鳴らない笛を、聴く。
篤永ぎゃ丸
篠竹一管は、正直と嘘を語る
「全ッ然、音が鳴らない……」
窓から夕陽が差し込む、どこかの町内会館。横長十二畳の
スーッ、スーッと不器用に風が抜ける音だけがその場で響く中、颯真の目の前に学生服の上から藍色の
「金城は、練習が足りぬのだ」
「そんなはずは……ネットでコツとか、上達方法を調べて毎日家で吹いてるんだ。それでも、音が出ない訳で」
「ふん。今時の若者は、すぐネットに頼ろうとする」
「
「笛自体は二千円くらいで買えるのに、吹ける様になるまで、こんなに苦労するんだね」
「我々が扱う篠笛は、
「あのさ、篠笛ってなんたら調子とか……やたら種類があるけど、何が違うの?」
「寸法が短い程、音が高く、その逆であれば音が低くなる。当然、音階も一本調子から十二本調子まで全て違う」
「へぇ〜。ちなみに、僕が使っているこれは?」
「その篠笛は『古典調』の八本調子だ。金城のような素人には『ドレミ調』の八本調子が一番いいが、何も考えずに勢い任せで購入した結果、音程と音階が合わず面食らう者が非常に多い」
「聞けば聞くほど、
寸法の長さだけでなく、
「だから、篠笛は多彩で美しい」
彩里が息を吹き込むと、ピーヒョロロと
自然と調和する音を奏でる彩里が羽織る法被の背には、竹をイメージした紋所と『
「やっぱ上手いなあ、
「当たり前だろう。私は、金城の篠笛講師を任された者だぞ」
「任された……って言ってもさ、
「私の両親は——花幡流を継ぐ気が無いからな」
「
「そうだ。この笛の音は、何としても後世に受け継がなければ」
彩里はギュッと、篠笛を握った。笛の両端にある
「ご立派な歴史ある
「ふん。金城も、吹き始めてまだ三ヶ月程度だろう。私は三歳から稽古を積み、六歳でやっと祭囃子が吹ける様になったのだ。篠笛はそう簡単に吹けるものではない」
「いやさあ、今年のお祭りで
「何が『あにそん』だ。花幡流は、元々
鳴らない篠笛を眺めていた颯真は、彩里の言葉に反応して、彼女を見た。
「羨ましいって?」
「私は……物心が付く前から、祖父によって篠笛を握らされていた。毎日何十時間も、息を吹き込み……過酷なあまり、何度も胃液を吐くほどだった」
「……すごい苦労を、してるんだね」
「何よりも稽古が優先で友と遊ぶ事も出来ず、スマホとやらも、持たせて貰えない。花幡流の後継者を育てる為に、祖父も必死なのだろう」
彩里は持っていた篠笛を膝に置いた。それを見た颯真は、鼻で息を吐く。綺麗な和音を鳴らす横笛も、流派を象徴する法被も、その話の後では重苦しく見える。
「まあ……
「……すまない。こんな話をするつもりは無かった。しかし、正直言って私は——好きで篠笛を始めた訳ではないのだ」
「嫌なら、やめちゃえば……なんて、簡単には言えないだろうけどさ」
「積み上げられた歴史の重圧、名家に生まれた期待。両親が逃げ出すのも、祖父が私に執着するのも、今となってはよく分かる」
「好きでやってないのって、しんどくない?」
「だが、金城よ。最近は篠笛を吹くのが、苦ではないぞ」
膝に置いた篠笛を、彩里は軽そうに持ち上げる。壮絶な苦労話を聞いた颯真は、彼女にとって救いになる言葉を思い付く事が出来なかった。
「金城が私の演奏で興味を持ってくれたのが、厳格な祖父が笛の音が鳴るまでの面倒を任せてくれたのが、嬉しかったのだ。やっと……私が納得出来るような篠笛を吹く役割を、意味を、与えられたような気がして」
「
「だから今は、この練習時間が楽しいのだ。放課後、友と寄り道したり……遊びに行くというのは、きっとこういう感じなのだろう」
義務付けられたような堅苦しい口調の彩里から、年相応の微笑みが浮かんだ。彼女にとって篠笛は、歴史の重圧や責任転嫁の権化だった。しかし今は、学生らしい青春を過ごす為の
「金城が吹ける様になるまで、私がしっかり面倒を見てやろう」
「僕は不器用なんで……、めちゃくちゃ苦労かけると思いますけど」
「一向に構わん。実際、『先輩』と呼ばれるのも悪い気がしないものでな」
彩里が得意気に言うと、後ろの襖がスッと開いた。和室に入って来たのは、
「取込み中に悪いな。来月、石見神楽伝承館での定期公演、彩里に篠笛を吹いてもらうぞ」
「私が——神楽の笛を?」
「最近彩里の篠笛は、音色に活気があって質が良い。公演で聴かせるには、十分と判断して任せる事にした。少し打ち合わせをしたい、一旦席を外せるか? 伝承館まで車で送ってやろう」
「分かりました、直ぐ準備します」
条件反射で彩里は立ち上がり、学生カバンに手を伸ばして、出かける準備を進める。キョトンと篠笛を握って正座する颯真を見た茂は腰を下ろさず、彼を見下げて言った。
「金城君、篠笛の練習は捗っているか?」
「は、はい。僕って肺活量が無いから……なかなか息が続かなくて、未だに音が出ないんですよね」
「はは、そう焦る事はない。普通、初心者は胸式で吹こうとするのだが、見た所、金城君は腹式呼吸を心得てるようだ」
「そ、そうなんですか? 腹式とか、胸式とかよく分からないです……」
「呼吸の仕方を見れば分かる。君には、篠笛の素質があるかもしれない」
「お待たせしました、行きましょう」
肩に学生カバンをかけて、彩里がバタバタと寄ってきた。茂は後ろポケットにある車のキーを探しながら、颯真に話しかけ続ける。
「音が出たら、是非教えてくれ。伸び代があるようなら、花幡流の門下生として迎えよう」
「いやいや、僕には才能無いんで……」
「そうですよ。
「それも、彩里の教え方次第だろう。金城君、三十分程で戻るから、それまで自主練習に励んでくれ」
少し意地悪な言い方を彩里に投げかけ、颯真に期待の言葉を置くと、茂は先に町内会館の外へ向かっていく。
「では金城、私は出かける。くれぐれも怠けるんじゃないぞ」
「スマホゲーして、待ってまーす」
やる気の無い颯真の姿に呆れて、ため息を和室に吐いてから彩里は茂の後を追って、外に停めてある車に向かった。
車の扉が閉まる音、エンジン音を聞いた颯真は立ち上がり、窓から二人を見送ろうと顔を覗かせる。視線に気付いたのか、車の窓から彩里が軽く手を振った。それと同時に発車し、町内会館から離れていく。
「三十分……自主練ね」
颯真は畳に正座すると、言われた通りに練習を始めるのか歌口に唇を添えた。そして、腹部の運動を利用して息を吸うと、その空気を篠笛に送り込む。
スーッと、息が抜ける筈の颯真の篠笛から、彩里のものと全く同じ音色が、和室内に響き渡る。ピーヒョロロという高音は、飛び立つ
期待で人々を振り返らせる祭囃子の旋律を繋げ終わると、颯真はゆっくりと唇を歌口から離した。誰もいない静けさが、彼の真実を物語る。
「呼吸だけで、素質を見抜くなんて。流石、
颯真はふぅ……と、余裕のある肩呼吸した。彩里に聴かせていた不器用な笛は、なんと『嘘』だったのだ。元々出来ていたのか、短期間で会得してしまったのかは定かではないが、孤立する彼は手元の篠笛を静かに見つめる。
「お祭りで聴いた君の篠笛は、嘘の音がしていた。……窒息しそうな彩里さんを助けたくて、弟子入りしたけど。僕の笛は……きっと、君を傷付ける」
ギュッと篠笛を握りしめ、颯真は嘘を篠笛に押し込めた。彼の下手な音色は苦痛の努力を積み重ねた彩里を救い、本来の音色は、才能という凶器によって彼女を追い詰めてしまうだろう。颯真が出来る事はただ一つ、弟子で在り続ける事なのだ。
「僕は君より上手く吹かないよ……絶対に」
鳴らない笛を、聴く。 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR
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