41話 我に在るは我欲のみ。
ゲオルク宙域では、残骸を巻き取るデブリイレイザーが、惑星重力圏より脱していないデブリの回収に勤しんでいた。
艦艇の残骸であれ、刀剣であれ、人体であれ、全てが再生処理施設に運ばれていくのだ。
そんな侘びた光景に見入る総司令官の胸中を
──さすがに、閣下とて思うところはあるのだろう……。
トールを軍神と仰ぐ将兵達も心中に一抹の不安と迷いが生じていた。教理局や天秤衆からの報復を怖れての事ではなく、幼少期から植え付けられた信仰心に拠るものだ。
──やはり、この御方にも……。
というケヴィンの憶測は、あながち的外れというわけでもなかった。
敵と定めた相手とはいえ、一方的な殺戮という点が心の重荷となったのだ。グノーシス船団国首船崩落の記憶も彼の心に陰りを生んでいたのだろう。
──仮に夢だとしても、手に着いたこの血は拭えない。
己の好悪と目的に従い選択し続けてきた今がある。
だが、力の行使が許された世界で専制的な権力を持つ者は、他者を蹂躙し奪う選択肢を排除してはならない。
人の世は冷徹な一つの
古典文明から寓話を借りるならば、その
即ち、奪わぬ者は奪われる。
──ならば、せめて、
元よりそのつもりだったが、改めて自らの胸に彼は刻んだ。
──ボクは正義を作らない。
必要となれば
古今東西、独善的な正義が全ての不幸を招来したのである。
──だから、ボクの道標は我欲のみだ。
艦隊戦への憧憬や原理主義者に対する忌避感、そして家臣から領民までを豊かにしたい──という牧歌的な欲求までが含まれる。
──ん? って事は……。
「ケヴィン中将」
「は、はい」
「あれから──ジャンヌ大佐が降りてから何時間ぐらい経ちました?」
ジャンヌ・バルバストル大佐率いる第五戦隊は、揚陸部隊五千名と共に邦都へ降り立っていた。
「二時間と三十分ですな」
「そっか、それでなんですね」
「何がでしょうか?」
トールは腹を撫でながらシートを立ちあがった。
「お腹がすいたなと思ってたんですよ」
己の道標を我欲と定めた時、彼は気付きを得たのだ。
つまりは──、
「ジャンヌ大佐から連絡が来る前に、軽食だけでも取っておきましょう。一緒に食堂へ行きませんか?」
これまで通りで良いのである。
◇
ロマン・クルノフ男爵は、選択を誤ったと悔やんでいた。
「やはり、太上帝に与するべきであったかもしれん」
と、空になったグラスを見詰めながら呟いた。
──いっかな邦都へ訪れる気配がないと思えば、我が宙域で天秤衆方々に砲撃するとは……。
完全な濡れ衣である異端審問も怖ろしいが、文字通り天秤衆を葬り去った男はさらに怖ろしい。
定石と常識が通じない相手は、先の行動が全く読めないからだ。
──おまけに一晩でインフィニティ・モルディブは伯の物に……。
トールに恩を売って新生派中枢に喰い込むつもりだったが今となっては完全な悪手に思えた。
──とはいえ、今さら引き返せんしな。
他人を誰も信じないロマン男爵は、重用事とて自問自答を繰り返して決するほかなかった。
同じ古傷を持つヴィルヘルムには何度か相談もしてきたのだが、行方が杳として知れず連絡も取れていない。
──私が奴の隠し財産を伯に漏らしたと恨んでおるのか……。
殺人鬼と共にミネルヴァ・レギオンへ旅立ったとは想像の埒外だろう。
──そもそも未だ通信障害が発生しているようだしな……。
眼前の照射モニタには広域障害復旧中と表示されていた。
二時間ほど前からEPR通信が利用できなくなっている為メディアで状況を確認する事も叶わない。閉域EPR通信により使用人達との連絡は不自由しないのだが──。
苛とした思いで、ロマン男爵は空となったグラスを、再び琥珀色の液体で満たした。
──うむ、こうなると、あのお方の力添えもやはり必要となるな。
ロマン・クルノフは常に保険を用意しておく男なのだ。
「か、閣下」
執務室で黙考する彼の元へ、怯えた様子の秘書官が訪れた。
「ベルニクの方々が屋敷に参られております」
「おお!」
当初よりゲオルク基地への着艦は許可していたし、歓迎の意思を表明してもいたのだ。
客人としてベルニクの訪問を受け入れ、高らかに女帝ウルドへの忠誠を誓うという体裁を取るつもりだったのである。
「遂に来たか」
ようやく彼の想定した展開になりつつあると、少しばかり安堵する心持ちになった。
──天秤衆の件には触れぬ方が後々も安全だろうな。
──話がどう転ぶやら見当もつかん。
──ともあれ、恭順の意を示して、ベルニクには一旦兵を引いてもらえれば良い。
「方々を歓待せよ」
その為の準備は使用人達に言い含めてある。
「はあ──その──ですが──」
「どうした? いや──」
煮え切らぬ秘書の口調に、ロマン男爵は苛立ちを感じ始めている。
「ベルニクからは誰が参ったのだ?」
互いの格と状況を考えるなら、トールに次ぐ立場の者であっても文句は言えない。
「第五戦隊、戦隊長ジャンヌ・バルバストル大佐と名乗っております」
「何っ!?」
格下扱いが過ぎるのではないかと怒鳴ろうとした時の事である。
執務室の外から大人数の足音と使用人達の悲鳴が響いた。
ロマン男爵が腰を浮かせたところで、豪奢な両開きの扉が開け放たれる。
「失礼する」
パワードスーツを纏うジャンヌ・バルバストルだった。
同時、彼女の手勢が室内へ整然となだれ込み、出入り口と窓を封鎖するようにして立った後、ツヴァイヘンダーを両の手で握り自身の眼前に立てた。
微動だにしないその姿は彫像の様にも見えたが、容易に人を殺すべく訓練と経験を積んだ兵卒である。
「
ゲオルク基地へ降り立ったジャンヌは、工作部隊を先行させ屋敷のEPR通信を阻害し情報を遮断した。
その後、旗下揚陸部隊五千名は輸送機にてロマン男爵の屋敷へと直行し、些かの抵抗を受ける事もなく蟻の子一匹逃さぬ監獄とせしめたのだ。
「せ、制圧?我々は貴方等を歓迎すると──」
「無用」
ジャンヌは言下に退けた。
「銀獅子権元帥にして、ベルニク家当主トール・ベルニク伯爵閣下より、
トールはロマン男爵の申し出を全て断り、これまで恭順の意を示す機会すら与えてこなかった。
さらに、
「我トール・ベルニクは、女神の天秤を弄ぶ輩を宙域の藻屑へ帰した。之即ち、貴君の我に対する義に応えた次第である。否か応か?」
「お、応」
と、返すほかにない。
「翻って、貴君の義は未だ我の仕える女帝陛下には示されておらぬ。否か応か?」
「い、いや、だから、私は何度も──」
「否か応か?」
「──応」
ロマンの言質を得たジャンヌは大きく頷いた。
「故に幾つか質したき疑義有り。よって我の招待を受けられたし」
「しょ、招待──?」
周囲の兵卒達を見れば、いかなる種類の招待かは自ずと知れよう。
「個人としての恩義を忘れぬ閣下からは
「あいや、分かった。良く分かった」
だが、自分を連れ去る意図は解せなかった。腹を見せ、尾を振っているのだ。
「大人しく付いてゆくと誓おう。しかし──な、なぜなのだ?」
「閣下の御心を臣下が語るは不敬となる。ゆえに一般論となるが──」
当然ながら軍人としての彼女は下された命令の理由など尋ねていない。
とはいえ、忠誠や愛では言い尽くせぬ相手の抱く想いは手に取るように分かっていた。
「輩を二度も裏切る男を信じるなど、愚かが過ぎよう」
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