ムジカ・ジャーマンスープレックス
月見 夕
1.怒れるダムの美女
気付いたら僕は宙を舞っていた。
ダムの底への自由落下を待つはずだった身体は今、白昼を仰いでいる。腰には華奢な腕が力強く巻き付き、そのせいで強制
そこまで考えたところで、脳天に凄まじい衝撃が走った。頭をコンクリートの床に打ち付けられたらしい。バチバチと
「ぐううう……!」
我ながら情けない
「てめえにはジャーマンスープレックスが似合いだ!!クソだらああ!!」
割れそうに痛い頭が、本当に割れてないか確かめながらよろよろと顔を上げる。そこには烈火のような女性が腕を組み仁王立ちで立っていた。
そう、烈火のような。見た目が?まあそれもそう。波打つ長い赤髪は火炎の如くダムに吹く風で揺らめき、羽織るスタジャンとホットパンツからは肉感豊かな肌を露出させている。
でもそれだけじゃない。赤い眼鏡はこめかみに浮いた青筋でひくつき、眉間には深い皺が寄り、視線は熱線の如く僕を射抜く。剥き出しになった犬歯は今にも噛みつきそうなほど鋭く震えていた。
その女性から立ち上る怒気が――僕を燃やし尽くさんばかりの勢いで襲いかかってくる。
「……っな、何なんですかあなたは……?」
何が起きたのか全く飲み込めず、何とか絞り出せたのはそんなありきたりな質問だった。目の前の女性は片手の杖をカッ!とつき直し、瞳に炎を
「あぁあ!?何なら満足だゴラァ!!」
一言で言えばつまらない人生だった。
運動能力にも学力にも容姿にも恵まれない奴にとって、学校生活は苦痛でしかない。僕も多分に漏れずそうだった。毎日机に落書きされ、物を取られ、カツアゲされて殴られる。猛獣の檻の中に閉じ込められた飼育員の気持ち、想像したことある?あんな感じ。いつだって、猛獣達の牙が襲いかかってくるのに怯えていた。
たったひとつだけ、こいつのために生きようと可愛がっていた愛犬のマロンにも先週先立たれ、僕の中で何かがぷっつりと切れてしまった。
そうだ、さっさと終わらせよう。トラックにでも飛び込んで転生する?でも
そこで浮かんだのが……町外れのダムからの飛び降りだった。これなら誰にも迷惑がかからず、一瞬で痛みも苦しみも終わる。
僕は学校に行くふりをしてチャリを漕ぎ、山道を必死に上ってようやく辿り着いた。安全柵をよじ登り、ダム湖を見下ろし――これまでの苦痛でしかない日々を少しだけ回顧し――目を
改めて目の前の女性を見上げる。
燃えるように真っ赤な髪は何故か前髪だけ緑色で、時折吹く冷たい秋風に踊っていた。二十代くらいだろうか。はだけたスタジャンの胸元からは惜しげも無く胸の谷間が覗き、髪色のアンバランスさと相まって少々刺激的だった。
恐らく出会ったのがこんな状況でなければドキドキしたんだろうけど。
「てめえ今飛び降りようとしてたな!?」
犬歯を剥き出しにして怒りをぶつけてくる彼女。違う意味で僕はドキドキしていた。この人は何だ、一体いつから見てたんだ。もしかして……自殺を止めようとしているのだろうか。
「死ぬなら
違ったようだ。
「……っ、大人なら普通、止めるんじゃないんですか」
あ?と不機嫌そうに眼鏡を掛け直した彼女は、
「何で!あたしが!クソガキの!面倒見てやんなきゃなんねえんだ!甘えんな!!」
一区切り一区切り、杖を地面に突き立てながら低い声で憎々しげに言い放つ。いつもそうする癖でもあるのか、杖先はかなり削れていた。
「ど、どこで死んだって、一緒じゃないですか!僕の勝手でしょ!?」
「僕の勝手がどこでも通用すると思うんじゃねえぞクソガキが!!」
言うなり
「クソガキじゃない、です……」
ああ!?とゼロ距離で吠える彼女。
「じゃあ何なら良いんだ」
「…………少年Sとかで」
適当に言った。Sは佐々木のSだ。格好付けてんじゃねえよ、と彼女は吐き捨てて、僕から手を離し雑に放り捨てた。沈黙の間に、木枯らしが吹く。
「……お姉さんは、何て」
何故だか、名前を聞いてみた。仲良くなろうなどと恐れ多いことは
「ムジカ」
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