第2話
二人はいつもの道順で校舎の裏口までやって来た。
Z組ばかりが使う廊下を選んだのは、授業途中ではあるが一般生徒と出会さないための用心だ。
その廊下が他生徒に使用されないのは、Z組の教室が他教室とやけに離れた位置にあるのとか、一般生徒が教室の移動をする分には中庭を横切るのが早いからとか理由がある。
けれど、一番に大きな理由は二人が向かったのは“裏口”であり、裏門でもなければ正門でもないからだった。
普通の生徒は裏口になんて用はない。
なにせ裏口は校舎の最奥にあって、勝手口を開けた外には小さな駐車場とプレハブの喫煙所があるくらいだ。
駐車場はその昔、白夜学園が今とは別の名前の高校で、生徒の在籍数が多かった頃の名残らしい。生徒数に応じて教員や事務員の数を増やした結果、駐車場が足らなくなったため増設された。
そして喫煙所は近頃の禁煙ブームで数年前に使用禁止となり、しばらくは放置された。
しかし、今では引き戸にダイヤル式のロックが掛けられ、室内はZ組の物置として使われている。
物置といっても染み付いたヤニの臭いが移るため、仕舞われているのは専ら武器の類であった。
千久紗ならお気に入りの金属バットを、宗義なら支給された消防斧を、それぞれ持ち出して再度ロックを閉め、ぐりぐりとダイヤルを回して置く。
裏口には一台の普通乗用車が止まっていた。
どこにでもありそうな四人乗りの自動車は、所謂覆面パトカーというやつだった。
二人が武器を取ってパトカーへ向かって行くと、車内から一人の男が出て来た。
背上背が小さく股下の短い彼はスーツが似合っているとは言えないが、不似合いな着こなしが逆に刑事の様になっている。
彫りとしわの深い威厳のある顔立ちに、飄々とした薄ら笑いを貼り付けていかにも燻し銀の風格があった。
男は慣れた手つきで後部へ周り、ドアを開くと気さくに「お疲れさん」と学生を労った。
宗義は男の顔を見てから「お疲れっす」と簡単に挨拶を返す。
「おお、宗義。と、……なんだ。もう一人はちぐさちゃんかい。こりゃあ今日は大変になるなぁ」
「古森さん⁈ なんか嫌そうじゃないですか?」
古森という男は屍病対策課に属し、階級は巡査部長。
ゾンビ関連の事件においてもう何年も最前線に立つベテランで、Z組の面々は彼とは見知った中だった。
彼の仕事は大方ゾンビ事件に際してキラーやホルダーの動員補助――つまりは現場までの送迎である。
千久紗が頬を膨らませた不満顔で抗議すると、古森は「ははは」と捉え所のない誤魔化し笑いをして、さっさと後部座席へ促した。
「もっと詰めて」
先に乗った宗義は持ち込んだ斧の剥き出しの刃の扱いに気を付けながら、丁寧に座席の奥まで詰める。
千久紗はバットの中程を握って車の屋根を潜ると、邪魔くさそうに宗義を押し込んで乱暴に座席へ座る。
あからさまに仲の悪い二人の学生の様子に、運転席に乗っていた男は居心地悪そうに、しかし立派な社会人らしくバックミラー越しに「こんにちは」と声を掛けた。
「ちわっす」
「お願いしまーす」
運転している男は千久紗や宗義にとって知らない男であった。
全く広がらない会話に、遅れて助手席へ乗り込んだ古森が助け舟を出した。
「お前は資料で二人のことは知ってるよな」
「ハイ。内容は頭に入れてます」
古森は同僚にしか分からない話をしてから、首と腰を少しずつ回して後部座席を見やる。
「えー、なんだ? こいつは俺の部下の新井。二人は初めてだと思うが、これでも現場経験はあるんだ。まあ、俺から言わせりゃまだまだ新米だが、俺の退職した後にはコイツが俺の仕事を引き継ぐだろうから、仲良くしてやってくれな」
「よろしくお願いします」
新井の覇気のない視線がバックミラーに覗いている。
新井はいかにも大人しそうな顔つきで、古森とは違い口数や干渉も少ないタイプでありそうだった。
職人気質である宗義は自分のキラーとしての仕事以外には興味もなく、心配そうに顔を伺ってくる新井に会釈をして答えると、さっさと車窓から外を眺めた。
一方で千久紗は古森の話にも一生懸命に耳を傾けている。
「えー古森さん辞めちゃうの?」
「もう再来年で定年になるからな」
シートベルトを締めながら古森は答える。
「私の卒業まで待ってよー」
「まあ、一年くらいはいいかも知れんな」
「やったー」
「……ところで、新井さんはゾンビ好き?」
「――ええ、ゾ、ゾンビですか?」
新井は車内の様子を確認すると、どこか覚束ない手付きで車を発進させる。
新井が運転技術に自信がないのもあったが、大半は千久紗のおかしな質問の所為だった。
今日日ゾンビが好きな人間なんて存在しないのだから、好きか嫌いかの二者択一を問うの事態が多くの人には意味不明なのだ。
本心からゾンビを好きだと思っているのは千久紗とその両親ぐらいの極小数の奇特な人間だけで、普通の人にはそんな価値観はない。
だから、新井は千久紗が「仕事は好きですか?」ということを遠回しに訊いているのだと思った。
「……好きな人っているんでしょうか」
残された遺族のことも考えて、物憂げな調子で返答する。
「いるよ! 私はねゾンビの――」
しかし、千久紗はどこまでも明るくそれを否定し、誰も訊いてもいないことをべらべらと話し始めた。
かくして数分が経ち、千久紗が喋り疲れたのを見て古森は本題に移す。
「もうそろそろ現場だから、説明するぞ」
「現場は今んとこ俺たちで封鎖していて、中には一次の凡活性のゾンビが全部で三十四体」
「――ッ! えーそんなに⁈」
千久紗は驚嘆の悲鳴を上げ、後ろから助手席へ激突する。
それまで口を噤んでいた宗義も黙っていられなかった。
「――そりゃまた問題になりそうすね。管理責任がどうとか、衛生対策がどうとかって。マジ面倒くさいっすよね。けど、三十ってのは流石に……凡活性って言ってもひとクラス分もいるんじゃ、片付けるのも骨が折れますよ」
「はあ。本当ですよ」
頭を掻きながら煩わしそうに顔を歪める宗義に、ため息で同調したのは新人の新井だった。
「――校庭で授業中だった小学校の児童、そのクラスひとつ分が丸々ゾンビ化なんて、最近は本当どうかしてますよ」
***
封鎖された校庭では何体もの小さな人影がよろよろと動いていた。
グラウンドへ続く校門の長い引き戸の門扉が締め切られ、それではカバー出来ない場所には即席のバリケードを設置できる特殊車両が停められている。
半袖短パンの体操服姿のままの元児童は、青紫に染めた肌の上に緑色の粘菌のような張り巡っている。
水分が失われているミイラみたいに萎んでいて、体操服とかその後ろでロックダウンされている校舎を見なければ、そのしわしわな痩躯は子供には見えない。
髪が抜け落ちて男女の判別も付かなければ、生前の顔立ちも分からない。
――ウボォォォ。
ゾンビは開け放った口腔から悍ましい音の吐息を漏らす。
筋肉の柔軟さが失われ、辛うじて動くことは出来ているといったふうだ。
かくかくと痙攣するように関節が動いて、手が空を彷徨い、足を引き摺るようにゆっくりと歩み寄って来る。
力なく垂れ下がった瞼の奥で、ずるりと今にも落ちて来そうな眼球は瞳があらぬ所を向いている。
ゾンビが人間へ向かって来る原理はまだ解明されていない部分がある。
目で見ているわけではない。
耳で聞いてるわけでもない。
匂いを追っているわけでもない。
全ての感覚を働かせて本能的に人間を襲う。
満足に人間を襲うことも出来ない姿を見ていると、千久紗は何ともし難い歪んだ欲求に駆られるのだった。
――カキィィィィン。
千久紗の金属バットは爽快な打球音の余韻を残し、小さく震えている。
児童ゾンビの小さな頭を下方から捉えるフルスイングでブッ飛ばすと、校庭によく似合う快音がグラウンド一杯に轟いた。
頭蓋は首元で綺麗に千切れ、黒々した血の螺旋を描いて空に打ち上がり、離れた所にグチャと落ちた。
頭を失ったゾンビは切断面からドロドロと血を溢れさせ、やがてパタリと倒れた。
千久紗はその一連の過程を恍惚とした顔で見守っている。
その他所では宗義がバリケードに近付くゾンビの背後から首根っこを掴み、力ずくでグラウンドの真ん中へ引き摺っていた。
中央まで連れて来たゾンビを地面に押し倒し、片方の足で背中を押さえながら斧で首を断絶する。
宗義の下には既に首を断たれたゾンビが七体並んでいた。
二人とも既に制服を血みどろにしている。
「あんまり散らかすなよ。除染班の人が後で大変だろ」
斧に着いた血を振るう宗義は首のないゾンビを運んで来た千久紗に苦言を呟く。
「いやぁ、だって私のはバットじゃん? 殺傷能力が低めなんだから、このくらいしないと殺せないし」
当たり前みたいに告げる千久紗はゾンビを近くに放っておくと、血で染まった袖で額を拭い、滲んだ汗を血に変えて「ふぅ」と息を吐く。
「だから、わざわざ打撃武器を使うなっていつも言ってんだろ。支給されたの使え、バカか」
宗義は一連の所作を見て、助言のつもりで言った。
ゾンビ化に伴って元々の健康体よりも筋肉量や運動能力が低下するのが常識で、尚且つ相手が子供であるならその駆除は容易い。
ただ引き連れて来て、首を落とすだけ。
その単純作業をしないから疲れるのだと言いたかった。
現に宗義は汗を一滴もかいていないし、息も上がってない。
一方で千久紗は嬉々としてゾンビの方へ駆けていき、わざと自分に気付かせた後で向かって来るゾンビを、ピッチャーの投球したボールを待つみたいにして良きタイミングでフルスイングを決めるのだ。
その方法には全くもって無駄が多い。
「はぁ? 別にバットで殺せてるんだから文句ないでしょ⁈」
「――チッ。聞いてたか? それじゃあ現場が余計に汚れるだろって言ってんだろ」
肩で斧頭を担ぐ宗義は既に次の標的を定め、背中を向けている。
「現場が汚れる云々は、そもそも私らの仕事じゃないけど?」
「殺すんが仕事で、殺す過程で汚れるんだからオレらの仕事のうちだろ。お前にゃ一応プロとしてのポリシーってのが無いのかよ」
口が減らない千久紗に苛立ちを覚えて振り返った。
「仕事を楽しむためにバットを使うのが私のポリシーだけど。偉そうに押し付けないでくれる?」
「オレたちがキラーとしてこんな仕事してんのは何のためだ? ゾンビは簡単には死なないし、接触したり返り血を浴びたら感染リスクがあるからだろ? だからこき使われてんだよ。それなのに血をぶちまけて、後の仕事を増やしてんのに何か意味があんのか? あ?」
「だから、私が楽しいって言ってるんですけど?」
「てめぇ、菌が頭に回っちまってんのか。今なら次いでにオレが介抱してやるぞ」
「あんたこそ、あんまり五月蝿いと下顎吹っ飛ばしちゃうけど。復活性だから大きな怪我しても平気なんでしょ?」
口論していると、残った二十六体のゾンビの内の数体が騒ぎを聞きつけてグラウンドの中央へ集まった。
複数のゾンビによるサラウンドな「オオオオ」という唸り声が迫って来る。
そして辿り着いたゾンビは前へ出した手で二人にべたべたと触れた。
「――ああ、くそ! 今取り込み中だ!」
宗義は背中に触るゾンビを押し退け、力一杯に斧を振って袈裟斬りにする。
「――もう、邪魔!」
千久紗は両手で握ったバットでゾンビを押し倒すと、野蛮な縦振りで頭蓋をかち割った。
二人はそれまでのことを忘れたみたいに、言い争っている間に群がって来たゾンビを次々に片付けて行くと、直ぐ様に二十体ほどの死体が無造作にグラウンドに打ち捨てられることとなり、その風景はあまりに凄惨だった。
バリケードの外で待機する他ない屍病対策課の面々は、雨ガッパのような簡易の防護服に身を包んで、その惨状を眺めていた。
集団ゾンビ化の事態収拾にあたる関係者の一人が呟く。
「いくら変異が完全に済んでても、数時間前まではただの子供だったんですよ? それを、あの子らは。本当に何考えてるんでしょうね。だって人殺しですよ、人殺し」
「怖いよなぁ。やっぱり最近の子はゲームやら何やらで、人として当たり前の理性が変になるんだよ。越えちゃならない一線って言うのが分かんないんだ。うちの子供の友達も――」
古森は声の方を睨み付け、老練のドスが利いた声で叱責する。
「あんたらよ。ゾンビが未だ人間で。ゾンビを殺すあの子らが人手なしってかい? そりゃあ、あんまり無知だろう。そもそも俺たちの仕事を高校生の子供に押し付けてるんだぜ。子供を可哀想と思えんなら、相手が違うだろう」
キラーの仕事を待つ間、やることもなく自分勝手な雑談に花を咲かせるだけの連中に釘を刺した古森は、それでも不満を抑え切れずに「ふん」と鼻を鳴らした。
「いいんですか、古森さん。あの人たち、僕らより絶対偉い人たちですよ。ほら、なんか防護服も高級そうなの着てますし」
「いいんだよ、俺は――。直、定年だから今更怖いもんなんてねぇのよ」
古森は得意げに言い切る。
「でも――」
皺寄せが自分にまで来るのではないだろうか、と新井は今から戦々恐々として、チラチラと件のお偉いさんの様子を伺った。
「それより新井。お前はあいつら見てぇにはなるんじゃねぇぞ。世の中じゃあ、まだキラーとかホルダーに対しての風当たりが好くねぇ。俺らがあんな態度になったら、それこそ終い。半分ゾンビの化け物か、人類救済の人柱になっちまう。俺らが支えてやんねぇといけねぇんだよ、分かるな」
「まー、はい……」
「何だ、その頼り甲斐のない返事は。俺に気持ちよく辞めさせる気ねぇのか。俺は結構期待してんだぜ? お前は俺より断然歳も近いからよ。ジェネレーションギャップってのも少ないだろ?」
「いやいや、世代の問題じゃあないですよ。僕にはホルダーの置かれた境遇なんて……」
「ははは。まぁ、なんだ。とにかく、よろしくな」
今まさにゾンビを殺す少年少女を見詰め、悩ましそうにする新井の様子を認めると古森は満足そうに笑った。
【読み切り】Z《ゾンビ》世代によろしく 未田不決 @bumau
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