7.快適ライフ終了の危機ですって⁉

 最高神・玉兎の執務室にて、幹部が一同に集まった会議が行われていた。玉兎が上座に座り、その手前に補佐役が四名並んでいる。ドアから最も近い場所に各課の長が揃っていた。


「それでは皆、異世界転生課を解体するということで宜しいかな?」

「はい、最高神様」


 茜以外の全員が了承し、茜も頷かざるを得なかった。これだけ敵が多いとどうにもならない。茜は部下の今後を案じた。


「茜様、落ち込んでいらっしゃるのね」

「深雪……!」

「私も焔様をお慕いしている身。本当に残念ですわ」 


 会議の後、広間の椅子に座っている茜に深雪は声をかける。隣に腰掛けると、茜を見つめた。


「でも御本人が望んでないとはいえ、焔様の本領を発揮出来るんじゃ無くて?」

「そうだねぇ。焔、戦闘能力は高いから」


 深雪の慰めを受けてなお、茜は憂いに満ちた顔をする。部下にこのことを言わなくてはならない。とても気が重いのだ。


「そんなに悩んでもし仕方ありませんわ。さっさと部下を集めたらどうです?」

「じゃ、あたしは執務室に戻るよ。あんたも仕事に戻りな」

「待って下さいませ。茜様に伝えることがあります」


 立ち上がろうとした茜を深雪が引き止める。茜はもう一度椅子に腰を下ろした。


「なんだい?」

「前の休み、焔様と藤華様が魔王の屋敷に入っていくのを見ましたわ。内通というわけでは無いようですが、一応報告を」

「そう。ありがとうね」


 茜は一瞬眉をひそめると、すぐに踵を返して自分の仕事場に戻っていった。


「本当に、お二人は何をなさっていたのかしら」


 深雪の呟きを拾う者は誰一人としておらず、深雪が廊下を歩く音だけがしていた。


 ✽ ✽ ✽


「悪いね皆。これからは軍として頑張ってくれ」


 茜の少し震えた声が響く。出張中以外の異世界転生課の全員が集められ、告げられたのは聖戦のために戦う用意をしろということだった。


「課長!昔の地獄を味わえと言うのですか!?」

「百年前の聖戦を忘れたわけではないでしょう!?」


 茜に対し罵声が飛び交う。昔のことを知らない藤華は何が何やら分からなかった。


「ねぇ焔。百年前何があったの?」

「……百年前、人の魂を狙う魔王軍を戦争になった。互いに大きな犠牲を出して、それでも何とか和解したんだが、上がまた聖戦をやる気らしい」


 焔がこそこそと教えてくれたが、内容があまりに衝撃的で驚いた。魔王といえば、最近友達になったシャルロットの父親であるからだ。


「シャルと、戦うの?」

「さぁな。だが、お前は前線には立たんだろ。戦闘能力がないんだから」


 焔が言うには、異世界転生課のほぼ全員が聖戦で最前線に立っていたらしい。例外として、人間であった藤華のようなものは後方だろうと付け足した。


「分かったら解散!文句は上に言っとくれ」


 茜は帰っていく部下を見つめながら、台から降りる。最後に残った焔と藤華を見つけると、そばに寄ってきた。


「茜姐さん、これから生まれる物語はどうするの?」

「最高神が干渉して生まれないようにするって言ってたけどねぇ。現世の心を縛るらしい」


 茜の言葉に藤華の握りこぶしがふるふると震える。怒りに燃えていると言った様子だ。 


「ふ、藤華?」

「……嫌です。物語が無くなるのも、戦争になるのも」

「決まったんだからしょうがないだろ。諦めな」 


 焔が藤華をなだめようとするが、逆効果だったらしい。更に藤華の瞳の炎が燃え上がる。


「諦めません。あの手この手で上を説得します」

「シャルロットに手伝ってもらうのか?」

「うん」


 焔が半ば呆れたような表情を浮かべる。何だかんだ言いつつ、焔は藤華を守るのだ。


「シャルロットって、魔王の?」

「そうです。姐さんどこで知ったんですか?」

「ちょっとね。……確かに魔王にツテがあれば何とかなるかもね」


 茜もすっかり乗り気である。異世界転生課が無くなるのが嫌なのだ。部下も反対しているものが多い。


「ったく、諦めが悪いねぇ。あんたもあたしも」

「ふふっ、頑張りますよ。全ては今の快適空間を守るために!」

「「いやそこっ!?」」


 良い雰囲気が壊れる藤華の発言に、焔と茜は息ぴったりのツッコミを入れてしまったのだった。


 ✽ ✽ ✽


 広宅を引き払うまでに与えられた時間は一週間。それまでに上層部を納得させなくてはならない。藤華はシャルロットの協力を得るため、ひそかに街で会うことににした。


「お待たせ、シャル」

「大丈夫」


 シャルロットは濃紺のワンピースに、前と似た布で頭を覆っていた。顔は隠さず、可愛らしい顔を晒している。


「で、話って何?」

「聖戦はしないって魔王軍のほうから最高神に言って欲しいの。聖戦のために異世界転生課が無くなっちゃう」


 シャルロットは少し悩んでいるようだった。友達を助けたいが、父親には逆らえないからだ。 


「噂は本当だったんだ」

「噂って?」

「聖戦の準備をしているって話。うちでも毎日会議をやってるの。今どき魂なんて食べないし、戦う理由なんて無いんだけどね」


 シャルロットはそう言って苦笑した。魔王の娘だからこそ言える言葉の数々である。


「私からお父様に言ってみる。上手くいけば最高神に私が使者として行くから、待ってて」

「ありがとう」


 藤華はシャルロットの手を握りしめ、涙ぐむ。シャルロットは柔らかく微笑むと、切り返した。


「で、何が報酬?」

「最新刊が手に入ったから、それで」

「オッケー」


 茜がお土産として、シャルロットが気に入っている漫画の新刊を二冊買ってきた。お礼として藤華がシャルロットにあげようというのである。


「一週間以内でお願い」

「ふふっ、頼まれた」

「ありがとう、私の親友」


 シャルロットは自分の自分の侍女であるエリザベスを連れ、屋敷へと戻っていった。


「第一関門クリアっと」


 シャルロットが上手く交渉出来たなら、聖戦のためという大義名分が無くなる。天界魂管理局も役所だ。理由なしに部署は潰せない。

 シャルロットの成功を祈るばかりである。


 ✽ ✽ ✽


 黒のドレスにベール。これがシャルロット姫としての正装だ。侍女を引き連れ会議室のドアを開ける。


「姫様!」

「何故このような場所に?」


 重臣たちの言葉に一切応じず、シャルロットは魔王の前に立った。魔王は無言で用を問う。


「お父様、聖戦の件は真でした。つきましては、和解の使者を私にお任せ頂きたく」

「うむ、良かろう」


 魔王は頬杖を付いたまま短く返す。こちら側に戦う意志も理由もなく、和解するのが最善策であるからだ。


「父上なりません。敵地にシャルを送るなど……」

「お兄様、お忘れですか?」


 シエルの言葉を遮り、シャルロットが力強く切り返す。戦闘能力は皆無でも、魔王軍きっての交渉人がシャルロットであった。彼女以上の適任はいない。


「シエルよ、シャルの性格と実力は分かっておろう。諦めよ」

「っ……分かりました。ですが俺も供としてついていきます」

「構わん。……本日の会議は終了とする」


 魔王の言葉を合図に重臣たちは部屋を出る。残ったのは親子三人のみであった。


「父上、交渉の前に相手が仕掛けてきたらどうします? 焔とかいう男が本気を出せば、流石に俺ではどうにも出来ませんよ」


 シエルの心配は最もであった。場所は敵の本拠地。せいぜい逃げ帰るぐらいしか思いつかない。


「大丈夫です。藤華が必ず止めますから」

「……シャル、友達を随分信用してるようだな」

「ええ。藤華は私が魔王の娘と知っても、親友と呼んでくれる人ですから」


 ふんわりとシャルロットは笑うと、藤華を姿を思い浮かべる。会った回数は少なくとも、シャルロットの初めての親友。親友の頼みとあらば力を尽くそう。


「──シエル、万が一の際は帰ってこい。聖戦と始まりとなろうぞ」


 魔王は冷笑を浮かべる。魔王といいシャルロットといい、大事な人の為に全力を賭けるのはよく似ている。


「はぁ、判りましたよ」


 家族の中でそれなりの常識を有しているシエルは、仕方なく折れた。交渉に向かうのは三日後。それまでに護衛の準備をせねばならない。シエルはまた一つため息をついた。



 ✽ ✽ ✽



 翌日、シャルロットから手紙が届いた。内容は藤華の頼みの成功を告げるものである。藤華ははしゃぎながら階段を降りる。


「やった、やった!」

「はいはい、良かったな」


 一階のリビングで書類を整理していた焔と凛が振り返る。書類はたくさんの人の署名が書き連なれていた。藤華の考えた第二策である。


「焔、署名は集まったの?」

「ああ。異世界転生課の連中だけでなく、他にも反発している奴らが居たからな。だいぶ楽に集まったよ」


 署名の大半は焔のファンクラブが書いたものだ。焔の意思を何よりも優先するのが会の掟である。


「あるじさまはにんきですね」

「ほんっとだよ。やるなー、この人たらし!」


 藤華はやいやいと焔を突付く。焔は口で止めろと言うが、本気で嫌がることはない。


「……で、いつ乗り込む?」


 焔は好戦的な笑みを浮かべる。藤華に初めて見せる表情だ。ほんの少し驚いたものの、切り返した。


「三日後。シャルが来るのに合わせる」

「りょーかい」


 焔は書類をまとめ、封筒に入れる。すでに机には複数の封筒が積まれていた。


「俺は部屋に戻るわ」

「ふじかさま、ばいばいです」


 焔と凛がソファーから立ち上がり、部屋に戻っていった。その背中に向かって藤華は言い放つ。


「各々、抜かりなく」


 開け放った窓から風が吹き込み、カーテンを揺らしていた。

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