【読み切り】Z《ゾンビ》世代によろしく

未田不決

第1話

 『Z世代の社会参画』

             一年Z組 馬頭ばとう 千久紗ちぐさ

 不謹慎だと言われるかも知れないが、私はゾンビ映画が好きだ。

 まだゾンビ化していない俗に生存者と呼ばれる人達へ、ゾンビが馬鹿みたいにわらわらと群がって行くのが本当に可笑しいと思う。

 何故かは分からないけど手を前へ出して、涎を滴らし、眼球を垂らし、臓物を引き摺り、覚束ない足取りのくせしてみんなして綺麗な団体行動をする。

 自分の欲求に従って、体面を気にせず、常に周囲に目を光らせずに済んで、そうして何者にも縛られずにのんびり仲間たちと過ごせるなら、本当に幸せだと思うのだ。

 私がゾンビ映画を見るようになったのは主に父の影響だ。

 幼かった私は覚えていないが、私が三歳の頃にかばね真菌の健康保菌者だと診断されてから、勉強嫌いだった父が娘のため、ゾンビについて色々と調べていたのだと母が教えてくれた。


 四十年前に蔓延した屍真菌感染性脳炎は世界中に多くの死者とゾンビを出した。

 社会経済は深刻なダメージを受け、以降ゾンビと言う単語にはネガティブなイメージが強くなった。

 だから私の父はかつて娯楽として受け入れられていたゾンビ映画を収集し、私に見せて一緒に楽しんだ。

 今となっては年齢制限もあるグロテスクな表現やパニックを煽る表現が多いゾンビホラーを小さな娘へ見せるのをどうなのかと思う。

 しかし手探りに私を楽しませようとしてくれた父に感謝している。

 そして、いつかゾンビをまたただの娯楽として消化できる時代を取り戻せたらいいなと思っている。


 私が学んでいる白夜学園は屍真菌を研究する専門機関と併設されていて、私たち真菌と共生できる特別な体質を基にゾンビ症の効果的な予防策や根本的な治療方法を研究している。

 その他にも私はキラーとして感染リスクのある人たちに代わってゾンビを殺す手伝いをしている。

 早くに感染症から克服できた私たちが積極的に社会に参画し、人々の暮らしを支えることで、人々が隣り合い、共に歩き、みんなでゾンビを馬鹿馬鹿しいと笑える幸せな世界を早く実現したい。



 千久紗が手元の原稿用紙を読み終えると、教室には自然と拍手が鳴った。

 机が全部で七台と人も物も少ない教室には拍手みたいな高い音がよく響く。


「ハイ。馬頭さんありがとう、着席していいよ」


 教壇に立つ全身防護服をまとう女がそう促した。

 千久紗は防護服姿を気を留めず、すました顔で早々にストンと座席へ腰を下ろすと、彼女の色素の薄い顎までのボブがふわりと広がった。

 そして控えめに首を振って乱れた髪を整え、次いでにそれまでの所作でズレてしまった眼鏡の位置をささとツルを持って正す。


「えー、馬頭さんの作文はもう知ってる人いるかもしれないけど、今回、作文コンクールで佳作を取った優秀作品だから。皆も見習うように」


 防護服の透明なプラスチックのシールド越しに聞こえる声はくぐもっていて、聞き取るにはギリギリだが、幸いクラス人数が少ないために彼女の声は問題なく生徒へ届いている。

 仮に届いていなくともこのクラスでは担任や教室を訪れる人間が防護服を着ているのは日常であるから、直ぐ様「聞こえませんでしたー」と活発な声が上がる。


「馬頭さん凄い!」

「流石は俺らのちぐっちゃん」


 担任がチグサを称賛したのに続いてクラスメイトたちも態とらしく囃し立てる。

 そんな中、チグサの隣の席に座る小野おの宗義むねよしは退屈そうにざんばらな髪に手を突っ込んで頬杖を突き、怪訝そうな顔を隣人に向けていた。


「うっざ」


 彼はチグサが机に置いた原稿用紙を一瞥し、不満そうに鼻を鳴らす。


「――はぁ⁈ なに?」


 先程まではよく通る張りのある声でもって、すらすらと滞りなく自身の作文を読んでみせ、いかにも優等生然としていた千久紗。

 それが、今は机を乱暴にダンと叩き付け、隣に座る宗義の顔を前のめりになって覗き込みギロリと睨みつける。


「簡単にいやあイイように使われてるだけじゃねぇか。そんな媚びっ媚びので賞取って嬉しいかよ……。情けねェ。しかも佳作って一番ケツだしよ」


「なに、文句でもあんの。つうかあんたは? 佳作すらも取れない癖に? 私にどうこう? 言えるんですか? それに、“媚びっ媚び”って何? そんな意味不明な言葉ばっかり使ってるから、どうせまともな作文も書けないんでしょうねー」


 語尾を伸ばして出来得る限り嫌味っぽく千久紗は次いでに「ぷぷぷ」と嘲笑してみる。

 千久紗と宗義の仲の悪さは教室中が周知するところだった。

 例え席順で教室の端と端へ座席を離れさせても、たった十四人の教室では間に入る生徒もお構いなしに口論するので、いっそのこと隣同士にしてある。こうなるとクラスメイトは黙って見守るのが吉であった。

 毎度のことに呆れているのは担任も同じで、喧嘩を止めようともせずに傍観していると、千久紗の言葉を受けてひとつ思い出した。


「――ああ、そうだ。小野、お前さっさと作文提出しろよ」


 弱みを見つけたりとムカつく隣人へチグサは即座に食って掛かった。


「なに? 提出物も碌に出せないの? それ、高校生としてどうなんですか? 作文の提出なんてもう二ヶ月くらい前だよね? だって私の作文が佳作になって返ってくるぐらいなんだから、相当前のことだけど。もしかして、宗義くんは小学生だから日本語とか漢字とか苦手でまだ完成してないのかな? あ、でも、締切とか日付とかそういうのも分からない赤ちゃんだから、結局今の今まで提出できてないんだよね。大変でちゅねー」


 千久紗はこれでも普段は成績優秀、品行方正で通っている。

 それは意図的に教員の目を意識した作文を見てもそうである。

 そんな千久紗がここぞとばかりに罵詈雑言を並べ立て捲し立てる怒涛の勢いにクラスメイトたちも引いている。

 引いてはいるがこういう子供じみた口喧嘩は毎度のことで、毎度のことその緩急に引いていた。


「オレは何度も出してますけど。提出しろって言うから提出してるんで。別に完成品を見せろってことじゃないっすよね。他の先生に見せられないとか、外部の人に見せられないってのは先生の判断なんで、オレには関係ないし、それにコンクールが終わったんなら今更お偉方に配慮したもんに改める必要もないでしょ」


「いや……お前本当にあんなんでいいの? アタシ知らないよ?」


「良いっすよ。文句言うヤツには噛み付いてゾンビにして、何にも分かんねーようにしてやるんで」


 宗義は隣の席の女子や担任に再三注意されてもだらしなく椅子に座ったままで、首の後ろで手を組みけろりとしている。


「――お前なぁ……」


 担任は呆れて言葉も出ないといったふうで言葉が続かない。

 それどころか大きな溜息を吐いてシールドを真っ白に染めている。


「いや、今のは冗談っすよ。それにオレらに会いにくるヤツなんて、皆んな大仰さな防護服着てるじゃないすか」


 勿論担任も彼の発言が単に冗談であることは分かっている。

 教師の注意に対して冗談を返し、あれこれ指示しても我関せずを貫く豪胆さに呆れ、同時に自分の教師としての威厳のなさに情けなくなってくるのだ。

 そしてそれは自分だけではない。


「……別に先生はこんな防護服着たくないんだぞ。夏場は蒸れるし、頭は痒いし、ケツは掻けないし。何よりチョークが摘み辛いしページなんか捲れない」


 防護服を着るのは学校の規則であって担任の意思ではない。

 そもそも無症状の状態が続く健康保菌者からの感染のリスクは極々低いと判明しており、むしろ敢えて感染しようとする方が大変な具合なのだが、教員は他の生徒共接する都合上、保護者の体面などを気にして防護服着用の義務が存続されている。

 確かな知見に基づいた上で防護服なんて必要ないのだが、それを脱げない自分や、未だ十数年前の慣習に囚われている大人たちも情けなくて仕方がない。

 ほとほと嫌になってくるが、シールドがまた曇ってしまうため溜息だって吐けない、息の詰まる思いに担任は頭を抱える。

 すると、一人の女子生徒が慎ましく小さな挙手をして言った。


「先生、平気でケツを掻くとか言うのは……」


 記念すべき三十回目の誕生日を来月に控えた担任は、昨年から婚活に勤しんでいるらしい。

 しかし、すっかり学生の砕けた口調に馴染んでしまって恥じらいまでなくなってしまっている。

 ことある毎に「この前会った男は」と男性不運を吐露する彼女は、威厳まで失くしてしまったようで生徒の方からもっとこうすればと提案される始末である。

 今だって背中をピンと伸ばして折り目正しく座っている清楚な黒髪少女に言葉遣いを訂正され、担任はハッとした様子で何とも暗鬱そうに「すまん」と謝って、バツが悪そうに頭を下げた。

 自分たちに謝ってどうするのかと生徒らはクラスメイト同士で顔を合わせる。どんなに担任が残念であっても「だから男が――」とか「また婚期が――」とか、最近は「誕生日」だって禁句にして生暖かい目で見てやっている。


 担任が防護服越しに放っている淀んだ空気感に圧され、教室は静まり返ってしまう。

 しばらくして、沈黙に耐えられなかったのか、興味を抑えられなかったのか、千久紗は声を潜めて宗義に話し掛けた。


「……あんた、どんな作文書いたのよ」


「へ?」


 千久紗のひそひそ声を受け、宗義も自然と声のボリュームを小さくして消え入るような声で訊く。

 説明するのも面倒くさいなと思ったが、これで本当に課題をやっていないのだと思われても癪なので仕方なく教えてやる。


「何だっけな、確か……“屍真菌の対策による適応進化の遅れ”だったかな」


「……?」


「つまり、対策しないでゾンビパンデミックを受け入れた後、生き残りだけになったら皆んなオレらと同じ|健康保菌者(ホルダー)だけになんじゃねぇのかって言うの」


「うわー。そんなのダメに決まってんじゃん」


 千久紗は目を蔑んでいるみたく細めた。

 どんなに馬鹿でも当たり前に配慮するだろう倫理的な問題を、安易と無視して正論を言うのが宗義という男だ。

 それが分かっているからこそ、それ以上の追求をすることもなく、彼が特にどうと思うこともなく、胸中にて「相変わらず尖ってるなぁ」ぐらいで済ませておいた。


 ――ピンポンパンポン。


 少しずつ騒めきを取り戻し始めた教室を放送のチャイムが遮った。


『Z組の生徒の皆さん。キラー二名の応援要請が届いています。授業を受け持たれている先生は即時、二名を選抜して下さい。繰り返します――』


 完全な密閉空間である教室に、放送がうるさいくらいに反響する。

 耳に届く音量が大き過ぎて誰も話す気分にはなれず、教室の全員が静まり返って放送に耳を傾けた。


「……えー、じゃあ、そうだな。今回は――、小野と……馬頭な。いつも言ってるだろ私語厳禁だって、授業妨害した罰だからな」


 防護服のブカブカなグローブの太くて短い指を差して担任は指名する。

 何となくそうなることが予想出来ていた宗義は文句も言わずに席を立つ。

 椅子も引かずに机間へ出ると教室の扉へ向かいながら、煩わしそうに頭を掻いてぼやく。


「オレはともかく、罰だったらコイツじゃねぇだろ……」


「――なに? 私だって宗義と出るのは嫌なんだけど」


 チグサは急いで机の上を片付け、宗義に遅れて席を立つと、不満を漏らして小走りに隣人の背中を追った。




***


【屍真菌感染性脳炎(屍症/ゾンビ症)】


 屍真菌が体内に侵入し、活性化すると脳組織で爆発的に増殖し、脳の組織及び機能の大半を自分の免疫機能によって破壊してしまう。

 初期症状として頭痛、発熱、嘔吐、下痢などがある。軽症なら言語障害、記憶障害。中等症ならさらに認知機能障害、意識障害。重症ともなると意識を完全に消失し、脳死に相当する状態になる。

 脳死へ相当すると言うのは、一旦脳死を経た後で、脳に新たな神経路を確保するように菌が働きかけ、臓器機能を一部回復させることで宿主を蘇生させる。

 この時、感染者本来の脳機能の回復は見込めず、意識や人格を喪失した状態で動き出すのでゾンビと呼ばれるようになった。


 臓器はある程度活動してはいるが、血液は変質して黒くなり、血中に分布した菌が血液の働きを補っている。

 また死亡から時間が経つと皮膚の表層に菌を纏うようになり、この状態は新たな感染源となる他に非感染者へ積極的に接触を図ろうとする。

 この状態を俗にゾンビ状態と言い、身体に帯びた菌は宿主の体温の維持の他、皮膚呼吸を助けているとも言われている。


 また非活性の屍真菌は動物の常在菌であり、活性化した屍真菌の一部は他の真菌の活性化を促す性質があって非常に厄介である。

 この性質によってそれまで健康だった人間がゾンビとの接触によりたちまち自分もゾンビになってしまうこともある。

 現状、主流の対策は抗菌薬で屍真菌の活性化と増殖を抑え込むことだけである。

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