42話 燃ゆるプロヴァンスを背に。

 帝国歴2802年 03月07日――。


 慶賀すべき日とはならないが、歴史に刻まれる日とはなった。


 第五十六代教皇アレクサンデル・バレンシアは、声明においてプロヴァンス女子修道院の罪を断罪し、教皇権に基づき同修道院へ解散を命じたのだ。


「女神の仮寓かぐうで為された罪は、女神のたなごころにて裁かれる」


 教皇領にも司法及び警察組織は存在するが、彼等の司法権は聖職者には及ばない旨を改めて示唆したのである。


「また、旧帝都にも忌み子が在ろう」


 ラムダ聖教会を支える行政組織の多くは、未だ惑星エゼキエルの軌道都市に残っていた。当然ながら教理局庁舎もの地に在るし、総代を含む天秤衆の精鋭部隊も拠点を構えている。


「以後、教理局と天秤衆の活動について、聖教会は一切の許認可権を放棄する」


 聖都に在するプロヴァンス女子修道院とは異なり、旧帝都へは迂闊に手を出せない為、まずは組織から切り離したのだ。


「女神ラムダの慈愛こそが存在の支柱である」


 古今東西、全ての学問が存在の本質を明らかに出来ぬ以上、宗教の役割とは存在の物語を供する事にあるのだろう。


「異端を論ずるも、ましてや天秤に掛けるなど、我らの不遜が生み出した悲劇的な錯誤である」


 教皇自らが異端審問そのものを否定してのけたのである。


 こうして、教皇アレクサンデルは、プロヴァンス女子修道院を断罪し、形式上とはいえ教理局と天秤衆を聖教会から追放したのだ。

 追認する形とはなったが、ベルニクに対する擁護も忘れてはいない。


 これらの動きに対し、レオ・セントロマ枢機卿が未だ病床に在った為に、教理局と天秤衆、そして原理主義勢力は有効な手立てを打てなかった。


 彼等が行った事と言えば、プロヴァンス女子修道院関係者に対して聖都からの避難勧告を発し、旧帝都エゼキエルへの渡航費用を供与した程度だったのである。


 プロヴァンス女子修道院を援護する天秤衆を派出したくとも、聖骸布艦隊がポータルで防衛陣を敷いており、聖都アヴィニョンへ渡る事が叶わなくなっていた。


 そして、今――、


「善き哉」


 プロヴァンス女子修道院の広大な敷地に在る高台で、小さな床几しょうぎに座る教皇アレクサンデルは万感の思いで呟いた。

 

 周囲に立つのは僅かな護衛のみだったが、もはや趨勢は決していたのである。


 聖都アヴィニョンに集めておいた聖兵達を引き連れて、プロヴァンス女子修道院に残る天秤衆ほぼ全てを無力化していた。


 アレクサンデルは、その修道院を焼き尽くす大火に見惚れていたのである。


 骨組みはナノ合金製なのだが、外壁や装飾の多くに木材が使用されていた。その為に炎は良く回り、熱せられた構造物の一部は崩落し始めている。


「聖下――」


 護衛のひとりが何事かをアレクサンデルに耳打ちすると、アレクサンデルは黙したまま頷いた。


「は、離しなさいっ!無礼者!!」


 ふたりの聖兵に両脇を拘束された修道院長は、アレクサンデルの足許で強引にひざまずかされた。


「外してやれ」

「はっ」


 アレクサンデルに言われ、聖兵が修道院長の視界を奪っていた目隠しを取った。


「天秤の母へ狼藉などと、必ず後悔させて――」


 だが、目前の人物に気が付いた彼女は、言い掛けていた言葉を飲み込んだ。


「おや――、誰かと思えば、不心得者ではありませんか」

「ほほう?今でも胆力だけは無駄に持ち合わせておるようだな」


 圧倒的に不利な状況でありながら、修道院長はアレクサンデルを聖下とは呼称しなかったのである。


「全ては女神ラムダのご加護によるものでしょう」

「ふむ、御託は良いのだがな。ともあれ――」


 アレクサンデルは、彼女の背後を指差した。

 

「後ろを見よ」


 修道院を包む業火の放つ熱風と轟音は高台まで届いている。

 ゆえに、彼女は振り向くまでもなく事態を把握してはいただろう。

 

「――っ――く――う――」


 だが、自身が母として君臨した場所に猛る炎を見たのである。さすがの彼女も内なる動揺を隠しきれなくなった。


「我が姉を貴様の愚かな妄執に巻き込み、それを功として得た一切を灰燼に帰す。銀冠すら戴かぬ身で天秤の母まで登った勤勉は慈しむがな」

「己は――己っ――アル――やはりお前は忌まわしき家門の――」

「下らぬ」


 アレクサンデルは静かに告げた。


「ともあれ、見るべきものを見た。これより貴様を殺害するゆえ存念あれば申せ。但し、懺悔は許さぬ」

「姉弟揃って、地獄へ落ちるがいい」

「ふむ――ふうむ」


 心地の良い今際いまわの言葉であるとアレクサンデルは感じ、満足した面持ちで何度か頷いた。


「ではな、修道院長――いや、カミ-ユ・メルセンヌであったな」


 膝上に置いていた戦鎚せんついを握って立ち上がる。


「肉人形と成り果てた娘については、我が必ず人に戻してやる」

「な――」


 修道院長カミーユ・メルセンヌの顔貌がんぼうに、これまでとは異なる揺らぎが浮かんだ。


「人に戻した後――」


 戦鎚せんついを頭上に振り下ろしながら放たれた言葉は、修道院長カミーユの鼓膜を震わせはしたが、彼女のウェルニッケ中枢に至ったか否かは判然としない。


「――貴様の後を追わせる」


 ◇


 旗艦トールハンマーには、乗組員用の慰撫施設がある。


 旧帝都より未知ポータル抜け、一路ベネディクトゥスを目指した際に、女帝ウルドを含む不思議な組み合わせで会議を執り行った場所だ。


 現在は特別な客人をもてなす為、一時的に立ち入りを制限している。


「どうぞ」


 ケヴィンに勧められるがまま、ロマン男爵はセルフバーのスツールに腰掛けた。


「手荒な御招待になってしまい申し訳ありません」


 映画の悪役みたいな台詞だな、と思いながらトールは儀礼として詫びを入れた。


「い、いえ――」


 かつてと同じくトールはビリヤード台の上に胡坐をかき、その膝で猫型オートマタがじゃれついている。


 客人へ謝罪の言葉を述べておきながらも、トールは未だ照射モニタに写る映像から目を離さない。燃え盛るプロヴァンス女子修道院の様子が、上空からライブ中継されていたのだ。


 視聴者を飽きさせない為の工夫か否か、メディアは世紀の異景を様々な角度から撮影していたのである。


「いやぁ、良く燃えてます」


 嬉しそうに告げた後、ようやくトールは映像から目を離し、ロマン男爵の方へと半身を向けた。


「ま、まあ――その――実にアレですな」


 ロマン男爵は鍛え上げた己の上腕を摩りながら応えるが、心中に浮かぶ不安は膨らむばかりであった。


 天秤衆を屠った男の背に、燃え盛るプロヴァンスの映像が有るのだ。


「ところで、ロマン男爵」


 そんな相手の不安など意に介する様子もなく、トールは常の調子で話し始めた。


「ボクの勝手な都合ですが、貴卿に新生派入りしてもらう訳にはいかないのです。特に今は」

「は、はぁ、それはまた、どういう意味でしょうか?」


 旧帝国を分ける新生派と復活派は、やがては雌雄を決するのが歴史的必然だろう。


 その決戦に備える為にこそ、互いに勢力圏を拡げようと鍔迫り合いを繰り広げているのである。


 ――待てよ――私が不要という意味で言っているのならば――つまり――。

 ――や、やはり、殺されるのかっ!?


「大丈夫、殺しませんよ」


 相手を安心させるべくトールは穏やかに応えた。


「但し、当面の間は中立地帯であって欲しいのです」


 何れにも与するな、という意味である。


「全てが白と黒になっちゃうと、じゃあ決着つけようかって話しになるでしょう?」

「二大陣営の決戦という意味ですな」

「はい――でも、それはまだ困るんです」


 二大陣営による決戦で新生派が確実に勝ちを拾うには、トールは未だ時期尚早であると考えていた。

 何よりベルニク領邦軍の増強が終わっていない。


 ――少女艦隊も組み込みたいしね。


「我が領邦に緩衝地帯になれと?」

「ええ。何と言いますか、ロマン男爵って適任だと思うんです」


 風見鶏役がね、という言葉は使わずにおいた。


 ジャンヌが喝破したように、ロマン男爵をトールは全く信用していない。あるいは、彼が信用できる男ならば、緩衝地帯とするのは別の領邦を選んだかもしれない。


 他方で復活派勢力とて、トールと同じくロマン男爵に信を置いていなかった。天秤衆を送り込み異端で取り潰しにしようと図っていたのである。


「中立地帯の方が、インフィニティ・モルディブだって儲かるでしょう?」


 の地の全ては、モルトケ一家からトールへと所有権が移っていた。


「そのインフィニティ・モルディブの利益も、半分を差し上げます」

「半分――ですと?」


 ロマン男爵は、音を鳴らし唾を飲み込んだ。利益の半分となれば、ヴィルヘルムから税とは別に得ていたリベートの比ではないのである。


「その代わり運営はお願いしますね。ご自身でやるもよし、誰か人を探すもよし」

「わ、私が――私が自らやりましょう。いや、是非ともやらせて頂きたい」


 さらなる利得が得られる予感に、ロマン男爵は攫われた事も忘れ胸が高鳴った。


「良かった!」


 トールは嬉しそうに声を上げ、両手を打ち合わせた。


「これで、決まりですね」

「勿論ですともトール伯っっ!私めの陛下へ抱く篤き忠心でもちまして、艱難辛苦に満ち満ちた孤高の中立を演じ切りま――」

「ええと、裏切りたくなったらなんですけど」


 大方の用件は伝え終わったと考えて、猫型オートマタを抱いたトールはビリヤード台から跳ね下りた。


「天秤衆の皆さんの事を思い出して下さいね」


 同じ目に遇いたくなければ、風見鶏役を全うせよという話である。


 忘れたくとも忘れられようはずのないロマン男爵は、己の上腕二頭筋を抱くように掴みながら口をつぐんで何度も頷いた。


「そ、それでは、これにて、そろそろおいとまを――」

「駄目ですよ」


 そう言って、トールは二本の指を立てた。


「二つほどイベントがありまして、それが無事に終わるまでロマン男爵の身柄はお預かりします」


 ひとつは、少女艦隊の再起動である。


 信用できない男の治める星系に、少女シリーズと艦隊を置いたままにするつもりなどなかった。


 いまひとつが――、


「もうすぐアラゴン領邦が攻めて来るのですが、彼等を引きつけておく必要があるんです」

「え、ええ」


 その報は、ロマン男爵の元へも入っている。


 クラウディオ・アラゴン選帝侯自らが大艦隊を率い、天秤衆への狼藉を根拠としてクルノフに在るベルニク艦隊を葬り去ると公言していたのだ。


 ――いっそ、共倒れになってくれれば良いが……。


 と言うのが、ロマン男爵の嘘偽りのない想いである。


「この微妙な情勢下で勝手に動かれても困りますし、何よりロマン男爵の背後に居るであろう方の動向が気になるんです」

「え――!?」


 虚を突かれたとの思いが、彼の顔貌がんぼうへ素直に現れた。


 容易に人を裏切る男ではあるが、平然と嘘を吐くタイプでもない。その点はトールにも好ましく映った。


「色々と考え合わせると、ロマン男爵と秘かに通じている大物さんが居るはずなんですよね――」


 この結論に至った理由については後に述べる。


「状況が落ち着いたら、ボクにも紹介して下さいね」


 そう笑んで告げた直後、彼の背に映るプロヴァンス女子修道院では、美しき威容を誇った二本の尖塔が轟音を響かせほむらを巻いて崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る