嫌い嫌い嫌い少し好き
差別をする人間が、嫌いだ。
その差別を解決する事が出来ない人間を、見て見ぬ振りをする人間を、心の底から罵倒したりした。
そして、差別をされる人間が。
不幸な子だと恐れられる人間が。
朱い瞳を持つ自分自身が、何よりも。
人間と呼ばれる存在が、大嫌いだ。
-塗り潰す事の出来ない言のハ-
「………………どうしよう」
広く長い一本道の周りに店が並んだ、都市シュタットの大きな商店街。
其処はいつものように人で埋もれていて、沢山の音で溢れている。
その商店街から離れた広場のベンチに、一人の少女が座っていた。
金色の髪を頭の高い所でツインテールにした彼女は、少しだけ困惑を滲ませたしかめっ面をしている。
「何処に行ったのよ、ノビルニオの奴……」
辺りを探しても、目的の人物は見当たらない。
一緒に買い物をしていた筈なのだが、品物に目を奪われている間にはぐれてしまったらしい。
人混みだらけの商店街を、少女はその勝ち気そうな朱い瞳で眺めた。
買い物はただの気晴らしであり、金を所持しているのは向こうの方だ。
帰ってしまっても、叱られはしないだろう。
この場にいたくなくて、少女はベンチから立ち上がると、そそくさと歩きだした。
歩きながら、癖で無意識の内に前髪を撫でる。
己の醜い色を、周りの人に見られないように。
彼女は器用に人混みの間を縫って進んでいたが、向かい側から来た一人の少女と肩がぶつかってしまった。
その拍子に、少女が持っていたアイスクリームを落とす。
「ちょ────何するのよっ」
「あ…………」
ごめん。
そう言おうとした彼女は、ぶつかった少女の顔を見て思わず口をつぐんだ。
少女の視線は、懐かしいあの視線に似ていた。
昔よく浴びた、"怖い"視線だ。
「ちょっと、どうしてくれるのよ、あなた!」
着ている服から察するに、少女はどこぞのお嬢様のようだ。
少女は怒りを隠す事なく、彼女の事を睨み付ける。
その少女の後ろに、腰巾着のようにくっついて笑っている二人が不快だ。
「ごめん。……服は汚れていないみたいね」
彼女は手早く少女を見て謝ると、横を通り抜けようとする。
しかしそれは、少女の後ろにいる一人に遮られ叶わなかった。
「それで許されると思ったの?」
腰巾着の一人が、にやにやと笑いながら言う。
「………………」
厄介な奴に絡まれた。
彼女は脳内だけで半眼になり、溜め息を吐く。
彼女は諦めて、少女達の悪口を聞き流し、時が過ぎるのを待つ事にした。
しかし、そんな事はしなくて大丈夫だった。
少女が、何を言う事もなく、彼女の顔をまじまじと見つめているのだ。
「……何よ? あたしに何か付いてるの?」
彼女が皮肉気に訊ねると同時に、少女が何かを思い出したようにはっとした。
そしてみるみる意地の悪い笑顔になると、彼女に指差しながら口を開いた。
「あなた、目が赤いじゃない。ウィングリュックね!」
その単語に、彼女は凍り付いた。
「此処から東の方じゃ、悪魔の子供なんですって」
「あ、知ってるわ。災いを呼んで、皆を不幸にしちゃうんでしょう?」
わざとらしく怖がってみせる少女達の声など、彼女は聞いてはいなかった。
それは呪いの言葉だった。
"あかい目の子は悪魔の子" それから始まる歌。
恐怖の声の刃。
差別の視線の槍。
それ等は全て、あの時に克服したつもりだった。
当たり前だった。
生まれた時から得たトラウマを、あんな一度の出来事で消し去る事が出来る方が可笑しいのだ。
トラウマであるその"刃"を聞いた彼女は、頭を抱えて蹲りたい衝動を何とか堪えた。
立ち去りたいが、少女達に囲まれていて逃げ場がない。
少女達が笑ってこちらを見ている。
煩い。止めて。見ないで。 怖いから。 思い出すから。 見ないで。
あたしの朱い目を見ないで。
目を堅く閉じたその時、彼女は視線を感じて顔を上げた。
少女達のものではない。
粘っこくも、優越感もない視線、何の感情も込もっていない視線。
強いて言うなら、温度のない視線。
彼女は視線の先、少女達から離れた場所でこちらを見ている人物を見つけた。
あの背筋が凍るような中性的な美貌の人物を、彼女は一人しか知らない。
そいつは、未だに言葉の暴力を振るう少女達に近づくと、口を開いた。
「やあ」
その澄んだ声に反応して、少女達はそいつを見る。 瞬時に頬を染める少女達に向かって、そいつは笑顔を浮かべた。
全てを嘲笑うかのような、悪意に満ちた薄い笑みを。
「……君達が言うには、それがウィングリュックなんだって?」
その笑顔を固定させて、そいつはまたも言葉を吐き出す。
頬を染めたまま呆けている少女達を見下ろして、そいつはくつくつと笑った。
「君達は、そんな不幸を呼ぶ存在と仲良くお話をしていて良いのかい。不幸になりたいのなら、話は別なんだけど、ねえ?」
そいつが言うや否や、少女達は漸くその事に気付いたようで、顔を真っ青にさせる。
少女達は怖じ気ずいたらしく、小さく悲鳴を上げたり、慌てふためきながら逃げて行き、その場には金髪の彼女とそいつだけが残った。
そいつは笑顔を引っ込め、面倒臭そうな溜め息を吐くと、肩まで伸びた小麦色の髪を掻き上げた。
暗黒の中の闇のような漆黒の瞳を、すいと彼女に向ける。
そうして、ぞんざいな動作で彼女に手を差し伸べた。
「行こうか、ウィングリュック」
色んな感情に呑まれてくしゃくしゃな表情をしていた彼女は、何とか唇を尖らせてみせると、ぶっきらぼうに答えた。
「…………アストロよ」
アストロが差し出された手を乱暴に取ると、そいつは、生き神と呼ばれる存在は、皮肉が込もった微笑をその美貌に浮かべた。
*
「バカニマス………………ッ」
アストロは手を引かれながら、不満を露にして悪態を吐いた。
彼女の手を引いているアノニマスは、すたすたと人混みを縫って前を歩いている。
進んでいる道は、アストロが帰ろうとしていた道とは逆の方だ。
暫くしたら、彼から小さく笑う音が鳴り、次に澄んだ声が聞こえてきた。
「君が"助けて"と言ったんだよ」
「その事ないわ」
アストロは苛立ちを隠す事なく、暗く燃えた朱い瞳で彼を睨み付けた。
彼女から背を向けているアノニマスの感情は、声からも判り難い。
しかし、彼が皮肉気な笑みを浮かべているだろうという事は、嫌な程理解出来た。
こいつは、知っているのだ。何もかも。
アストロが何に不満があるのか、何を言いたいのか、何を思っているのか。
判った上で、こんなずれた事を言う。
それは彼女を苛立たせ、同時に理解して欲しいという気持ちを強くさせた。
アストロはアノニマスの背を追い掛けながら、彼のその痩せた手を、爪を立てる程強く握り締めた。
「…………どうして、あんな事を言ったの」
そして、感情を殺した低い声で言う。
彼女は不幸を呼ぶ存在だ。 一緒にいれば、不幸になってしまうよ。
「確かにああ言えば、あいつ等は逃げた。……だけど、他にもあいつ等とあたしを離す言い方はあったでしょう……っ」
アノニマスは、手が痛いと訴える事もなく、淡々と前へと歩く。
そんな彼の背中に、アストロは怒りや訳の判らない感情で顔をしかめながら、声をぶつけた。
「あんな言い方じゃ、あたしが惨めになるだけじゃない…………!」
これは、助けてくれた人物に言う事ではないのかもしれない。
それでも、彼女は嫌だった。
昔のような思いをするのが、何よりも恐ろしく、何よりも嫌だった。
すると、アノニマスが顔だけを動かし、こちらを見つめた。
無表情だが、漆黒の瞳にはいつもの微かな嘲りが宿っている。
アストロがぴくりと肩を震わせると、彼は視線をずらし、再び前を向いた。
「……人との関係は、白か黒かをはっきり分けておいた方が良い。半端な関心を持たれていても、傷を負うだけだからね」
つまらなそうな声で、アノニマスはそう言った。
アストロは目を見開くと、握り締めていた手を軽くほどいた。
しかし、その手は離さない。
「…………でも、それって虚しいだけじゃない」
「人間関係に虚しさを取り入れる程、君には余裕があるのかい」
「………………」
何も言えなくて、アストロは僅かに視線を落とした。 しかし納得も出来ないで、頭の中は言い訳と意見を探している。
でも、そんな決め付けた、狭い人間関係は嫌だ。
傷付きたくはない。
だからと言って、自分が原因で人が傷付くのも嫌、とまで行かなくとも、後味が悪い。
触れ合いたい。
色んな人の事を知りたい。
でも、それが怖い。
でも。
「…………一応言っておくけれどね」
すうっと、声が鼓膜を震わせた。
顔を上げるが、アノニマスはこちらを見ていなかった。
彼はいつもと変わらぬ面倒そうな調子で言う。
「俺の言っている事は、答えではないよ。間違いと言っても過言ではないし、正しいと言っても過言ではない」
訳が判らず、アストロは呆けたまま彼の背中を見つめた。
「意志というのには違いがあって、他の意志と食い合わさる事は少ないんだよ」
小麦色の髪が揺れる。
その姿は痩っぽちではあれど、普通の人間と何も変わらない。
彼は言葉を続ける。
「俺は人間と同じ意志で出来ていて、その意志で考え、その意志で正しい答えを決めている。あの時は俺の答えを降りかざしただけで、それは君にとっての……何なんだろうねえ?」
「…………答えじゃ、ない……?」
アノニマスはアストロを眺めると、愉快なものを見るかのようにその目を細めた。
彼女の朱色の瞳は、その目を見つめている内に、いつもの勝ち気な光を取り戻していた。
彼の言葉には力があると、アストロは知っている。 だから彼は、人を励ます事はない。
結論も言わず、決め付けず、馬鹿にはするが、貶しはしない。
そして疑問は残す癖に、頭の中の靄は消してくれる。
相変わらず、判り難い。
相変わらず、 アストロは、先程とは違うくしゃりとした表情で、小さく笑った。
「本当、あんたって面倒臭いわね」
「人間がこうさせたんだよ」
前へと向き直ったアノニマスは、不意に立ち止まると、アストロの手を離した。
背中にぶつかりそうになるのを何とか留めた彼女は、前を覗き見る。
辺りを見れば、商店街から大分離れた所に来ていたらしい。 人だかりは減り、その中から、銀髪の女性の姿を見付ける。
「! アストロちゃん!」
女性はこちらに気付いたようで、笑顔で手を振った。
アストロはアノニマスを追い越して、彼女の元へ駆けて行く。
アノニマスは同じ方向へ行かない。
そのまま逃げるように去ろうとした瞬間、腕を引っ張られた。
アストロが、彼の手を掴んだままだ。
アノニマスの表情が、微かに引き攣る。
「あんたも来るのよっ、アノニマス!」
アストロはそう言って、悪戯っぽく歯を出して笑ってみせた。
差別をする人間が嫌いだ。
その差別を解決する事が出来ない人間を、見て見ぬ振りをする人間を、心の底から罵倒したりした。
そして、差別をされる人間が。
不幸な子だと恐れられる人間が。
朱い瞳を持つ自分自身が、何よりも。
人間と呼ばれる存在が、大嫌いだ。
でも、だからと言って。 好きな奴がいないという訳では、決してない。
-嫌い嫌い嫌い少し好き-
「そういえばあんた、こんな所にいるなんて珍しいわね。何か用事?」 「君の泣き姿を拝もうと思ってね」 「……やっぱりあたし、あんたは好きになれないわ」
……その言の葉を塗り潰す事は出来ない
Ria-Huxaru【子譚】 あはの のちまき @mado63_ize
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