8.字書きの魂百までも
天界魂管理局の本部である神殿に、一台の馬車が停まった。黒のスーツをきっちりと着こなしたシエルが扉を開け、シャルロットに手を貸して降りる。
「ありがとうございます、お兄様」
「どういたしまして」
シャルロットは白のブラウスに紅のチェックのベストを重ね、漆黒のスカートをはいている。表情を隠す薄いオーガンジーが風に煽られて揺れた。
「シエル様、シャルロット様、ようこそいらっしゃいました」
「出迎えご苦労さま。案内して下さる?」
「はい。此方へ」
玄関で迎えた深雪が一礼すると背を向け、奥へと誘う。シャルロットは前を、シエルが後ろを歩いて行った。
「此方で待っております。どうぞ」
「分かった」
重厚な扉を門番二人が開け、シャルロットを促す。シャルロットは前にかかるオーガンジーを後ろにやり、前をしっかり見据えて玉兎のもとに向かった。
「本日はお忙しい所時間を取って頂きありがとうございます」
「こちらこそ。儂もシャルロット殿に会えて嬉しいぞ。……まぁまぁ座ってくれ」
「失礼します」
二人が品の良いテーブルとセットに置かれた椅子に腰掛けると、深雪がお菓子と紅茶を置く。シエルはシャルロットの傍らに控えていた。
「……聖戦の準備をなさっていると、街を歩いていたときに耳にしました。真であれば協定違反です」
「噂は噂。信じるのかの?」
玉兎とシャルロットの瞳が同時にキラリと光る。腹の探り合いとは此れほど恐ろしいものなのかとシエルは思った。
「真偽はどうであれ、部下たちの命がかかっております」
「では如何する」
「その件で父から文を預かって参りました。まずはこれをお読み下さい」
「拝見する」
玉兎は丁寧な字で綴られた手紙にざっと目を通すと、テーブルに置いた。その場の空気はどんどん張り詰めていく。
「ふむ、魔王軍の意志は確認した。だが、聖戦の準備は止めない」
「理由など、ありませんが」
「ハハハッ、理由ならあるぞ。お前たち悪魔を滅ぼすという名目がな!」
玉兎は禍々しい笑みを浮かべてシャルロットに言う。それはシャルロットが知る玉兎ではなかった。
「……やっと、ボロが出ましたね」
「流石の眼力。感嘆に値するぞ、シャルロット姫」
シャルロットの瞳は眼があった者のあらゆる気持ちや術式を見抜く。それを活かして相手の動揺を誘い、数々の交渉を成功させてきたのだ。普段布をかずいているのは不用意に人の心を覗かぬためである。
「シャル、下がれ」
「はい」
シャルロットは椅子から立ち上がり、シエルの後ろに周る。玉兎、いや玉兎の姿をしていたものは原型を失い、ただの人形と化した。巧妙にかけられていた術が解かれたのである。
「貴様らを血祭りに上げ、聖戦の始まりとしようぞ!」
ただの操り人形となったものが、シエルとシャルロットに襲いかかっろうとした。
✽ ✽ ✽
「一番奥の部屋で会談中ですわ」
すれ違い様、廊下に潜んでいた焔と藤華、凛に深雪はそう囁く。誰にも気取られぬよう、密かに。
「行こう」
「ああ」
藤華を先頭にして、人払いされ誰もいない廊下を進む。扉を開けようとしたとき、横から見慣れた手が添えられた。
「茜姐さん!」
「誘ってくれないなんてひどいじゃないか」
「そーですよ。可愛い後輩が頑張ってるのをほっとけませんからね」
後ろには茜に、署名をしてくれた異世界転生課の面々、紅葉の会の瑞花や六花もいた。
「いつの間に……!?」
「私の術ですわ。姿を消す幻術、使えることはあまり知られてたくなかったのですけど」
深雪が腰に手を当てて藤華の前に現れる。確かに知られれば軍部に送られてもおかしくはない。
「それより、早く行ったほうが良いのではなくて?」
「うん。それじゃあ……失礼します!」
藤華が勢いよく扉を開け中に入ると、シエルに飛びかかる人形の姿があった。凛が飛び出し、二人の間に入る。
「凛ちゃん!?」
「大丈夫だ。あいつは本来戦闘用の式神。あんな三下に負けるかよ」
凛は可愛らしく小さな体躯に見合わない力の持ち主。戦闘用と言われれば納得がいく。軽く蹴ったドアが吹っ飛んだこともあった。
「狐火・爆破」
言葉に応じて凛の周りにぽうっと浮かんだ火が人形を囲み、爆発する。シエルが自分と妹を守るために結界を作り出し、シャルロットを抱きしめた。
「すごっ……」
爆破による煙がはれると、ばらばらになった人形があちらそこらに散らばっていた。シエルは結界を解き、腕の中のシャルロットを見つめる。
「結界だけで良かったでしょう。どさくさに紛れて抱きしめないで下さい」
「まぁまぁ、久々のスキンシップってことで」
不本意そうな表情を隠しもせず、シャルロットはシエルの腕の中から逃げる。藤華がシャルロットのもとに駆け寄ると、二人は手を握りあった。
「シャル!大丈夫?」
「うん。……さて、そろそろ出てきなさい。人形遣いの反逆者!」
シャルロットがまだ見ぬ黒幕に向かってそう叫んだ。すると、
「反逆者とはなんだ?私は此の世界を正そうとしているのだ、シャルロット姫」
柱の影から黒のフードを深くかぶった青年がゆったりと出てきて、シャルロットの前に立つ。シエルが庇うように一歩前進し、懐から拳銃を取り出す。
「気安くシャルの名前を呼ぶな。攻撃するなら撃つ」
「撃てるものなら撃ってみろ」
互いに挑発しあい、今すぐ戦闘が起きそうな雰囲気である。勇気を振り絞って藤華はシエルの隣に並ぶと、口を開いた。
「なぜ、そんなに聖戦を起こしたがるの?」
「決まってるだろ、悪魔が不浄だからだ。そのためには現世がどうなろうと構わない」
フードの下から覗く口元が歪み、怪しい笑みを浮かべる。藤華は爪が肌に食い込むほど手を握りしめる。
「……何言ってるの。そんなことのために異世界転生課を無くす!?ふざけるな」
今まで見せたことのない憤怒の表情を浮かべ、藤華は更に言い募る。
「私たちが扱う物語は、現世で永い時をかけて作られてきたもの。あなた一人の一存で消して良いものじゃない」
「だからなんだというのだ?溢れかえった古いもので娯楽は十分だろ」
「古いものから新しいものを生み出す、人間が持つ創作意欲はなくせないって言ってんの!!」
一時の沈黙がその場を支配し、藤華は大きく肩を揺らした。
「……言いたいことはそれだけか?」
青年が人形を取り出し、人差し指と中指を立てて口元に当てる。指に力を籠めて人形で攻撃しようとしたとき、術が前触れもなく──はじけた。
「なっ……!」
「あれ?」
藤華とシャルは想像していた衝撃が来ないことに驚き、青年は何が起こったのか理解できなかった。
「そこまでじゃ」
コツ、コツという音と共に人が歩いてくる。人垣が二つに割れて通したのは、本物の最高神・玉兎と人事課の早瀬であった。
✽ ✽ ✽
二人の登場によって気が抜けた藤華は、思わず床にへたり込みそうになり、シャルロットに支えられていた。場数を踏んでいるシャルロットは肝が座っている。
「なぜ貴方が此処にいる。厳重に閉じ込めていたはずだ」
「儂の力を持ってすれば造作もないことじゃ。……さての、有明。儂に成りすまし、虚偽を述べた罪は重いぞ」
玉兎は情け容赦なく有明を追い詰める。もはや自分の出番はないと判断したシエルは、拳銃を懐に仕舞った。
「何の証拠があって言っている。証拠が無ければ裁判にかけられまい」
「ふむ、確かにそうじゃの。……もう出てきて良いぞ」
「「はい!」」
ちょうど全員が見える位置から天穹・蒼穹兄弟がビデオカメラを片手に現れた。
「最高神補佐役・有明さん。貴方の行動全てが此のカメラに収まっています」
「兄さんの言うとおり。もう言い逃れは出来ませんよ」
「だ、そうじゃ」
有明は悔しそうに顔を歪め、床に崩れ落ちる。諦めたかを思いきや、袖の下で印を組み人形を繰り出す。
「……諦めの悪いことじゃ」
玉兎は手にした杖で床を一回たたく。すると人形はその場で動かなくなっていた。続いて杖を一回まわすと鎖が有明を縛る。
「証拠と共に天界裁判所に連れて行け」
「はっ」
玉兎の護衛が有明を無理やり立たせ、外へ連行する。異世界転生課の面々は黙って玉兎を見つめた。
「有明が解体すると言ったらしいがの、儂は今のまま変えるつもりはない。安心して良いぞ」
玉兎の言葉に歓喜の言葉が次々と出てくる。全員、今の仕事が何だかんだ言いつつ好きだったのだ。
「シャル姫、お久しゅうござますな」
「はい。これで父に良い知らせを持って帰れます」
「それはそれは。いずれ遊びに行きますゆえ、よろしく」
「楽しみに待っております」
シャルロットは優雅に一礼して退出する。こっそり藤華に手を振り、藤華もそれに応じた。
「さぁ仕事が溜まっておるぞ。帰れ帰れ」
玉兎はパンパンと手を叩いて、集まっていたものを部屋から追い出す。一番最後に藤華が出ようとすると、玉兎が背後から声をかけた。
「儂も魔王とは旧知の仲。友人は大切にするのじゃぞ」
藤華はほんのり頬を紅く染めて振り返る。花が咲いたような笑みを浮かべて笑うと、元気よく言った。
「はい!」
✽ ✽ ✽
朝食が食べ終わって始業の時間。いつもどおり焔は素直に部屋から出てこない。藤華と凛はあの手この手で焔を説得しようとする。
「凛ちゃんにドア燃やしてもらうよ!はい3、2、いー」
「待て待て!今出るから」
焔が慌てて支度を済ませて出てくる。藤華はすかさず資料を渡し、説明を始めた。
「今日はチート勇者に転生するやつ。下準備は昨日済ませているから、台本どおりよろしく」
「めんどい」
焔の言葉に藤華と凛はため息をつき、二人で呆れていた。
「こないだまでめんどいとか言わなかったのに……」
「あるじさま、かっこわるいです」
凛の言葉が胸に深く刺さった焔は若干ふてくされつつ、二人にこう切り返した。
「此処が無くなったらサボれなくなるだろ。働きたくないものは働きたくないんだ」
「そんなに嫌なら辞めれば?」
「無職は困る」
「がんばってはたらいてください」
三人はそう喋っている内に仕事場である神殿に着いた。予定時刻まであと少しである。
「しょうがない。仕事しますか!」
「「はーい」」
誰かが物語を書く限り、異世界転生課は忙しい。
天界魂管理局・異世界転生課の活動記録 志満 章 @sima-akira
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