転生して楽園図書館の司書にならなかった理由

@seigaiha596

第1話

俺は死んだ。あっけなく、海で溺れて。

どんな風か教えようか。びっくりしたけど、想像していたほど苦しくはなかったよ。

夏休みに訪れた、瀬戸内のばあちゃんち。ガキの頃からよく知っている近所の砂浜。俺は高校生になって、父親より背が高くなったことをなんとなく嬉しく思ってた。それくらい、ガキだったんだな。

ひとりでちょっと沖まで行ってみようと思いついた。ほんのちょっとした、思いつき。誰にだってあるだろ?それが命を落とすこともある。

それほど沖まで来たつもりはなかった。左手に埠頭が見えた。タンカーははるか遠くを通っていた。立ち泳ぎで、砂浜の方を振り返った。どこまで来たのかなと思った瞬間、持っていた弟の浮輪が青い空に跳ね上がった。

(なんだ?)

と思ったのも束の間、俺は海の中に引きずり込まれた。びっくりして手足をバタつかせたが、見えたのは自分の口から出た空気が泡になってキラキラと海面に昇っていく光景だった。キレイだった。

(こんなにあっけないもんなんだな)

と海面に手を伸ばしたところで暗転した。


柔らかな波の音で目が覚めた。俺はベッドの上に寝かされていて、窓の向こうには青い海が広がっていた。瀬戸内の海とは違う、青い青い海だ。向こうに島はなく、水平線が見えた。

ふと自分を見下ろすと、パジャマを着ていた。ツルツルでてかてかの高そうなヤツ。

(なんだこれ……)

俺はTシャツに短パンで寝る派だ。

途端にまざまざと脳裏に浮かび上がった、記憶。溺れる苦しさや、喉や鼻に水が入った痛みは確かに覚えている。

(死んでなかった……?)

顔を上げると、いきなりにこやかな男が立っていた。

「死んでなかった、と思いましたか?」

「えっ」

いつからそこにいたんだ。気配のひとつもなかった。男は色白で背が高く、不思議な白いローブを着ている。表情はにこやかだが、だからこそ何を考えているのかよくわからない。日本人のような顔立ちでいて、奥まった目は鋭いブルーグリーンをしていた。

男はニコニコしながら不謹慎な様子で言った。

「テッテレー。アナタ、もう死んでますよ!」

呆気に取られて何も言えない俺をゴキゲンな様子でにこにこ眺めながら、「でも」と付け加えた。

「場合によっては、死なずにすみます」

「……よくわからないんだけど」

「ですよねー!」

男の調子はとにかく明るい。手元に持っていた盆から流れるようにティーカップを置いて、優雅な手つきでお茶を注いだ。

「とりあえず、喉を潤してください。カモミールティーに蜂蜜を足した、心も体もあったま~るお茶です」

「はあ。ありがとうございます」

言われてみれば、喉が渇いている。

俺は疑うこともなく、無造作にティーカップを手に取り飲み干した。慣れた味ではなかったが、不思議と美味く感じた。その間も、男は銀色の盆をもって隣でにこにこしていた。

身長は190センチはあるだろうか。立襟に金色の模様が縫われている。年齢は、三十いくか、いかないくらいだろうか。パッと見、人種もさだかではない。髪はグリーンがかった茶色で、今まで見た人の中で一番美しいと思った。

(もしかしたら神様とかか……?)

「あっ、わたくし、神様ではありませんよ。シクウテキセイと申します」

「しくうてきせい」

「現代日本語での発音ですね」

司空摘星、と言うらしい。どこからが名前でどこからが名字だろうか?と考えたら、すかさず、

「司空摘星、でひとつの名です。昔の名前には、名字もあったのですが、忘れちゃいました!木延ユタカくん!」

「俺の名前」

「そう、よぉく覚えておいてくださいね」

「はあ」

「ではご案内致します」

なにを?なんで?

俺には何一つわからない。

建物は海の上に建っているようだ。

どこまでも続く澄んだ青い海と波の音。その上をガラス張りの廊下がまっすぐに続いている。

「ここはどこなんですか」

「ここは、わかりやすくいうと図書館です」

司空適星は歌うように言って、不思議な紋様のある分厚い扉を軽く開けた。

中は打って変わって薄暗く、ほこりっぽく、乾燥している。

「どうぞ」

「すごぉ…」

俺は立ちつくした。見上げるような高い書棚にぎっしりと本が並んでいる。一番上は暗くて見えない。天井がどこまで高いのかわからない。ときどき掛けられた長い梯子。ランプのオレンジ色。ファンタジーに出てくるような、外国の古い大学図書館のようだ。

そして、紙とインクの匂い。

俺は懐かしくなった。本が大好きだったから。

「素敵なところでしょう?」

背後でドアが閉まると、海の匂いも波の音も消えた。厳かな空気がいよいよ濃くなった。

「すてきです」俺は即答した。「すげえ、こんなに本があるなんて」

「そうでしょう。あなた、ここの司書になりませんか?」

「えっ、俺?」

「ええ。なりませんか?司書に」

司空適星はニコニコしている。いくら単純な俺でもなんだかおかしいとわかる。

「…なったら、どうなるんですか?死ななくてすむとか?」

「半分正解!」

司空適星はまるでクイズに正解した回答者を褒めるように軽快な口調で話した。

「死んでしまったことには変わりませんが、あなたにはここで司書として尊い図書たちに奉仕できまーす!」

「はあ」

「どうですか?どうですか?」

ずずいっと顔を近づけられて、仰け反った。そんなのわからない。そもそも最初から夢を見ているようで、何ひとつ理解できていないというのに。

「そんなことだろうと思いまして~。ユタカくんには一週間の研修期間をご用意いたしております。三食昼寝にお手製のおやつ付き。これは受けるでしょ?もちろん?ね?ね?ね?ね?」

「…うるっさ」

「今、何か言いました?!?!」

「言ってないです」

「良かったー。研修受けてくれないって言ったら泣いてしまうところだったー」

「言ってないですけど?!」

慌てて自己主張したが、司空摘星はスーッと暗い図書館の中を歩いて行ってしまう。整理されているようで、床に積み上がった本や破れかけていたり、濡れた本もあることに気がついた。

踏まないように右へ左へ避けながら、足元ばかり見ていたら立ち止まっていた司空摘星の背中にぶつかった。

「あべし!」

「図書館のこちら側が、司書の居住スペースです。ユタカくんには一週間、ここで過ごしてもらいます」

図書館の入口とはまた別のドアを開けると、そこには楽園が広がっていた。海の上に掛かった橋の先に小さなコテージがいくつか並んでいる。

「ボラボラ島の水上ホテルみたいだ」

「よくご存知ですねえ。参考にしてます」

真ん中のコテージに案内されて、中に入った。丸い室内にはベッドとテーブル、部屋の真ん中には海の中が覗ける透明なガラス床があって、魚が泳いでいるのが見えた。

「すげえ」

「外にはハシゴが降りていますから、余暇には降りて泳ぐこともできますよ」

「おお」

「食事は、私かシシーがお持ちします。飲み物や軽食はお好きなものを持ち込んで食べても構いません。残念ながら、スマホもテレビもここにはありませんけど、ときどき郵便が来ます」

言いながら、天蓋を開くと青い空が見えた。

「夜も綺麗ですよ」

「すげえ」

感動していたら司空摘星がジトっとした目でこちらを見た。

「おやさっきから語彙がずいぶん少なくなりましたねえ」

「だってすごすぎて…」

「それで、どうします?司書研修、受けてみます?」

一瞬、考えた。

こんなふうに、都合よく。

これはきっと夢に違いないと。

誰かの人生が書かれた本なんていうありふれたファンタジー設定、それが収蔵された図書館の司書の研修なら、本好きの俺はぜひ受けてみたいと思った。

しかも、めちゃくちゃすげえところに住めるみたいだし、悪くないんじゃないか。

「う、受けてみます」

「ワーオ!!!」

司空摘星は大袈裟に驚いたが、喜んでいるらしかった。

「それでは司書業務の説明は明日からにするとして、今日は疲れたでしょうからお休みください。もう夜がきますし」

いつの間にか、海はオレンジ色に染っている。キラキラと輝く星の粒が落ちている。俺は、ん?と首を傾げた。海に星…?

ガラス床を覗き込む俺の隣に座って、司空摘星が笑った。

「ここでは、夜になると海は空になるんです」

「えっ、それはどういう…?」

「天地は入れ替わる、そういうものなのです。夜になると海は空の位置にあります。星に見えるのは、街の光。もしかしたら、ユタカくんの暮らしていた街かもしれませんね」

「はあ…」

開けたままの天蓋を見上げると、暗い海が波打っては、空の光を映してキラキラしている。

「だから夜には海に飛び込まないようにね☆」

恐ろしげに言って、司空摘星は部屋のランプをつけて、出ていってしまった。

波の音を聴きながら、足元にキラキラと輝く星粒のような街の灯りを見る。よく見たら、そこは俺が最初に目が覚めた部屋だった。

腹は減らなかったけど、急に眠たくなってきた。

めくれたままのシーツをめくると、広くて清潔なベッドに入り込んだ。羽枕に頭を乗っけたら、一発だった。

何がって?

俺はすぐに寝てしまった。

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