なろう小説家が1870年に転生したから、なろう小説と漫画で明治日本を産業革命へ導く

僕は人間の屑です

文学は総ての礎なりて


明治時代。



それは幕末の悪習を断ちて、東亜の悪友を捨て去り、脱亜入欧を目指した時代。

井の中の蛙たちが大海の藻屑へと消えていく時代。


富国強兵の名のもとに、古の武士たちは捨て去られ、誇りを忘れた者たちは鉄の棺桶に身を包み、生きるために石煤にのまれ、鉛を背負う。


時代の波に抗うものは、やがて小石のように身を削り、ついには露と消えるか。


時は明治3年、西暦1870年。

俺は令和の時代から142年前の大日本帝国に転生した。






◇◆◇◆◇


転生してから16年がたった。母親のおっぱいをすすり、おしめを取り換えられるという羞恥プレイを耐え抜き、地元静岡の下等中学校を卒業した俺は、文学の道に進みますという手紙と共に家を飛び出し、東京へと続く私鉄に乗っていた。乗車賃は70銭ほど。詳しくは分からないが令和の基準では12000から14000円ぐらいだろうか。これが令和なら4000もあれば静岡市から東京までいけちゃうのにね。

ちなみにこの70銭は小さいころからもらっていたお菓子代をこつこつ貯めたものと、母さんからのへそくりから頂戴させてもらった。ごめんよ母さん。絶対に出世払いで返すから許してください。正直言ってあんなド田舎にいてられるかってんだ。

前世の俺はしがない派遣社員。休日は投稿サイトで、一向に☆の数が増えない萌え絵や歴史小説を投稿する日々。それが次の日に起きたら明治時代に転生してるんだから、事実は小説より奇なりとはよく言ったもんだよ本当に。最初の頃は自分が赤ちゃんになってしまったという事を除いて、目も見えないし、音も聞こえにくくて自分がどこに居るのか全くわからなかったけど、そこから半年もするごろには大体状況もつかめて来た。

まず俺が生まれた明治3年、西暦1870年の日本では既に戊辰戦争は終結し、江戸が東京に改称され、明治天皇も即位して首都は東京に遷都された。また律令制度の復活により宮内省・民部省・大蔵省・刑部省・兵部省・外務省が設置された。その後は版籍奉還によって人民と土地はすべて天皇のものとなり、旧藩主は非世襲制の知藩事となった。また同時に制定された華族制度により多くの旧藩主が貴族に列せられたようだ。そして四民平等の合言葉に武士は士族に下され、名誉と特権は失われた。その後も学校で習った日本の教科書通りにことが運こばれた。

国民皆兵をスローガンに徴兵制が敷かれ、士族は秩禄処分によってその地位をさらに低下していく。岩倉使節団により不平等条約の改正を目指し――改正自体は失敗したが、政府が西欧文明に触れることで近代化の大きな原動力となった。また日本は李氏朝鮮に外交使節を送ったものの、大院君は鎖国政策を固辞し、むしろ日本を非難する態度を取ったため、このころから武力で朝鮮を開国させる征韓論の論争が巻き起こった。そのごは江華島事件により日朝修好条規を結び朝鮮は開国、その後は日本で初めての平等条約である日清修好条規を結び、自国領である沖縄の漁師が台湾人に殺されたとして台湾出兵を行ったことで、清国はこれに謝罪と賠償金を支払った。1875年にはロシアと千島樺太交換条約を結び、また小笠原諸島、尖閣、竹島を自国領に編入した。

北海道ではロシアの脅威に対抗するため屯田兵を入植させ、また日本各地には国営市営とわず多くの鉄道が建設されるようになった。また街にはガス灯が多く建てられ、地租改正などの税制改革もおこなわれたことで、政府は安定した税収を確保できるようになった。また福沢諭吉などが講談界をひらき、西欧文明の布教に努めたほか、印刷技術の発展により横浜毎日新聞をはじめとした多くの新聞が創刊されるようになった。またこのころになると特権をはく奪された士族や、税に苦しむ農民を中心に薩長土肥による派閥政治が問題視されるようになり、板垣退助の民選議院設立建白書を発端に、各地で士族反乱・自由民権運動がおこるようになった。

このような各地の反乱、また西南戦争からつづくインフレーションに対抗するため、政府は日本銀行を設立。銀本位制が採用され、また官営工場を民間に払い下げたことで、のちの三菱・住友・川崎につながる政商がうまれるようになった。そして1886年には内閣制が導入され、初代総理大臣に伊藤博文が就任することになった。反乱や暗殺などのいくつもの血なまぐさい事件や、市中の混乱はあるものの、日本は確実に近代化の道を歩んでいた。

それをこの時代の当事者として見ていた俺は言葉にあわらせないほどのワクワク感と同時に、日本が着実に戦争へと近づいて行くことにどこか恐怖感を抱いていた。

日清戦争、日露戦争――結果は日本の勝利であったが、そこに至るまでに多くの人が無くなった。俺は長男だから徴兵させることはないけど、他人事ながらこれを見て見ぬふりを出来るほど心は強くない。だがこの国民皆平等を掲げるものの貴族制度を採用する矛盾した社会の中で、ただの地方の豪農の息子がなにか政府の中枢にで入り込んで、改革をできるとは思えない。なによりそんな知識も度胸もない。俺が持っているのは現代のありきたりな情報と、ほんの少しだけ日本史や世界史を知っているだけ。それでなにができるというのか、第一現代の情報も車や冷蔵庫がありますよというだけで、その作り方なんて知らない。俺になにができるのか。このまま俺の人生は静岡で土をいじるだけで終わるのか――そんな悶々とした小学生生活を送っていた俺に転機が訪れたのは、友人の三吉が見せてくれたある一冊の本であった。

「弥次喜多欧米道中膝栗毛」

長ったらしい文字だったが、その中身は大分興味がそそられた。話のストーリーは弥次喜多という男が借金から逃れるためアメリカに夜逃げ、というか亡命して合衆国を旅するという物語なのだが、旅の途中で月にいける巨大な大砲が完成したという情報を聞き、その大砲の弾にしがみついて月にまで旅行しにいくというところで話は終わった。これを書いた作者は宇宙に空気がないことは知っているようであったが、その描写が声が聞こえにくくなるとか、呼吸するたびに少し息が詰まるというようなデタラメな内容ばかりであった。三吉の話しではもとは東海道中膝栗毛という80年前に作られたダジャレ本の二次創作のようで、このような弥次喜多シリーズはほかにもたくさん出版されているらしい。そして庶民の娯楽として人気だとか。俺の厳格な父は俺に書斎に入ることは禁止していた。だからおれは三吉の家にいって、その次喜多シリーズを見せてもらったのだ。そして俺はこのいい加減さというか、デタラメさにどこか見覚えがあった。


いやこれなろう系の異世界シリーズと同じやんけ!!俺が三吉の前でこう叫んでしまったのも無理はないと思う。まさか時代をさかのぼり、日本人はずっと同じことをしているとは……なんともいない羞恥心と謎の誇らしさに頬を熱くした俺だったが、それよりも俺はあることに気が付いた。


俺は日本史や世界史を調べる中で、ずっと不思議に思っていたことがある。

それは日本近代化早すぎ問題だ。ヨーロッパが100年200年かけたことを日本は20年でやってしまう。ふつうにありえない。このような急進的な改革を押し住めれば大体失敗するか、多くの血を流すことになる。つまるところ革命だ。

フランス革命にしろロシア革命にしろ、辛亥革命もそうだ。だが日本は革命がなかった。戊辰戦争はあったが、それも日本人同士で戦いたくないとすぐに終わった。

おれはこれが非常に不思議に思っていた。なぜ日本だけこう上手くいったのだろうか。あまりにも出来過ぎているとしか言えなかった。言えなかったのだが――今やっと分かった。まず前提にこの時代は一分一秒でも欧米の知識を取り入れないと日本が滅んでしまう、植民地化されてしまう状況だった。だが講談や浮世絵とかダジャレ本ばかり楽しんでいた江戸時代の日本人が、いきなり西欧の堅苦しい哲学や科学理論は敷居が高すぎた。江戸時代では歴史の出来事や社会問題を分かりやすく説明してくれる講談が流行っていたように、日本人に分かりやすい文体で西欧の文明を取り入れるためのフォーマットとして弥次喜多シリーズが使われていたのだ。

日本が近代化を推し進める理由は分かっていた――だが手段は分からなかった。

それがこの弥次喜多シリーズだったとは、ほんとうに目から鱗とはこういうことを言うのだろう。むっつりスケベの日本人は子供から大人までこの弥次喜多シリーズをニヤニヤ笑いながら楽しむことで、抵抗感なく西欧文明を取り入れていけたのだ。

いきなり日本の将来の為とか肩ぐるしいこと言って勉強できるのなら、令和の受験生もみんな東大にいけるだろう。やはり勉強は最初の掴みというものが大切である。

明治時代ではそれを弥次喜多シリーズがになっていたのだ。

気になって近くの本屋にいったら、あの福沢諭吉のような高名な学者が発表する政治や経済の大説より、弥次喜多のような小説が売れているそうではないか。これを知った時、すでに俺の夢は決まっていた。

福沢諭吉のような大説家ではなく、庶民の娯楽を提供する小説家になる。

俺は戦争で戦うなんて無理だ。人なんか殺したくないし、死にたくない。

こわいおじさんとか、歴史に載っているような有名人と国会で口喧嘩するような勇気なんてない。基本的に歴史の登場人物はみんな好きだから、嫌われたくないし。おれは遠くから傍観者として楽しむだけでいい。でもさっきも言ったが、見て見ぬふりは出来ない。なんだかんだいって日本は生まれ故郷だからだろうか?今見ている人たちが死ぬのが可哀想だからか…この日本が進む未来を知っているからだろうか?

自分でもよく分からないが、俺は俺に出来ることをやる。

文学でこの日本を救うんだ!

そう決心してから、俺はとにかく授業中でも食事中でも、頭の中で小説の内容を練っていた。無難なのは弥次喜多シリーズのような面白おかしい教育本だろう。富国強兵を目指す国と娯楽を求める民衆の両方のニーズを獲得できる。


俺はお菓子代をこっそりためて、メモ用紙を買うと筆で自分が練った小説の設定や話の流れを忘れない様に、挿絵を挟みながら書き記していく。

またこのころから誕生日のお祝いごとのたびに、俺は真っ白な洋紙や万年筆を父や母にねだり、買ってもらった洋紙に小説家として東京でデビューするための処女作を書き始めていた。売れなければ無職当然なのに、東京に行ってから作品を書いていたら時間と金が勿体ないからね。


そして小説を書きながらもなんとか下等中学を卒業した俺は、カバンに処女作である『ヤジキタの奇妙な冒険』を大切にしまいながら、東京までの私鉄に乗っていた。

荒木飛呂彦先生ほんとうにごめんなさい。でもやらねばならぬことは、何としてでもやらねばならぬのです!


俺は後世の偉大な文学者に心の中で陳謝をしながら、東京の銀座にたどり着いた。







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