46話 女神の盾。

 帝国の大艦隊が円環ポータルを抜けたとの報は、首船プレゼピオを震撼させた。


 不運な男の緊急打電には数秒の映像が添付されており、船団国メディアはそれを繰り返し流している。

 漆黒の闇に浮かぶ朱色の群れは、意図せずして暗喩的なメッセージとなった。


 つまり、恐怖である。


「確かに、これより三時間後、帝国の愚か者共が来るのは事実だ」


 臨時執政官ポンテオ・ペルペルナは、執政官室から国民に対し緊急演説を行っていた。


「だが、落ち着いて欲しい。勇敢で理性あるグノーシスの人々よ」

 

 巡礼祭真っ只中であるにも関わらず、無数の人々が宇宙港に殺到していた。

 手荷物を抱えて押し寄せた彼らを待っていたのは、全ての艦船について発艦が禁じられたという通知となるが――。


 これから戦場となる宙域に、民間船に飛び回られても困る為、政府としては当然の判断だろう。


「我が方には万全の備えが有るのだ」


 恒星マグダレナを包むダイソン球外殻に備えられた武装の概要は以下の通りである。


 荷電粒子砲台、三十万基。

 レイルガン砲台、二十万基。

 指向性ミサイル発射台、五十万基。


 これらが、マグダレナの軌道都市である首船プレゼピオを守護するとされ、数字の上では十分に堅牢といえよう。


 また、幾つかの問題を抱えてはいるが、決戦兵器と呼ぶべき砲台も存在する。


 ポンテオは胸が誇りで満たされていくのを感じながら、これらの数字を国民に対して列挙した。

 祖先が遺してくれた偉大な矛であり、そして盾でもあるのだ。


「まさに我等の偉大な船団国に相応しい威容である。さらには、各レギオン艦隊へ首船防衛を発令しており、こちらへ向かう途上に――あん?」


 血相を変えた首船防衛司令官が、撮影スタッフをかき分けて入って来たのだ。


 なお、首船を防衛するなどという緊急事を長らく想定してこなかった船団国において、首船防衛司令官とは名誉職としての色合いが濃かった。


 そもそも防衛戦略に関わるドクトリンが構築されていないのである。


「う、うむ――ともあれ安心して、我々に任せて欲しい」


 司令官の顔色を見て取ったポンテオは早々に演説を終え、撮影スタッフを執政官室から追い払った。

 悪い報せであろうと予期したからである。


「どうした?」

「大変申し上げ難いのですが――」


 真に苛立たせる枕詞であるな、とポンテオは思った。


「――使用可能な砲台数に齟齬があったようでして……」


 故ルキウス・クィンクティが執政官の職にあった際に最も腐心したのは、民間の殖産と教育である。

 必然的に策定される予算案もそのようになった。


 ――攻められる訳もないのに、維持費だけは馬鹿みたい掛かってますよ?

 ――皆さんのお給料は下げません――というか余った予算で上げちゃいますから、砲台のメンテをすこぉし減らしちゃいましょう。


 古来より、平時となると城壁に掛かる費用を人は惜しんだ。


「すこぉし――なのか?」

「急ぎ精査した結果、十数パーセントほどかと――」


 ポンテオは執務机を叩いて吠える。


「クッ――歯抜けの裏切り者めッ――だ、だが、まあ、許容範囲と言えなくもない」

「い、いえ」


 司令官は震える声音で続けた。


「――有効稼働するのが、十数パーセントでして」


 ポンテオの頭頂部へと血流が駆け上った後、一気に血の気が引いて行く。


 目の前に立つ男と、その部下である薄ら馬鹿共は、自らの懐を温める為だけに偉大な先祖の遺産を単なるオブジェへと堕してしまったのである。


 ――殺す。コイツは殺す。


 次の返答次第では、本当に処刑しようと考えた。


 今次の防衛において、最も重要な問いとなる。


「否と言わせるつもりはないが――アレは使えるのだろうな?」


 ◇


「――という次第ですので、実際に使える砲台の数は大いに減っています」


 トールの話を聞き終えると、聖骸布艦隊、旗艦カンジヤのブリッジに座する教皇アレクサンデルは巨躯を揺らして笑った。


「相も変わらず周到な童子であるな」

「いえ、全てはルキウスさんの長年に渡る努力――いや、裏切り行為のお陰です」


 彼はひたすらに、船団国の牙を丸くする事に努めていたのである。


「こちらの重力場シールドが十分に耐えうる火力でしょう。後は、軌道都市を巻き込まぬよう砲台を擦り潰して頂ければ、ボク等は無事に揚陸出来ます」


 領邦同士の戦いとは異なり、非人道的な戦闘行為を縛る条約など存在しない。

 

 ならば、最も手っ取り早いのは、ダイソン球を周回する軌道都市である首船プレゼピオそのものを火力で破壊し尽くす事である。


 ――ただ、今後を考えるなら、さすがにそれは出来ないよね。


 グノーシス船団国を滅ぼすつもりも無ければ、何よりそれだけの戦力を保持していない。


 原理主義的な指導層を排除し、結果として実権を握るであろうミネルヴァ・レギオンと和議を締結するのが目的なのだ。


 だが、民間人もろとも首船を吹き飛ばしてしまえば、もはや未来は制御不能となり、残存勢力を相手に全ての倫理を逸脱した戦いが待つのみとなろう。


「揚陸さえ出来れば、一日から二日で始末が終わるはずです」


 現時点においては、周辺の制宙権は新生派帝国側が握っており、彼等に逃げ場など無かった。


 氏族の長、民会議員などの指導層、梵我ぼんが党に代表される原理主義的な政治団体、さらには大神官を頂点とする宗教的権威については、捕縛などという悠長な指示は下していない。


 無辜の民が巻き添えになる可能性もあるが、帝国より遥か遠い敵地に在り、尚且つレギオン艦隊襲来までの刻限を考えると、効率的に排除せざるを得ないのだ。


 ゆえに、疑わしきは全て斬る――。


 それでも、軌道都市を吹き飛ばして皆殺しにするよりはマシ、とトールは判断した。


「一分後に有効射程内へ入ります」


 オペレータが告げると同時、ブリッジモニタに映し出された巨大なダイソン球に無数の光点が明滅する。


 荷電粒子砲の斉射が始まったのだ。初速に劣る指向性ミサイルと、レイルガンの射出は既に確認されている。


 数多の質量が、運動エネルギーを伴い三万の艦隊に迫っていた。


「では、聖下」


 これより先は、迫る矢を斥力で払いつつ敵陣に乗り込むのみである。


「――神輿を上手く運んで下さいね」

「ハッ、抜かせ」


 瞬間、聖骸布艦隊を露払いとして使う男が小憎らしくなり、教皇アレクサンデルは舌を打ちながらEPR通信を切断した。


「生意気な童子に、我らの力を見せよ」


 配下の全艦艇に告げる。


「尊きラムダの名に基づき、異端の墓標を歴史に刻め」


 ブリッジに沸く聖兵達のたけりを耳にしながら、教皇アレクサンデルは秘かに嘆息していた。


 ――教皇とは面倒なものよ。


 全てに女神の名を必要とする己に、些かの不満を感じ始めていたのである。


 ◇


「敵勢力は、十光秒付近に迫っております」


 報告を聞き、知らず爪を噛んでいたポンテオは我に返った。


「そうか」


 火力とは、つまるところ数である。このまま撃ち合ったとして、犠牲を覚悟した敵を追い払う事など出来はしない。


 だが――、


「準備は出来ているのだな?」


 念の為にポンテオは、防衛司令官に再び尋ねた。


「ハッ。射出の最終手順に入っております。五光秒圏内に入ったところで――」

「うむ」


 ルキウスにも、削り取る事が叶わなかった予算が有る。


 彼等の偉大な祖先達が、いかなる最終戦争を予期していたのか不明だが、この為にこそ恒星マグダレナをダイソン球で覆い、無尽蔵ともいえるエネルギー源を確保したのであろう。


 ◇


「テュールの隻腕せきわんと言うそうですよ」

「は、はあ――」


 トールの解説に、ケヴィンは些か間の抜けたいらえとなった。


 向こう正面には、首船プレゼピオが見えており、敵味方が放つ荷電粒子の光跡に彩られ華やいで映っている。


 だが、その美しき破壊と死の光景は、ダイソン球から突き出してきた巨大なアーム状の構造物に覆われつつあった。


「確かに――腕っぽいなぁ」


 ルキウスから聞かされていた通りである。


 彼自身、テュールの隻腕せきわんの在る限り、首船へ揚陸するのは容易ではないと認めていた。

 その為、有効射程外から軌道都市そのものを破壊するよう暗に促していた程である。


「重力場シールドでは防げないのでしたな」


 テュールの隻腕せきわんの前面には、大口径の砲門が備わっていた。


「ええ――対消滅しますので、斥力で払う事は不可能ですね」


 重力場シールドは対消滅し、それに伴って発生する莫大なエネルギーは、さらなる被害を艦隊にもたらすだろう。


 圧倒的な破壊力を持つが、有効射程距離が四光秒から五光秒に限られるという点に使い勝手の悪さがある。


 威力が減衰するというより、反粒子を内包する対消滅保護膜の維持時間に拘束されているのだ。


「聖骸布艦隊の前衛は、そろそろ五光秒付近に至りそうですが――」


 帝国側の艦隊は、テュールの隻腕せきわんの射程に入りつつあった。


「アハハ、怖い者知らずだなぁ」

「いえ、ご存じないだけかと――」

「あ、そうでした、そうでした。聖下に言うと逃げるかもしれないので、ボクとケヴィンさんだけの秘密にしてましたね」


 ――こ、この人は……。


 ケヴィンのおののきなど気にする様子もなく、トールは肩に乗る猫の頭を撫でた。


「みゆうさん、準備を!」

「はぁい」


 拘束を解かれたみゆうにより、重弩級艦トールハンマーは新たなるほこ、そして盾を得ていた。

 ケヴィンは、水着姿で走る女神の姿に戸惑った日の事を思い出す。 


 ――閣下の旗艦、トールハンマーに相応しいほこと盾でしょう。


 追従混じりに告げた言葉であるが――盾ではなく、ほこを使う日が来る事を想像するとケヴィンは背筋が寒くなった。


 ――閣下なら使う――きっと使う――。


隻腕せきわんに高エネルギー反応ッ」

「味方艦隊、七十パーセントが五光秒圏内に入りました」

「か、閣下」


 ボウと物思いに耽る場合ではないと気付き、ケヴィンは慌てた声を出した。


「早く、バリアを!」

「ケヴィン少将、違いますッ!!」


 珍しくトール・ベルニクは憤慨した声音となる。


 この時、何が彼を怒らせたのかについては諸説あるが、もっとも有力なのは――、


「アンチフェノメン・シールド、或いは女神の盾ですッ!!!」


 彼にしか分からぬ言語センスとされている。

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