41話 我に在るは我欲のみ。

 トール率いるベルニク艦隊の大半は、クルノフ邦都より五光秒の相対距離を保ち航行を続けていた。


 ポータル近傍には既に天秤衆の姿は無く、残骸を巻き取るデブリイレイザーのみが徘徊している。


 惑星重力圏より脱していないデブリは、軌道都市の再生処理施設へと回収されていくのだ。

 艦艇の残骸であれ、刀剣であれ、そして人体であれ――。


 そんな侘びた光景を、ブリッジに座り見詰めている総司令官の胸中をおもんばかり、ケヴィン・カウフマン中将は黙したまま傍に立っていた。


 ――さすがに、閣下とて一定の怖れはあるだろう。

 ――天秤衆を屠るなど前代未聞の事なのだ。


 トール・ベルニクを軍神と信奉する将兵達とて、職務を遂行しながらも、その心中では一抹の不安を抱えてはいる。

 聖教会からの報復を恐れてと言うより、純然たる信仰心に根付いた怯えであった。


 ――やはり、この御方にも……。


 というケヴィンの憶測は、あながち的外れというわけでもなかった。


 実際、この時のトール・ベルニクは、自戒を込めて血濡れた己に言い聞かせていたのである。


 ――碌でもない異端審問官だったとしても、ボクは数万人を――いや、これまでも含めればもっとだな――。

 ――もう、仮に夢でも手に着いたこの血は拭えない。


 彼の信条、好悪、そして目的のみに沿って行動をしてきた。


 艦隊戦を見たい、などという浮薄な夢想に心躍らせたのが、遥か遠い過去の幻影にも思えてくる。


 ――これに馴れたくはない――だけど、ボクは馴れないと駄目だ。


 力の行使が許された世界に在って専制的な権力を持つ者は、他者の血を流し蹂躙し奪う事に馴れねばならない。


 なぜなら、人の世は常に冷徹な一つのことわりに立脚しているからである。


 古典文明から寓話を借りるならば、そのことわりはカインが弟アベルを殺した時より定まっていた事なのだ。


 奪わぬ者は、奪われる。


 ――ならば、せめて――、


 ゆえに、元よりそのつもりであったが、改めて自らの心に彼は刻む。


 ――絶対に、自分の正義を作らない。


 必要とあれば、トールは正義をかたりはするだろう。だが、それで己を騙す事はしないと誓った。

 独善的な正義感こそ、為政者が示す最も危険な兆候なのである。


 ――だからボクは自分の欲得だけを動機にしよう。


 彼の寄る辺は、我欲。


 艦隊戦や軍服などという卑近なものから、領邦民に富と安全を供し、家臣や使用人達を良く守り、旗下兵卒の被害を最小限にする事までが含まれる。


 ――ん?――そうなると――?。


 ひとつの気付きを得たトールは、思わず声を上げた。


「ケヴィン中将」

「は、はい」


 唐突に名を呼ばれたケヴィンは、幾分か慌てて居ずまいを正した。


「あれから――ええと、ジャンヌ大佐が、降りてから何時間ぐらい経ちました?」


 ジャンヌ・バルバストル大佐率いる第五戦隊は、数刻前に惑星ゲオルクの軌道都市へと降り立っていた。


 かねてより歓迎の意を表されてはいたので、一切の抵抗を受けておらず、実に平和的な着艦となったはずである。


 最後まで平和裏に終わる事をトールは願ってはいるが、揚陸部隊五千名を伴っている為、何れにしろ目的は達成できるだろうと考えていた。


 ――何と言っても、ジャンヌ大佐だしね!


「二時間と三十分ですな」

「そっかぁ。それでなんですね」

「はぁ、何がでしょうか?」


 問われたトールは、腹を撫でながらシートから立ちあがる。


「随分と、お腹がすいたなと思ってたんですよ」


 自身の寄る辺を我欲とした時に、彼はある気付きを得ていた。


 つまりは、


「ジャンヌ大佐から連絡が来る前に、軽食だけでも取っておきましょう。一緒に食堂へ行きませんか?」


 これまで通りで良いのだと言う事に――。 


 ◇


 ロマン・クルノフ男爵は、選択を誤ったと悔やんでいた。


「やはり、復活派に与するべきであったかもしれん――」


 不安を紛らわす為に酒を煽り、空となったグラスを見詰めながら呟いた。


 完全な濡れ衣である異端審問とて怖ろしいが、目と鼻の先で天秤衆を葬り去った男はさらに怖ろしい。

 定石と常識が通じない相手は、先の行動が全く読めないからだ。


 ――借財の手助けはいらぬと言い――そして、事実手助けなど不要であった。

 ――寝て目覚めたなら、インフィニティ・モルディブは伯の物に……。


 恩を売って上手く取り入り、新生派中枢に喰い込む事で己の安全を確保するつもりだったのだが、今となっては完全な悪手に思えた。


 ――とはいえ、今さら――は、難しいか。


 誰も信じない彼が家中かちゅうに置いているのは、何ら実権を持たない顧問団のみである。その為、重用事は心内にて自問自答を繰り返して決するほかなかった。


 同じ古傷を抱くヴィルヘルムには何度か相談めいた事もしてきたのだが、トールとの一件以来何の連絡も寄こして来ない。


 ――全てを失い世を儚んで、などという男でもなし。

 ――ふむん、私が奴の隠し財産を伯に漏らしたと恨んでおるのか。


 よもや、殺人鬼と共にミネルヴァ・レギオンへの楽しい船旅中とは、彼とて想像の埒外であっただろう。


 ――連絡を取ろうにも、未だ障害が発生しているようだしな……。


 うなじに触れて照射モニタを出したのだが、広域障害復旧中と表示されるのみである。


 かれこれ二時間ほど前からEPR通信が利用できなくなっており、メディアで状況を確認する事も叶わない。

 閉域EPR通信は機能している為、屋敷の者達との連絡は不自由しないのだが――。


 苛々とした思いで、ロマン男爵は空となったグラスを、再び琥珀色の液体で満たしていった。


 ――ううむ、こうなると、あのお方の力添えもやはり必要となるな。


 ロマン・クルノフは常に保険を用意しておく男なのだ。


「か、閣下」


 執務室で黙考する彼の元へ、幾分か震える声音の秘書官が訪れた。


「ベルニクの方々が屋敷に参られております」

「おお――」


 当初よりゲオルク基地への着艦は許可していたし、歓迎の意を表してもいた。


 あくまで客人としてベルニクの訪問を受け入れ、高らかに女帝ウルドへの忠誠を誓い、新生派入りという体裁を取り繕うつもりだったのである。


 ――ともあれ、まずは目先の安全を確保する事だ。

 ――命と金さえあれば、後は何とでもなる。

 

「遂に来たか」


 予期せぬ事態の連続だったが、ようやく彼の想定した展開になりつつあると、少しばかり安堵する心持ちになった。


 ――だが、天秤衆の件には触れぬ方が後々も安全だろうな。

 ――話がどう転ぶやら見当もつかん。

 ――今は、新生派入りを約して、ベルニクには一旦兵を引いてもらえば良い。


「ともあれ、方々を歓待する」


 その為の準備は使用人達に言い含めてある。また、女が必要となる可能性まで考慮し多数を集めていたせいか、屋敷の一角は遊郭に近しい雰囲気となっていた。


「は、はあ――ですが――」

「何だ?――いや――」


 煮え切らぬ秘書の口調に、ロマン男爵は苛立ちを感じ始めている。


「誰が参った?」


 トール自らであるのが望ましいとはいえ、互いの格と状況を考えるなら、彼に次ぐ者であっても文句を言える立場ではなかった。


 ――伯不在の際に、司令官代行を務めていた中将あたりが来るのだろう。

 ――ケヴィン・カウフマンだったな。

 ――確か、あれはオリヴァーと繋がっていたはず。フフフ、ならば昔語りでもしながら――、


「第五戦隊、戦隊長ジャンヌ・バルバストル大佐と名乗っております」

「――な、何っ?」


 さすがに格下扱いされ過ぎではないかと、秘書を相手に届かぬ抗議の声を上げようとした時の事である。


 執務室の外から大人数の動く足音と、使用人達の悲鳴にも似た声が響く。


 ロマン男爵が何事かと腰を浮かせたところで、豪奢な両開きの扉が開け放たれた。


「失礼する」


 パワードスーツを纏うジャンヌ・バルバストルであった。


 彼女の手勢が室内へ整然となだれ込み、出入り口と窓を封鎖するようにして立った後、ツヴァイヘンダーを両の手で握り自身の眼前に立てた。


 微動だにしないその姿は彫像の様にも見えたが、生憎と彼等は容易に人を殺すべく訓練と経験を積んだ兵卒である。


貴卿きけいの屋敷と敷地は、我が方にて制圧済である」


 ゲオルク基地へ降り立ったジャンヌは、工作部隊を先行させ屋敷のEPR通信を阻害し情報を遮断した。


 その後に、旗下揚陸部隊五千名は輸送機にてロマン男爵の屋敷へと直行し、些かの抵抗を受ける事もなく蟻の子一匹逃さぬ監獄とせしめたのだ。


「せ、制圧?我々は貴方等を歓迎すると――」

「無用」


 ジャンヌは言下に退けた。


「銀獅子権元帥にして、ベルニク家当主トール・ベルニク伯爵閣下より、けいへの言伝ことづてを授かっている」


 当初よりトールはロマン男爵の申し出を全て断って来た。さらには恭順の意思すら示す機会を彼には与えなかったのである。


 賭博行為によるとはいえ、おおやけの場で借財を帳消しにする事で、後に己が取る行動に対して私欲とのそしりを招く懸念も払拭していた。


「幾つか質したき疑義有り。よって我の招待を受けられたし」

「しょ、招待――?」


 逃げ道を塞ぐ兵卒達を見れば、いかなる種類の招待かは自ずと知れよう。


「閣下からは、穏便にお連れするようには言われている。無論、けい次第となるのだが――」

「あいや、分かった。良く分かった」


 命が有れば良いのだと、ロマン男爵は己に言い聞かせる。


 だが、自分を連れ去る意図は解せなかった。腹を見せ、尾を振っているのだ。


「大人しく付いてゆくと誓おう。しかし――な、なぜなのだ?」

「閣下の御心を臣下が語るは不敬となる。ゆえに一般論となるが――」


 当然ながら軍人としての彼女は下された命令の理由など尋ねていない。とはいえ、忠誠や愛では言い尽くせぬ相手の抱く想いは手に取るように分かっていた。


「友柄を二度も裏切る男を信じるなど、愚かが過ぎよう」

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