第2話 臨廃アーケード商店街2 クソ美脚来襲

 必ず臭い飯を食わせてやるからな! 必ず!

 脚屋イズヤ巡査はそう捨て台詞を叫びつけ、悔しさのあまり少し泣きそうになりながら地下の無法バーから逃げ出した。

 階段を駆け上がって寂れ切った商店街の景色へ飛び出した瞬間、少しだけホッとした。それでも受けた屈辱は変わらないし、ストッキングの傷が消えるわけもない。

 その足でアーケード商店街の端まで突っ走り、その脚のための新しいストッキングを買いに辺りで唯一のコンビニに駆け込んだ。

 間の抜けた入店チャイム音、コンビニ独特の匂いが今度こそ日常に連れ戻してくれたような気がして、思わず深いため息がこぼれる。

 深夜。ほかに客の姿はないものの……ウザいことに、ストッキング売り場の横の日用品コーナーで、店員がしゃがみこんで品出しをしていた。

 ダルそうで眠そうなおっさん店員はいらっしゃいませも言わずにイズヤを見て、裂けたストッキングを少しガン見して、投げやりに言った。


「それ、脱いだやつくれるなら、新しいのタダで持ってっていいよ」


 イズヤは無視して、ストッキングを物色する。くそ。就活生みたいな無難すぎるベージュだからナメられたのだろうか。いっそ黒ストッキングにしたらもうちょっとオトナ感を醸し出せるかもしれない。ベテランはたいてい黒と決まっている。


「ねえお姉さん。それ、伝染したから履き替えにきたんでしょ? 二足、いや、三足あげるからさ。ちょうだいよ。どうせ捨てるんでしょ?」


 安物から高級品のほうへ視線を移す。網目なひし形模様が入った黒ストッキングもレベルが高そうに見えそうで良さそうな気がしてくるが、やっぱり高い。また破られでもしたら今度こそヤツを刺してしまう。


「その網目模様のやつ、エロいよね。昨日はいったばっかの新発売だから、まだ使ってる人少ないし、エロいよね。みんな大注目するよ」


 九能ナガノ市長のいまいましいツラが浮かぶ。

 あの、ゴミを見るような眼差し。

 ああいうやからはどうせ高級キャバとかでかなりの美人に囲まれて金の力と自分本体の魅力とを取り違えて勘違いしてモテる気になっているに決まっているのだ。

 そりゃあ自分は敵わない。

 綺麗になるつもりで綺麗になっているリアル女の子に比べられたら、嫌々で仕方なくやっている、やってあげている男の娘なんて足元にもおよぶわけがない。

 つまり、フェアじゃない、全然。フェアじゃない!

 それなのにヤツは、あのクソは、ブスを見る目つきで自分を見てきた、いや、チラ見しただけでまともに見もしなかった。お前の権限で女装を強制しておいて、ろくに見もしないとは限りなくふざけている。ブタ箱で正座させてこの久脳市のスローガン『思いやりとありがとうの心でかがやくわたしたちのまち』を泣くまで唱えさせてやる。それからストッキングを頭にかぶらせて、無理やり穿かされる気持ちもわからせてやるんだ。


「こんなものぐらいくれてやる!」


 しつこくブツブツ言っている店員の横で、イズヤはストッキングを脱ぎ始めた。





「ありがとう、また来てね。こ、今度はさ、黒いの履いてきてくれたらさ、嬉しいな……またサービスするからさ……」


 店員がトイレに駆け込んでいくのを後ろに見つつ、イズヤはコンビニを出た。

 結局、網目模様はレベルが高すぎる気がして怖気付いたので、普通の黒ストッキングを履いている。

 一応、網目のやつとベージュのやつもタダでもらって、レジ袋もタダでつけさせ、甘い缶コーヒーとチョコクロワッサンもサービスさせた。

 どうだ、これがこの脚の実力だ。あの市長野郎がストッキングを履いたとして、コンビニで同じ交換交渉ができるか? できるわけがない。

 粘ればまだ交渉してさらにポテチ五袋ぐらいはぶんどれそうだったけど、自分は正義警察官なのでそんなひどいことはしない。


「クソ市長……まだ逃げてはないだろうな」


 無法地下バーを出てから、まだ十五分経つかどうかだ。このおろしたての黒ストッキングがあれば、あんなやつひとたまりもないに違いない。そんなに見たいなら見せてやるといって顔を踏みつけてやる展開すらかなりありうる。


 イズヤは再びアーケード商店街を駆けた。

 靴音をカンカン響かせて、シャッター通りを駆け抜けて、やがて地下へのドアが見えてきた、そのとき。

 後ろから怪獣の咆哮が吹きつけた。音圧と風圧。

 振り返るや真っ白なライトに目がくらみ、まばたきをすると、怪獣めいてうるさいスポーツカーがアーケード内に乗り入れてきたのだとわかった。

 商店街は原則、クルマの乗り入れは禁止されている。

 これだけ眩しいヘッドライトを浴びせられて、警察官の姿が見えていないはずがないのに、イキったスポーツカーは吼えながらまっすぐ突っ込んでくる。


「とまれ、おい、とまれ!」


 まあ止まらないんだろうなあとわかってはいながら、一応、両手を振って叫ぶ。

 もちろん止まらない。

 これ見よがしに高級そうで、不必要にうるさいだけのスポーツカーが何をしに、こんな夜更けの商店街に突っ込んでくるのか。

 どうせあのクソ野郎の知り合いとかだろうという予感がぷんぷん漂う。もういっそ、次はどんなファック野郎が登場してきてくれるのかと期待すら高まる。


 スポーツカーはイズヤの横を紙一重で通り過ぎて、予想通りに地下入り口のそばで急停車した。

 エンジンが止まると、すかさず夜の静けさが滑り込んでくる。遅れて漂う排ガス臭。

 上に向けて開くクルマのドア。左ハンドルの運転席から現れたのは、やはりあれの同類だった。

 そのビジュアルはひとくちに言うなら、ガチムチラグビー選手。屈強な肩幅と胸板に張り付くような高級スーツの着こなし。短く刈った黒髪とヒゲが無駄にギラついて見える。

 イズヤはその顔を知っていた。

 この市とは県境で隣り合うライバル的エリア……冥郷市のスタミナ系市長、苗号ジョウ氏。

 なるほどそうなれば、次に助手席からは美人秘書が出てくるに決まっている。


「わ、おまわりさんがいます。うわ、こんな遅くにごくろうさまなことです、ね、市長」


 はしゃいでブリってるような口調こそ鼻につくものの、現れたのはもちろん秘書にしか見えない美脚美人だった。淡くピンクがかったロングヘアとでかい目、小さな鼻、口、顔。そうくれば巨乳は確定かと思いきや、胸元はぺったんこだ。

 控えめどころではなく、胸板レベルの平面。

 警察官の勘ですぐにピンと来た。

 彼女もまた、男の娘だ。

 しかもかなりハイレベルな。

 なだらかな肩幅にスーツはふんわり馴染み、かなり短いスカートから伸びる脚はいかんなく細い。

 ジョウ市長を見る眼差し、身の細かなしぐさ、唇とえくぼの黄金的な連動、すべてが絵に描いたようなハイレベルだ。

 なにより最悪なのは、脚だった。そいつはイズヤのコンビニ袋に入っているのと同じ網目黒ストッキングを履いていた。


 安堵の冷や汗が全身から噴き出してくる。

 ヤバかった。危なかった。間一髪だった。

 たとえ脚だけだろうと、あんな美人とおそろのファッションをやるなんて、公開処刑そのものだ。無人の商店街だろうと、精神が耐えられはしなかっただろう。

 ともすれば棒みたいに見えそうなギリギリ手前で踏みとどまって柔らかい脚線美を描いている秘書のおみ足。

 一方の肉体労働派警察官のむっちり肉づいた脚とは比べようもない。


 もう帰りたい。


 いまこの付近には勝てそうなやつがひとりもいない。

 チンピラ坊主がいちばん優しい存在にすら思えてきた。

 これ以上巻き込まれる前にそそくさと帰るしか生き残る道はない、そう決断して後ずさろうとしたところで、


「あれ、あなたってもしかして、そちらの偽善者市長さんが作った男の娘ポリスちゃん?」


 美脚秘書が絡んできた。


「ぜったい違います。人違いです」

「またまたぁ。そのやる気のない女装、見ればわかりますって、ねえ市長」

「やめないかタケシ。失礼だしかわいそうだろう」


 ジョウ市長はイズヤをチラ見して「すまんな、悪気はないヤツなんだよ」と真っ白な歯を見せた。

 美脚秘書の名はタケシというらしい。納得がいかない。フェアじゃない。

 泣きそうになってきた。やばい、マジで鼻奥がツンとき始めている。


「ちがっ、だから、人違いだから……」


 あらためて逃げようと、した、ところで、また。

 いまいましい地下へのドアが開いた。


「なんだまだいたのか。早くジジイを捜して潰してきてくれ脚屋巡査」


 ナガノ市長と坊主が外に出てくる。

 ドアが閉まるのを待たず、ジョウ市長がすかさず先手をとった。


「どーも、九能さん。いやあ、相変わらず賑わってるねえおたくの町は」


 でかいハツラツ声がシャッター商店街に響いた。秘書タケシがプッとひそかに笑う。そんな仕草すらいまいましいことにハイレベル。

 対するナガノ市長は眉ひとつひそめることもない。


「クルマもうるさいし声もうるさい。ついでに顔もうるさい。騒音防止条例トリプル違反だ。罰金は三百万だな」

「二百にまけてよ」


 続きを待たず、美脚タケシがクルマから札束を二つ持ってきてナガノ市長に差し出す。


「冥郷市民の税金からお支払いします。どうぞ」

「あとお前、さっきそこの下僕警察官をそれとなく馬鹿にしただろう」


 イズヤは思わずナガノ市長を見た。見つめた。

 まさか、うちの公務員をナメるなとかお叱りをくらわせてくれるのでは。


「言うときはもっとはっきり言ってやって構わない。男の娘をナメるなとか、脚が太いとか」

「うあああああ!!」


 イズヤはキレて、叫んで、市長をぶん殴るべく一歩を踏み出した、瞬間……背後でどすん、と重たい音が轟いた。

 振り向くと、でかくて平べったい半透明の正方形パネルが落ちていた。アーケードの天井パネルである。

 当然、見上げる。

 天井に一箇所だけ正方形の穴ができて、夜空が見えていた。

 そのふちから例のジジイが頭をのぞかせて、「しくじったか、チッ」みたいな顔をしていやがった。


 チンピラ坊主が「テメェコラァ!」と声を張って、近くの柱の工事用の足場をのぼり出した。

 美脚秘書タケシは「クルマに当てられなくて良かったです、ねえ市長」とかほざいている。

 そしてナガノ市長は。

 札束をしまい、イズヤをじっと見て、言い放った。


「お前も行けよ、警察官。ジジイが逃げるぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

男の娘警官はクソ市長の下僕になんかなりたくない 千野切手 @nanase-kitte

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ