40話 少年の二人。

 信仰と罪悪感の狭間を生きるレオ・セントロマは、生涯そうと認める事はなかったが、歳若い娼婦の子として産まれ、不埒な客の銀冠を受け継いでいる。


 貴族ではない家に生じた銀冠は、その出自を問わず、然るべき家門へ養子に出す事が義務付けられていた。


 ところが、銀冠の父親は、異端としてプルガトリウムに堕とされていたという事実が養子縁組の審査過程で判明したのである。


 異端と娼婦の子――。


 大きな忌み印を負った赤子は引き取り手が現れず、異端の嫌疑まで掛けられた母親は自ら命を絶つ道を選んだ。


 残された幼き銀冠の孤児レオは、グリフィス邦都郊外に建つペレグリン孤児院にて、神学校の寮に入るまで長い暗黒時代を過ごした。


 元々は一代貴族ペレグリン男爵の邸宅だったが、相続税と奇病に悩んだ子息が聖教会へ邸宅を喜捨した事で、孤児院として活用されるようになったのである。

 

 郊外に拡がる広大な敷地は、養育に適していると判断されたのだろう。


 レオが入所した当時、ペレグリン孤児院の院長は、教区司教を務めるマーリン・セントロマ――後にレオの養父となる男だった。


 ――我々の罪は尽きぬ泉である。女神の慈悲にも値せぬ存在なのだ。


 歪んだ想念を口癖のように唱える男は、罪の代償は飢餓とむちのみであると固く信じていた。


 ――ゆえに、お前達を光に導かねばならん。


 多くの孤児に不幸と災難を撒き散らしながら、ついに彼は一人の原石を見出したのである。


 ――素晴らしい。


 彼が与える全ての苦行に耐え、女神ラムダへの賛美にまで昇華させた少年が現れたのだ。

 尚且つ、刻印を頭に戴いている。


 ――お前の名は――レオか――。

 ――良き――良き名である。


 こうして、マーリン・セントロマ司教はレオの養父となり、教区司教を継がせる為に彼を神学校へと入校させた。


 なお、レオ・セントロマが、ギデオン神学校の学生寮へ到着した当日に、遠く離れたペレグリン孤児院では火災が発生している。


 不幸中の幸いと言えようが、数十名の職員と孤児達は、公子エヴァン・グリフィスの催した慈善パーティに招待されており不在だった。


 ペレグリン孤児院にて無聊ぶりょうかこっていたのは、さる貴婦人から人目に付かぬ場所での告解を頼まれていたマーリン・セントロマのみである。


 だが、貴婦人は訪れる事はなく、待ちぼうけを喰らったマーリンは炎に包まれ消し炭となった。


 検死報告書によると拘束された形跡はあるのだが、不思議と事件化されずに事故死として処理されている。


 訃報を顧問弁護士と管財人から伝え聞いたレオは以下のように応えた。


「慈父マーリンの遺した全ての資産を、ペレグリン孤児院へ喜捨します」


 陰鬱な彼にしては珍しく晴れやかに微笑んでいたという。


「しからば、名をマーリン孤児院と改めるのも許されましょう」


 数年後、領主の座に就いたエヴァン・グリフィスの初仕事は、邦都郊外の再開発事業であった。


 ラムダ聖教会との協議を経た後に、マーリン孤児院は廃止が決定され、広大な跡地は一般廃棄物の中間処理施設となっている。


 ◇


 病床で死んだように眠る男の瘦せ細った顔貌がんぼうを、宰相エヴァン・グリフィス公爵は、何の感情も浮かべぬ眼差しで見下ろしていた。


「――使用人の発見が、今少し遅れたなら間に合わなかったでしょう」


 バイタルモニタを確認しながら、担当医が低い声で告げる。


「ああ、そうだな。無論、君ら医療スタッフの尽力にも感謝している」

「いえ――職務ですので」


 最高権力者に等しい者への素っ気ない返答に、エヴァンは却って担当医に好感を覚えた。


 ――アダムなどより、余程良い。


 腰巾着とも噂されるアダム・フォルツ選帝侯の、沈黙を怖れるかの如く回る浮薄な口舌と比べたのである。


 ――得てして、アダムのような手合いは容易に裏切る。

 ――およそ秘事を共有できる相手ではない。


 と、エヴァンが自戒を込めたところで、


「エヴァン公っ!」


 当の本人が、騒々しい声音を上げながら病室へ入って来た。


大事おおごとでございますな。――して、レオ猊下の容態は?」

「侯は、お静かに!」

「う、うむ」


 担当医の言葉強さに気圧されつつも、アダム・フォルツ選帝侯は威厳を保つべく胸を張ってエヴァンの傍へと歩み寄った。


 ピュアオビタルとしては小男の為、エヴァンと並ぶと親子に見えるが、遥かに彼よりよわいを重ねてはいる。


「一命は取り留めてくれた。ゆえ、アフターワールドへ召され損なった――と、目覚めれば文句のひとつも聞かせてくれよう」

「ほう、それは豪気ですな、ハハハ」


 きっちりと追従笑いをした後に、ようやくアダム選帝侯は本題に入った。


「やはり自死を選ばれようとしたのは、クルノフの一件でしょうな」

「相違ない」


 聖船に対し砲撃など有り得ぬと高を括っていた天秤衆は、ベルニク艦隊へ横腹を見せたまま無防備に進み荷電粒子砲の斉射を浴びた。


 大半の艦艇が轟沈の憂き目に遇っており、救命艇の射出すら叶わなかった艦艇も多数存在する。


 クルノフ領邦に派出された三万名を超える天秤衆のうち、教理局で現時点の生存が確認できたのは数百名のみであった。今後、その数は増えるだろうが、多く見積もっても生き残ったのは数千名程度となろう。


 一方的な殺戮である。


「まさに、心胆を寒からしめる悪魔の所業――。愚かな諸侯と民草も、ようやくベルニクに石礫いしつぶてを投げ始めるはずですぞっ!」

「フォルツ侯――」


 エヴァンは冷えた視線を送った。


「――貴方は、本当にそう思っているのか?」


 単なる追従癖であれば流せるが、芯からそう思う愚者なら処遇を考える必要がある。


「い、いや――ですが――信仰の守り手を害するなど――」

「守り手なものか」

「ひっ」


 吐き捨てるようなエヴァンの言葉に、アダムは怯えた様子で息を吸った。


 天秤の影が無いかと辺りに目を配るのも忘れない。


「そう誰もが心根では感じておろうし――、少なくとも愛される存在であった事は無い」


 信仰という正体の分からぬ概念を天秤に乗せ、他者の人生を好きに左右して来たのである。

 怖れはあろうが、好む者は極少数派となるだろう。


「ベルニク贔屓の聖下も擁護するであろうし、そも自身がプロヴァンスを焼き討つなどと公会議で宣しているのだ」


 メディア――特に、復活派勢力圏のメディアは批判するだろうが、それによってベルニクへの反感が野火の様に広まる望みも薄い。それどころか、教皇アレクサンデルの発する声明で、全てをひっくり返される可能性すらあった。


「は、はあ――」


 だが、気の抜けたいらえを聞き、目の前で未だ訝し気な様子を見せる男に、事の仔細を説明するのが面倒になって来ていた。


 元より中央へ出ようとするオソロセアの蓋として、アダム・フォルツは飼い慣らして来た人物に過ぎないのだ。


「まあ、良い」


 現状でエヴァンが欲しているのは、クルノフ領邦の支配権のみなのである。己がかつえた取引を成立させるには、の地を取引相手に差し出す必要があった。


 ――あれは、悪夢の残滓に過ぎぬ。

 ――秘蹟でなければ呉れてやれば良い。


 ともあれ――、


「何れにせよ口実は出来た」


 エヴァンは、遠く離れたクラウディオ・アラゴンと同じ帰結に至っている。


 異端審問を端緒に攻め入る予定だったが、今やそれを上回る理由をベルニクが提供してくれたのだ。


「ヴァルキュリアの蒼槍そうそうが、観艦式の華ではないと見せてもらおう」


 ◇


「銀冠など無価値だよ、レオ」


 全てを与えられた少年の言葉は、銀冠以外に何も持たないレオの心を深くえぐった。


「――う、うん」


 だが、抗弁する術も知識も、そして意欲も彼には無かった。


 ペレグリン孤児院の敷地にしつらえられた聖堂で、目の前の椅子に座っている少年こそが、彼にとって唯一の光だったからである。


 絶え間ない飢えと痛みにまみれた陰鬱な日々の希望は、一年前から秘かに訪れるようになっていた領主の息子――公子エヴァン・グリフィスのみなのだ。


 彼が訪れるようになった理由も、そして無価値な自分と対等の口調で話す意図も分からない。


「あ、済まない。君を傷付けてしまっただろうか?」


 持たざる者の心情に思い至ったエヴァンが、気遣わし気な様子でレオの肩に触れた。


 当時の光景を、今でもレオは鮮明に思い出す事が出来る。


 だが――、


「僕は言葉を時々間違えるんだ。そうだな――こう言い換えようか」


 高まる動悸の為せる業なのか、彼の語った言葉はあまり記憶に残っていない。


「全ては等しく無価値だ」


 ゆえに、レオの記憶野へ火傷のように焼き付いているのは、聖堂に差し込む細い白光に照らされた、少年エヴァン・グリフィスの美しい微笑みだけである。

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