隣に居ない春を越えて
藤咲 沙久
その先、いつまでも二人
可愛らしい妹さんですね。少し地元を離れれば、そんな風にすぐ的外れな褒め方をされる。もはや二人のお約束だった。
「郁ちゃんと私、同い年やのにね」
「あほ。そもそも兄妹とちゃうわ」
間違えられたことがつまらない、その気持ちがありありとわかる顔を見上げ、むしろ倫子は嬉しそうだった。彼女にとって、郁夫が平然としていないのであればいいのだ。倫子もまた隠しもせずにこにこと笑うものだから、今度は郁夫の頬が赤くなる。
最小限の言葉で交わされる会話。それでも事足りるのは、目も見えぬ頃から共に過ごしてきたから、だけでない。
「……あ」
小さく驚いてから、ふふ、と倫子が愛らしく微笑む。恐々と右手を包み込んでくる不器用さがなんとも郁夫らしい。骨張った大きな指で、痛くしないよう気を遣っているようだ。緊張からか、日焼けの跡が残る広い額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「今日はどうも、暑いな」
そっぽを向いて言い訳をする郁夫に、倫子も頷いてみせる。
(もう、秋やよ郁ちゃん。そういうところ可愛ええんやから)
郁夫は誤魔化すのが本当に下手な男だった。先日、結果的に引退試合となった一戦でもそうだ。悔しさに涙する部員達を一喝する厳しさ、それが強がりであることは誰もが知っていた。
──泣くんじゃない。お前らにはまだ来年があるんだから。顔を上げろ、ほら、応援してくれた人達によく礼を言うんだ。
今にも涙腺が緩みそうな目をして、厳つい肩を震わせて、俺は平気だなどと
倫子が紅葉を見たいと遠出を提案したのも、郁夫の慰労が目的だった。迫る受験の気晴らしでもある。一日くらい恋人らしい時間を過ごしたって許されるはずだ。二人の関係が変わってまだ、日が浅いのだから。
「ミチは、東京の大学受けるんやろ」
さく、さく、と足元で鳴る落ち葉の音に紛れて、郁夫が呟いた。同じくらいの声音で倫子も「うん」と返す。
「どぉしてもな、行きたい学部があるんよ」
「行きたいとこ行くんが、一番や。ミチは俺と違うて勉強できるんやから」
この応援はきっと本心だ。動揺の見えない横顔に、倫子はそう思った。だから笑みを向ける。寂しさの気配は、郁夫に伝わってしまっただろうか。
「……ありがとぉ」
最小限の言葉で交わされる会話。それでも事足りるのだが、今ばかりは倫子に不安を感じさせた。
(好きやよって。郁ちゃんが好きやから付き合うてって……私言うたけど。郁ちゃん、頷くだけやった)
その時はそれでよかった。郁夫も嬉しそうなのがわかったから。しかし志望校に合格すれば離ればなれになる。生まれて始めて、郁夫が隣に居ない春が来る。季節が進み徐々に現実味を帯びる別れに、倫子の細やかな胸がざわついていた。
「ミチ」
ほんのり冷たい秋風が倫子の三つ編みを揺らした。同時に、郁夫が足を止める。倫子もそれに倣った。落ち葉が鳴るのも、止んだ。
「俺、離れるのが嫌やないんと、ちゃうぞ」
「……郁ちゃん」
なんも言うてへんもん、と倫子が俯けば、なんも言われてへんわ、と郁夫が握る手を強くする。倫子の頬が少し色付いた。
「ミチがやりたいことやるんが、俺は嬉しい。そんで、いつか俺がお前を迎えに行く。そう決めとるから堪えられる。そんあとは、またずっと一緒や」
「ずっとって、いつまで?」
茜色の長い裾が、返事を急かすようになびく。郁夫は不自然な深呼吸をして、眉間の皺を深くした。それから口を開いた。手を繋ぐのすらぎこちない男の、一世一代の台詞だった。
「墓まで、お前の傍に
ぽかんとする倫子に、郁夫は居心地悪そうに身動ぎをした。慣れない反応に落ち着かないのだ。幼馴染みの思いを察せられる倫子であっても、ここまでの愛情は汲み取れていなかったということだろう。時にはこうして、答え合わせをするといい。
大人と子供くらい差のある身体をゆっくりと寄せる。抱擁とも呼べない弱々しさであったが、それでも二人の影は、溶け合うように重なっていた。
「……郁ちゃん。今のは、特大ホームランやわ。こないだ打ったんより、よっぽど大きい当たりや」
「あほ。あんとき俺が打ったんは内野ゴロじゃ」
紅葉よりも染まった顔を見合わせて、二人がくすくすと笑う。「居らせてくれ」に対する倫子の返事は、いつかの仕返しで、頷くだけにしてやった。代わりにこんなことを言った。
「お墓たてるんは、地元がええわ」
隣に居ない春を越えて 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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