37話 お母さん。

「――と言う訳でして、フリッツ君。後は頼みましたよ」


 トールが告げると、隣に立つユキハも頭を下げた。


「あん?」


 かつてはヴィルヘルムが権勢を誇った執務室で、あらゆる事態の収拾に追われるフリッツの目の下には、うっすらとしたくままで出来ている。


 一夜にして支配者の代わったインフィニティ・モルディブでは、様々な混乱が起きていたのだ。


「大規模――艦隊――地下――いっぱい――ぐわあああああっ」


 島へ行くと言い残し、三日ぶりに顔を見せたかと思えば、厄介事をさらに持ち帰って来た男にフリッツは頭を掻きむしって吠えた。


「叫んでる場合じゃないでしょうが、フリッツ」


 そうたしなめたクリスは、現状では彼の秘書めいた役割を担っている。カジノに行く暇を与えないよう、マリが上手く差配をしたのだ。


 秘書となったクリスが、照射モニタにフリッツの予定を映し出す。


「一時間後に商工会議所の会頭、次がギャラルホルン警備保障の取締役、次が――」

「閣下さんよ」


 眉間を指先で揉みながら、フリッツが絞るように言った。


「いつまで、俺はこんな事をやらされるんだ?もうアンタの物だし、モルトケが出張る必要なんて無いだろ」

「支配人は必要ですからね。ヴィルヘルムさんの代わりを見つけるまで、フリッツ君にやってもらえると助かるんです」


 また、数日後に到着するリンファ商務補佐官や官僚には、当面の間フリッツをサポートさせるつもりでいた。


「ずっとじゃありませんから」

「頼むぜ、ホントに。俺は商売なんて興味ねぇんだよ」


 フリッツ・モルトケには夢がある。


「分かってますよ。ボクに任せて下さい」


 ――巨乳戦記を信じるなら、弱小クルノフの名参謀フリッツ・モルトケは、エヴァン公を最後まで苦しめた。


 トールは、彼が望む役割をベルニクの地で与えるつもりでいる。


 とはいえ――、


「まずは、インフィニティ・モルディブを上手く落ち着かせて下さい」


 元海賊で、ベルニクと縁も所縁もない男を引き立てるには、周囲を納得させるだけの実績を作らせる必要があった。

 オリヴィア宮で武勲を上げたトジバトル・ドルゴルの様にである。


「次に、ユキハさんと協力して、少女艦隊を一刻も早く動かせるようにお願いします!」

「正確にはワイアード艦隊θシータ第137連隊です――」


 だが、ユキハの訂正を、トールは軽く流した。


「その為の予算は、幾らでも提供します」


 トールは、少女シリーズ及び少女艦隊の存在を隠すつもりなど無い。もはや、面倒なスキームを使わず、堂々と基金の資産を活用するつもりでいた。


「そんなお宝があるとバレたら、すぐに復活派の連中がクルノフに攻め入って来るんじゃねぇか?」


 そういった事態を懸念して、これまでは秘密裏に庇護して来たのだ。


 何よりクルノフ領邦を治めるロマン男爵自体が、今一つ信の置けぬ人物なのである。


「どのみち、クルノフはこれからきな臭くなるんです」

「――ん?」

「まあ、ボクがそうするんですけど。アハ」


 フリッツが聞いていたクルノフにおけるトールの目論見は、ヴィルヘルムから全てを奪うところまでである。


 ――やっぱり、まだ何か企んでやがるんだな。

 ――ロマンなんて小物をどうこうする訳でもねぇだろうし……。


 ゲオルク宙域ポータルにて、天秤衆の来訪を待つケヴィンの役割を知れば、さすがのフリッツもトールの正気を疑ったかもしれない。


「というわけで、少女艦隊を早く動かせるようにしておいて下さいね。ちゃんとフリッツ君の代わりは捕まえておきます。それじゃボクはそろそろ行かないと――」


 捕まえるとはどういう意味だろうか、とフリッツは思ったが、急ぎ立ち去ろうとするトールの背へ別の問いを投げかけた。


「閣下さん――閣下」

「はい?」

「ヴィルヘルムとフレイディスは逃がして良かったのか?トーマスも行っちまったし――」

「ああ」


 と言ってから、少しばかりトールは思案気な様子を見せる。


「復讐――したかったですか?」


 詳細な経緯は問い質していないが、彼等とロマン男爵の裏切りで、父エドヴァルト・モルトケは故人となったのだ。

 血の贖いを求める権利が、息子のフリッツには有るだろう。


「正直なところねぇな」


 フリッツは妾の子であり、母親が病死するまでモルトケ一家とは縁が無かった。


「通りがいいから、モルトケを名乗っちゃきたけどよ」

「なるほど、そういうものかもしれませんね。トーマスさんは、少し異なる感想をお持ちになるでしょうが」


 オリヴァー・ボルツは、トーマス出生の秘事を留置所へ訪れたケヴィンに語っている。


 ――息子?――ああ、トーマスの事か。

 ――何を言っている、ケヴィン。あれはな――、


 ケヴィンから伝え聞いた時はトールも驚いた。


 ――エドヴァルトの子では無い。フレイディスの子でも無いようだが。


 人の悪い笑みを浮かべ、呪われた過去をオリヴァーは語った。


 ――あの女狐は妊娠と偽って、故郷で出産したいとオソロセアへ渡った。

 ――その実、出産どころか、蛮族と通じていた女の子供を攫ったんだよ。まあ、何れにしても忌み子と言えるがな……。

 ――フレイディスは、その女の血筋が、どうしても欲しかったらしい。恐らく城塞と関係が有るのだろうさ。


 フレイディスは、攫ってきた子へ外見的なコーディネイトを施し、エドヴァルドに容貌を似せて育てていった。


「それが親父にバレて、殺しちまったのかもな」

「可能性は有ります。ともあれ――」


 実母の名まで、オリヴァーは知っていたのだ。


 その為、トールの方針が定まったとも言える。


「――彼が決めれば良い事ですよ」


 トールは、殺人鬼トーマスに全てを伝えた。その上で、実母に会う為の手筈と、復讐の機会を与えたのである。


 ミネルヴァ・レギオンへ向かう船旅が、ヴィルヘルムとフレイディスにとって快適となる可能性は低いだろう。


「得物は?」

「色々と渡しておきましたよ」


 トールが邪気の無い笑顔を浮かべた。


「お母さんと、水入らずで会いたいかなと思いまして」


 ――オリヴァーさんの情報収集力と記憶力に感謝しないとな。

 ――いっそ、テルミナ室長の部下にしちゃおうかな。


 実母の名はアリス・アイヴァース。


 つまりは、ルキウス・クィンクティが実父となろう。


 ◇


 ゲオルク宙域へ向かうべく、トールは宇宙港の貴賓室にて、乗艦準備が整うのを待っていた。


 インフィニティ・モルディブ降下時に使った戦闘艇の乗組員の一部を、少女シリーズが守る拠点視察へおもむかせていた為に、人手が不足して発艦作業に遅れが出ているのだ。


 ――オビタルの人力依存って素敵だけど、面倒な時も多いよなぁ。


 人工知性体群とハイブリッド生命体に立脚した先史時代へのアンチテーゼが、オビタルの種としての存在意義なのかもしれない。


 ――あ、そう言えば……。


 別れ際にグリンニスから渡された物が有ったと、トールは思い起こした。


 ――ハンスさんの身柄を渡してくれた方が嬉しかったんだけど。


 グリンニスが聞けば気落ちしそうな事を考えながら、掌に乗るサイズの小さなカードを目の前にかざして左右に振った。


 カード自体が虹彩認証機能を有しており、特定の個人のみが閲覧できる映像を記録できるメディアである。


 EPR通信に依らず、物理媒体で贈り物をしたい場合などに使用されていた。


「――姫様――こちらをご覧ください」


 フォックスの声がするので、撮影者は彼なのだろう。現在と同じく幼女姿のグリンニスが、屋敷の庭園で花を摘んでいた。


 撮影日は、帝国歴2800年11月10日――。


 偶々だろうが、グノーシス異端船団国がベルニクへ宣戦布告した日である。


 その後の映像は一年毎に過去へ遡っていき、他方でグリンニスの姿は、逆に少女へと成長していった。


 ――世紀の奇病――か――。


 映像の中で、既に彼女は美しい大人の女性になっていた。成長の記録に見えて、実のところ過去へ巻き戻っているのである。


 ――なんというか――その――大きい――よね……。


 素直な男、トール・ベルニクは、頬が緩むのを抑えられない。


「な、なんと!」


 撮影日が帝国歴2760年となったところで、思わずトールは声を上げた。


 今より四十年以上前――。


 グリンニス・カドガンは、オビタルにしては珍しく地表世界に――しかも海辺のバカンスを愉しんでいたのだ。


 陽光照らす砂浜の上で、彼女は成人女性として素晴らしい水着姿を披露してくれている。


 ――す、凄いぞ――やはり、伯の病気を――どうにか――。


 なお、バカンスを愉しんでいるのは彼女ひとりでは無かった。


 親し気に話す女性が隣に立っている。残念ながら相手の女性は水着姿ではなく、つばの広い日除け帽を被っていた。


 ――あ、お母さんなんだ。


 女性は赤子を抱いており、グリンニスの興味はそちらにあったようである。


 ――ん、この赤ちゃんは……。


 と、トールが目を凝らした時――、


「トール様、そろそろ準備が――」


 貴賓室へ女男爵メイドのマリが入って来た。


 当然の帰結として、グリンニス・カドガンの瑞々しい水着姿がマリの目にも映る。


「トール――様?」


 若干、周辺気温の低下を感じつつ、トールは極力と落ち着いた声音で応えた。


「何だい?」

「それは――」


 エロスレーダーの反応を確認した後、何事かをマリは言い掛けたのだが、映像を見詰めたまま固まってしまった。


「ええと、マリ?――マリさん?」


 マリは微動だにせず、在りし日の光景に見入っている。


 そこに映るのは、グリンニスと――、


「母と、多分――姉さん」


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参考


★ルキウスとアリスの子について

[承] 16話 紫煙に隠れて。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330653745948059

[承] 43話 宣戦布告。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330655057258009


★マリの姉について

[転] 32話 マリの告白。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330652279779940


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