39話 報告するのも楽じゃない。

★帝国地図(2023/06/08更新)

https://kakuyomu.jp/users/tetsu_mousou/news/16817330658542263998

--------------------------------------------------------------------


「撃てええええええいっ!!!」


 ジェラルド・マクギガンは直立不動の姿勢で叫んだ後、小さな兵士の人形を摘まむと、精巧なミニチュアの戦場に置いた。


 古典文明における陸戦を復元させたもので、幼年学校入学の記念として父のディアミドが買い与えてくれた古戦場セットである。


 その古戦場セットが再現しているのは、歩兵、騎兵、砲兵が戦場を駆けまわり、未だ戦争行為に一定のロマンチズムが許された時代だ。


 遥かな宇宙時代にあって、オビタルが指向し実現させた世界でもある。


「ジェラルド閣下」


 幼児向けの玩具で埋め尽くされた執務室に入って来た男は、その奇異さに驚く様子も見せず慇懃無礼な声音で呼びかけた。


「元帥閣下と呼べよっ!!何の用だ、ニコライ将軍」


 ニコライは単なる副官という立場から、領主と領邦の混乱を奇貨きかとして、全ての権限を自身に集中させつつあった。


 ジェラルドを裏切りに導きながら、退くに引けぬ状況へと追いやり、最後にはアラゴン選帝侯の元へ父子を差し出した男である。


「閣下」


 お前の指図など受けぬとばかりに、ニコライは再び同じ呼称を使った。


「天秤衆の艦艇が、アラゴン選帝侯領から入って来ております」

「――んん――天秤共が何の用だろ?」

「当然ながら聖務かと」

「チッ、難癖付けに来たんだな」


 精神的不調の為せる業か、童子の様な口調で放つ言葉には欺瞞が無い。


「マクギガンの全艦隊を出し、威嚇射撃でもして追っぱらえっ!」

「――かような真似が許されるはずも御座いません」


 ポータルの先にあるクルノフ領邦では、威嚇射撃どころか轟沈させようとしている男が居るなどニコライとて想像の埒外であった。


「そもそも、軍に対しクルノフと面したポータルで演習せよ――」


 アラゴン選帝侯からの指示に基づき、ニコライが差配したのである。


「――と、閣下が、指示されたのをお忘れなのですか?」

「ん――ううん――」


 首をひねって考え込むジェラルドに、そのような記憶は無い。


 実際に出していないのだから当然なのだが、覚えていないと応えるのも癪に障ったジェラルドは怒鳴って誤魔化す事にした。


「うるさいっ!!!」


 そう雄叫んで、マスケット銃を模した木製の玩具を投げ放つが、ニコライは僅かに身体を揺らすのみで鮮やかに避けていた。


「お前は生意気なんだ!!父上に言い付けるぞっ!!」

「ご随意に」


 ニコライは肩を払って埃を気にする風を装いながら言った。


「ともあれ、天秤衆方々の出迎えは私にお任せ下さい」


 彼に言わせれば忠義被れの愚かな人々が、未だ屋敷には僅かながらも残っている。その為に体裁を考えて言質を取ろうと訪れただけなのだ。


「ふん。勝手にしろ」

「分かりました」


 そう言ってニコライが頭を下げると、途端に俗事へ興味を失ったジェラルドは、再び古戦場の世界へと戻っていく。


「――ウルム戦役を復元したいんだけど――ううん――やっぱり、父上のアドヴァイスが欲しいな。おい、ニコライ将軍」


 執務室を出ようとしたところを呼び止められ、幾分か迷惑に感じながら振り返った。


「父上を呼んでこい」

「――は――?」

「例の場所に居るはずだ。バレていないと思っているようだけど――」


 両の手を擦り合わせてジェラルドが言った。


「――バラ園など、熊の息子は昔からお見通しなのだ。ワハハハハ」


 ◇


 宰相エヴァン・グリフィスは無官の一領主であった時代より、二人の選帝侯とよしみを通じていた。


 ひとりは、アダム・フォルツ選帝侯だが、領地には代官を置いて近頃ではイリアム宮に常在しており、エヴァン公の腰巾着との評価が宮中で大勢を占めている。


 他方のクラウディオ・アラゴン選帝侯は――、


「下らないジョークじゃないだろうね?」


 不機嫌そうな声音で告げた後、額の汗を拭ったチーフとウッドラケットを、駆け寄って来た女官に手渡した。


「む、無論で御座います、クラウディオ様」


 芝生の上でネット越しに球を打ち合うスティッキという球技の時間を、クラウディオは殊のほか大切にしていた。


 非常に不味いタイミングで報告に上がったと理解している近習は、主人の機嫌がこれ以上悪化しないよう心内で女神ラムダに祈っている。


「信じ難いね。いや――ベルニクの若造なら有り得るのか」


 若造呼ばわりしたクラウディオであるが、奇しくもトール・ベルニクとは同い年であった。

 トール同様に父を早くに無くし、領地と選帝侯という立場を受け継いだのである。


「誠に――よもや天秤衆様方々の聖船を沈めようとは――」


 追従めいた口調ではあるが、平均的なオビタルの抱く感想だっただろう。


 但し、表層的な思いのさらに奥深くを覗き込めば、快哉を叫びたい心情が隠れ潜んでいたのも事実である。

 誰もが幾ばくかの反感を、天秤衆という存在に対して持ち合わせていたのだ。


「叔父から連絡は?」

「エヴァン公からの沙汰は未だ御座いません」


 血縁関係にあるわけではないが、エヴァン公と親しかったのは彼の父である。幼い頃からの癖が抜けず、公式の場以外ではエヴァン公を「叔父」と呼んでいた。


「ふむ――」


 クラウディオ・アラゴンは、美少年と言って良い怜悧な顔貌がんぼうに手を添えて、考え深げな様子で俯いた。


 その姿は、スティッキの相手を務めた者を含め、周囲に集う女官達の憧憬どうけいの念を大いに煽った。

 傲慢のさがを宿す若き領主ではあるが、屋敷の女達からの信望はすこぶる篤い。


 彼に在るのは見栄えの良さだけでなく、盤石の経済力と軍事力を誇るアラゴン領邦という厳然たる力なのである。


「イリアム宮も混乱しているのかもしれないな」

「確かに、その可能性は御座います」


 聖レオに限って言えば、正しい見立てであった。クルノフの惨劇を知った彼は、怒りと絶望のあまり自らの命を絶とうとしていたのである。


「クルノフをおとすのが僕等の役回りだ」


 マクギガンとクルノフを異端で貶め、それを口実として、アラゴンはクルノフに攻め入る手筈であった。

 ポータルを抜ければ、クルノフ邦都のゲオルク宙域へ入れるという地勢も良い。


 一方のマクギガンについては、気の触れた子熊を異端で裁けば、後はニコライと名乗る男が上手く差配するだろう、という次第である。


 ――油断のならない雰囲気の男だったが……。


 クラウディオは、慇懃無礼な態度を崩さぬ男の顔貌がんぼうを思い起こした。どうにも気に入らない、というのが第一印象だったのである。


 ――だが、七つ目の姉様ねえさま方が絡んでいるとなれば邪険にも出来ない。


 栄えあるアラゴン領邦を治める選帝侯であったとしても、決して侮ってはならぬ相手というものが世界には存在した。

 真の力とは、人の目が届かぬ昏い井戸の底に沈んでいる。


 ――まずは目先の問題を片付けるか。


「ベルニクの狼藉で口実は出来た」


 天秤衆を害した不届き者を誅するのは、領邦領主たる者の務めとなろう。


 碌な軍備を持たぬクルノフに代わり、ベルニクを断罪するという名目で攻め入れば、後世に無法者などという汚名を残す心配もない。


「ポータルで演習をしているフランチェスカに――いや――」


 クラウディオは、かねてより興味を抱いていたのだ。


 世間では英雄と呼ばれ始めていた同世代の男に対してである。


 とはいえ、賭博で作った借財を賭博で返すという外道を演じ、幾らも日が経たぬうちに天秤衆を相手取り喧嘩を売るような男だ。


 彼の信じる世界とは相容れない異物である。ピュアオビタルの矜持と尊厳を、著しく損なう存在とも言えた。


「やはり、僕が出よう」


 クラウディオ・アラゴンは誰よりも正統をたっとび、他者へもそれを強要する事を好んだ。


ひざまづかせてあげないとね」


 ◇


「早いわッ!!」

「ひぃ」


 火急であると衛兵を黙らせ寝所を訪れた主席書記官は、彼が報告を終えるなり吠えた教皇アレクサンデルの大喝に首を縮こまらせた。


 教皇宮殿における主席書記官とは秘書の様な役割を担っており、寝所への出入りが許される数少ない職位のひとつである。


 他方、アレクサンデルの隣には、明らかに身分不相応な女が寝ていたのだが――。


「いえ――既に正午の祈りを捧げる時間でもありますし――早いという程ではないかと――その――はい」


 主席書記官は、あるじたしなめる意味も込めて事実を告げる。不遜な悪漢なれど、諫言かんげんを聞き入れる度量はあると知っていた。


「その事ではない。童子の気短ぶりをなじったのだ」

「さ、左様で」

「我より先に、天秤共を藻屑にすとは何事ぞ」

「先――に?」

「本当にまったく童子はまったく童子めまったく童子という奴は――」


 ぶつぶつと文句を言いながら、巨躯にしては意外な身軽さで起き上がると掌を何度か打った。

 傍付使用人が音も無く現れ、全裸のアレクサンデルへ聖職衣を纏わせてゆく。


 ――プロヴァンスを焼いた後の助力を言い含めておいたのだが……。

 ――これでは、童子の蛮勇を我が追認する形となろう。

 ――手伝わせるつもりが、いつのまにやら我が手伝っておるわ。


「――ふむん――だが、常の事であるな」


 ひとしきり繰り言をぼやき尽くすと、トール・ベルニクと出会って以降の日々を振り返り、アレクサンデルは可笑しみが湧いて来てしまった。


 蛮族の地へ攻め入るばかりか、プロヴァンスを焼き討つ教皇など、先人達は想像し得なかっただろう。


くだんの声明は三日後であったな」

「――はい」


 主席書記官は緊張した面持ちで応えた。大司教時代から仕えて来た男の背負う重圧に、思いを同じくする彼自身の中でもたぎりがあったのだ。


「巻け。明日とする」

「承知しました」


 助け船は早い方が良いだろうと考えたのである。


「――が、まずは正午の祈りとやらを捧げるか。色欲を詫びねばならぬ」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る