

「飛鳥ちゃんは分かりやすいからね。だから聞かれる前に、お母さんには早く伝えた方がいいよって言ったじゃない」

 実は私と初香さんが友達になった事、毎日話をしている事をお母さんには言ってない。それどころか麦と喧嘩をした事すら喋っていないのだ。……だって言ってもどうせ、私の気持ちなんて分からないだろうし。

 どれも話せない内容ではないのは分かっている。でも、お母さんには話したくなかった。

 下を向いて黙っていた私に向かって、初香さんが窘めるように声を掛けてくる。

「ほらそんなムスーっとしないの、可愛い顔が台無しよ?」

「別に、初香さんみたいに綺麗じゃないから。いいもん」

「あら、ありがとう」

 私のちょっとした反撃は、初香さんに何も効いてないみたいだった。こういうところがほんとイジワルだなって思う。

「もうっ! 今日は帰る!」

 そう言って私は立ち上がる。

「ふふっ。ごめんってば、飛鳥ちゃん。機嫌直して」

 初香さんがすぐに、顔の横で手を合わせて謝ってきた。首を傾げるこの仕草が似合うのも、ズルいし。

 とはいえ、別に本気で怒ってる訳じゃないので許してあげる事にした。私って結構大人だと思う。

「いいよもう。初香さんがイジワルなのは充分知ってるから」

 私はそう言うと、またベンチに座り直した。

「飛鳥ちゃんったら酷いわ……。そんな事ないわよ?」

 バレバレの嘘泣きした後に、ウインクしながら言うセリフじゃないと思う。


 ◇


 私は赤く光る屋上の扉の前に一人固まっていた。ほんの数時間前、朝の昇降口で麦に声を掛けた時は、あんなに簡単に動けたのに。

 今になって、手も足も震えている。

 扉を開ける勇気を貰う為に、初香さんとの会話を思い出す。


「今の飛鳥ちゃん、良い顔してるわよ。ぶん殴って絶対殺してやる! みたいな顔してるもの」

 人生の先輩から、そんな物騒なお墨付きを貰ったんだ。何を怖気づく必要があるのか。

「そんな顔してないよ!」

 勿論、否定はしておいたけど。

 友人に向かってそんな顔しないし。

「あら? じゃあ私の勘違いだったかしら」

「もうっ! ほんと初香さんってイジワル」

「ふふっ、ごめんなさいね。でも本当に良かった、吹っ切れたみたいで」

 そう言った初香さんはにっこりと笑っていた。

 私に新しく出来た友人、初香さんに勇気を貰った。だから初香さんと約束したんだ。ちゃんと麦に謝るって。

「うん。私、麦と話してみる」


 とはいえ目が見えないはずなのに、何ともあの人らしい応援の仕方だったなぁ。思い出したらまた笑いがこみ上げてきた。

 そのお陰で、ようやく身体がほぐれたような感じがして、自分の手の平を握ったり開いたり繰り返してみた。

 ……普通に動いた、よし。

 友達と仲直り。ううん、違う。私が謝るんだ、自分が悪い事をしたから友達に謝るだけ。

 でも『もしも』なんて考えは、昨日のお風呂でさっぱり流してきたんだ。後は当たって砕けるだけ!

 私はそう気合を入れて、勢いのままドアノブに手を掛けた――って砕けたらダメなんじゃない?

 一瞬、心に紐が引っかかりそうになったけど、先に待っていた麦と目が合った。

「なにしてんの?」

 麦にそう聞かれた私は、扉を開けたまま不自然な恰好で固まっている事に気付いた。久し振りに麦の事を見た気がしたからだ。

「はなし。あるんでしょ、早くしてよ」

 そう急かしてきた麦は、自分の長い髪が風で流れるのが鬱陶しそうにしながら後ろを向いた。

「う、うん」

 私は空返事だけして、麦のすぐ後ろまで近づいていく。

 夕日が眩しくて後ろを向く前の顔が見えなかったけど、少しだけ見えた横顔は嬉しそうに見えた……と思う。

 腕を伸ばせば触れられるような距離で立ち止まった。私は麦の方をじっと見つめる。深呼吸をする。

「麦……ごめん!」

 そう言って私は頭を下げる。

「私ってほら、共感覚持ってないでしょ?」

 謝った後に、そのまま喋り始めた私に対して、麦からの反応は無さそうだった。それでも構わずに話を続ける。

「だから『持ってる』みんなに、麦に……嫉妬してたんだ。麦に話した事なかったけど、昔小さい頃にね、クラスの子に私の名前は何色なの? って聞かれた事があってね……。何言ってるのか全然分かんなくて、その時に私って他の子とは見てる世界が違うんだって気付いたの。今もクラスでみんながやってる『色当て』とかもほんとに意味分からないし。それからお父さんとお母さんにも話が通じない時があったりする度に、私だけ『持ってない』から、だからこんなに息苦しいのかなってずーっと思ってた」

 私は麦に話した事のない事。言いたくなかった事。言いたかった事。

 全部を喋る事にした。

 『友人』に教えてもらったやり方で、麦ともちゃんと『友人』になりたいから。

「だから『持ってる』側の麦から『持ってないのなんて』って言われたのもすっごく嫌だったんだ。自分勝手だよね、だから、ごめん」

「違う、違うよ」

 私の言葉を遮るように麦が振り向いた。

 その顔を見てみると私以上にぐしゃぐしゃで、今にも泣きそうな顔をしていた。

「謝るのは、あたしの方だよ……。ごめん、飛鳥の事なんにも知らなくて」

 私は麦がそんな顔でそんな事を言うと思ってなくて、何も言えなかった。

 麦は私の事をじっと見つめながら、続けて喋り出した。

「あたし、自分が人と違うなんて気にした事もなくて、でも飛鳥が気にしてるのは知ってたのに。そんなに悩んでるなんて知らなかった……」

「それは、私も言った事なかったし、それに……言いたくなかったから」

 私がそう言うと、麦は顔を伏せた。

 麦に弱いところを見せたくなかったのは本当だ。

 『持ってない』反抗心だったのか、唯一の『友人』がいなくなるのが嫌だったのか。きっと反抗心の方が強かったんだと思う。

 でも今は違う。だからこうして『腹を割って』話しているんだから。

「だから、私がごめんなの。麦に話もしないで、勝手に怒って」

 そう伝えると、私はまた頭を下げた。

「うん……。あたしも、いつもウザくてごめん」

 麦の方からも謝ってくれた。自分にこんなに想ってくれる『友人』がいてくれた、そう思うと視界がじわりと歪んだ。

 泣いてるのを誤魔化すように、私は麦にやり返す事にした。

「まぁでもほんと、麦のウザさったら酷かったけどね。家の方向同じだからって無理矢理一緒に帰ろうとしてきたし、体育の時とかいっつも私と一緒だったじゃん。一人が良いって言ったのにさー」

 私の愚痴を聞いた麦は、目も顔も夕日みたいに真っ赤になった。

「飛鳥が毎日つまんなそーな顔してたからじゃん! 折角話し掛けてあげてたのに!」

「だからそれがいらなかったんだってば。友達いっぱいいるのになんで私のとこに来るんだろって思ってたし」

「はーっ? 一人が良いなんて強がってるからでしょ! 寂しいかなって気にしてあげてたのに、何それ!」

 二人ともヒートアップしていく。でもそれは『友人』として『腹を割って』喧嘩をしているだけ。

 これまでみたいにお互いが遠慮をしたままの関係じゃない、だから喧嘩が出来るんだ。

「そーれーが、いらないんだってば。まったく麦は共感覚なんだからそれくらい分かってもよくない?」

「そんなの言ってくれなきゃ分かる訳ないじゃん! 共感覚はテレパスみたいな『超能力』じゃないんだから!」


 こうして私たちは、お互いの顔が見えなくなるまで喧嘩をした。

 すっかり暗くなった道を、二人で一緒に帰りながら夜空を見上げる。

「ねぇ麦……空ってさ、いつも晴れてるのに、雨降ったりしてウザい時あるよね」

 私は麦の方を向く。

「そうかなー、あたしは別にって感じだけど。むしろなんか、朝焼けの文字がキモいよねー」

 麦も私の方を向いた。

 そしてお互い笑いながら、同時に言葉にする。

「「でも、星空はキレイだよね」」

 雲ひとつ見えない星空は、遠くの道まで明るく照らしてくれていた。

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