3.少年よ何を抱く

 『校内では自転車を押して歩きましょう』の張り紙を尻目に猛スピードで校門を駆け抜け、そのまま校舎に乗り込む。磨き上げられた廊下のピータイルにタイヤを取られそうになりながら、ペダルを漕ぎ続けた。授業中の他クラスの窓から、馬鹿みたいに呆けた同級生が僕の爆走を凝視していた。

 ほらすぐに見えた。僕のクソみたいな日常が繰り広げられる2年C組。あんなに憂鬱だったこの景色に対して、今は何とも思わない。

 耳をつんざくブレーキ音を盛大にかき鳴らしてタイヤを横滑りさせ、半ば転がりながら停車する。何事かと、C組の生徒達クソ共は席に着いたまま一様にこちらを見ていた。

 僕はゆらりと立ち上がる。

「うるあああああああああぁぁぁああ!!」

 喉が裂けるほど叫びを上げて、両手で乗ってきたチャリを持ち上げ――渾身こんしんの力を込めて教室の窓へ投げ付けた。

 ガラスの割れる破裂音と共にアルミサッシがひしゃげ、自転車は全てを巻き込んで教室へ飛び込んでいく。男女を問わず悲鳴が聞こえたが知るか!僕だっていつも悲鳴を上げていたじゃないか!

 先程投げ込んだ自転車の真下では、毎日僕を殴り小突き回していた有田が鼻血を出して伸びていた。いい気味だ。

 乱暴に開けた戸の向こうに、何が起きたか分からない女教師が固まっている。僕は何の躊躇ためらいもなく手近な奴の机を持ち上げて投げ付ける。的が外れ机は黒板に当たり、『Peace begins with a smile平和は微笑みから始まります.』のチョークの文字諸共粉々になった。

その場で駆け出し、勢いを付けいつも僕を無視していた教師にドロップキックをお見舞いする。

「ぎゃっ」

 短い悲鳴と共に女教師は教壇に倒れ伏した。虫みたいに藻掻もがく彼女をスニーカーで踏み付け、教室内を見回す。

「え、ちょっと何」

 口を開く生徒から順番に机で、椅子で殴り掛かる。そこに並べ!ひとりひとり頭かち割ってやる!事態を飲み込んだ野球部、柔道部の奴らが止めに入ろうと飛びかかってきたが、雄叫おたけびを上げ半狂乱で机を振り回す僕にはかなわない。そこかしこから女子の悲鳴と、鉄くさい臭いがする。

「佐々木くん……もうやめて」

 教室の隅で固まっている女子生徒達の中から声がする。学級委員の田中さん。君はいつも、『このクラスにいじめなんて有り得ません!』とホームルームで高らかに宣言していたね。その癖、僕が目の前で殴られても見て見ぬふりをしていたよね。全部覚えてるよ。

 周りの女子生徒に椅子を投げて悲鳴を浴びながら田中さんに近付き、制服のリボンを掴んで強引に唇を奪う。彼女はブッサイクなカエルみたいな顔をしてった。ああ気持ち悪い。

 その後も男性教師達に取り押さえられるまで、机に椅子、ほうき、ハサミなんかを手当り次第投げて振り回して破壊の限りを尽くした。いじめていた奴ら、傍観していたその他の奴らは恐怖し、気絶し、或いは惨めに縮こまっていた。あーあ、こんなに呆気あっけなかったなんて。

『何なら満足だゴラァ!!』

 数刻前に浴びせられた怒りの言葉。そんなもん、決まってんだろ!


「今この瞬間、満足できる自分になる事だああああああああぁぁぁああ!!」



「ムジカちゃん。昨日の男の子さ、あの後学校で大暴れしたんだって。ニュースでやってたよ」

 ちょっと言いすぎたんじゃないの?と、水力発電所の上着に身を包む白髪の男性は、安全柵にもたれて座る赤髪の女に笑いかけた。ムジカと呼ばれた彼女は、

「あれでキレてるようじゃまだ死なねえな」

 きが良くて結構じゃねえか、と何の面白味もなさそうに吐き捨てた。金木犀きんもくせいの香りをさせて、緑の前髪をき上げる。

「お陰でこっちは朝から脚がだりい」

 ホットパンツから露出した長い脚をさすり、舌打ちする。両脚のふとももからふくらはぎにかけて、遠目から見ると分からないが大きな縫い跡が白く浮いていた。隣の男は心配そうに椅子を持ってこようか?と提案するが、ムジカはいい、と短く断る。

「飛び降りなんて、安易にやるもんじゃないよねえ」

 やれやれと頭を振る男は、彼女を見る。

「死のうと思って飛んで死ねないこともあるなんて、夢にも思わないんだろうね」

「死に急ぎすぎて頭が回らねえんだろ」

 人の事言えねえけどな、と溜息と共に吐き出した。

「脚で済む奴もいれば、背骨やって動けなくなる奴、首やって大っ嫌いな家族に一生面倒見て貰わねえと生きてけねえ奴……そんな奴らがこの世界にはごまんといる。サクッと死ぬつもりだったのが、痛みと苦しみを抱えたまま誰かの手によって生き長らえざるを得ないなんてな」

 どいつもこいつも想像力が足りねえんだ、とにべも無く言う彼女の瞳は、少しだけ疲れたように伏せられた。

「ムジカちゃんが来た時も、あの子くらいの歳の頃じゃなかった?」

「あの鼻たれ少年と一緒にすんな。高校んときだよ」

 似たようなものじゃない、と年配の男は笑う。

「僕は君が助かって良かったよ」

 どう思っているのかは分からないけどね、と降ってきた言葉に、彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……おや、また新しい人が来たみたいだね」

 男の言う通り、この世の悲壮感をすべて背負ったかのような若い女性が、うつむきがちでダムの入口に立っていた。ムジカは苛々と舌打ちをして、傍らの杖を手に立ち上がる。

「あああ次から次へとクソクソアンドクソだ全く!!」

「行くのかい」

 無理しないでね、という男の言葉に適当に返事をして、ムジカは木枯らしより早く駆け出した。女性はもう柵に手を掛けていた。



「クソだらあああああああああぁぁぁ!!」

 28時間ぶり二度目のジャーマンスープレックスが炸裂さくれつすると、自殺志願の女性はうめき声と共に崩れ落ちた。よろよろと起き上がる彼女の前に、燃える赤髪の美女が仁王立ちで立ちはだかる。

「いった……!な、何ですかあなた……?」

 痛みに怯え、目の前の女を見上げる。杖をついた女のその瞳は、たぎる怒りで煌々と燃えていた。


「あぁあ!?何なら満足だゴラァ!!」

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ムジカ・ジャーマンスープレックス 月見 夕 @tsukimi0518

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