エピローグ ~それぞれの、その後
第18話 それぞれの、その後
一通りの説諭を終えた森川園長にあいさつして、大槻指導員は園長室を去って事務室に戻り、その日の業務に再びついた。
彼はいつも以上に素早く合理的に、自らのもとに来た文書を処理していった。
あっという間に必要な業務を終わらせていく若者の事務を、いわゆる「めくら判」を押しているのではと疑っていた東副園長も森川園長も、今では彼に対して何も言うことはない。
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森川一郎氏は、翌1971(昭和46)年の夏、高齢を理由に園長職を辞し、すでに就任していた理事長職に専念することに。
後任園長には副園長の東航氏が就任し、同時に理事にも就任した。
元学校教諭で校長も歴任した東氏は、それから約10年少々、高度成長を終えて低成長、そして成熟へと向かう戦後昭和の日本の地方都市・岡山にあるよつ葉園の園長を務めた。
その在任中の最末期、1981(昭和56)年の5月下旬のある週末の日、よつ葉園は長年いた津島町を離れ、岡山市東部の郊外の丘の上へと全面移転していった。
東氏は、新園舎の園長室の主を約1年弱のみ、勤めた。
もっとも、既に高齢でもあったので、通勤回数は激減し、通う必要のある際は、小学校長時代の教え子である古村武志事務長が自らの乗用車に乗せての出勤のみとなった。最後の1年弱は、主任児童指導員兼副園長の大槻和男氏が、園長代行も務めた。
あの日から12年後の1982(昭和57)年4月。
大槻和男氏は、東航園長の高齢による正式退任に伴い、37歳でよつ葉園の4代目園長に就任。それから36年間にわたり園長室の主を務めあげた大槻氏は、2018(平成30)年3月末日をもって、高齢を理由に園長職を退任。
すでに理事長を兼務していた彼は、理事長である自分自身あての園長としての辞表を、自らに対して書き、理事会に提出し、了承された。
現在大槻氏は理事長専任であり、よつ葉園に行く機会も激減している。彼が半世紀にわたって職員として勤めたその地においては、当年とって40代前半の伊島吾一氏が5代目園長として、園長室の主を務めている。
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森川一郎氏は1978(昭和53)年1月上旬、東航氏は1987(昭和62)年3月下旬、両氏とも天寿を全うし、それぞれ鬼籍に入っている。
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本作は、これをもって完結といたします。
世紀の大発見!? 与方藤士朗 @tohshiroy
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