45話 朱色の艦影。
女帝ウルドの勅命を受け、トール・ベルニク率いる艦隊は、円環ポータルを目指し星間空間を亜光速ドライブで奔っている。
途中、スキピオの箱舟とも無事にランデブーを果たしていた。
首船プレゼピオにおける任務を終え、箱舟に同乗したテルミナ・ニクシーをベルニク艦艇に移乗させるという当初計画通りの段取りである。
だが、直前になってトールは、ひとりの男の意見に耳を傾けた。
「どうも信用ならねぇ」
腕組みをして呟くフリッツは、銀冠頂く領主のベッドに腰掛けている。
統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトなどが目撃したならば、墓に入るその日まで小言が絶えない光景だろう。
ともあれ、トールの居室に奇妙な面子が集まっていたのだが、部屋の主は少しばかり有難いと感じていた。
珍しく独りでいるのが苦痛だったのである。
「アンタと、アンタの相方が一番に信用できないんだけど」
クリスが疑わしい眼差しをフリッツに送る。なお、相方のトーマスは医務室にて治療中であった。
隣に立つマリは肯定も否定もしなかったが、表情から察するに似たような思いが有りそうではある。
他方のブリジットは――諸事全てに関心が無い。マリから離れぬ白痴の付き人から無言の護衛者となった彼女だが、吉事とするか否かは暫しの時を要するだろう。
「連中は、あの化け物を目覚めさせようとしてたんだろ?」
あろうことか、結局のところ目覚めさせたのはトールその人であったのだが――。
それ以外にも、非常に大きな疑問が残っている。
フェリクスの台座から戻った時と同じく、想定された時間経過の差が発生しなかったのだ――。
「挙句、ダチの
多数の民間人を乗せた箱舟なのである。
戦域を離れるのは当然と言えるが、確かに急ぎ過ぎている嫌いはあった。
トール達が至るには三日を要すると知りながら、宣戦布告の翌日には急ぎ首船プレゼピオを発っている。
結果として、ランデブーポイントも当初計画より手前となっていた。
「連中の
「馬鹿ね。アンタみたいな三下に――」
「非常に単純です」
クリスの横槍は意に介さず、トールが話し始める。
「――って事は、帰りは少しばかりヤベェな」
全てを聞き終えたフリッツは再び腕を組んだ。
「親玉共がくたばったとしても、各レギオンの艦隊は残ってる訳だろ」
ゆえに、彼らが円環ポータルへ殺到するより先に決着をつけ、新生派帝国の支配領域まで撤収する必要がある。
「無傷で残ったミネルヴァが指導的立場となり、改めて和議を結ぶって筋書は最もらしいけどよ」
「スキピオさんが裏切ると?」
「いや、そこまでの阿呆とは思わねぇが――」
フリッツの接した時間は僅かではあるが、彼を浅はかな男とは感じていない。
「――あんたに――え、えと――閣下に隠し事が有るって気はするな」
マリに睨まれ、フリッツは慌てて呼称を変えた。
「だからさ、保険となる手は打っておいた方がいいと思うぜ」
「保険ですか?」
「ああ」
相手の興味を惹いたと判断したフリッツは、少しばかり得意気な表情となる。
「ちょっとした考えが俺様に有る。まずはアチラの様子をテルミナに聞いてからだが――」
◇
ブリッジに立つトールの元へ、独りの女がベルニク兵に伴われてきた。
女は怯えた様子で周囲を見回すが、当然ながら周囲に立つのはベルニク兵のみである。
「――どういうつもりなんですか?」
それでも勇気を振り絞り、女は主犯格であろう男の背に抗議の声を上げた。
「は、犯罪ですよ」
「無法な手段となった点は謝罪します。ただ、あなた方にも似たような行動があったと思いますけどね」
トールが振り向いた。
「――アドリアさん」
クリスの衣服を
既に箱舟は遥か彼方を奔っており、ミネルヴァのレギオン旗艦を目指している。フリッツからの定期報告も途絶えていない。
さらに、先方には背格好の似たクリスが、銀冠を染め上げてアドリアの衣装を
――都合の良い事に、あの女は居室に独り籠ってるんだろ?
――だったら、挨拶がてらテルミナを迎えに行く事にして――俺が一緒に忍ぶからコイツの身柄は安心してくれ。
――はぁ?――アンタなんて居なくても……。
フリッツを
「あなたの父上の事は信じています。ただ、全てを話してくれた訳ではないでしょうし、スキピオさんが同じ考えという保証もありません」
トールは外交的リスクと、さらには民間人であるクリスの危険を承知しつつも、元海賊らしいフリッツの提案に乗った。
――はぁ――フィリップさんに何と謝れば良いのでしょうね……。
という
遥かな宇宙時代とは思えぬ公開処刑もさることながら、それを称える民衆の狂声が彼の脳裏を離れなかったのだ。
「ともあれ、ご安心ください」
トールは、些か不器用な笑みを浮かべる。
「獄には繋ぎませんし、今次の戦いでは――この船が最も安全なのです」
◇
グノーシス船団国は、長らく
自らが帝国の宙域を不意打ちする事のみだったのである。
首船プレゼピオへ通ずる円環ポータルに守備陣の備えも無ければ、哨戒システムも構築されていない。
ゆえに、その姿を最初に捕捉したのは、円環ポータル近傍を飛び続けるFAT通信中継用施設で働く男であった。
元々はソルジャーとして前線に居たのだが、二度とは戦えぬ深手を負った為に、傷病兵保護プログラムに
円環ポータルを渡る通信連絡船を監視するだけという閑職に忸怩たる思いはあったが、家族を養うには他の選択肢も無かった。
「暇だな」
ソルジャーから新しい人生となり、すっかり独り言が多くなってしまった彼の眼前には、七つの巨大なモニターが有る。
円環ポータルはその名の示す通り、ポータルが環となって存在していた。それぞれのポータルは、各レギオンへと通ずる星間空間に連接している。
FAT通信はポータルを通過できない為、この施設で受信した後に、宛先に応じた連絡用
次いで、戻って来た連絡用
往来する連絡用
「そもそも、船が通らねぇや」
巡礼祭のただ中であり、往来する艦艇が極端に減るタイミングでもある。
訪れる者はとうに訪れているし、帰路で込み合うのもまだ先の話なのだ。
「――俺は巡礼祭も楽しめんしな」
この時期に当番とされた自身の不運を呪っていた。
何より、裏切り者ルキウスの公開処刑は、彼も現場で見たいと願っていたのだ。
略奪と奴隷を否定するなど、元ソルジャーの自分に対する侮辱と思えたのである。
「へへ――しかし、まあ、歯抜け野郎に相応しい末路だったぜ」
ポンテオを真似るが如く、失った右腕の代わりに左腕を振った。
「
口を開けたまま、彼はモニターのひとつを凝視する。
見た事もない数値が並んでいるからだ。
「三万――二千――五!?」
ミネルヴァ・レギオンへと至るポータルであった。
「な、なんだ、こりゃあ?」
これほどの艦艇数が
男が狼狽える間にも存在確率は上昇してゆき、やがて光学的に認識できる状態となった。
大規模な円筒陣を組んだ朱色の艦隊である。
数は少ないながらも、その中央部には白で構成された艦艇と、巨大な
彼が知る限り、何れのレギオンもかような艦隊は保持していない。
「馬鹿な――って事は――」
首船へと知らせる為、彼は慌てて緊急打電を開始する。
「糞糞糞――」
悪態をつきながら務めを終えると同時、聖骸布艦隊から荷電粒子砲の斉射を浴び、中継施設と男は文字通りに姿を消した。
◇
帝国歴2801年 10月03日 11:00(帝国標準時)――。
朱色の艦影
首船プレゼピオに血の雨が降る。
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