早起きは三文の徳

夢を見た。

暗闇の中に自分が立っていて、その周りを"目"が囲んでいる。

目は、恐怖や侮蔑を孕んだ色をして、時々醜く歪み、捩れて、自分の事を嘲けているかのようだ。

その目の他には、口がある。

口は頻りに、何かを囁いている。

ウィングリュック。

赤い目をした悪魔の子供。

不幸を呼び災いを招く子。

その声は、その目は、どう足掻こうと"あたし"を拒絶する。

周りの人は皆、心の中では思ってる。

気味の悪い子だと。

仕方無く、この子の世話を焼いているのだと。 ウィングリュック。 不吉な子。 あんたなんか。

あんたなんか生まれて来なければ─────


早起きは三文の───


「嫌だ…………………っ!」

夢を、みたのだ。

暴れだした鼓動と呼吸を落ち着かせようと、アストロは己を抱く様に腕を回した。

いつの間にか上半身を起こした状態のまま、彼女は動かし難い首を動かして、傍に設置されている窓の外を眺めた。

空は明るみ始めたばかりのようで、未だ薄暗い青に染まっている。 早く起き過ぎたかもしれない。

そう思案した後に、アストロは漸く隣のベッドへと視線を移した。

布団にくるまる銀髪の女性は、小さな寝息を立てて眠ったままだ。

どうやら起こさないで済んだらしい。

「……………………」

アストロはぼんやりと、彼女の寝顔を眺めたまま、汗だか涙だか判らない、頬に伝う雫を手の甲で拭った。

再び眠る気にはならない。

アストロは音を立てないようにベッドから降りると、軽く身なりを整え、髪を手で透き、部屋を出る為扉のある方へ移動した。

気を紛らわしたかった。

静かに扉を開き、身体を滑らして広い廊下へと出る。

扉を閉めると、彼女は何処かへ行く宛も無く、ふらふらと廊下に沿うように歩き出した。



朝から"二度目の損"をするとは、本当についていない一日になりそうだ。

「やあ、おはよう、アストロくん。やけに早起きだね?」

建物の中をふらついていると、長身の青年と鉢合わせをした。 少し長めの黒髪を、いつものようにひとつに束ね、いつもと変わらないバーテン服に身を包んだ長身のその男は、切れ長の深緑の瞳を細め、小さく笑みを浮かべる。

起きたてなのか、その笑顔はいつもの余裕が減少していて、少しだけ暗く見えた。

「……何よ。あんたいつもこんな時間に起きるの」

「まあ、そういう事になるかな」

嘘臭い。

でもこの、ユナカイトという青年はいつもこんな調子だ。

アストロは彼に出会った事やその雰囲気諸々に、僅かに嫌そうな顔をしてみせる。

彼から仄かに石鹸の香りがする。 男の癖に。

八つ当たりの様に思うと同時に、少しだけ悔しい。

ユナカイトは早速つんけんする彼女に少し肩を竦めるが、構う事なく口を開いた。

「アストロくん、髪を下ろしているといつもより大人っぽいじゃないか。いつものツインテールも良いけど、ね?」

「ふざけた事言わないで…………」

いつものように怒鳴りたかったが、声が上手く出せなかった。

更に悔しくなって、自暴自棄になる。

アストロは苛立ちを隠さずに乱暴に歩き出して、ユナカイトの隣を通り越した。

彼は引き留ようとはしなかった。

たった一言、言葉を紡いだだけだった。

「……悪い夢でも見たのかな?」

思わずはっとしてしまい、アストロは彼の方へ振り返る。

ユナカイトは、いつもの笑顔を浮かべずに、つまらなそうな表情で彼女を眺めていた。

その様子にアストロは一度肩を震えさせ、掠れた声で問う。

「……………何で」

「僕、人の顔色を伺うのは得意なんだ」

ユナカイトは先程の表情を引っ込めると、直ぐに人の良さそうな顔で、にっこりと微笑んだ。

「悪い夢をみたらさ、好きな人の事を思い浮かべると良いんじゃないかい?」

「……………………」

アストロは黙り込んで、反射的に"彼"の顔を思い出してしまった。

"あの宿"で自分を待っている人、自分がとても、好きな────

「────って、バカッッ!」

楽しそうなユナカイトの表情で我に返り、アストロは真っ赤にした顔で彼に近づき、胸元を撲りつけた。

彼は気にする無く、愉快そうにくすくすと笑っている。

アストロは暫くユナカイトを撲り続けていたが、気が済んだように手を止め、未だに赤い顔で小さく毒づいた。

「あんたって、本当むかつく」

「はは、良く言われるよ」

「自覚してるなら、とっとと寝て、仕事しなさいよ」

「……………ん?」

ユナカイトの顔が、微かにひきつる。

アストロは彼から顔を逸らしたまま、口を尖らして言った。

「何をしてたかなんて知りたくも無いけど、どうせ今まで寝てないんでしょ」

すると彼女の頭上から、小さく笑う声が鳴る。

「ばれちゃった?」

「あたし、人の顔色を伺うのは得意なの」

「それは参ったね。僕は人を騙すのが生き甲斐みたいなものなのに」

口の減らないユナカイトに、アストロは鼻を鳴らして歩き出した。

もう話は終わりだと、彼の横を通過する。

「…………アストロくん」

再びユナカイトは、彼女を呼び止めた。

往生際が悪いと、うんざりした表情でアストロは振り返る。

「……………何よ、まだ何か用?」

「ひとつ、良い場所を教えてあげるよ」

「………………」

「何、怪しむ必要は無い。これはただの、嘘を吐いたお詫びだよ」

ユナカイトは静かに、人差し指を口元にあてて微笑む。

そして小さく囁いた。

まるで内緒話をするかのように。

「今の時間でしか会えない、取って置きの場所だよ」



「…………………そうだと思っていた訳じゃない、けど」

"都市の建物や人が見透し良く見える"と教えて貰い、やって来た異端の枷本部の屋上で見えた風景は、朝靄に隠れ殆ど何も見えない、都市の風景だった。

ユナカイトという男は嘘を吐く。

その本質は、どんな時でも代わる事は無いようだ。

アストロは疲れたように溜め息を吐いて、その風景をぼんやりと眺めた。

空は少しだけ、赤みを増して朝を告げようとしている。

靄は何処までも広がり、建物の半分以上を覆っている。

この靄がかった風景も。

赤み始めた朝焼けも。

良く良く考えれば、幻想的でとても綺麗な風景ではないだろうか。

アストロは、先程まで感じていたじくじくとした痛みが和らいでいくのを、何となくだが感じる事が出来た。

何に怯えていて、何に恐れていたか、その事を忘れられる位は出来る様になっていた。

悪い夢をみたら、何をしろだとか。

とても良い景色が、此処で見られるだとか。

「……何だかんだで、嘘じゃないんじゃない?」

たまには、あの青年に騙されるのも良いのかもしれないかとすら思う。

本当に、本当にたまにだが。

「よしっ」

彼女は両の頬を叩いて身を引き締めると、屋上から走り去って行く。

一度だけ振り向いて、この景色を目に焼き付けて。

少女は、いつもと何ら変わりの無い一日を始める。

いつもの挨拶、いつもの朝食の準備、いつもの人達で。

次は、寝坊した彼等を叩き起こしに行こう。

少女はいつもの様に、勝ち気に歩く。

少しだけ、浮き足を立たせて。


早起きは三文の……徳?


「残りはあんただけよ、アノニマスっ!」

「…………随分と、兄貴に絆されたようじゃないか、ウィングリュック」

「な……っ!? 何莫迦な事言ってんのよ、覗き魔!」

「人聞きの悪い。覗いたのではなくて聞こえたむぐっ」

「言い訳なんて聞きたくないー!」

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