十五(終章)

 お寺での別れから、最初で最後の亮治さんとの再会は、昭和四十六年の夏に果たせました。わたしは四十四歳、亮治さんは四十七歳になる年でした。

 きっかけは、店に届いた一本の電話でした。その電話を取ったのは、偶然にもわたしでした。仕入先からの電話だと思って、いつものように店名を告げながら挨拶すると、返ってきたのはあまりに意外な、懐かしい声音でした。

「えらい久しぶりやな、修子」

 そのひと声で、わたしは相手が誰なのか、瞬時にわかりました。

「亮治さん!」

 驚きのあまり、わたしは大声でそう呼びかけました。店はまだ営業中だったので、慌てて声を潜めましたが、それでもその場で飛び跳ねてしまいたくなるほどに、嬉しくて涙さえ出そうでした。

 それより二年ほど前、ある大手出版社からの取材で、うちの店が雑誌に特集を組んでもらったことがありました。亮治さんはそれを偶然目にして、わたしの現状を知ったそうでした。なかなか忙しくて暇が取れず、連絡を入れようにも入れられず困っていたそうですが、このほど時間が作れたので、東京まで行くからよければぜひ会いたい、とのことでした。わたしは「ええ、もちろん」と即答しました。店の経営も安定していた頃で、わたしにはもう、二十年前の時のようなためらいは全くありませんでした。

 亮治さんはわたしの店を見たいと言いましたが、わたしはそれには同調せず、折角だから銀座でお茶でもしましょうよ、と提案しました。なぜかわかりませんが、亮治さんと自分の店で会うのはどうしても嫌でした。亮治さんは気を悪くせず了承してくれて、次の週末、わたしは店を臨時休業にして出かけました。出かける前、柄にもなく小一時間ほどかけて丁寧なお化粧をして、数年前に買ったきり箪笥の奥にしまっていたワンピースを引っ張り出し、鏡の前で合わせていると、お母さまがそっと部屋を覗いて、「おしゃれしてるのね」と嬉しそうに話しかけてきました。その日わたしが誰に会うのか、お母さまには言いませんでしたが、わたしを気遣ってか、お母さまも深くは追及しませんでした。

 銀座四丁目の時計台の下で、約束した時間よりだいぶ早くから待っていると、後ろから突然「修子」と呼びかけられて、わたしは振り向きました。目の前に、亮治さんが立っていました。薄紫色の半袖のシャツを着て、わたしに向けてにこりと微笑んだ亮治さんは、まるきり別人のようになっていてもおかしくない年齢だというのに、髪が少し短くなっただけで、顔も姿も、まるで当時のままのように、わたしの目に映りました。

「亮治さん、ちっとも変わらない」

 わたしはちょっと感動して、声を震わせ言いました。すると亮治さんはおかしそうに大声で笑い出して、

「修子も、なあんも変わらへんな」

 と、小馬鹿にするように言うので、わたしはむきになって言い返しました。

「嘘おっしゃい、あの頃よりずっと太ったんだから」

「けど、後ろ姿ですぐにわかったで」

「本当に?」

「あ、あれや、えらいおばばのお雛さんや、て」

「ひどいわ」

「ふふ」

 意地悪く笑った亮治さんに、わたしは顔をしかめながらも、ひどく安堵しました。亮治さんは、亮治さんのままでした。あの山奥のお寺でともに日々を過ごした、あの頃のままの亮治さんでした。それだというのに、やはり現実とは残酷なものでした。その日、まるきり元気にしか見えなかった亮治さんは、既にその未来を閉ざされていたのです。

「入院することになってな」

 喫茶店でコーヒーを啜りながら、亮治さんは淡々と告げました。詳しい病名は教えてくれませんでしたが、春先に体調を崩して検査したところ、複数の箇所に異常が見つかり、担当医の様子から察するに、あまり長くは持ちそうにないとのことでした。

 わたしは大いにショックを受けて、紅茶と一緒に浮かれて注文したホットケーキも喉を通らず、黙り込んでしまいました。見かねた亮治さんがお皿ごと自分の方に引き寄せて、ぱくぱくと調子よく食べ始めてくれました。その様子を眺めながら、わたしは信じられない気持ちでいっぱいでした。亮治さんのことだから、わたしをからかっているだけに違いないと、そんなことさえ思いました。けれど亮治さんは、フォークとナイフを終始動かし続けながら、いつになく真面目な声音で語りました。

「去年、三島由紀夫が駐屯地で自決した時にな、年齢も近いし、ああこの人ぼくの代わりに死んでくれはったんとちがうやろか、なんて思ったけど、違うたわ。やっぱり、自分のしたことは自分にしか返ってこおへん、いうことやな。因果応報やわ」

 亮治さんがなにを言いたくて、なにを言おうとしているのか、わたしは理解したくありませんでした。それでわたしは、無理に笑顔を作って、

「それならわたしも、きっと近いうちに死ぬのね」

 できる限り明るい声で、強い調子で言い放ちました。そうでもしなければ、本当に泣き出してしまいそうでした。

「あんた、相変わらず、あほやなあ」

 亮治さんに笑い飛ばされて、わたしは今度こそ真剣に怒りたい気持ちになりました。けれど彼の顔を見た途端、口に出しかけた言葉を引っ込めてしまいました。亮治さんの両の瞳はきつく光って、わたしの瞳を真正面から射抜いていました。

「あんたはぼくとは違う。ぼくみたいに、戦後もまともに働かんと、行き当たりばったりで生き延びてる人間とは、なんもかもが違う。あんたのように、未来に向かって一生懸命生きてる人には、過去のなんやかやなんて、そんなん、見向きもせんでええことや」

「そんなことないわ」

「だいたいな、いつまで経ってもお雛さんのままの修子には、因果がどうとか、そんなんこれっぽっちも似合わへん。身の程知らずもええとこやないか」

「矛盾してるわ」

「ええやないか、それで」

 よくないわ、と、わたしは言い返そうとして、けれどもう声が出ませんでした。目尻から、堪えきれず涙がこぼれ落ちて、わたしは慌ててハンカチを出して、隠すように涙を拭きました。その後、亮治さんもなにも言わなくなってしまったので、ハンカチの間から盗み見るようにして様子を窺うと、亮治さんはわたしを見つめたまま、ひどく穏やかな表情で、ちょっとだけ困った風に眉を下げていました。その表情を見た途端、子どものように泣くしかできない自分が情けなくなって、わたしは涙を拭いきり面を上げました。すると亮治さんは、ひと息吐いて、ゆっくりと優しい笑顔になりました。

「修子には、やっぱり、生きるのがなにより似合うてる。せやから、どこまでも生き延びて欲しいわ。ぼくの分も、あの人らの分も」

 そう言うと、亮治さんはホットケーキの半分残った皿を押し返して、「そういうことやから、あんた、自分の注文した分くらいは責任取らなあかんよ」と、冗談めかして言ったのでした。それでわたしは、ようやく少し笑えました。笑うことで、亮治さんを少しでも安心させてあげたいと、気持ちが変化していました。これ以上なにを言おうと、現実はどうにも変わりようがない、それがしみじみ感じられて、わたしは納得するしかありませんでした。結局、わたしは残りのホットケーキをすべて平らげてしまいました。食べながら、お金のことなどで困ってはいないか、それとなく訊ねてみましたが、亮治さんは、今は一緒に住んでる人もいて、なんの心配もいらない、と言うに留まりました。わたしは、そう、とだけ返事して、あとは二人とも黙ったまま、店を出るまで静かな時間を過ごしました。

 亮治さんはそのまま大阪に帰ると言うので、東京駅まで、わたしたちは並んで歩きました。道すがら、亮治さんがなにか言い出しかけて、けれど途中で言葉を濁したので、どうかしたの、とわたしから問い返しました。すると彼は遠慮がちに口を開いて、

「威一郎のお墓って、今は、京都の」

 そこまで訊いて、再び黙り込んでしまったので、わたしは思いきって、

「ええ。おじいさまとおばあさまのお墓と、同じところに」

 やけに元気のよい口調で伝えて、続けて詳しい位置をすらすらと説明しました。

「わたしもこの頃お参りできていないから、もしよかったら、亮治さんと一緒にお参りしようかしら」

 旅行のお誘いでもするみたいに、わたしは気軽に提案しましたが、

「ううん、ひとりで行くわ」

 亮治さんは呟いて、首を横に振りました。

 そのまま歩き続けて、やがて新幹線の改札の手前まで辿り着いて、あっさり別れようとした亮治さんを、わたしは呼び止めました。

「わたし、頑張るから」

 亮治さんの瞳へ向けて、わたしは精一杯宣言しました。

「頑張って生きるから、亮治さんも、もしも病気がよくなって、予定より長く生き延びられるようになったなら、またわたしと会ってくれるわよね?」

 質問の仕方が、これで正しいのかどうかさえ、もはやわかりませんでした。それでもわたしは訊ねずにはいられませんでした。

「そんなん、当たり前やないか」

 亮治さんは笑って、わたしの肩を軽く叩きました。もうあの時のように指切りはしませんでした。微笑み合って、最後に長い握手を交わしました。

 改札をくぐり、人ごみに紛れて、その姿がずっと遠くの方で見えなくなるまで、わたしは亮治さんの背中をいつまでも見送りました。

 亮治さんは、その年の冬に亡くなりました。同居人の方から知らせをいただいて、わたしはそれを知りました。お葬式には、行きませんでした。

 知らせを受けた日から、今日に至るまで、いつもどこか悲しい気がします。


          ✽


 近頃、あまり出歩かなくなったせいか、以前にも増して物忘れがひどくなってきたように思います。わたしがこの短い回想文を書くことにしたのもそれが原因で、特に誰かに読んでもらいたいというわけでもありません。わたしはこれを、ほかならぬ自分のために書いたのだと思います。いずれ訪れる死の前に、わたしはこのことを、わたしに今一度伝えたかった、ただそれだけのように思います。

 あの花の名が、金魚草だと知ったのは、亮治さんが亡くなってまもなくのことでした。初夏、近所の花屋さんに偶然売られていた金魚草を見て、わたしはそれに気付きました。その時置いてあったピンク色と黄色の株を買って、わたしはそれを店の前の花壇に植えました。それからも何度も金魚草を植え、育てました。中には赤色の株を育てた時期もありました。しかしながら、あの時のあの花のような、目の覚めるような真紅の色の花に巡り合うことは、とうとう一度も叶いませんでした。

 ですから、今日ここに、書き記しておきたいと思います。

 わたしがこの世を去る時、最後に思い出すだろうものは、きっとあの花の色に違いないでしょう。そのことを、もしここまで読んでくださった方がいれば、どうか一瞬でも構いませんから、心に留めてやって欲しいのです。





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金魚草 有谷帽羊 @bouyou

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