32話 マリの告白。
「ベネディクトゥスに行くらしいぞ」
テルミナとマリには、空いていた下士官用の居室が割り当てられていた。
立場と居室の空き状況から調整された結果である。
個室ではなく二人用の就寝スペースで、二段ベッドとなっており狭い空間だ。
ベッドの上段に陣取ったテルミナは、下段を覗き込んでマリに話しかけた。
マリは、共用のシャワー施設で汗を流し、幾分か水気の残るバイオレットの髪に、清潔なタオルを押し当てている。
「そうね」
マリは短い
二人は、エゼキエル宇宙港までの道程は聞かされていたが、その先の計画について詳細を知らない。
どのみち、戦争になるならば、憲兵司令部特務課と、一介のメイドには関係の無い話しなのだ。
出来る事は、乗り合わせた旗艦が轟沈しないよう女神に祈る程度である。
「マリーア・フィッシャー」
名を呼ばれ、マリの動きが止まる。
テルミナは、彼女がベルツに
だが――、
ニューロデバイスを切除した道化とトールを襲った男、道化の写真、マリは養子であり、身元保証人がエルヴィン・ベルニクであった事実。
これらから、ベネディクトゥスとの関係性を疑っているのだ。
「オメェには秘密がある」
疑うと同時に、秘したい事情があるとも察している。
憲兵司令部特務課に課せられた職務、そして己の職癖からすれば、暴き晒し糾弾すべきなのだろう。
――チッ、我ながら
――ジジイを締め上げて、異端を見付けちまったトラウマじゃねぇだろうな。
ところが、テルミナには理解出来ぬ感情の揺らぎで、そうしなかった。
「タイミングを間違えると――その――こ、後悔する――んだからなッ!」
と、言い捨てたテルミナは頭を戻し、上段にゴロリと寝転んだ。
彼女の視線が外れた先で、マリは黙って頷いている。
「――分かってる」
マリ、否、マリーア・フィッシャー、否、マリーア・ベルツとて分かっている。
だが、誰も信じるなというのが、両親の遺した最後の言葉なのだ。
事実と、何より己の真意を伝えて良いのだろうか――。
「アホ面のトール・ベルニクって男はな――」
天井を見詰めながら、テルミナが言った。
「――誰よりも悪党だ」
◇
居室に戻ったロスチスラフの元へ、ドミトリが訪れている。
「オリヴァーが全てを吐いたとしか思えぬ」
トールの口ぶりを思い起こしながら言った。
グノーシス異端船団国が、未知のポータルから侵攻した裏に、オソロセア領邦が介在した事実を示唆していたのだ。
勘付いていようとは思っていたが、確たる証拠を掴んでいる口調であった。
「オリヴァー・ボルツが吐くとは考えられません。吐けば、叛逆罪の刑罰より恐ろしい事態に陥ると理解しています。また、救う手筈も整っておりますし……」
「ふむん、そうか」
ロスチスラフは顎を撫でる。
次に浮かぶのは、胸糞の悪い大司教であるが、伝書鳩のうわ言如きでトールが確信するとも思えない。
「となると、
これが最も有り得る話だ、とロスチスラフは結論付けた。
「――確かに、意気投合したとの情報はございます」
アレクサンデル教皇と、トール・ベルニク。
対極に位置するように見えて、意外に双子の様に似ているのではないか――。
その気付きは、ロスチスラフの背を幾分か冷やした。
ともあれ、トールは全ての事実を把握したうえで、オソロセアと手を結んだ。
彼の考える奇想に、ロスチスラフとオソロセアを巻き込んだのである。
こうして、引き返せぬ段階に至ってから、あの言葉を投げて寄こした。
「婿にするのは止める」
娘の為を思っての事ではない。
飼い慣らすつもりで、母屋に入れてはならぬ相手と悟ったのだ。
邪気の無い呑気な顔に油断をしたならば、いつの間にやら全てを奪われる、とロスチスラフの直感が告げている。
「邪気無き悪党など怖くて飼えん。だが、アレは約を違えぬ男ではあろう」
言った事は実行するし、交わした契約は守る。
「ゆえ、条約を結ぶ。どのみち一蓮托生となったのだ」
不可侵条約にするか、本格的な同盟関係とするかは今後詰めていけば良い。
トール擁するベルニク領邦が虎となったとしても、オソロセアを利する虎としなければならない。
相手が弱小であるうちに対等な関係を結んでおけば、やがてそれは利となって返ってくるであろう、と判断した。
ベルニク領邦の領事であるドミトリは、その為の地ならしが新たな務めとなる。
これは同時に、オリヴァー・ボルツにとっては不吉な報せとなるだろう。
切り捨てられる事が確定した瞬間でもあるのだ。
が、ドミトリの念頭にあったのは、愚かな叛逆者の運命では無かった。
「その――では、例の件は?」
詩編大聖堂の隠し通路調査を手伝う代償として、トールに約させた事案があった。
「おお、娘達との会食の件か?」
「はい」
この件を出した時、トールの顔に面倒そうな表情が一瞬だけ浮かんだのを、ドミトリは見逃していない。
やはり、あの男は、胸の大きさを重視するのだろう。
「いや、それは進めよ。婿にはせぬが――まあ、面白そうではないか」
などと、軽い調子で告げたロスチスラフだったが、この会食が後に思わぬ騒動を引き起こす事となる――。
◇
「あら、マリじゃない?」
丁度、トールの居室から出て来たロベニカと鉢合わせとなり、マリは軽く目礼をした。
じゃあね、と言い残しロベニカは忙しそうに立ち去る。
少しばかり良い香りが辺りに漂う。彼女もシャワーを浴びてから報告に上がったのだろう。
以前の領主や、他の領主であれば、軽く疑念を抱かせる状況であるが、マリの知るトールには、そうとは思わせぬ人徳めいたものがある。
なお、長命で老化の遅いオビタルは、ホモ・サピエンスに代表される古典人類とは異なり性交渉を急がない。
あるいは、生命誕生に性交渉を必要としなかった、先史文明の名残りであるかもしれない。
とはいえ、トールは三十歳の領主なのだ。
妻を娶り子を成す義務がある。
必要と、希望があるならば、側室とて持つことが許された。
「トール様」
ロベニカが開けた扉から、そのまま入る訳にもいかずマリは声を掛けた。
「あれ、マリ。どうしたの?」
領主に割り当てられた居室は、さすがに単身用であった。
小さな机と椅子もあり、そこでトールは猫と戯れている。
「あの――」
言葉の続かぬマリと表情を見て、トールは立ち上がってベッドに腰かけた。
空いた椅子を指差して言う。
「入って座りなよ。その方が、きっと話しやすいと思うんだ」
気を利かせたのか否か、猫はそろりと居室の外へと消えた。
◇
泣く事も、そして激する事もなく、彼女は淡々と語った。
ベルツ家は、異端審問により潰された上、多くの死者を出している。
だが、落ち延びた家中の者も多数いたのだ。
継承権を持つ三人の男も、協力者の存在が有り逃げおおせた。
長男ルーカス、三男ウルリヒ、そしてマリの父親、次男ニクラスである。
ルーカスとウルリヒは、家臣と敗残兵を連れ、
他の兄弟と異なり、ニクラス・ベルツは、一人の女を連れベルニク領邦へ向かう。
懇意にしている友人の手引きがあったそうだ。
「屋敷の聖堂だね」
道化の落とした写像には、バイオレットの髪の女と女児が、見慣れた聖堂を前にして微笑んでいた。
その女こそが、マリの実母である。
「うん」
共に逃れた女と、ニクラスは結ばれ子を成したのだ。
だが、写っている女児はマリの姉にあたる。
「だから、私が生まれる前だと思う」
屋敷の地下は、EPR通信が遮断され、トラッキングシステムに検知されない。
――あの地下は、ニクラス一家を匿う為だったのか。
――セバスさんにすら秘密にしていた事になるな……。
グノーシスの徴と、多量の書籍――という疑問は残るが、追われている者を匿うには適切な場所に思えた。
「けど、ベルニクから別の場所へ移動してしまう……」
追跡が緩むまでの一時的な滞在だった可能性はある。
「どこで暮らしたのかは覚えている?」
「私の記憶に地名は無かったけれど――聞いた話では、フェリクスに居た」
マリの義母は、知る限りの事情は教えてくれたのだ。
「え?」
トールが
フェリクスは、ベネディクトゥス星系に在る惑星で、軌道都市とポータルが存在する。
だが、ベルツ家の人間が、旧領で
少しばかり躊躇う様子を見せた後、マリは意を決した。
「フェリクスには、ベルツを伴わないと入れない場所がある」
屋敷の地下にあったような仕掛けだろうか、とトールは思った。
セバスともう一人が立たなければ、開かない扉がある。
だが、その場所も、結果としては安全では無かったのだ。
「ううん。安全だった」
トールの表情を見て取り、マリが首を振った。
「だけど――父の――ニクラスの兄弟が、裏切った」
ルーカスと、ウルリヒは、何らかの事情でニクラスを教会に売っている。
その結果として、惨劇が起きてしまった。
「なるほど……」
これが因果というものだろうか、とトールは考えた。
――ベネディクトゥスで叛乱を起こしているのは、ベルツ家残党のはず……。
――となれば、ルーカスか、ウルリヒが
「トール様」
この本心を語ってなお、トール・ベルニクは受け入れてくれるのか。
「ベネディクトゥスに、裏切り者が居るのなら――」
だが、さらけ出すと決めた以上、希望は伝えねばならない。
彼の協力と許しが無ければ、実現不可能な願いなのだ。
「――この手で、殺したい」
誰とも分からぬ天秤衆とて、血祭りに上げたかった。
「生まれて来た事を後悔する方法で、殺したい」
この願いは明らかに罪深い。
「殺したい」
復讐など意味が無いのだろうか。
女神の慈悲で許すべきなのだろうか。
「殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。ころし――」
「マリ」
トールは傍に立ち、マリの頬に触れると、本人が意図せぬまま瞳から
昏く焦がし続けてきた殺意を前にして、トール・ベルニクは微笑む。
「大丈夫」
やはり、彼は――
「ボクは、そいつを殺しに行くんだよ」
――悪党なのだ。
マリーア・ベルツは、ようやくその口角を上げた。
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