不定形なあなた

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

不定形なあなた

 目隠しを外すと、洞窟だった。

 ひんやりとした空気、冷たく湿った地面、あたりは暗く視界も悪い。

 この冷気だと、死体が腐るまで暫くかかりそうだ、と私は苦笑した。


 私の生まれ育った村は小さく閉鎖的で、信仰心が強かった。

 私はほんの不注意で、村で信仰している神様の祠を壊してしまった。

 祟りを恐れた村人たちは、私を村から追放することにした。


 帰り道がわからぬように、目隠しをしたまま縄で引っ張って、山道を歩かされた。

 そうして冷たい空間に足を踏み入れ、また暫く歩くと、縄を外された。

 目隠しは千を数えるまで外さぬようにと言われたので、暗闇の中、息を殺して千を数えた。

 寒さで震える手で目隠しを外すと、暗闇に慣れた目でも奥までは見通せぬ洞窟にいた。


 どう見ても、飲み水も食べる物もない。出口も見えない。どこから入ってきたのかもわからない。これは、このままここで朽ちていけ、ということだろう。

 私は白いワンピース一枚の体を冷たい地面に横たえ、目を閉じた。このままなら、餓死するより先に凍死するかもしれない。それなら、早い方がいい。服が湿気を吸って、そのまま、全身凍ってしまえばいい。

 ああでも、凍るほどの寒さはないかもしれない。洞窟内はひどく寒いが、氷柱はないし凍っている場所も見当たらない。辛さが長引くだけかもしれない。


 ずる、と何かが這いずるような音がした。


 一瞬で全身が総毛立ち、私は勢いよく身を起こした。蛇か、虫か。が、いる。

 痛いほど早鐘を打つ心臓を押さえて、私は音のする方へ目を凝らした。

 ずる、ずる、と土色の何かが蠢いている。泥の塊にしか見えないそれは、ぐにゃぐにゃと形を変えながら移動していた。


「ひ……っ」


 さすがにおぞましくて、喉から引きつった悲鳴をあげ、わずかに後ずさる。すると、その泥の塊は動きを止めた。

 緊張から息を切らせながら、その物体を凝視する。目が逸らせない。逸らした瞬間に、襲いかかってくるかもしれないと思えたからだ。

 中に何か、いるのか。それは何なのか。害ある動物だったとして、今の私には何の対抗手段もない。


 ああ、でも。


 私は、生を、諦めたはずだ。この生き物から逃げ延びたところで、待っているのは緩やかな死だ。だったらいっそ、獣に食いちぎられても。毒にやられても。じわじわと弱っていくより、マシなのではないか。


 ふっと力の抜けた私に気づいたのか、泥の塊がかすかに揺れ動いた。反射的に体をびくつかせるものの、私はその場から動かなかった。

 じっと見つめ合っていると(それに目があるのかどうかはわからなかったが)、泥の塊がゆらゆらと揺れた後、少しだけ移動した。それを目で追っていると、またゆらゆらと揺れてから、少し動く。それを繰り返して、私の目が届く場所から動かず、ゆらゆらと揺れている。

 何かを訴えるようなその姿に、私は思わず声をかけた。


「……ついてこいって、言ってる?」


 答えるように、泥の塊は大きく波打った。

 ごくりと唾を呑んで、私は立ち上がった。このままここに居ても、朽ちるだけ。なら、あの奇妙な生き物の正体を知るのも、悪くない。

 私はずるずると移動する泥の塊に、慎重についていった。




「……水場だ……」


 泥の塊に案内された場所は、壁の割れ目から水が湧き出ていた。おそるおそるそれを口に含めば、真水だった。なんとか飲めそうだ。


 私は泥の塊に目をやった。ゆらゆらと揺れるだけのそれは、何を考えているのかもわからない。けれど、ここに連れてきてくれたということには変わりがない。


「ありがとう」


 私は泥の塊にお礼を言った。すると、それはふるふると震えた。どういう反応なのだろうか。


「ねえ、聞くだけ聞きたいんだけど、食べ物がある場所ってわかる? 草とか、何かの実とか。あと、もう少し暖かい場所があると助かるんだけど」


 そう尋ねると、泥の塊は考えるように動きを止めた。やはり無茶を言ってしまっただろうか、と心配していると、泥の塊はぴょんぴょんと跳ねるような動きをしたあと、素早い動きでその場からいなくなった。


「えっ!?」


 急にそこからいなくなった泥の塊に、私は驚きの声を上げて、呆然と見送った。何だったのだろう。

 わけがわからないが、少なくとも飲み水だけは確保できた。だからといって、この先何がどうなるわけでもないが。

 私は水の流れる音を聞きながら、壁に体をもたれさせ、目を閉じた。




 どれだけの時間がたったか。ずるずるという音が聞こえて、私はそちらへ目を向けた。この音は、あの泥の塊が戻ってきたのかもしれない。それにしては、少し重い音がする気がする。

 見ると、泥の塊は何かを引きずっていた。近くまできたところでよく見ると、それは狐だった。


「ひえっ!?」


 狐自体は狩りでとってくることもあるが、無造作にそれを引きずっていることに、思わず悲鳴が上がった。

 泥の塊は、その狐の死体を、どさ、と私の目の前に置いた。


「え? えーと……」


 これはおそらく、私が食べ物を希望したから、狩ってきてくれたのだろう。どうやって、とは思うものの、そもそも泥の塊が動いている理由が未だ不明である。

 ここが村であれば、喜んで頂戴する。狐の肉は食べられるし、毛皮は防寒具になる。しかし、しかしだ。

 今の私は身一つで、刃物を持っていないから解体できない。それに火を起こせないから、肉を食べられるようにもできない。


「……ありがとう。気持ちは嬉しいんだけど、ごめんね。今の私には、これ、食べられるようにできないの」


 そう告げると、泥の塊は心なしかしゅんとしたようだった。


「あ、でも、あったかいから。今日は、使わせてもらおうかな」


 取り繕うように笑ってそう言うと、泥の塊はゆらゆらと揺れた。

 実際、暖が取れるのはありがたい。内臓がそのままだから、明日以降はどうなるかわからないが、少なくとも今日の内くらいはこの毛皮で少しの間温まれるだろう。

 まだわずかに体温の残るそれに体を寄せると、瞼が落ちてきた。

 今日はあまりに色々なことがありすぎて、疲れた。

 少しだけ。少しだけ、眠ろう。


 そのまま、意識は暗闇へ沈んだ。




 意識が浮上して、のそりと上体を起こす。外が見えない洞窟では今の時間もわからず、どれほど眠っていたのかもわからない。周囲を見渡すと、土色の物体にびくりと肩が跳ねた。あの泥の塊だ。眠っている間、ずっと側にいたのか。


「……あなた、ここに住んでるの?」


 問いかけるも、泥の塊はゆらゆらと揺れるばかりだ。言葉が通じないのがもどかしい。


「あなたが私と同じ形をしていたら、お喋りできたのにね」


 どうやら言葉は理解しているようだから、発語器官があったら、会話ができただろうに。そう思ってこぼしたが、泥の塊は、考え込むように緩慢に揺れ動いた。

 どうしたのかと見ていると、その揺れはだんだん大きくなり、ぐわんぐわんと波うち、どんどん広がっていった。


「え、え!?」


 地面を這いずっていた泥が高さを持ち、座り込んでいた私はそれを見上げた。ぐにゃぐにゃと形を変え、それはになった。


「……っ!?」


 驚きに、言葉がでない。はくはくと息だけを漏らしていると、それは首を傾げた。


「おなじ、かたち」


 夢でも見ているかのようだった。自分が、目の前にいる。そっくりそのまま同じ見た目。着ている白のワンピースも、全く同じ。


「あなた……姿を、変えられるの?」

「できた」

「そ、う。できた、の」


 それは、元からできたのか、今やってみたらできたのか。詳しいことはわからないが、とにかく泥の塊は、人の形をとることができるようだった。

 今考えるべきは、その原理ではない。会話ができるのならば。


「ねえ、狐を取ってきたってことは、あなた外に行けるのよね。私を外まで案内できる?」

「そとに、いきたい?」

「そう。この洞窟から、出たいの」


 そう告げると、はしゅんとした。


「……どうしたの?」

「いきものが、きたの、ひさしぶり。でていくの、さびしい」


 さびしい。予想外の言葉に、私は目を丸くした。この泥の塊には、寂しいという感情があるのだ。だから私に親切にした。側にいてほしくて。


「……一緒に、くる?」


 私の提案に、彼女は目を丸くした。


「外に行けるなら、この洞窟でしか生活できないってわけじゃないんでしょう。私と一緒にくれば、寂しくないよ」


 私は彼女に手を伸ばした。この奇妙な生き物は、もう怖くはなかった。

 私の命の恩人だ。何かしらの、恩返しができるのなら。


 彼女はとまどったように手を見て、おそるおそるといった様子で手のひらを指で数回つついたあと、そっと重ねた。

 緩く微笑んだ顔に、私は複雑な気分だった。何せ彼女の見た目は私なのだ。自分のそういった表情を客観的に見るのは、少々気恥ずかしい。


「その姿って、他の人間に変えることはできない?」


 首を傾げる彼女に、私はとってつけたように理由を続けた。


「ほら、外に出るなら、他の人に会うかもしれないでしょう。全く同じ人間が二人いたら、びっくりしちゃうから。私と二人の時は、最初の形のままでもいいけど……ああでも、言葉は通じた方が楽かな」


 そう言うと、彼女は少し考え込んでから、ぐにゃぐにゃと形を変えていく。

 自分の姿が崩れていくのは心臓に悪い。そっと目を逸らした。


「できた」


 低い声に驚いて姿を見ると、彼女はに変わっていた。

 鋭い目つきに、短く刈り上げた髪。屈強な肉体には簡単な防具をつけていた。兵士か自警団の服装だろうか。


「な、なんで、それ?」


 最初に私の姿をとったせいか、なんとなく女性体だと思っていた私は、思わず尋ねた。彼は、体に見合わない仕草で首を傾げた。


「これがいちばんじょうぶ。そとはあぶないもの、おおい」

「あ、ああ、そっか。そうよね」


 何故だかほっとして、私は胸を撫で下ろした。確かに、女性体より山道も歩きやすいだろうし、獣や賊ともやりやすいだろう。女性二人で歩くより、片方が男性の方が防犯にもなる。

 ふと気になって、私は今更ながら彼に自己紹介をした。


「私の名前、ミリアっていうの。あなたは、名前、ある?」


 名前を聞けば、男性なのか女性なのか、目安になるかもしれない。そもそも性別の概念があるのかどうかわからないが。そう思って尋ねたが、彼は困ったように眉根を寄せた。


「ない。よばれたこと、ない」


 その声が寂しそうで、私も眉を下げた。自然界では名前などつけないのかもしれないが、呼ばれたことがない、という言葉から、本当は呼ばれたいのでは、と思った。


「なら、私がつけてもいい? これから、呼べないと不便でしょう」


 彼はぱっと顔を輝かせて、大きく頷いた。


「うん。それじゃ……リバー」


 安直で申し訳ないが、最初に水場に案内してくれたから。そして、彼が彼なのか彼女なのかわからない以上、男女どちらの姿をとったとしても呼べる名前である必要があった。


「リバー……」


 彼は噛みしめるように小さく呟いて、目尻を下げた。

 それを微笑ましく見ていると、彼は大きな手を私にさしだした。


「いこう、ミリア」


 私の行動を真似ているのだろう。私は立ち上がって、その手をとった。


「これからよろしくね、リバー」


 ひとりではないというだけで。私は絶望など、とうに忘れていた。

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