【コミカライズ開始記念】想い出のオムライス

想い出のオムライス

⭐️⭐️⭐️2024.03.31本作のコミカライズが始まりました!

カドコミ、ニコニコで0話を公開中です。

どうぞよしなに。

※※※※※※


「オムライスが食べたいわ」


 ランチタイムを終え、中休みに入った踊る月輪亭。

 カウンター席に腰掛けたアーシェリアが、そんなことを言い出した。


「言っておくけれど、卵が固いやつよ。半熟じゃない、薄焼き卵のほう」


「いや薄焼き卵のほう、じゃなくてですね」


 皿洗いの手を止めて、サーシャは旧友にじっとりした目を向けた。

 メニューにない注文をするな。というか今は中休みだ。賄いを食べて英気を養い、夜のディナータイムに向けて仕込みをする時間なのである。


 まあ仕込みといっても、現状「踊る月輪亭」のメニューは羊のシチューしかないので、大して時間はかからないのだが……。


 そろそろ新メニューを増やす頃合いかもしれない。サーシャもそう考えるときはある。

 けれど、どこの世界でも新メニューの開発は一筋縄ではいかないものだ。唯一のメニューであるシチューだって、完成までにどれだけの紆余曲折があったことか……。

 それはさておき。

 とにかく、今は休憩時間なのだ。


「アーシェ。あなたですね、休憩中にしれっと入ってきて、変な注文しないでくださいよ」


「なってないわね皿洗いさん。山海楼ウチなら、どんな料理の注文だってノーとは言わないわよ」


 たった二人で回している場末の食堂と、王都一のレストランを一緒にしないでほしい。


「とにかくオムライスよ。今の私は猛烈にオムライスの気分なの。それ以外は舌が受け付けないの!」


「なら山海楼のシェフに作ってもらえばいいでしょうが。オーナーなんですから」


「それじゃあ意味がないのよ!」


 さっぱり意味がわからない。


「とにかく、サーシャのオムライスが食べたいの!」


「そう言われましても」

 

 サーシャは右手の甲をプラプラと左右に振った。そこには緋色の刻印が浮かんでいる。

 折れた包丁の刻印。一切の調理器具を持てなくなる、魔術の一種だ。しばらく前に呪われて以降、一向に解呪の手立てが見つからない。


「それは知ってるけど……ううー! ああもう、気合いでなんとかしなさいよ‼︎ 手が使えないなら足で調理して!」


 無茶苦茶だ。

 山海楼を出奔して以降、よくわからない理由とテンションで突っかかられるのは慣れているが、今日に限って妙にしつこい。

 と。


「あの、どうかしましたか?」


 厨房から、この店の料理長シェフが顔を出した。

 控えめな色合いの三角巾と、涼やかな色のエプロン。全体的にほわほわした雰囲気の彼女が、踊る月輪亭のシェフ──キルシュだ。

 一流の料理人を自負しながらも呪いで包丁が持てないキルシュの相棒であり、雇い主でもある。


「わあ、アーシェさん! いらっしゃってたんですね!」


「う。ど、どうも」


 朗らかに笑うキルシュを見て、アーシェリアがさっと目を逸らした。無茶を言っている後ろめたさはあるらしい。

 キルシュがこてんと首を傾けた。


「それで、どうかしたんですか? アーシェさんが何か言ってたような」


「それが、なんか急にオムライスを食べたいとか言い出しまして」


「オムライス」


 おむらぃす……? とキルシュが口の中で繰り返す。どうやら心当たりがないようだ。

 この大陸には様々な料理があり、中にはキルシュがかつて生きていた世界の料理と良く似たものもある(多分、自分のような人間が広めたのだろう……とサーシャは勝手に解釈している)。

 オムライスもそのうちの一つだ。

 ただ、元の世界ほどメジャーではない。


「初めて聞く名前の料理ですけど、サーシャさんは作り方知ってるんですよね? わたしで良ければ作りましょうか?」


「それは……」


 アーシェリアが微妙な顔をした。何故。オムライスを食べたかったのでは?

 もごもごと唇を動かしてから、アーシェリアが呟く。


「でも私は、サーシャのオムライスがよくて……」


「! 今はわたしが、サーシャさんの両手ですから!」


 かえって発奮したらしいキルシュが、ぎゅっと拳を握る。

 アーシェリアはますます複雑な顔になり、サーシャとキルシュの顔を交互に見つめた。

 そして「んんんん……!」とひとしきり煩悶の呻き声を上げたのち、ようやく言った。


「じゃあ、お願いするわ」と。


  †


 新しいレシピをモノにするには時間がかかる。とはいえ、それは商売として多くのお客さんに振る舞う場合の話だ。

 今回作るのは一人分だし、なにより休憩中にやってきたアーシェリアは厳密には客ではない。

 だからといって、サーシャは料理に手を抜ける性分ではないのだが……。


「少し火を弱めましょうか。その間に卵を溶いて──」


 サーシャはいつものようにキルシュの背後について、調理手順を指示していく。

 ルクルクというトマトに似た味わいの果実を炒めながら、キルシュが「それにしても」と顔を上げた。


「珍しいですね。山海楼の営業日に、アーシェさんがウチに来るのは」


「確かに……」


 山海楼のオーナーだけあって、アーシェリアはすさまじい量の仕事を抱えている。

 真っ昼間に職場を抜け出すのは、簡単ではないはずだ。

 どうしてそこまで、サーシャのオムライスにこだわるのか。

 というか。

 そもそも、アーシェリアにオムライスを振る舞ったことなんてあっただろうか。

 ……。


「あ」


「サーシャさん?」


「あー……思い出した……」


 記憶の奥に、閃くものがあった。

 そうだ。確かに一度、自分はアーシェリアにオムライスを振る舞ったことがある。

 サーシャは壁に掛かったカレンダーの日付を確かめて、密かに納得した。

 そういうことか。

 なら、作るべきは普通のオムライスじゃない。確かあのとき、自分が作ったのは……。

 朧な記憶を呼び起こす。唇をわずかに舐めて、サーシャは口を開いた。


「キルシュ。すみません、ちょっと味を変えます。いいですか。まず砂糖をふた匙──」


 †


 完成したオムライスは、まあ、ぶっちゃけ80点くらいの完成度だった。

 難関だったのはやはり薄焼き卵だ。端が破けてしまった。まあこれは仕方がない。

 それでも、自丹念に炒めたルクルクと賽の目にカットした鶏肉、香味野菜を混ぜたベースで作ったチキンライスは、なかなかどうして悪くない出来栄えだった。


「お待たせしました。オムライスです」


 キルシュが置いた皿を見て、アーシェリアの目が輝く。


「いただきます」


 スプーンが薄焼き卵を切り分け、具のたっぷり入ったチキンライスを掬い上げた。

 長い時間を掛けてひと口目を味わってから、アーシェリアはどことなく悔しそうに言った。


「……甘口で、美味しい」


「よかった」


 キルシュが胸を撫で下ろす。

 アーシェリアは手を止めずに、ぱくぱくと温かいオムライスを胃袋に落としていく。

 頃合いを見て、サーシャは口を開いた。


「そういえば今日でしたね。私が山海楼を辞めたのは」


「…………。」


 ぴたりとアーシェリアの動きが止まった。親指の腹でスプーンの持ち手を擦り、下唇を硬く尖らせる。

 ややあってから、彼女はぽつりと呟いた。


「いつかね。このオムライスを、うちの店で出したかったの」


「……。」


 山海楼の厨房でアーシェリアと出会った日、サーシャは彼女にオムライスを振る舞った。

 この世界で、初めて友達が出来た日のことだ。

 あの日から宮廷厨房にスカウトされるまでの数年間、サーシャの隣にはいつもアーシェリアがいた。

 夢と引き換えに、山海楼を後にしたことを後悔はしていない。

 でも。

 時折、別の道、異なる未来があったかもしれないとは思う。

 そうすれば今も、自分の隣には──

 アーシェリアの薄氷色の目が、サーシャをひたと見つめた。過ぎ去った日の郷愁が胸を満たしていく。

 無意識のうちに、言葉が口を衝いた。


「アーシェ。もしよければレシピを、」


 差し上げましょうか。そう言い掛けた瞬間、右腕を強く抱き寄せられた。

 キルシュによって。


「だ、だめですっ!」 


 やけに必死な声で叫ぶ。


「サーシャさんは、じゃない、サーシャさんのレシピは、わたしのものなのでっ‼︎」


「え」いやそれは私のものでは?


「たとえアーシェさんでも、あげませんからっ」


「レシピの話ですよね?」


「ちょっとサーシャ!」


「え、私ですか?」


 アーシェリアが、カウンターに両手を突いて立ち上がる。目尻がきりりと吊り上がっていた。


「これはサーシャが私のために作ってくれた賄い用のオムライス。つまり、私のためのレシピでしょ? そうよね?」


「いえ、それは別にそういうわけでは」


「そうなの! 私のオムライスなの‼︎」


 子供みたいにスプーンを振って主張するアーシェリア。

 冷める前に食べてほしい、と思ったものの、よく見ると皿は綺麗に片付いていた。いつの間に完食したのか。

 一方では、サーシャの腕をぎゅうぎゅうに抱えたキルシュが強く主張する。


「違います! サーシャさんはわたしの副料理長なんですから、アーシェさんにだってあげません!」


「いや別にレシピの一つや二つ」


「レシピの問題じゃないんです!」


 じゃあなんの問題なんだ。


 ただ、確かに今のサーシャは「踊る月輪亭」の店員で、キルシュの副料理長だ。それは他の誰でもなく、サーシャが自分で決めた道だった。

 だから、確かに、勝手にレシピを渡すのは、よくないことかもしれない。


「う、うう、う……」


 サーシャとキルシュの顔を見比べ、わなわなと震え出すアーシェリア。

 やがて、その肩が力無く落ちた──と思ったら、ガバっと顔を上げる。


「帰る」


 明らかに過分な銀貨を置いて、アーシェリアは席を立った。

 捨て台詞のように、「ごちそうさま! とっても美味しかったわ!」と吐き捨てて。

 店の入り口へ向かう背中に、どこか寂しさの残滓を感じて、思わずサーシャは手を伸ばした。


「アーシェ、」


「レシピはいらない」


 ぴしゃりとした声に、手が止まった。

 アーシェリアが振り返る。

 彼女は腰に手を当てて、赤くて小さな舌をぺろりと出した。勝ち気で優しい、記憶の中の彼女そのものの顔で。


「山海楼のオムライスは、自分で開発するわ。サーちゃんのレシピより、ずっとずっーと、美味しいやつをね!」


 (終)

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【書籍化・コミカライズ】転生少女の三ツ星レシピ 深水紅茶(リプトン) @liptonsousaku

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