最終話:何でも屋


 ***



「ああああ! もういや!」

「東雲、ちょっと静かにしてよ……」

「だって! まだ! こんなに!」

「はいはーい、終わらん奴は祓う資格なーし」


 夏休みが終わるまであと三日。

 僕と東雲は宿題に追われていた。


「かんっっぜんに忘れてたわ……」


 座卓に広がる僕ら二人分の宿題の山。

 八月に入るまでは割とやっていた気がしたんだけど、いつから忘れていたのか。

 ちなみに東雲は触ってもいなかったらしい。意外過ぎた。「宿題? そんなの先に終わらせるものでしょ」くらい言われると思っていたんだけど。


「紅葉お前、小学校からずーっと同じこと言ってるよねぇ。なんで夏休みに入ると記憶喪失なんの」

「万ちゃんだって同じタイプでしょ」


 失礼ながら僕も東雲と同意見だ。

 宿題とかそういうレベルじゃなく、この人が誰かに従うなんて想像できない。


「俺? そうねー、やったりやらなかったり?」

「ほら東雲、万里さんでさえやるときもあるんだって。頑張ろう」

「一応ね努力はするけど諦めも大事かなって。あんなん一生怒られるわけじゃないしねー、ちょっと耐えてりゃ先生忘れちゃうじゃん」

「万里さん。東雲がそれだみたいな顔してるんでそこらへんで」

「でもねぇ紅葉、俺は学校の先生とは違って罰を与えるよ。一年生の間、ずっと雑用にしちゃーう」

「ひどい!」


 夏休みが終わればようやく雑用から解放されると喜んでいた彼女にこの罰は効果絶大だ。

 問題集に向き合い、一秒二秒……。あ、駄目だ、一分ももたずに項垂れてしまった。「櫂、聞いてくれる?」と真剣な口ぶりで言うから頷けば、


「あたし、宿題って嫌いなのよ」


 こんなどうでもいいことをそんな改まって言う。


「紅葉はほんと駄目だよね、勉強。体育以外全滅」

「あぁ、そういえば体育の時イキイキしてますよ。すごいなぁって思って見てる」

「アンタも日頃から鍛えれば体育なんて楽勝よ、ちょっとやる?」

「ちょっとやる? じゃねーのよ、紅葉」


 いつもは厳しい東雲が隙あらばサボろうとし、いつもはちゃらんぽらんな万里さんがまとも。

 絵日記が宿題にあればこの光景を描いてるなぁ。


「じゃあ、あたしが宿題頑張ったら……万ちゃんご褒美くれる?」


 頬をほんのりピンクに染める東雲にハッとした。

 まさかこれ……ラブな展開なのでは。

 ひゃああ、僕ここにいて大丈夫?

 ご褒美ってどんなものを望むんだろう。デートとか? ひゃああ。


「とびっきりの稽古を! お願いします!」

「頑張ったらって甘えに褒美はやらん。全部やったらいいよ」

「万ちゃんのパワハラ!」


 ひぇ。東雲のご褒美おかしい。


「あ、そーだ。櫂」

「はい?」


 ウゴゴゴと、人の声帯から出ているとは思えない唸り声をあげる東雲の後ろで、万里さんが僕へ封筒を差し出した。


「え、なんですか」

「ご褒美で思い出した」


 え、え。

 受け取った白い封筒に戸惑う僕へ東雲が「開けなさいよ」と微笑む。

 火のついていない煙草を咥えた万里さんが「開けなさいよ」と下手くそな物真似をした。


 そろりと中を覗いて見えたのはお札だった。


「え! これって」

「最近頑張ってくれてたからね、ご褒美」

「うそ……」


 行儀が悪いとは分かりつつ封筒に指を突っ込んで数えてみた。

 一枚、二枚……。ん?


「無駄遣いすんなよー」

「……二千円?」

「そらそうよ、俺がお前らに何度飯を食わせた」

「え、にせんえん」

「紅葉とお前が出張った件は金が発生してねーし」


 東雲はスッと顔を下げてペンを動かし始めた。

 逃げたな。


「時雨くんの件に関してはお前に請求したいくらいよ」


 僕もスッと顔を下げて問題集のページを捲った。

 さ、宿題宿題、と。




 ――時雨くんは万里さんの家で丸一日眠った。

 目を覚ました時雨くんは虚ろだった。

 サイズや侵食具合にもよるけれど、怪異から解放されたヒトは虚無感に襲われる。

 それまで脳と心にあったものが抜け落ちるのだから仕方ないんだ。

 そう理解していても、あの姿は辛かった。今も時雨くんの無機質な目を思い出すと胸が痛い。


 でも、だからこそ。


「時雨くんの時はハッキリ視えてただろ、怖かったんじゃない? 手伝いやめてもいーよ」

「いえっ、やめません」


 僕は目を背けたくないと思った。


「……あ、不要です、か?」

「何言ってるのよ、櫂は必要不可欠な人員だわ」

「東雲……」

「もう掃除はしたくないしパシりも勘弁なのよ。万ちゃんの好きな茶葉、そこのスーパーにないし。ほんっとめんどくさいったらないわ」

「東雲さぁ僕のこと少しは仲間と思ってよ……、そりゃあ僕は雑用だけども」

「は? あたしたちは三人で何でも屋じゃない。仲間だと思ってるわよ。アンタ馬鹿なの?」



 知らなくてもいいことってのは世の中にいっぱいあると思う。

 怪異ってのはきっと知らなくてもいいことだ。

 だけど僕は知れて良かった。

 そしてもっと知りたいと思う。


 この先、僕自身が危険な目に遭うかもしれない。

 大切な人たちが傷つくことがあるかもしれない。

 僕が見た数体の怪異、それらとは比べ物にならないものと遭遇するかもしれないし、東雲曰く器を乗っ取り人間として生きるというとんでも怪異と対峙するかもしれない。


 だけど、それでも。


 人知れず怪異から人間を守る彼らのそばにいたい。

 僕には祓う力なんてないけれど、それでも僕にできることをやりたい。

 それが僕じゃなくてもいいことは分かっているけど、僕がそうしたいんだ。



「あ、万里さん、そろそろ」

「アッ万ちゃん! 櫂が逃げます!」

「僕結構進んだもん」

「どうして……? 同じ時間を過ごしているのに、どうしてこんなに終わるの……」

「それはね、東雲。僕と東雲の動いてる部位が違うからだよ」

「そしてね紅葉、俺も家出るからね、お前まじで進めときなさいよ」

「エッ! 二人でどこ行くの!?」

「友達んとこ」


 僕と万里さんが声をハモらせると東雲は「ああ!」と笑う。


「時雨くんね! どう、元気になってきた?」

「うん。また東雲も一緒に行こうね」

「あたしは今すぐにでも行けるわ。櫂、アンタ毎日行ってるんだからたまには留守番してたら?」

「紅葉は留守番じゃなくて宿題」

「チッ……」

「紅葉ちゃん反抗期ィ?」


 広げていた宿題を片付け終えると、万里さんがパンっと手の平を叩いた。

 渋々ながら東雲は問題集に、僕らは玄関に向かう。


「土産買ってきてやるから頑張れよー」

「中〇屋のピロシキがいいわ!」

「俺をどこまで行かせるつもりなの」

「うっわ、外暑……」

「しくった。車クーラーつけときゃ良かった」



 まだまだ暑いけれど、それもあと少しで終わる。

 だけど秋が来ても。何度季節が巡っても。

 高校一年の夏休みを僕は一生忘れない。


 僕は今の僕が、ちょっと好きだ。



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僕には何の力もありませんが、怪異を祓うお手伝いをしてます。 なかむらみず @shiratamaaams

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