本文

(序章)


「エイド、ここ開けていいか?」

 直立した灰色おおかみと言う風貌の長身の青年が、凹凸のない鉄扉の前で呼び掛けた。こたえるのは、青年に負けない長身かつグラマラスな美女。何処から見ても人間の女性だが、鉄仮面のような無表情から出た女声には、

『お待ち下さい、先に部屋毎の警報装置セキュリティ・アラーム無効化ディスエーブルしているか調べてみますネ』

 即興で合成された音声独特のノイズが混ざっていた。

「たぶんが切ってんじゃねーか? この辺、」

 青年は狼の鼻をふんふん鳴らした。

「まだ生き物の臭いが残ってるし。割と最近の臭いだぞ」

依頼者クライアントから提供された情報データを分析した限り、前任者に機械工学技術者エンジニアが含まれている可能性は高いですが、このレベルの警護機能セキュリティ・システムを無効化するのは恐らく不可能ですヨ。この遺跡ビルの高さは約二十メートル、当時のオフィスビルとしては小型ですが、部屋毎に独立した自動警備を設置したうえ、開錠アンロックに生体認証を採用して標準的な遺跡より安全対策度セキュリティ・レベルが高く設定されています。定礎石に刻まれた建設年はおよそ百六十年ほど前ですが、人間滅亡直前の混乱期を見越して建設された遺跡でしょうネ』

「セ、セイタイニンショウ……?」

 青年の狼そっくりな容貌に怪訝な表情が浮かぶ。

『生物の各個体が持つ固有の特徴――ヴォルフで言えば狼のような顔や体、灰色の毛並み、声、鼻のしわ模様、体の中の血の流れと言った、真似することが難しい個性を扉の“鍵”にすることですヨ。特にこの時代の生体認証を不正突破クラックするには、機械工学だけでなく生物学の知識も必要になります。人形わたしたちに組み込まれた解析プログラムは対応できますが、現代の教育水準で理解するのはほぼ不可能でしょうネ』

「ってこたぁ、この部屋は手付かずかも知れねぇってことか。ったぁく……誰だか知んねぇが、半端な仕事しやがって。依頼受けたんなら隅から隅まで全部きっちり調べろってーの」

 狼顔の青年ヴォルフはボヤきながら、鉄扉の前を美女エイドに譲って少し下がった。代わりに前へ出た美女が鉄扉や付近の壁を調べる間、青年はふぅ、と溜息ためいきを吐きながら辺りを見回す。

 そこは天井も壁も床も硬くザラザラした灰色コンクリート打ちっぱなしの、細長い廊下だった。両側の壁には、部屋の出入口となる長方形の穴が規則正しく互い違いに並び、明り取りの窓さえない廊下に陽光を届けている。


 この遺跡を形作る灰色の素材は、美女の話だとセメントを固めたものらしいが、ヴォルフの知るセメントとは比べものにならないほど頑丈だった。セメントの塊は、彼の肩幅ほどにも大きく、表面には模様なのか、親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさの円が、規則正しく並んでいた。そんな大きな塊をマス目のように規則正しく積み、壁がほぼ平らになるほどたっぷりの目地で埋めている。土を焼いたレンガに比べればはるかに丈夫な素材だが、構造的には段毎にズラして積んだ方が崩れにくいのに。壁の中に鉄製の芯材が入っているとは言え、どれだけ壁の平らさにこだわりがあったのか。

 そんな壁に規則正しく並んだ出入口も、元は眼前の部屋と同じ鉄扉がはまっていたはずだ。しかし鉄扉が無くなっているのも当然、溶かすだけで不純物の少ない良質の鉄が手に入るから、良い値段で売れるのだ。眼前の一枚だけ残した理由は分からないが、たぶん開錠に失敗して自動警備端末を稼働させたとか、運べる重量の限界を迎えたとか、その辺りだろう。エイドに任せておけば開錠は確実なので、ヴォルフも余裕があれば刻んで持ち帰りたかったが、今回の依頼は急ぎだからなかば諦めていた。


 なにしろ、既に先人に狩られ“枯れた”遺跡で先人の尻を拭うなんて言うクソ依頼だ。目ぼしい遺物が残っていないのは最初から分かっている。


 目当ての遺跡に到着してすぐ、入り口から中を見ただけで、セメントき出しの床が目に付いた。外壁の古さの割には綺麗で砂埃もほとんど被っていない。一面に敷かれていたはずの絨毯じゅうたんは、恐らく最近になってがされたのだろう。当時の絨毯は、現代のものとは比べ物にならないほど触り心地が良く、虫に食われない貴重な素材のため、面積が広いほど高値が付くのだ。

 灰色の天井に目を向ければ、整列したどの穴からも、何かの線が飛び出していた。本来であれば、火を使わず遺跡を照らす“冷たいランプ”が嵌っていた穴だ。手が届きさえすれば簡単に取り外せ、ランプとしては壊れていてもガラスの部分は溶かせば資源として再利用でき、小型で持ち運びも楽で高く売れるとくれば、真っ先に剥がされるのも当然だろう。

 ちなみに“冷たいランプ”が繋がっていたはずの線には、銅製の細い針金が入っているが、含まれる銅の量は少なく、古物商に持ち込んでも採算が取れないので、基本は放置される。たまに「あの線がどうしても必要なんだ!」と言う依頼もあるので、そのときに備え、ある程度の長さを予め確保するのが精々だ。

 裏口を調べてきたエイドによると、警備装置は六日ほど前まで動いていたらしく、前任者が探索したであろう日にちと一致する。なんでも壊されたばかりの外壁から切れた線が何本も飛び出し、無茶苦茶に繋ぎ直されていたそうで、確かにこの方法なら知識のない素人でも自動警備システムや修復システムを止められる。必要なのは通電しにくいセラミック製の刃物だけだ。もっとも、外からの侵入者を防ぐだけで、建物の内部に独立した自動警備システムが設置されていることも珍しくないのだが。

 遺跡に踏み入り、鉄扉のない部屋の中を覗けば、何処どこ彼処かしこも荒らされていた。窓が枠ごと消えた外壁。セメントの床。天板だけ残された机。床一面にぶちまけられた、パリパリにもろくなった紙の塊。ビニルだかプラ何とか言う素材でできた、大きさも色も形も様々な箱は一様に割られ、金属やガラスの部分だけ消えていた。当時はもっと硬かったらしいが、百年以上経った今では、指に少し力を入れればパキン、と音を立てて容易たやすく割れた。

 天井の“冷たいランプ”はもちろん残っておらず、売れ筋の人気商品である椅子も見当たらない。現代では作るのが難しい五本足の椅子は倒れにくいので、クッション部分を修復して再利用されるのだ。

 手間や換金率を思えば、小型の遺物はそのまま持ち出し、大型の遺物は不要な部分をその場で剥がし置いていくと言う、セオリー通りの仕事だった。

 床に散らばっている紙も貴重品ではあるが、遺跡で見つかる紙のほとんどは、触れば砕けるほどパリパリになっていて、再利用するのは難しかった。保存状態が良ければあと二百年から三百年は持ったらしい紙も、人間滅亡直前の混乱期にあって大半が燃やされ、運よく残っていても、大抵は放置されて日に焼け著しく劣化している。

 これが遺失技術の記された紙なら大発見だが、当時の一般市民が働いていた程度の遺跡で、そんな大発見などまずあり得ない。何より当時を知る人形が少なからず存在し、揃って「このような遺跡にある見積書や会計書類や従業員マニュアルは普遍性に乏しく、当時も今も組織外では大して役立つものではありません」と言うのだ。

 しかし今では貴重な紙も、人間が栄えた頃には誰でも容易に手に入れられる代物だったようで、この灰色の壁や天井も、かつては灰色が見えないよう一面に紙が貼られていたらしい。その名残で、天井や壁のところどころに、元の色がすっかり分からなくなった茶色の紙片が今も張り付いている。ただ壁を飾るためだけに、紙をそんなにたくさん使うなんて、人間と言う生き物は随分ずいぶん贅沢ぜいたくだったんだなぁ、とヴォルフはいつも思う。


「しっかし本当……人間って奴ぁ、こんな凄ぇモンいろいろ作った癖に、なんで滅んじまったんだろうなぁ」

 青年ヴォルフのつぶやきに、美女エイドが鉄扉の横の壁に手を当てたまま、答えた。

『“人間が作った凄い物”は、人間が考えた以上の威力パワーを持っていたのですヨ。そして、人間はその制御コントロールを誤りました。その結果が今のこの世界です』

「つまり凄ぇモン作れちまったから、そのせいで滅んだってか……凄ぇモン作れるのも良し悪しだな」

『しかし、人間がいなければ人形わたし獣人あなたも存在していませんヨ、ヴォルフ。人間は滅亡に備えて、世界の未来を託すべく私達をも作ったのです』

 途端にヴォルフが嫌悪の表情を浮かべた。

「世界の未来だぁ? んなモンどうでもいいよ、俺ぁ明日のお天道様が拝めるかどうかで精一杯だ」

『それは一理あります、明日を生きることが出来なければ、世界の未来もひらけません。それとお待たせしました、警報装置の解除が完了しました。警戒度セキュリティ・ランクが上がっていたため履歴ログを確認したところ、六日前に不正侵入を試みられたが阻止したとのことでした。予想通り前任者はこの扉を開錠できなかったようですネ』

「お、サンキュ、エイド。んじゃま、お宝探し始めっか!」

 ヴォルフはにやり笑って、しかし慎重に、壁と鉄扉の隙間に指を入れて少しずつ扉を引いた。隙間から洩れる白い光が、明るい部屋から薄暗い廊下へ広がっていく。


                  ○


 人間が滅亡して百年余り。滅亡期の混乱で地上は荒廃し、人間と共にインフラが壊滅したことで文明は後退した。かつて作られ、今に残る遺物も少なくないが、メンテナンスなしで百年以上を経てまともに使える遺物はまれで、それを修理したり新たに作ったりできる者はごく限られていた。また技術はあっても、肝心の設備や材料が足りない、と言った事態も少なくなかった。

 そこで必要とされたのが、人間滅亡前の遺跡から当時の遺物を回収する「トレジャーハント」である。


 ヴォルフとエイドも、そうしたトレジャーハンターの一組だった。一口にトレジャーハンターと言っても、依頼を受けて特定の遺物を回収する者、手あたり次第に遺物を回収して古物商などに持ち込む者、遺跡や遺物を現地調査する研究者、失われた遺物や技術の再発見を目指す者、遺物回収のついでに付近の集落を襲う強盗紛いの輩、などなど……その在り方は千差万別である。

 もし遺失技術や手がかりとなる遺物を再発見できれば、一かく千金はもちろん、後世に名を遺す偉業と言っていい。だからを目当てに遺跡を探索する者も珍しくない。だがトレジャーハンターに一番多い動機は、大金でも失われた技術でも名誉でもなく、地表の大半が荒野と化したこの世界で、日々生きる糧を稼ぐことだった。だから彼らには家族や親戚と言った血族のグループが多く、ヴォルフとエイドのような獣人と人形の組み合わせは、皆無ではないが少数派だ。

 もっとも、ヴォルフはエイドに育てられたので、二人は「家族」と言って差し支えないし、単に生活費を稼ぐ手段と言う意味でも他のトレジャーハンターと大差ない。エイドが人間滅亡前から稼働している古い人形と言うこともあって、こういう“生きた”遺跡には強いと言う点で、他のトレジャーハンターよりは有利だったが、遺跡の大半は“死んで”いて、その有利さが役立つ場面は少なかった。


 そういう事情なので、二人の活動は基本的には依頼を受けるか、依頼がなければ換金率の良い遺物を回収するのが主立ったものだ。遺物の研究とか技術の再発見とか言った偉業は、崇高な志を持った者に任せておけばいい。無論、依頼されればそういう仕事も請け負うが、依頼に見合った報酬さえもらえればいいだけなので、別にに限った話ではない。ある程度の信用は必要としても、知名度にも然程さほど興味はない。だから掃いて捨てるほどいる、一介のトレジャーハンターで構わないとヴォルフは思っていた。この先死ぬまで、ずっとこんな生活を繰り返すのだろう、と。


                  ○


 件の部屋の中は、窓ガラスは全て割れていたものの、ほぼ手付かずの状態で遺物が残っていた。

『依頼人が仰っていた通り、当時の典型的な小規模事業所オフィスのようですネ』

 向かい合わせに置かれた事務机と椅子三組六席が二塊。それぞれの机は、衝立で低く仕切られている。そして、その十二の席を見渡すように、離れて置かれた机と椅子が一席。部屋の隅には空のゴミ箱や、枯れ木の植わった鉢植え。透明な壺が逆さにくっ付いた縦長い箱ウォーターサーバーは壁に沿って倒れていた。壁沿いには他に金属製の棚もあり、紙が何枚も挟まった折れ曲がった板ファイルや本が横倒しになったり床に散らばったりしている。そして窓のない壁の一画が大きく出っ張っており、そこに扉のない出入口が一つと、扉付きの出入口が二つ。

 全ての机には、台座付きガラス板ディスプレイと、四角い鱗が表面に並んだ板キーボード、手を乗せるのにちょうどいい楕円形の半円球の機械マウスが揃っていた。恐らく机の下に、それらと組になっているパソコンが置かれているはずだ。ガラス板はひとつだけ台座ごと倒れて割れていたが、それ以外の十二枚は無事そうだった。見た目は大丈夫そうでも動かない代物がほとんどだが、もし動くようであれば、遺物の中でも相当な貴重品だ。

 机の上には他にも、様々な小道具が散らばっている。崩れた紙の山。倒れた筆立てに筆記具。コップや透明な水筒ペットボトル。小さな横長いガラスが嵌った、四角い鱗が整列した小板電卓。それに似ているがもっと大きな、棒のようなものと線で繋がった板固定電話。一部は周辺の床にも落ちていて、遺跡が何かの衝撃に襲われたことを物語っていた。


『この一部屋で完結する小規模な組織で、構成員一人ひとりに専用の席とパソコンが与えられ、構成員は各自でそれを使って経理や事務や情報処理プログラミングなど各々に与えられた業務をこなしていました』

「へぇ……」

 説明されてもヴォルフには想像もつかない。いろんな金属機械がくっ付いた緑色の板が入った箱が「パソコン」だと言うのは覚えたが、何をする機械なのかは正直よく分からなかった。「プログラミング」と言うのも、エイドの説明で「パソコン」を動かすのに必要なナニカらしいことだけは理解したが、具体的にどう動かすのかはさっぱりだ。

『私はこのような事業所を補助サポートする機会を得ませんでしたが、類する業務に携わったことはあります……懐かしいですネ。それに同型の中にも、このような事業所を補助する個体が存在しましたので、情報の解析は可能だと思われます』

「同型?」

『獣人で言えば兄弟のようなものですヨ。ここに置かれたパソコンやディスプレイやキーボードがそっくり同じ物であるように、私も大量生産された機械です。見た目は細部変更カスタマイズされていますが、構造が同一の人形は他にもたくさん作られました』

「エイドみたいのが、他にもたくさん、ねぇ……」

 想像してヴォルフは、ちょっとげんなりした。家族を失って一人彷徨さまよっていたところを拾ってこの歳まで育ててくれたのだ、感謝はしている。しているが、『遺跡を探索したいのであれば、どのような危険にも対応できるよう、身をもって学ぶ必要がありますヨ』とか言って、いろんな自動警備の攻撃にさらされたものだ。見えない“糸”をさえぎって警報が鳴るだけなら良い方で、雷が鳴る前の臭いにも似た酸っぱいようなしびれるような独特の臭いの後、熱い光が飛んできて服や毛が焼けた回数はもう覚えていない。何処に隠されていたのか、大きな筒や箱のような自動警備端末に襲われたこともある。最終的には全てエイドに助けられたが、そうでなければ何度死んでいたか知れたものではない。

 大人になった今、思い返せば本当に危険な自動警備はエイドが解除した後で、ヴォルフの成長に合わせて自動警備を作動させていたと分かるのだが、そうと分かっても実践経験としてはスパルタが過ぎた。おかげで随分と用心深くなったとは思うが。


『それより時間がありませんので、私はパソコンを回収しますネ』

「おお、そうだった。俺は他に回収できそうなモンがあるか探してみるよ」

 机の下に潜り込むエイドの横を通って、ヴォルフは扉のない出入口に踏み入った。


 三人か四人ほど入ればいっぱいになる、窓のない小部屋だった。入って右側はすぐ壁で、奥の方に紙の箱が山積みされていた。当時の紙の箱がほぼ完全な形で残っているのは実に珍しい。出入口から陽光が入らず、更に部屋の一番奥の隅に置かれていたせいだろう。

 箱の側面には当時の文字らしき記号と、いろんな絵やら縦縞バーコードやらが描いてある。漢字と言う文字は複雑な形が多くほとんど読めないが、エイドのスパルタ教育もあってひらがなとカタカナ、英数字程度ならヴォルフもなんとか読めた。

「ミネラルウォーター……ウォーターって確か水のことだっけ。あとはパンにビスケット、トイレセット……こりゃ中身調べるのは後回しだな」

 入って左側は、手前に扉付きの背の高い箱が、奥には腰ほどの高さの細長い台が置かれていた。こちらも、見た目だけなら傷もなさそうだ。

 手前の箱は、“生きて”いれば中身が冷える、これまた貴重な遺物だが、急ぎ回収するには大きすぎた。その上には、やはり扉の付いた小さめの箱。こちらは“生きて”いれば中に入れたものを火を使わずに温める遺物だ。運べないことはないが、二人だけでパソコン十三台を持ち出さなければいけないので、この大きさの遺物も一緒に、と言うのは流石に厳しい。依頼品がもっと小型の遺物だったら、あるいは少なくとももう一人いれば、回収できたのに。

 奥の台は、上面が金属製、中央辺りに大きめの四角い凹みがあり、金属製の太く短い棒が生えている。遺跡が“生きて”いた頃には、あの棒から水が出たそうだが、今ではもちろん付近に水の湧くような場所もない。

「こんくらいなら持っていけっかな」

 ヴォルフは腰の革ポーチから、手に馴染んだモンキーレンチを取り出し、早速蛇口を取り外しにかかった。


 パソコンはこの時代には随分小型化したそうだが、それでも十三台もあれば二人分のリュックには入りきれず、何台かは両手で抱える形になった。これなら依頼された条件に見合うはずだ。流石に台座付きガラス板ディスプレイまで持ち出す余裕はないが、

「依頼主に報告すりゃ、また取りに行けって話になるかな。……追加の手間賃取れるかなぁ」

 などとヴォルフが考えながら蛇口や“冷たいランプ”、パソコンと組で使う線などを袋にまとめていたとき、彼の耳は僅かなモーター音を捕らえた。

「エイド、モーターの音が聞こえる。かなり遠い……たぶん十キロくれぇかな、でもちょっとずつ近づいてんな」

『要警戒対象と認識します。何台ですか? 方向は分かりますか?』

 エイドには遠くを見たり、壁の向こうの金属を見つけたり、並の獣人には見えない光を見たり、聞こえない音を聞いたり、見ただけで長さを正確に測ったりする能力があるものの、こと、遠くの音を聞いたり臭いを嗅いだりする能力に関しては、ヴォルフの方が遥かに上だ。

「音が反響してっからなぁ……外なら分かるかも」

『了解しました、急いでここを出ましょう』


 エイドは心得たもので、二人が部屋を出ると再度施錠し、自動警備機能も復帰させた。これなら開錠できない同業者に遺物を横取りされる心配はないし、開錠できる同業者に横取りされたなら、「早い者勝ち」が原則のこの稼業、悔しいが運がなかったと諦めるだけだ。

 二人は荷物を抱えて慌てて階段を降り、近くの廃墟に隠して置いた砂色の布をめくった。出てきたのは、砂色の布をぐるぐる巻きつけたフレームに木箱を乗せたリヤカーだ。木製であれば見向きもされないリヤカーだが、鉄製のフレームとバレれば金属資源として狙われるため、遠目には分からないよう偽装しているのだ。

 普通なら車輪も金属製か木製で、くとかなりガタつくのだが、このリヤカーの車輪には弾力性があり劣化に強い貴重な素材で出来た防振シートがぐるり張り付けられている。こちらも偽装にぴったりのベージュ色で、ヴォルフも亡き父から「見つけた祖父じいさんに感謝しろよ」とよく聞かされたものだ。

 そのリヤカーに、パソコンの入ったリュックや遺物を詰め込んだ袋を下ろすと、二人は息の合った無駄のない手際で、布を被せて紐で括った。

 もちろん、ヴォルフの耳は作業の間もずっと、件のモーター音を捕らえていた。作業としては十分もかかっていないのに、音はもう三キロちょっとの距離にまで迫っている。おかげで、モーター音を追うようなガタガタと言う車輪音も聞こえ始めていた。その方角は西北西、ヴォルフとエイドが来た方向、戻るはずの方向。

「同業者か強盗か分からんが、最悪だな……」

『この辺りには隠れる場所も多いですし、出来るだけ距離を取りながら彼らをやり過ごしましょうカ』

「そうだな、……いや駄目だ、連中の中にがいやがる」

 風に乗った臭いが、そう語っていた。

「犬、猿、なんかの鳥の三人はいるな。機械の臭いのせいで、人形がいるかどうかは分かんねぇ」

『いれば完璧な組み合わせ桃太郎ですヨ』

「冗談言ってる場合じゃねーだろ。今はともかく、連中がこの辺りまで来りゃ俺らがいたこたぁバレちまう。俺にの臭いが分かるみてぇにな」

『そうであれば、隠れることに意味はありませんネ』

「ああ。だったら連中が何者でも、下手にけて怪しまれるよか、このまま素直に戻った方がいい」

『了解しました、ヴォルフ。それでは緊急事態に備えて、只今より護衛ガード様式モード移行シフトしますネ』


                  ○


 ヴォルフとエイドが二人、強い日差しの下でフード付きマントを被って、えっちらおっちらリヤカーを押し曳きしながら、人間が滅びてもなお残るアスファルトのひび割れた広い道を歩いていると。

 正面から件のモーター音と追随する車輪音が迫ってきた。アスファルトの道はひらけた岩砂漠の中でほぼ真っ直ぐ、廃墟群と町を繋げていて、かつては四台もの自動車が並んで走っていたそうである。わだちで凹んでいようが古びてひび割れていようが、今でも車輪の付いたモノが最も行き来しやすいルートには違いなかった。

 陽炎が揺らめいて、後ろからリヤカーを押すヴォルフの目にそれらしい姿は映らなかったが、

『バイクがリヤカーを曳いていますネ』

 前方でリヤカーを曳くエイドの望遠視力は捉えたようだ。

『バイクのシートにゴリラ型獣人、その上に翼を生やした女性型の人間……翼の色は黒いようですが、模様が見えないので何の鳥型獣人かは判別不能です』

「ゴリラの?」

『はい。ハンドルが通常のバイクより高さのあるものに換装されていて、それをゴリラ型獣人と鳥型獣人が二人とも掴んでいます。鳥型獣人の方は、ちょうどうつ伏せ状態で羽根を広げており、滑空しているように見えますネ』

「ああ……鳥の連中ぁ、バイク好きだもんなぁ」

 獣人と言っても姿は様々で、ヴォルフのように見た目はほとんど獣と言って良い者もいれば、彼女のように人間の体に獣の特徴的なパーツが申し訳付いた程度の者もいる。そして人間に近い姿の者の多くは能力も人間に近く、その鳥型獣人にように背に翼を生やしていても、翼の大きさに比べ体重が重すぎて飛べないことも珍しくない。そのせいか、彼らはスピードが出て全身で風を受けるタイプの遺物が、バイクに限らず好きだった――運転できるかどうかは別として。

『犬型獣人の姿は見えませんが、後ろのリヤカーに乗っていると思われます。他に獣人や人形らしき姿は見えませんネ』

「リヤカーに何人か乗ってるとしても、リヤカーが特別でけぇって訳じゃねーんだろ? だったら多くても大人三人乗せるのが精一杯だ、人形が二人いるかいねぇかってところか」

『ヴォルフ、鳥型獣人がこちらに気づいたようですヨ。この距離で私達を見つけるとは、人間に近い型にしてはかなり視力が高いです。滑空能力と言い、彼女は見た目に反して鳥の能力が高いタイプのようですネ』

「ってこたぁ、その鳥女は見張り役ってところか。リヤカー曳いてんなら、たぶん同業者だろうし、犬が探し役、ゴリラが運び役って考えりゃピッタリだ」

『ですが、トレジャーハンターに偽装した強盗と言う可能性も皆無ではありません。護衛様式を継続、引き続き要警戒対象を監視しますネ』

「ああ」

 できりゃ使いたくねーなと思いつつ、ヴォルフは腰の革ポーチを探り、中の護身用ナイフの位置を、再度確かめた。


 陽炎の向こう側、バイクとリヤカーの影がヴォルフにも見え始めた頃、リヤカーの辺りで何かが起き上がった。犬型獣人は、耳が垂れ、白い毛並みに無数の黒い斑点が散っている、いわゆるダルメシアン系だった。ただ、犬の割に顔が平たく、人間と犬の中間みたいな印象を受ける。

 と、ダルメシアンはリヤカーからぱっと飛び降り、突然猛スピードで走り出した。かなりの猛スピードで走っているはずのバイクをすぐに追い越し、更にそのままヴォルフたちに迫ってくる。

(な、なんだ!?)

 ヴォルフはリヤカーを押しながら警戒するが、ダルメシアンはこちらには目もくれず、あっと言う間に過ぎ去った。

(な、なんだ……!?)

 戸惑うヴォルフの横を、これまた猛スピードで件のバイクとリヤカーが通り過ぎる。

「お嬢、ケ……の奴、……」

「ほっときな、いつもの……」

 通り過ぎる間際、バイクの鳥女とゴリラの会話が切れ切れに聞こえた。

(な……なんだ……?)

 同業者とおぼしき連中と、とりあえず何事もなくすれ違うだけで済んだので、安堵はしたものの……気づけばヴォルフは押していたはずのリヤカーに置いていかれていた。

『ヴォルフ、気にしたら負けですヨ』

 ペースを保ってリヤカーを曳いているエイドが遠ざかりながら諭した。



(1章)


 その町は、人間滅亡前から湖のそばにあった。当時から一戸建てが密集する、エイドによれば『ベッドタウン』だったそうで、住んでいた人間たちは毎日、今では廃墟と化した遺跡群オフィス街へ通っていたらしい。

 道も当時のアスファルト舗装の道路をそのまま使っていて、遺跡群へ行き来する道ともシームレスに繋がっているので、遺物を運ぶためにリヤカーを使うトレジャーハンターにとっては、便利なことこの上ない街である。

 町の建物も五分の一くらいは当時のもので、混乱期に周辺の広い更地に建てられた難民向けの長屋や、人類滅亡後に獣人や人形が建てた粗末な小屋とは、建材や根本的な構造が異なるので、すぐに見分けが付く。だいたいは二階建てだが、いつ崩れ落ちるか分からないので、二階部分まで使う者はそう多くない。老朽化により少しずつ数を減らしてはいるが、崩れた後も残った壁は流用され、屋根瓦や外壁材などの廃材も再利用できるものはされており、いろんな建材や構造の建物が混ざる雑然とした印象の町だった。


 そんな町の一角、十字路の角にある、壁の一部が崩れた四角い平屋の前の広場で、ヴォルフは一人、曳いていたリヤカーを止めた。かつて真夜中でも開店していた雑貨店コンビニだったと言う建物は、もちろん雑貨店としての設備はとっくに失われていたが、いつ頃からか遺物を売買する古物商が住み着いていた。三面が壁で一面だけ跨げるほど低い壁と言う奇妙な作りで、帳場机レジカウンターの奥に小部屋のある、雑貨店としては珍しい造りだったその建物は、貴重な遺物を多く保管するのにピッタリだったのだ。

 もっとも、付近の建物は誰かしら住んだり使ったりしていたのに、この建物だけは長らく空き家だった。理由は、床や帳簿机にこびりついていた古い血痕やどす黒い襤褸ボロ布を見て、店主もすぐに察したそうだ。その話になると店主は毎度、床や帳簿机の汚れを落とすのにどれだけ苦労したかを延々と語ってくるので、ヴォルフは話題を慎重に選ぶよう心掛けている。

 低い壁の向こう側、帳場机の前にはだだっ広い空間があり、かつては金属製の棚やガラスの箱に食べ物や雑貨が山盛り並んでいたそうだ。今は持ち込まれた遺物を点検のため広げる場所として普段は空けたままにしており、壁の穴とそこから出た線だけが当時の面影を残していた。

 その空間を挟んで帳簿机の対面側は、外壁が一部崩れていた。風通しや見晴らしのためではない。雑貨店だった頃、その壁際は透明な水筒ペットボトルの倉庫だったそうだが、世界が荒れ食料や飲料の入手が困難化したことで、暴徒化した難民に襲われ壊されたらしい。難民は当時、廃墟群に程近い住処を失った多くの人間たちが、町の周囲にあった湖のほとりを始めとする広い空き地に雪崩れ込んだもので、それを不満に思った町の住民と対立していたそうだから、なおのことだったのだろう。

 人間と言う生き物は獣人や人形よりも身体能力が低いと聞いているが、この頑丈な外壁をどうやって壊したのか、と思うと底が知れない。否、かつては植物や水が豊富だったはずの世界を、ここまで荒廃させたのだ。現代には伝わっていない、何か恐ろしい力を持っていたのだろうか。そのうちエイドに聞いてみよう。


 そんなことを考えながらヴォルフがリヤカーを止めひと息く間に、店の中で帳場机に頬杖をついていた誰かが、立ち上がって外へ出てきた。

「坊主、今日の収穫はどんなんだ?」

 ぱっと見は人間の中年男性に見える店主は、頭に鹿を思わせる短い角が生え、耳は牛のように広葉樹の葉のような形で横へ飛び出している。爪は鷹のように鋭く尖り、まくった袖から覗く腕には魚の鱗のような凹凸。

 複数種の生き物の要素を持つ、獣人の中でも稀少レアな種族だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

③遺跡でお宝を探してたら、憑依霊にこき使われる羽目になったんだが せんと★えるも @saint__elmo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ