男の娘警官はクソ市長の下僕になんかなりたくない

千野切手

第1話 臨廃アーケード商店街1

 足もとから絶叫が聞こえた気がして、脚屋イズヤ巡査は立ち止まった。


 深夜も更けきったアーケード商店街。初秋のまだ冷えきれない夜風が、ストッキング越しに脚をかすめる。錆びたシャッターが連なるばかりの眺めはきっと朝も昼間もシャッターは閉じたままなのであろう寂れ具合で、自分の足音が止まれば秒で耳鳴りが始まる静けさに暮れていた。


 空耳か、気のせいか。

 タイル路地の足もとを見つめて、まだ耳に残る叫びを思い返した。

 声色は男、それも老いてくすんだ喉がブルって絞り出したような、そんな叫びだった気がする。

 この界隈、かつて田舎の歓楽街として細々と賑わっていた頃ならば、悲鳴も怒声も日常茶飯事だったかもしれない。時代は過ぎて、今は酔っ払いひとりの姿すら見当たりはしない。

 

 足もとを見ていると、不本意かつ強制的に履かされているレディースシューズとベージュのストッキングが目に入ってムカつくので、イズヤはさっさと顔を上げた。

 耳鳴りが止んで、静けさがまたつのる。

 この町に生まれて育って21年。勝手知ったる地元の商店街に地下があるなんて話は聞いたことがない。地下がないなら、足もとから絶叫が聞こえるわけがない。気のせいだ。以上。


「クソ……ストレスのせいだ……なんで俺がこんな格好……!」


 周りが閉じたシャッターばかりなのは幸いだった。強制された婦警スタイルで形骸的な深夜パトロールを遂行する自分の姿がショーウィンドウに映されたりしなくて済む。

 もういい。

 叫びなんて、ストレスによる幻聴に違いない。こんな夜中に起きているやつはいないし、事件なんて起こるべくもない。

 早く路駐してあるポリス原チャリに戻って、交番へ帰ろう。なんなら明日のパトロールからは、原チャリでアーケードを突っ切ればラクなのでは? 一応は歩行者専用の場所ながら、地方都市のアーケード商店街なんて深夜に何をしようが誰もいないし構わないだろう。天才だ。

 イズヤが気を良くして帰路を踏み出そうとした、そのとき。

 

 外道めくたばりやがれ、と叫ぶのが聞こえた。

 また足もとから。

 今度はただの叫びではなく、意味ある言葉として。


 下を見る代わりに周りを探す。地下への入り口を。

 婦人服店。飲み屋。不動産。飲み屋。酒屋。かすれた文字がかろうじて読めるシャッターを次々に見渡していくと、何も書いていないシャッターの端、扉が別付けになっている店があった。見るからに薄っぺらそうな一枚板のドアは黒くて無言で、店名はおろかオープン・クローズのたぐいの表示すらない。

 近づいて、確認だけするつもりで手をかけると、普通に開いた。地下への階段がそこにあって、


「頼む、死にたくない、市長さんの力でどうにか……」

「無理だ。さっさと切腹しろ」


 そんな会話が地下から漏れ聞こえてきた。

 途端、イズヤは自分の職務をわきまえて背筋を伸ばした。警察官。町のおまわりさんがいま、求められている。市民が助けを求めている!

 階段を半ば飛び降りつつ駆け降り、下で突き当たったドアを蹴り開けてなだれ込んだ。


 はたしてそこには、瞬時によぎった通りの光景があった。

 飲み屋らしき小さな空間は入って突き当たりがバーカウンターで、椅子にスーツの男が座り、すぐそばの床で白装束の老人が膝立ちになっている。手には短刀を握っていた。さらにカウンター内には、坊主頭で背の高い若者がなぜか線香を持って立っている。お坊さんぶっているつもりか、派手な般若心経パーカー姿。


 三者がいっせいにイズヤを見た。

 眉のないチンピラ風坊主。

 怯え切った様子の小さな爺さん。

 そして、カウンター席に掛けている黒スーツの精悍なイケおじ。


 イズヤは、その中年男の顔を知っていた。

 顔どころか、名前も職業も知っていた。

 ほかの二人のことなど知らないが、その中年男のことだけは、たいてい誰もが知っているのだ。

 九能ナガノ。

 職業は、この久脳市の市長。

 市長、だ。

 かつてないイケメン市長と名高い。そんな顔だけ野郎かと思いきや、積極的な移住推進とか少子化対策とかで内外から支持を高めまくっている好感度ナンバーワン市長だ。


 ナガノ市長は婦警スタイルのイズヤをちらと見て、「なんだ公務員か」とだけ言った。吐き捨てるように言ったし、ゴミを見る目つきそのものだった。

 ナメられている。

 こっちはコスプレ婦警ではなく、リアル警察官だということをわからせる必要がある。

「俺は警察だ。切腹がどうとか言ってるのが聞こえたから突にゅ」

「警官の出る幕はない。ジジイを片付けるから引っ込んでいろ」

 市長はイズヤを遮って言い放った。

 警察手帳を見せつけようと懐に突っ込んだ手が止まる。

 ジジイを片付ける。

 そう堂々と犯行予告を告げたその声は。

 低くて聞き取りやすくてかっこいいその声は。

 会見で「私は常に市民の皆さんとともにある」とカメラ目線で訴えるのと同じ声で、市のイベントで子どもたちひとりひとりに笑いかけていたのを見たときと同じ声で、そして、さっき「さっさと切腹しろ」と迫ったのと同じ声だった。


 一瞬の硬直。

 イズヤは一応、警察手帳を出してチラ見せしてからまた懐へ戻した。わかっていたけど、市長はチラとも見ちゃいない。


 そして、最初に動いたのは老人だった。

 わめき、半ば這い転げるようなアクションでイズヤのほうへ、出入り口のほうへと向かい出す。

 直後、坊主がカウンターを飛び越えて老人に迫り、腹をめいっぱい蹴り上げた。悲鳴も出ない。えずきとうめきが漏れるだけ。坊主は蹴りまくる。老人は背を丸めて震えわななく。

「やめろ! おい!」

 やめろ、やめるんだ、イズヤが叫んでも坊主はやめないどころか勢いを増していく。この明らかに警察官にしか見えない警察官の姿が見えていないとしか思えない無視力。

 小柄で丸腰で逮捕術など発揮しようもない体格差を恨みつつ、イズヤはせめて老人に覆い被さろうとした。そのとき、


「そのジジイはこの地区の神様だ。神様と言っても、妖怪に毛が生えたようなものだが」


 ナガノ市長が良い声で喋った。

 神様、と。

 むろん、自治会長とか長老とかのたとえだろう。


「町が廃れると、神も廃れてやがて害をもよおす存在になる。そうなる前に処分している」

「はあ? あんたふざけてんのか」

「私は市長だからふざけてなどいない。そしてこれは市長としての仕事だから、下僕が邪魔をする道理はない」

 この間にも、チンピラ般若心経が老人をボコボコに蹴り回している。

 優先順位。狂人の相手より人命救助。

 イズヤがクソ市長に背を向けて坊主に立ち向かおうとすると、ひときわ強力な蹴りが決まって老人は入り口ドアまで吹っ飛んだ。頭から突っ込んで、首が嫌な音を上げてヤバいほうに曲がった。

 そして小さな身体は、動かなくなった。


 ……やりやがった。

 完全に現行犯だ。

 そして一大スキャンダルだ。

 市長がチンピラとツルんで老人をむごたらしく殺害。

 しかし……大ピンチでもあった。

 こっちは丸腰で小柄な新人警官がひとり。

 相手は、頭ひとつぶん背の高い市長と、さらにでかい無慈悲殺人チンピラ坊主。

 万に一つも勝てる要素がない。

 イズヤが二の足を踏んでいると、


「脚が震えてますよ」


 坊主が初めて喋った。まさかのですます調、穏やかで本物のお坊さんみたいな口調。

「怖がらないでください。人間を傷つけたりはしませんから」

「だッ、誰が、怖がってなんか……」

 言いながら、とりあえず会話が通じた安心感のせいで腰が抜けて尻餅をついた。脚を意識する余裕なんかなくて、曲げた膝に、スカートがずり上がる。慌てて膝を閉じて裾を引っ張ると、


「なんじゃ男か」


 爺さんがつぶやいた。

 シワに埋もれていた両目が見開いて、イズヤの股をガン見している。首グキして死んだはずでは。

 イズヤはチビりそうになるのをギリギリ耐えた。

 リアクションのしかたがわからず呆然としていると、ジジイは普通に起き上がり、首を斜め後ろに折ったまま、ドアから一目散に飛び出していった。


 両脚がぶるんと震える。

 鳥肌が一気に広がる。

 床に座っていると、市長と坊主がさらにデカく見えて仕方がない。

 ジジイは逃げた。

 とりあえずは良かった。いや良くない。

 ということは、次はイズヤの番だろう。

 いまだに何が何なのかわかることはひとつもない。ただ、見てはいけないものを目撃してしまった、そのことだけはもう完全にわかっていた。

 犯されるか殺されるか、犯されてから殺されるに決まっている。

 勝てる気がしないなら、せめて、堂々としていよう。


「抵抗はしねーよ。あんたらの好きにしろ」


 そう、最期まで、勇敢であれ。

 イズヤは立ち上がった。

 自らの手で、スカートのホックに指をかける。

 金具を外す、寸前。


「お前が来たせいで逃げられた。だからお前がジジイを始末してこい」

「は?」


 外し掛けたホックを戻し、市長を見つめる。

 危なかった。

 とんでもない早とちりをやらかすところだった。今さらになって噴き出す汗に、ストッキングが脚に貼り付いてくる。


「脚屋イズヤ巡査。市長命令だ。見られた以上、ただでは帰さない。お前がジジイの首を刎ねろ」


 名前がバレている。

 なぜ、と問うかわりに睨みつけると、市長はついに椅子をおりた。


「私は市長だからな。制服自由化推進の一環として、婦警スタイルの男性警官を少なくともひとりは作れと命じたのは、私だ。なんなら、そっちが見繕った候補者リストの中からお前を対象者に選んだのも、私だ」


 床に落ちていた短刀を高級革靴で蹴り上げ、いちいちカッコよくキャッチした。


「勘違いをするなよ。正確にはお前は選ばれたのではなく、いちばんマシだという消去法で残っただけだ」


 自らの所業を淡々と告白したのち、市長は短刀の柄のほうをイズヤに差し出した。

 ああ。

 マトモじゃない。

 手前のクソ所業を告白した相手に当たり前のように刃物を差し出してくるなんて、その場で刺されても仕方がないということがわからないのだろうか。わからないのだろう、クソ野郎だから。

 そこに触ったら、ソッコーで刺してしまう自信がある。

 だからイズヤは短刀を受け取るかわりに、右脚を股間目掛けて振り上げた。


「誰がやるかよ!」


 つま先がクソ市長のタマにめり込む、寸前で、足首を掴まれた。寸止めの反動にふくらはぎがぷるんとうねる。強く握られている感覚はない、のに、振り上げたままの脚をぴくりとも動かせない。

 市長は短刀の先をイズヤの膝にあて、数センチばかりストッキングを裂いた。肌にはわずかも触れることのない紙一重。


「ジジイを八つ裂きにしろ。さもなくば」


 不意に足首を離され、また尻餅をつく。

 開いた脚の間に短刀が放られて、床に音もなく突き立った。

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