44話 母の背、男の背。

 ルキウス処刑より一夜が明けていた。


「片割れとはいえ、帝国が攻めてくるのだぞ!」


 建国以来の慣例であるが、氏族会議は、首船に在る中心都市イニティウムの神殿にて執り行われる。

 大神官が首座として参加する為であろう。


「――そう慌てられるな」


 円卓の奥に座る大神官ピラト・ペルペルナが、ゆったりと右腕を上げて告げた。その声音には、口々に己の不安を申し立てる氏族の長達への侮蔑も含まれている。


「大軍を寄せられようはずも無いし、彼奴きゃつ等との狭間には、長大な星間空間がある。到着には十日の猶予はあろう」

「兄上の言う通りだ、皆の者」


 隣に座る臨時執政官ポンテオが、言葉を引き継いだ。全く同じ顔をした中年男の並ぶさまは、見る者の心を奇妙にざわつかせる。


「各々方も、既に自領の艦隊を招いておるのだろう?」


 女帝ウルドの宣戦布告を受けた後、首船プレゼピオ防衛を図るべく、急ぎFAT通信にてレギオン艦隊への指示を出していた。


 とはいえ、レギオン艦隊へFAT通信が届き、さらに円環ポータルを渡って首船に至るには一週間の時を要するだろう。


「一週間も在れば十分ではないか。そもそも首船には重厚な防衛システムも在るのだ。よもやすれば、それだけで打ち掃えよう」


 遥かな昔、首船プレゼピオは、移動要塞として銀河を駆け巡ったという。


 ダイソン球に抱え込んだ恒星より無尽蔵なエネルギーを得て、外殻部に在る数多の砲台が敵を打ち滅ぼしたと伝えられる。


 真空である宇宙空間においては、その質量自体も凶悪な武器となるだろう。


「ゆえに、我らは針鼠の如く待てば良い」


 自信に満ちた様子でポンテオは語る。

 実際、この時の彼は全能感に包まれていたのだ。


 調査会社より得た情報によれば、ポンテオ・ペルペルナへの国民からの支持率は急上昇中なのである。

 裏切り者の頸を落とし、不俱戴天の帝国へ啖呵を切った男――。


 近日中に実施される執政官選挙において、圧倒的多数の得票を得るのは間違いないとされていた。


 大神官と執政官の職を、栄えある氏族ペルペルナが戴くのである。


「勝利の暁には、さらなる富も約されておるのだ」


 聖レオを通じ、復活派勢力と取り交わした密約があった。


「わ――こほん――春は近い」


 我が世の――と枕を入れなかった己の自制を、内心で褒め称えながらポンテオは口角を上げた。


 ◇


「朝から、どういう風の吹き回しだ?」


 クラシカルな風味漂う遮光グラスで、目元を隠しているスキピオが不機嫌そうに呟いた。


 ホテルへの帰路に在った古物商から買い取って以降、今後の人生における彼のトレードマークとなる。


「――見ての通りよ」


 母の会代表、民会議員ジュリアと、ルキウスの娘アドリアが並び立っていた。


梵我ぼんが党本部から連れて来たの」

「用済みってわけか」


 ルキウスが処刑され、ポンテオが実権を掌握した今となっては、アドリア・クィンクティの価値はさほど残っていまい。


「彼女が担ぎ上げられる事は警戒されているわ。だから、うち――母の会が主催する特別研修へ連れて行く」


 何だそれは、とスキピオが訪ねる前にジュリアが応えた。


「開催場所は、あなたの地元よ」

「はあ?」

「歯抜けから――いえ、執政官から話は聞いている」

「――なんだと?」


 スキピオの顔に緊張が走る。


 彼に与えられている役目は、ベルニクの長手ながてを刑場へといざなう事だけでは無かった。


 首船プレゼピオには、ルキウスの屋敷で働く者や、そして僅かながらも信用できる者達が居る。

 彼等を救う為、帝国襲来前に、巨大なμミュー艦を箱舟とするのである。


「あなたが一番良く分かっているでしょう。彼は――」


 ジュリアは数舜の躊躇いを見せた後に言葉を続けた。


「――覚悟の男だった」


 情報の漏洩などではないのだと、彼女は伝えたいのである。


「巡礼祭なんて最悪の日取りだったけれど、どうにか私が集められるだけは集めたわ」


 ルキウスから秘事の一部を聞かされ、急ぎジュリアは備えたのである。偽りの催事を企画し、断り切れなかった者達を巡礼祭に湧く首船から旅立たせるのだ。


「――何人だ?」


 かねてより連れ出す予定だった人員については、昨夜のうちテルミナと共に宇宙港で待機するμミュー艦に乗船していた。

 

 その数、百余名である。


 首船プレゼピオの人口を考えるならば、朝露の水滴にも等しいが、後は、どうにかしてアドリアを梵我ぼんが党本部から救い出すのみであった。


 荒事も止む無しと考えていたスキピオの驚きは、漆黒の遮光グラスが隠している。


 ――ルキウスの野郎――女の好みが変わったのか。


 ともあれ、


「千名ほどね。もう宇宙港に集まっているはずよ。会の事務局長から員数確認の連絡があったわ」


 水滴が、少しばかり膨らんだ。


「――なるほど」


 居住空間は提供できないが、運ぶだけなら十分に許容範囲内にある。


「分かった。ならば、すぐに動こう。アドリア」

「は、はい」


 囚われ、何も為せないままに、彼女は義父を喪っている。


 この時のアドリアが感じているのは、悲しみよりも混乱であった。ルキウスが処刑された事は未だ現実感を伴わず、二人の大人達が交わす会話にも理解が及んでいない。


 義父ルキウスは、自分を大切にしてくれたが、愛されてはいないと分かっていた。

 無論、養女となった経緯と関係性を考えるならば、それは仕方の無い事だとも理解している。


 ――何より私は、お父様の期待を裏切った……。


 カッシウス家の娘でありながら、その理念を解さずに、あくまで主流派に迎合しようとして来た。

 ルキウスの語るこの国の忌まわしさから目を反らし続けたのだ。


 ――もう一度――もう一度だけでも、ちゃんとお話しができれば……。


 今にも居室の奥から、照れくさそうな笑みを浮かべた父が現れそうな気がしている。


「――という訳で、家に在った荷物は全て運んである」

「あっ、ええ、はい。あ、有難う御座います」


 スキピオは事務的な口調で、手早く状況を彼女に伝えた。


「後は、俺の準備だけだな。ちょっと待っててくれ――」

「私はこれで失礼するわ」


 話の途中でジュリアは、女にしては大きな背中を向けた。


「――ん?」

「あの、叔母様?」

「こう見えて、私は忙しいのよ。執政官の遺体手続きもあるの――ま、引き取り手が私というのも皮肉な話よね」


 処刑後、ルキウスの亡骸は治安機構政治部により、犯罪者用の死体安置所に運び込まれている。


「待て――そいつは急がないとマズイから俺も手伝おう。兎も角、時が無い」

「勘違いをしているようだけれど」


 大儀そうにジュリアが振り向くと、豊かな顎肉が肩に乗った。


「私は、どこへも行かない」

「あん?」

「言った通りよ。私は首船に留まる」

「どこまでの話を聞いているのか分からんが――死ぬぞ?」


 ジュリアは片頬を上げる。


「もう十分に見送ったわ」


 母の会とは船団国における数多の母親達の代弁者である。残忍無比な蛮族なれど、その全ては母の腹よりでた者達なのだ。


「だから――お願い。今度は、私を見送ってちょうだい」


 再び背を向けて彼女は歩くが、言い残しがある事を思い起こす。


「アドリア」

「――はい」


 ジュリアには、アドリアの気持ちが痛いほどに解る。


「カッシウスの名を恥じぬように」


 カッシウス家の悲報を耳にした時に感じたのは怒りではなく、婚姻により新たな姓を得ている事への安堵だった。


 以来、船団国における模範的な妻、また母であろうと益々と努めるようになったのである。

 思いやり深い夫と、勇敢な息子にも恵まれた。


 だが――、


 何よりも愛おしかった二人の男は、遠い異国の星系にて原子へと還っている。

 全ての喜びは、手の届かぬ彼方へと去った。

 

 果たして、己に残ったものは何であるのか?


「叔母様……」


 残ったのは、悔恨のみであった。

 運、不運などでは整理の付かぬ世の不条理がある。


 この不条理に人の身で抗う方法はひとつだけなのだろう。


 これ即ち――、


「何よりクィンクティの名に誇りを持ちなさい」


 誇りである。


 ジュリアはその背と生き様で語り、本人すら気付かぬままに小さく芽吹かせた。


 偉大なる勇猛アドリア・クィンクティを生んだのは、ルキウスではなく彼女であったとのちの世は語るだろう。


 つまりは、ジュリア・カッシウス――全ての若者達の母たらんとした女である。


 ◇


 ベルニク艦隊及び聖骸布艦隊は、星間空間に在るμミューポータルから二光時付近にて待機中であった。


 フリッツ等を引き連れて、トールが戻ったのは一昨日の事である。


 ――いやぁ、ホントに貴重な体験をしましたよ。


 などと、つい先ほどまでは、いつもの調子で仔細をケヴィンに語っていたのだ。


 本人の意向とは関係なく、みゆうの世話を仰せつかる事の多いケヴィンとしては、邪神の話は委細漏らさず記憶に留めておくべきと直感が告げていた。


 先々は、女神だけでなく邪神の世話まで焼かされる予感――というより悪寒がした為である。


 ――貴重と言いますか、話を聞く限りは恐ろしいのですが……。


 強がっても意味など無いので、ケヴィンは正直に応えた。


 ――それで、転移とやらが始まってどうなったのですか?


 森の地面に刺さっていた巨大な待針まちばりは、レギオン旗艦に在る神殿地下へと転送されたのである。


 エントランスを出て階段を上ると台座の部屋に――というところで、テルミナからの中継映像が入り話が中断されていた。


 そして――今、ブリッジは熱狂的な興奮に包まれている。


 訓練された兵士にとっても衝撃的な光景の後、全てを祓うかのようなウルドによる全域ブロードキャストがあったのだ。


 彼女が宣戦を布告するに至り、ブリッジには揺れる程の快哉が上がり、兵達は各々がかかとで床を打ち鳴らしている。


 ――これこそ、聖戦だッ!!

 ――蛮族共を皆殺しにするぞ。

 ――女帝陛下と、帝国の為に!!


 冷静なケヴィンとて、高揚する思いはあった。


 帝国を荒らし回るだけでなく、自らの指導者を公開処刑し、尚且つ容易く条約を反故にするような蛮族共なのだ。


「閣下」


 何を告げたいのかも定かではなかったが、湧き上がる興奮に突き動かされたケヴィンは指揮官の背に呼びかけた。


「今次の戦いこそ――」

 

 だが、その背は、常とは異なる。


「――我々の――」


 ゆえに、浮薄な言葉など全て泡と消えた。


「――」

 

 腰に帯びた聖剣の持ち手を握ったまま、寸分たりとも動かぬ背がある。


 ケヴィン・カウフマンは、その背をしんの底から怖れた。

 

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