2.燃える火の玉ストレート

「……僕は死ななきゃいけないんです」

 両手の砂粒を払いながら立ち上がる。打ち付けられた頭はまだじわじわと傷んだ。ムジカさんは怪訝けげんそうに眉を上げる。

「学校でいじめられてて、いつも居場所がなくて……何かの才能もない、友達もいない。周りは誰だって助けてくれない。そんな僕は、生きてたって仕方ないでしょ?」

 やれやれとでっかい溜息を吐いて、

「クソほどしょうもねえな」

 いとも簡単に結論づけた。

「し、しょうもないって……?僕の、抱き続けた疎外感を……孤独感を……そんな風に」

「ああ!?少年は大志でも抱いてろ!!」

 酷い、クラーク博士だってそんな投げやりに解釈アレンジされるだなんて思わないだろう。

 何より剣幕が凄い。情けないが、尻尾を巻いて早くこの場から去りたかった。僕は後ずさり、乗ってきたチャリへと駆け寄る。

「おい少年、鞄忘れてんぞ」

 ハンドルを掴み起こそうとする僕を、ムジカさんの言葉が引き留める。もう学校なんて行く気無いんだから、鞄なんてどうでも良――

「なに中身漁ってんですか!」

 振り向いた十数メートル後ろで、ムジカさんが遠慮なく学生鞄のファスナーを全開にし、中をまさぐっていた。

「きったねえな……くっちゃくちゃのプリントが溜まってるあたり、少年よ、お前勉強出来ねえだろ」

 余計なお世話だ。勉強出来ないのは図星だけど。そこは才能が無いんだから放っておいてほしい。

「何だこれ」

 華奢な腕が何かを掴んで取り出した。ああ、それか……。

「グローブ?とボール?何でこんなもん」

 それはボロボロのグローブと硬式の野球ボールだった。

「ムジカさんに関係ないでしょ――ふぐっ」

 間髪入れず、グローブが顔に投げ付けられた。凄い、一切の容赦が無い。僕は顔を押さえてうずくまる。

「な・ん・でって聞いてんだろうが!」

 気が短い。あまりにも短すぎる。導火線が五ミリくらいしかないんじゃないか。ヒリヒリする顔を押さえながら、グローブを拾う。使い込みすぎて柔らかいを通り越し、紐の部分はちぎれそう。そりゃそうだ。小学生の時からずっと使ってるんだから。

「……野球が好きで、野球部に入りたくて」

「入りゃ良いじゃねえか」

 さも疑問、と首を傾げるムジカさん。僕は久しぶりに左手に嵌めてみる。柔らかくて、汗臭くて懐かしい。入るには入ったよ、野球部。入ったんだけどさ。

「……僕には才能が無かったから、辞めました」

「ほんっとどうしようもねえカスだな……」

 彼女は溜息と共にかぶりを振る。何が分かるんだよ。楽しいだけで良かったのに、自分より上手い奴らの中で練習に励んで上を目指さないといけなかった僕の気持ちを。

 突如、ムジカさんは杖を脇に捨てて振り被った。長い脚を片方上げて半身をこちらに向ける。美しい投球フォームだ、と思わず見とれていると、その手から超豪速球が放たれた。十数メートル先の目線から発射される、火の玉ストレート。

「ひっ!」

 硬式球は顔の前で広げたグローブのど真ん中にズバン!と収まった。受け止めた左手がビリビリする。なんて威力だ。こんなもん顔で受け止めてたら鼻が折れてる。

「おら、投げろよ。少年」

 ムジカさんは手を挙げる。いやいや、硬式球なんか素手で捕ったら絶対痛いはいごめんなさいすぐ投げます。もたもたする僕に痺れを切らしそうに、眉間の皺が寄るのが見える。

 僕にはこんな距離をあんなストレートでは投げられない。しっかり届くよう、ふわりと高めに放った。

 こうして、奇妙なキャッチボールが始まった。



「少年、何でここに来たんだ」

 ムジカさんがまっさらなボールを放る。良かった。ちゃんと取れる玉も投げられるじゃないか。

「何でって……」

 ひとりで死にに、とさっきも言ったような言葉を絞り出して投げ返す。なのに何故、今僕はキャッチボールをしてるんだろう。我ながら意味が分からない。グローブも何も無い左手でボールを受け止めるムジカさん。

「大体なあ!さっきから才能才能才能ってうるせえんだよ!!大した努力をしもしねえで!自分を哀れむのも大概にしろ!!」

 全くどの辺に沸点があるのか分からない。身をすくめたくなる剣幕に怯える僕は、彼女の怒りを言葉と共に受け取るしかない。

「だ、だってそうじゃないですか!世の中には 何だって持ってる人がいるのに、僕には何にもない。だからいじめられる。ムジカさんは持ってる側の人だから分からな――」

 何とか言い返しかけたところで、再び空気を切り裂く豪速球が僕の顔めがけて飛んできた。ギリギリに構えたグローブごと頬にめり込み、奥歯がきしむ。遠隔右フックを食らったみたいだ。

「その!全部分かりきったような口振りが気に入らねえ!!毛も生えてねえのにイキがりやがってクソが!!」

 あらゆる顔のパーツを怒りにゆがませ、投球フォームから向き直るムジカさん。その表情は般若はんにゃより恐ろしい。

「てめぇの人生で、何でてめぇが一番頑張らねえんだ!誰かがいつでも助けてくれると思うな!一発逆転なんて都合のいい奇跡が起こるなんて信じてんじゃねえ!!」

 なんて救いがないんだ。孤立無援のあの教室で、僕にこれ以上どうしろって言うんだ。

「僕はじゃあ……一体どうしたら」

「あぁ!?耳クソ詰まってんのか!!」

 途方に暮れ溜息混じりに宙を舞ったボールは、ゆるゆるとムジカさんに向かって飛んでいき――彼女は驚くべき事に拾った杖を構えていて――僕らの間の空へと、高らかに打ち上げた。

 ソロホームランを決めたムジカさん。ボールは天高く舞い、芥子粒けしつぶのように小さくなった。突風で暴れる赤髪は、幾度目かの怒りに燃えていた。

「“何なら満足だ“って最初っから聞いてんだろ!」

「……え」

 杖をカッ!とついて言い放たれた言葉の真意を図りかねていると――脳天に本日二度目の衝撃が走った。

「ふげっ!」

 頭を押えてうずくまる。何で頭ばっかり……。てんてんと足元に転がったのは、先程ムジカさんが打ったホームランボールだった。否、上空を舞って降ってきたのだからフライか。取れなかった僕はさしずめエラーだ。電光掲示板に『Eエラー』のランプが点く代わりに、どこか高い空でカラスが鳴いた。

 顔を上げた時には、ムジカさんは忽然こつぜんと姿を消していた。まるでそこには最初から僕しかいなかったみたいに、空いた鞄が打ち捨てられていた。

 数拍を置いて、腹の奥底でふつふつと何かが沸きあがった。不快、苦痛、理不尽、たぎる不快、不快、不快不快不快不快不快不快不快――受取人不在の、燃え盛る純粋な怒り。

「畜生がああああああああぁぁぁああああ!!」

 絶叫と共に、力一杯グローブを地面に叩き付けた。

 何で僕が!ここまで言われなきゃいけないんだ!こんな惨めな思いを!しなくちゃいけないんだ!!

 こんな狭苦しい場所で必死に生きていくしかない凡人を!それでもひっそりとその生涯を閉じようとする弱者を!それすらも迷惑だと小突き当たり散らし疎外し殴り嗤う奴こそ!!!この怒りを向けるに相応しいだろ!!

 乗ってきたチャリを荒く引き起こしてまたがる。ああ頭はまだ痛えよクソが!

「あああああああああぁぁぁあああぁぁぁああああ!!」

 僕は腹の底から叫びながら、街への坂道を爆速で駆け下りていった。

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