38話 撃て。

「どうされました?」


 案内役を買って出た憲兵司令ガウス・イーデンは、オリヴィア宮の格子門へ至ったところで、唐突に立ち止まった老将に尋ねた。


「――この辺りなのだろう?」


 火星方面管区司令のパトリック・ハイデマン大将は、周囲を興味深げに見回しながら問い返した。


「ええ」


 合点の言った様子でガウスが頷く。


「そうです」


 格子門一帯は、オリヴィア宮を襲ったカドガン兵と、ガウス率いるベルニク軍が攻防戦を繰り広げた場所だった。

 いわゆるな投擲によって窮地を救われた場所でもある。


「君のキャリアを変えた場所か」


 オリヴィア宮における攻防を経て、憲兵司令という立場を辞し戦闘兵科への異動を願い出た男を拾い上げたのが、火星方面管区司令のパトリック・ハイデマン大将である。


 艦隊参謀付きとしてガウスを招聘した後、バスカヴィ地区に在るベルニク軍兵学校にて座学を一年間再履修する事を命じていた。


 ところが、兵学校は既に受入れ可能な定員を超えた状態となっており、ガウスは同盟領邦オソロセアの兵学校へ留学する運びとなった。


 兵科を問わず三百万の将兵を擁するベルニク軍であるが、労働力人口の1%――つまりは一千万人体制を目指している。


 艦艇と揚陸部隊を増強するには、人も増やさねばらならないからだ。戦闘兵科の人員を増やすと同時、後方支援の人手も集める必要がある。

 

 ともあれ、兵学校の旺盛は、軍務局によるリクルート活動が一定の成果を上げている事を意味するのだろう。


「この齢で留学生になるとは思いませんでしたよ。しかも、あのオソロセア領邦ですからな」


 トールとロスチスラフの邂逅まで、の地と友好的な関係であった試しが無い。

 

 隣国同士のさがとも言えようし、簒奪者ロスチスラフ登場以前よりオソロセアという領邦が持つ国柄にも理由があった。辺境の盟主たらんと振る舞おうとするあまり、周辺領邦に対して居丈高な外交姿勢になりがちなのである。


「うむ。隔世の感がある」


 新たな帝都フェリクスの躍動感も、老将パトリックには好ましく映った。華美ではないが、必要十分な威容を示すオリヴィア宮のさまも良い。


 宮の主が、かつてのパトリックが懸念した性向を示していない事を意味する。


 ――成長されたのか――あるいは――閣下のお力か……。


 何れにせよ、パトリックの抱くトール・ベルニクに対する忠誠心を、益々と強める結果となった。


 そこへ――、


「パトリック殿ではないか」


 懐かしむ思いを滲ませ、独りの男が声をかけて来た。


 宮の正面口から格子門へ至る通りを歩いて来た一団に、パトリックの旧知となる人物が居たのである。


 ――ん?――マクギガン軍の制服だぞ……。


 裏切り者の治める領邦の軍人と、オリヴィア宮で出くわした事にガウスは不審の念を抱いた。


「おお、久方ぶりですな。バリー閣下」


 老将は珍しく微笑みを浮かべて応えた。


「閣下は止めてくれ、パトリック殿。今は無職なのだ」


 そう言って徽章を外した胸を示した。良く見れば、彼の属する一団は、マクギガンの軍装とはいえ何れも徽章を付けていない。


 ――なるほど、亡命か。


 他国とはいえ、同じ軍属としてガウスは心内で同情の念を抱いた。


 不肖の息子ジェラルド・マクギガンが領主の座を簒奪して以降、同領邦から亡命する政府及び軍の高官が後を絶たない。


 精神に不調を来たし、アラゴン選帝侯の傀儡となり果てた子熊に見切りをつけた者は多く、マクギガン領邦は足元から崩れようとしていた。


「陛下との謁見ですかな?」

「まさか」


 畏れ多いといった風情で、パトリックの旧知は首を振った。


「我々如きが会えるはずもなかろう。仕官の口でも無いかと、宮内の伝手をもうでただけだ」


 トール・ベルニクという触媒を介し、また非常時という事もあり、ガウス・イーデンは幾度か女帝と謁見しているが、本来ならば有り得ぬ話なのである。

 領邦軍の将校程度では、彼我の身分に差が有りすぎるのだ。


 ――トール閣下へお仕えしていると、つい忘れてしまうのだが……。


「そ、そうでしたな」


 何れにせよ、パトリックとしては返事に窮する内実であった。迂闊に同情めいた言葉を放つのも躊躇われる関係性である。


 ――人の生とは不思議なものだ。私とて同じ立場になった可能性はある。


 ロスチスラフ、蛮族、そしてアレクサンデルが企図していた当初の目論見が成功していれば、オリヴァー・ボルツが代官として太陽系を支配しただろう。


「パトリック殿は、如何な用向きで?」

「私は――」


 パトリック・ハイデマンは、嘘や誤魔化しと無縁の男であるが、


 ――ううむ、陛下に御目通り叶ったとは言い辛いな……。


 と、感じていた。


 女帝ウルドの用件は、既にトールから聞き及んでいた。ゆえに、今回の謁見はあくまで形式上の事である。 


「お話し中、失礼致します、バリー閣下」


 シレとした表情で、ガウスが割って入る。


「旧帝都でご縁の出来たシモン・イスカリオテ殿にご挨拶をと参じた次第でございます。侍従長へ立身されたと聞き及び、祝意も兼ねまして」

「おお、シモンか」


 亡命将校バリーは、シモンの名を聞いて相好を崩した。


「私も同郷として誇らしく思っていたのだ」


 そう言った後に、悪戯っぽい表情となる。


「街で一番の悪童が――真に人の生とは分からぬものよ、ハハハ」


 奇しくもパトリックと同じ感慨を口にした後に、呵々かかと笑った。


 ◇


 パトリックが旧知との再会で返答に窮していた頃、イリアム宮のレオ・セントロマ枢機卿は頭の痛い報告に悩まされていた。


 まず、教皇アレクサンデルの動きである。


 レオが参加しなかった公会議にて、プロヴァンス焼き討ちを宣したとの報は、近しい枢機卿から聞き及んでいた。

 プロヴァンス女子修道院の秘事を、メディアで公言するとも吠えている。


 聖レオにとって許し難い言動であったが、現時点では抗する術に欠けていた。


 マクギガンとクルノフに異端の烙印を押す為、ほとんどの天秤衆はプロヴァンスを出払っており、聖都アヴィニヨンにおける手勢が実に心許ない。

 

 旧帝都エゼキエルに残った天秤衆を派出するよりは、速やかに異端審問を執行して、天秤衆が聖都に戻れるよう取り計らいたいと考えていた。


「マクギガンには入ったのだな?」

「はい。アラゴン選帝侯領から入っております」


 三万人を越える天秤衆の一団は、凡そ千隻の艦艇で聖典とハルバードをいだき、マクギガン邦都を目指し宙域を進んでいた。


 当然ながら、彼等の行く手を阻む者などいない。


 ――ジェラルド伯は、もはや物事が分からぬ。主だった配下も散り、異端審問など造作もなく進むだろう。


 この点について、聖レオは不思議と罪悪感に苛まれていなかった。


 ジェラルド・マクギガンが親殺しの簒奪者であるという事実は、彼の信仰にとって都合が良かったのだろう。


 他方のクルノフについても同様である。


 海賊と裏で手を結び、不道徳な街で暴利を貪って来たロマン・クルノフは、聖レオの基準で考えるなら背信者に等しい。


「ですが、クルノフの方は、未だ睨み合いが続いております」

「ベルニクか――」


 ゲオルクポータルでベルニク軍は築城しており、到来した天秤衆の艦艇に対して引き返すよう要求していたのだ。


「進めば砲撃すると申しております」

「まったく――愚かな――」


 聖レオのみならず、オビタルにとって異常な状況である。信仰の守り手である天秤衆に指図するなど、その一事をもって異端と審判されても致し方がない。


「撃てる訳がない」


 仮に砲撃したとしても、せいぜいが威嚇であろうとレオは考えた。かような虚仮脅しに天秤衆の信仰が膝を屈するなど決して許されない。


「ベルニクの罪は後に問うとして、まずは――」


 聖レオは告げる。


「進め。唯一、信仰こそが、全てを掃ういかずちであると知ろ示せ」


 ◇


 ゲオルク宙域で築城するベルニク艦隊と旗艦トールハンマーは、久方ぶりに正統なる主を出迎えた。


 みゆうの魂を宿す猫型オートマタは、常の如くケヴィンの肩からトールの肩へと飛び移る。


「おかえりっ」

「ただいま。あ、そういえば、みゆうさん」

「なぁに?」

「お友達が沢山できますよ!」


 ゲオルク宙域への船旅の途中で、トールは報告を受けている。


 少女艦隊を再始動させる為、墓標に過ぎなかった各拠点を、再び活性状態に遷移させたのだ。


 ――因果独立フィールド?


 トールの問いに、ユキハは嬉しそうに応えてくれた。


 ――私の姉妹達は、全てを停止させて眠っていた、と解釈して頂いて結構です。


 非活性状態にあった、全ての少女シリーズが目覚めた。なお、少女シリーズの中核を為す少女Aは約十万人で、他人格と併せると総勢で十四万四千人となる。


 五万に及ぶ艦艇を動かすには少ない人数に思えるが、オビタルの持つ艦艇とは設計思想が異なるのだろう。


 ――皆さん、何を食べるんですか?

 ――サピエンスと同じですが、少女Aはハンバーガーを好むという個体差を有しています。


 食費だけでも膨大な資金を要する事に思い至り、トールは先人の遺してくれた基金に対して改めて感謝の念を抱いた。


「失礼します。閣下――」


 女神との語らいを邪魔立てするのを詫びつつ、ケヴィンは声を掛けた。


「はい」

「敵が――いえ、天秤衆が動き始めたようです」


 引き返すようにとの要請は受け入れず、築城したベルニクの艦隊を迂回して、クルノフ邦都へ向かう機動を見せていた。


 ――こうなるとは思っていたけどね。


 天秤衆が、領邦軍の要請に従うはずも無いのだ。


 ともあれ、ケヴィンの心労を考えるなら、自分が戻って来たタイミングで良かった、とトールは思った。


「では、ケヴィン中将――いや、やはりボクから直接言いましょう」


 この指示はオビタルにとってあまりに重く、そして文字通り異端である。


「全艦隊に告げます」


 トールの指示は、閉域EPR通信によって、固唾を飲んで天秤衆艦艇の動きを見守るベルニクの兵達に届けられる。


「残念な事に、天秤衆の方々へボクの願いは届きませんでした」


 この時の彼が、本当に残念と感じていたのか否かについては、ケヴィン・カウフマンの証言を付記しておく。


 ――言い辛いのですが――閣下は、少し嬉しそうだったような気も……。


「思い出して下さい。天秤の傾きで、どれほどの人々が苦しんだのかを」


 五十年前、ベネディクトゥス星系に吹き荒れた異端審問の嵐は、近隣のベルニクにとって身近な記憶である。

 親戚や友人が、非業の死を遂げた者も居ただろう。


「特に今回の動きは、復活派勢力による異端の政治利用という側面が垣間見えます」


 唐突な異端審問は、一方は領主の精神が安定せず、他方は新生派に靡こうとしている領邦へ向けられた鋭利な刃とも言える。おまけに、教理局と天秤衆を動かせる聖レオは、太上帝の近習に取り立てられていた。


「ボクに対して大きな気遣いを見せてくれたロマン男爵が、このまま異端の濡れ衣で罰せられるのも良いですが――あ、いや、良くありません。見過ごせませんっ!」


 つい本音が飛び出したようだが、幸いにも誰も気付きはしなかった。


 世紀の大博打に勝ち、既にトールの借財は消えたといえ、それを手助けしようとロマン男爵が申し出た経緯は皆が知っている話なのだ。


 総大将であるトール・ベルニクは、オビタルの禁忌を侵してでも、自身の恩人を救おうとしている――。


 信じたかっただけかもしれないが、多くの将兵はそのように信じた。


「ですから、この辛い命令を出さなければなりません」


 ――まずいまずい。そろそろ沈めないとスタコラ逃げられちゃうよ。


「全艦全砲門開け」


 デブリシールドがスライドし、荷電粒子砲の砲身が宇宙空間に露出した。


「目標は、宙域の識別信号上位コードΛ911-001を示す全艦艇とする」


 こうして、あらゆるオビタルを震撼させる顛末は、次の単純かつ明快な指示により引き起こされたのである。


「撃て」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る