43話 宣戦布告。

「そりが合わない――という事でしょう」


 領主の間にて、フォックス・ロイドは、己の仕える主人に報告を上げていた。


「今さらだけれど、あなたの叔母様は信用できる方なのかしら?」


 可愛らしい服を着た幼女――いや、グリンニス・カドガン伯が、首をかしげつつ尋ねる。


 ベルニクの統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトの妻は、カドガン領邦にて製薬企業を営むロイド家に連なる女である。

 フォックスの叔母ではないが、縁戚関係にはあった。


「複数から同じ話を聞いております。聖骸布艦隊と合同演習などしている場合ではない――と、大変に立腹していた様子です」


 ランドポータル防衛にあたる一部の艦艇を戻してまで強行したのである。


 先の戦いで損耗を負ったとはいえ、カドガンは大軍を擁しているのだ。普通に考えるならば、現状では防衛陣の強化こそを優先すべきだろう。


「危急の場合であれ、太陽系からならば、すぐに駆け付けられると判断したのでしょう」

「まあ、そう判断したからこそ、あなたの策に乗ったのだけれど――」


 グリンニスは幼い容姿とは異なり老獪ろうかいな女である。


 残された猶予時間を考えると、すぐにでもベネディクトゥスに攻め入りたいところであったが、それをこらえて種を蒔く計画を進める事にしたのだ。


「それで――ヨーゼフは、こちらの話を聞きそうなの?」


 離間の計である。


 ベルニクにて要職にある人物と、トールの仲に楔を打ち込む事にしたのだ。妻の縁戚を頼り、カドガン亡命の噂もあった相手である。それなりに成功する可能性がある計略に思えた。


「もう少しお時間を頂ければと。なかなかに慎重な男らしく――」


 そこまで言ったところで、フォックスが奇妙な表情を浮かべた。


「あら」


 グリンニスも同様の様子で思わず声を上げる。


「――何事かしら?」


 領主の間に巨大な空間照射モニタが現れたのだ。


「陛下?」


 遥かな昔より、玉璽を持つ者のみに赦された行為がある。――否、その為にこそ玉璽とは存在するのだ。

 

「銀河を統べる正統なる帝国のあるじ、ウルドである」


 強制的な、全域ブロードキャストであった。


 ◇


 ポンテオ・ペルペルナが氏族会議より臨時執政官に任ぜられ、最初に行った差配は大罪人ルキウスへの暴力の許容であった。


 頭巾を被せられ神殿前の広場にある舞台に立たされた彼の身には、数多のあざと切り傷が残っている。


 ――人間の脳とは良く出来たものですね……。

 ――途中から一切の記憶がありませんよ。


 視界を奪われてはいるが、己の周囲には、期待感を膨らませた大衆で満ち溢れている事は容易に分かった。


 ポンテオの下らぬ口舌に大きな歓声が上がっているからである。


 ――人間とは本質的に悪である、とは太古の昔から喝破されていましたから――こんなものでしょう。


 事がここに至り、彼には恨みも憎しみももはや無い。


 むしろ、自身の奸計によって死ぬであろう人々への憐憫れんびんさえあった。それを救うために、洗いざらいを白状すべき衝動にすら駆られている。


 ――油断するな!ベルニクは大軍を擁しているぞ!


 だが、今さら犯罪人の言う事など信じられるわけもなく、人々の嘲笑の種となるだけだろう。


 ――血は流される必要があるのですよ――ルキウス・クィンクティ。


 人が、制度が、国柄が、それらが変化するには時を要する。


 その間にも、多くの罪なき人々が奴隷に堕とされ、その子孫も同じく辱めを受けるのだ。


 かような非道が許されて良いはずが無かった。それを許容する国家も、宗教も、全ては滅び去るべきである。


とがは三つ。まず、忌々しい先の敗戦についてだが――今さら語る必要もあるまい」


 ポンテオは、執政官ルキウスの口車に乗せられてベルニクに大敗北を喫しているが、その全ての恥を死にゆく男の責としようとしていた。


 ――さすがに勝つと思ってましたけど……。


 その後にオソロセアに追い払わせ、原理主義勢力が大人しくなったところで、オビタル帝国と手を結ぶのがルキウスの当初計画であった。


 ――随分と異なる道程になりましたが、行きつく先は同じでしたね。


「おまけに、その裏では、敵と通じて穢れた財を成していたのだ!」


 オソロセアとの密貿易では、ルキウス自身も随分と私財を肥やした。


 その全ては、奴隷の購入費用と、リンク・モノリスを月面基地へ秘かに搬入する資金として消えてしまったが――。


「なお悪いことに、グノーシスの誇りを忘れ――邪悪な帝国の姦婦かんぷに跪いた売国奴である!」


 ここに及んで、思わずルキウスは笑ってしまいそうになった。

 彼が為した売国行為は、女帝ウルドに跪いたどころではないのである。


 ――確かに私は処刑されて然るべきなのでしょう。


「今宵、この咎人とがびとに、女神の聖断を下すッ!!!」


 ポンテオが高らかに宣言すると、兵士達はルキウスを引いて、断頭台へその頸を嵌めた後に頭巾を取り払う。


 人工的な夜闇の作り出された広場に灯された照明は、この時のルキウスには残酷なまでに幻想的な美しさに思えた。


 その中で、大衆は口々に声を上げて叫んでいる。


 ――嗚呼ああ

 

 殺せ。殺せ。殺せ。死を。死を。死を。


 ――何と我々は――サピエンスとは愚かなのか――。嫉妬深く、貪欲で、猜疑心に満ちています。


 存在の意味すら定かではない現世うつつよに、デオキシリボ核酸を伝搬させる事のみを目的として、いじましいまでの進化と変異を遂げた姿なのだ。


 仮初かりそめの舞台における悲劇と喜劇の真因は、全てがゲノムの呪縛にある。


 だが――、


 殺せ。殺せ。殺せ。死を。死を。死を。


 生の最期を万の呪詛で満たされながら、ルキウスの瞳はなおも輝きを増す。


 ――それで良い。――いや、そうとしか生きられませんからね。


 殺せ。殺せ。殺せ。死を。死を。死を。


 ――等しく愚かで、無価値で、路傍の石よりも有害なのでしょう。


 殺せ。殺せ。殺せ。死を。死を。死を。


 ――とはいえ――はあります。


 養女のアドリアでも、親友のスキピオでも無い。


 ルキウス・クィンクティの捧げるは、紫煙に隠れた先で寂しげに微笑む女と、永遠に失われてしまった小さな命に対してのみである。


 ――それこそが、ゲノムの呪縛を破り得る唯一の概念なのです。つまり、我々は――。


 彼は伝えたかった。


 散文的で、偽善的な言葉であろうとも、は確かに在るのだと叫びたかったのである。


「我々は――」


 いたずらな弁舌を発揮され、殉教者に祭り上げられては困ると判断したのだろう。


 今際いまわの言葉など語らせまいとするかのように、急ぎポンテオは腕を振った。

 直後、断頭台の刃は、違えることなくルキウスの頸と胴を分かたつ。


 観衆達が上げる雄叫びを葬送歌に、グノーシス船団国、執政官ルキウス・クィンクティは死んだ。


 ◇


 大歓声に包まれる広場にて、テルミナとスキピオは佇んでいる。


 彼の肩に乗っていたテルミナには、何も言葉を発しないスキピオの震えが伝わってきていた。

 叫び出すのを堪えるかの如く、その顎へは万力の圧が掛かっている。


 無言のままテルミナは、跳ねるようにして彼の肩から地に降りた。


 ――映像としちゃ、これで十分だよな。

 ――後は、重用事とやらの音声が伝われば……。


 刻印の誓いを履行し、尚且つ国家としての体裁をつくろうには順を追う必要がある。


「――かように、帝国の片割れとの条約は、不平等極まりない」


 公開処刑の興奮も冷めやらない民衆に対して、ポンテオが語りかけていた。


「だが、安心して欲しい。この私が、ユピテル総督と臨時執政官を兼務する事となったのである」


 床に転がったルキウスの頭を足で踏み、片頬を上げて笑んだ。


「裏切り者も始末した」


 耐え切れぬのか、スキピオは右手で口を抑える。


「――よって、この下らぬ条約は、臨時執政官ポンテオ・ペルペルナが、外交専権に基づき破棄すると宣する!」


 彼の宣言は、ルキウスの処刑以上の歓声で、人々から迎えられた。


 その直後である――。


 唐突に、人々の頭上へ照射モニタが現れる。


 ――もうちょい、デカくすっか。


 テルミナがうなじを触る。


 事の顛末は、EPR通信によって遠くオリヴィア宮にまで中継されていた。

 

 ウルドが座する謁見の間にて中継役とされたのは、駐留軍のトラブル解決の為に長期出張中のガウス・イーデン少将であった。


 条約の破棄が確認され、ウルドは即座に全域ブロードキャストを始めたのである。


「銀河を統べる正統なる帝国のあるじ、ウルドである」


 女帝ウルドの声が、遥かな蛮族の地に木霊した。


「貴国の裏切りを、余の目で見、余の耳にてしかと聴いた」


 広場に集まった人々は何事かと幾分か不安そうに囁きながら、中空に在る照射モニタを見上げている。


「ゆえ、余は刻印の誓いを履行する」

「て、帝国だ」


 ポンテオが叫ぶ。


「連中が潜んでいるぞ、探せッ!」


 ポンテオに指示された兵士達が、広場を駆けまわり始めているが、遠く離れた地に在るウルドからすれば知らぬ話しであろう。


「余のはらである銀獅子権元帥へは既に勅命を発した。おのれら蛮族共を塵芥へ還せとな。つまりは――」


 ポンテオには解せぬだろうが、聖断を下すのは女神ではない。


「宣戦布告である」


 女帝なのだ。


やすんじて、死ね」

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