最終話 探偵助手は見つけない
静まりかえった事務所の中で、ソファーで寝ていた私はゆっくりと目を覚ました。部屋を涼ましていたエアコンはいつものように稼働し、このまま寝ていても熱中症になることはないが、たぶん今日一日は家から出なくなるかもしれない。
「ふぐっ!んー!んー……」
私は、ソファーに横たわりながら背伸びをして目を覚まそうと試みる。前日、夜早く眠ったおかげか、あまり眠気は感じず、頭もよく働いてる。ふわぁ、と大きいあくびをして、寝ころがりながら壁に掛かっている時計へと目を送る。時間は九時二十分ぐらいだった。
「もうそろそろ……いや、早いかな……」
自分の中の記憶を思い出す。たしか、今日の朝七時くらいだっけ?オッちゃんから十時にリトバイリトに来いと言いわれていたんだっけ。用事なら今言えば良いのに?何て思いながらも、私は二つ返事で快諾したんだった。
一体何のために、リトバイリトに呼ばれたのかと考えたが、寝起きに考えるのはつらかった。まあ、理由なんて歩きながら考えれば良いし、別にリトバイリトについてから考えれても良いわけだ。最悪、考えなくてもつけばオッちゃんが説明してくれるんだろうし。と甘い考えで結論づけ、横たわった体をお腹に力を入れて起き上がらせた。
「さてと」
起き上がりそのままの勢いで私は立ち上がり、事務所の鍵を持つ。鍵を閉め忘れたら、オッちゃんにまたどやされてしまう。昨日の郁美ちゃんの話じゃないが、雷を落とされるのは私もゴメンであるから、用心はしとかないと。
「少し早いけど、まあ良いか」
エアコンのスイッチを切って事務所の扉を開けた私は、リトバイリトを目指した。
午前九時半を過ぎたぐらい。この時間のリトバイリトは、いつも閑散としている。この時間のお客は三人いれば多いと思うほど、ガラガラの状態である。混むのはお昼時だけであって、後は朝方か夕方によっていくお客が何名かいるだけ。こんな時間に来るお客は私やオッちゃん以外はいないと言っても過言ではない。
扉を開けると、カランといつも通りの金属音が鳴った。
「はい、いらっしゃいませ」
大きな声の冬志さんとは違う、静かで優しそうな男性の声。
カウンターを見ると、一人の男性が洗い物をして立っていた。ウエーブした髪を小さなポニーテール状に結び、その上からはバンダナを巻いていた。背の高い見た目で、クールそうな印象を持つが、着けている可愛くデフォルメされた熊さん柄のエプロンが、どうもそれを邪魔している。
「やあ、芹子さん」
「こんにちは、師草さん。お久しぶりです。お一人ですか?」
「ああ、冬志は子供達と一緒に買い物に行ってるよ。帰りは夕方になりそうだね」
「師草さんは一緒に行かなかったんですか?」
「お店を開けるわけには行かないからね。ま、座ってよ」
師草さんはどうぞ、と私をカウンター席に誘導してくれた。
「芹子さんは確か、大学の友達とご飯食べに行くと冬志から聞いたんだけど」
「はい。今日のお昼に学校で集合です。知り合いの館長さんからクーポン券を貰ったんで、皆でお好み焼きを食べに行ってきます!」
「楽しんで来ると良いよ。けれど、まだお酒はダメだからね。芹子さん、まだ十九歳だから、法に引っかかってしまう」
「流石に飲みませんって。友達も皆、飲むことより食べることの方が好きそうですから」
「ふふ、そうなんだ」
コップを拭きながら、師草さんは静かに笑った。
「そう言えば、食べるで思い出しました。師草さん。お昼のパスタ、ごちそうさまでした。美味しかったです」
「ん?ああ、二日前のね。それは良かった。でも商品化するには後二、三回作ってみなくちゃダメかな。もしかしたら改良した試作をまた食べて貰うかもしれない。その時はよろしくね」
「もちろんです!なんなら、三回と言わず十回でも二十回でも良いですよ」
「それだとメニューの完成前にリトバイリトが潰れちゃうから、その意見は却下させていただくね。あ、あと冬志にも聞いたけど、芹子さん、いっぱい食べたんだって?僕も盛りすぎたかなと思ったけど、食べきるなんてさすがは芹子さんだ」
「も、もももももちろんですよ!乙女に優しい量でしたよ?」
「いや、男性でも厳しい量だったよ?」
「えっ!あ、まあ、その……。あ、あはは……。そう言えば師草さん!」
秘技、会話すり替え。
私の伝統芸とかしている気がしてならない。
「うん、なんだい?」
お皿を拭く手を止め、笑顔で話を聞いてくれる師草さん。
「私、朝にオッちゃんから『十時にリトバイリトにいろ』って言われたんですが。師草さん、オッちゃんから何か聞いてません?」
「いや、僕は何も聞いてないな。六槻君には車を貸して欲しいと頼まれたから貸したけど」
「そうですか……。なんか朝早く出かけてから見てないんですよね」
「朝早く出かけたのかい?僕があったのは七時くらいだったけど?」
「え、七時って早くないですか?」
「微妙なラインだね。早くもないし遅くもない。どちらかと言えば、普通の時間かな?八雲と出雲は、最近はその時間にはとっくに起きているし」
「えっ、二人とも早起きだなー」
「いや、その判断をするのはどうだろう?二人はラジオ体操のために起きてるのもあるから。帰ってきたら二人とも寝ているしね」
「でも、寝る子は育つ。って言いますから」
「はやくピーマンやタマネギを食べられるように育って欲しいけどね」
「小学生らしくて良いじゃないですか」
そんなことを私が言った直後に。
カラン、と。
たわいもない話をしていた私達は音がする方向へと視線を向けた。
リトバイリトの扉が開いた音。乾いた鐘の音が、店内に響く。
扉を開け入ってきた人は、逆光で姿の見えない私に一言。
「やあ、お嬢さん」
「平内さん!?」
店内に入ってきたスーツ姿の平内さんと、後ろをついてきたオッちゃん。
「え、一体どうして?いや、どうやってここに?」
「俺が師草さんの車を借りて迎えに行ってきた」
「え、オッちゃんが?」
「朝に言ったろうがよ」
「ゴメン、聞いてなかった!寝ぼけてた!」
「聞いとけや、こら」
「六槻君、平内さんを迎えに行くのなら芹子君だけじゃなく僕に言っといてくれても良かったんじゃないかい?」
「車借りるとき言ったじゃないですか……」
「はて、そうだっけか?」
「こっちもか……」
オッちゃんが落胆する中、平内さんはゆっくりと私の前まで歩いてきた。
「お嬢さん。いや、亀有 芹子さん」
「は、はい……。改まってどうしたんですか、平内さん?」
急にフルネームで呼ばれた私は平内さんのいつもとは違う感じに違和感を覚えた。
「宇治川 要の依頼、誠にありがとうございました」
そう言うと、両手を自分の太もも横に伸ばすようにあて、私に深々と頭を下げた。
「えっ!ちょ、ひ、平内さん!?頭を上げてくださいよ!?」
「あなたと、六槻さんのおかげで、俺も要も、佳子さんも救われました」
「いえ、私は何も……」
頭を上げた平内さんは「いいや」と首を横に振った。
「本当に俺達は、救われたんだ。あんた達の優しさに救われた。あんた達が導いてくれたから、要はもう、自分の過去を知ろうとはしないだろう。そして、俺達を救ってくれたあんた達には悪いんだが、依頼とは別の頼み事がある」
「頼み事?」
「佳子さんとも話しをしたんだ。そして決めた。探偵とお嬢さんには是非とも、この『リリー』のための嘘と真実を知って欲しい」
「リリーさんのための、嘘と真実?」
戸惑う私は腹をくくった様子の平内さんをみて、再度、首をひねった。
「リリーさんの真実は、佳子さんから聞きましたが……」
「まだ俺達に言ってないことがあるらしい」
宇治川さんの後ろにいたオッちゃんが、代わりに私へと答えた。
「ちなみに、俺もまだ聞いてない」
「え、そ、そうなんだ……」
戸惑い続ける私に、平内さんは師草さんへと。
「すまん、師草。一番奥のテーブル席、使うぞ?」
「どうぞ。飲み物は何が良いですか?」
「アイスコーヒーを三人前頼む。豆の種類は、お前に任す」
「分かりました。できあがり次第、席にお持ちしますよ」
「すまんな」
平内さんはそう言うと、リトバイリトの一番奥の角に面するテーブル席に座った。オッちゃんは宇治川さんの後に続いてテーブル席に向かい、平内さんと対面する形で座った。私は、二人が座ったのを見てから移動をして、オッちゃんの隣に座る。
「さて、ひとまずは感謝を。すまんな探偵。話したいことがあるなんて言っておきながら、迎えまで頼んじまって」
「いえ、これぐらいはなんとも」
「お嬢さん。探偵から聞いたよ。あんたの行動で、最終的に収まる形になったと」
「い、いや、そんな……」
またも両手を顔の前で小さく振る私に、薄ら笑いで首を横に振った平内さん。
「佳子さんからリリー、足利里子の話を聞いたろ?」
「え、あ、はい。お姉さん、でしたよね」
「実は、俺もそのことを知っていてね」
平内さんの言葉に、オッちゃんも私も、特に驚く様子がなく。
「まあ、うすうすは気がついてました。佳子さんと話したときも、それらしきことを言っていましたし……」
「だろうな。確か佳子さんから聞いたのが、姉である事と、リリーが要を好いていたことだっけか」
「家の経済状況と、里子さんが海の町に行くきっかけ。あと里子さんが亡くなっていることも、聞きました」
「そこまで聞いてたか。その話を聞いて、何か違和感を感じたりしなかったか?」
違和感?
「私は、話を聞いていて特に何も感じなかったけど……」
「俺は、実を言う少しありました」
「へ、どこに?」
「宇治川さんと足利 里子の関係だ」
「たしか、恋人同士、でしょ?」
「それはそうなんだが、本当にそれだけか?」
「どういうこと?」
「佳子さんの話だと、平内さんと逃げるはずだった宇治川さんと足利 里子、まあここではリリーとしとこう。その二人が逃げられなかったのは抗争に巻き込まれたからだ」
「佳子さんはリリーさんから聞いたって言ってたね」
「いくらギャングが取り締まる店で売春婦をしてても、危なくなれば逃げるだろ?なんで平内さんや宇治川さんは町を出られて、リリーさんだけ逃げられなかったんだ?」
「あー、うん、まあ。そう言われれば、何でだろ……」
「なにか俺達が知らないリリーさんの秘密があると思ってな。俺はそこに違和感、というか疑問を感じたよ」
オッちゃんの言葉に、私は答えられずにいた。そう言われれば、リリーさんは何故、逃げなかったのだろう。平内さんは頭を抱える私を見て、わははと豪快に笑った。
「それを答えるために、俺がきたんだよ。お嬢さん」
そう言って、語ってくれた。
俺と要、そしてリリーとの関係は、俺は海の町に店を構えている時代に、二人は客としてきていたんだ。
きっかけは、要が彼女を俺の店に連れてきたことだ。
俺と要はよく顔見知った中だったが、リリーはその時、初めて会った。話を聞くと、要とリリーは俺が知り合う前から知り合いでな。しかも、深い仲のな。あいつらが俺の店に通ううちに、俺はリリーとも仲良くなっていったって訳だ。仲良くなるにつれて、リリーからいろんな事を聞いたよ。
自分の家が貧乏なこと。
最低の父親がいたこと。
愛する母親がいたこと。
そして。
自慢の妹がいることを、あいつは話してくれた。
俺達は年は違えど、昔からの幼なじみのように仲が良かった。それも、日を重ねていくにつれ、仲も深まっていった。
だが同時に、日を重ねていくウチに、町事態が危険になっていったんだ。
だから俺はリリーと一緒に、待ちから逃げようとしたんだ。佳子さんは抗争に巻き込まれたと説明されたらしいが。
本当は違う。
リリーは巻き込まれたんじゃない。
あいつはあいつ自身、抗争の渦中にいたんだ。
「渦中にいた……?」
「え、な、何でですか!?リリーさんは確か、その、売春婦で……。そんな人が抗争に関わっていたなんて……!?」
「正確には『関わった奴に手を貸した』だな。リリーが直接、抗争に関わったわけじゃない。あいつは間接的に関わってしまったんだ」
「あっ……!」
「え、なに、オッちゃん?一体どういうこと……?」
何かに気がついたオッちゃんに、理由が分からない私は答えを求めた。オッちゃんは珍しく自信がなさそうに。
「間違ってたら、かなり失礼なことをいってしまいますが……」
「なんだ、探偵」
「渦中にいたのはリリーさんだけじゃないですね」
「…………ああ」
小さく答えた平内さんの言葉を聞いて、そういうことだ。とオッちゃんは私に言った。
「え、つまり……だから?」
「リリーさんは抗争に間接的に関わった。ある大事な人のために」
「大事な人……?」
「宇治川さんのことだよ」
「え、でもなんで宇治川さんのために、リリーさんが抗争に関わらなきゃいけないのさ?……まさか!?」
「そんなもの、答えは一つだろ」
オッちゃんがそう言うと、そうだ。と平内さんは肯定して、そして続けた。
「要は、ギャングの一員だったんだ」
俺と会う前から、要はギャングの一員だった。しかも、幹部候補と呼ばれるほど、組織の中では地位が高い程に。
要は町のギャングで、クスリの売買を担当していたらしい。本人も『自分が使いもしないクスリを卸すのは滑稽だ』って笑っていたよ。リリーと会ったきっかけも、リリーが売春婦としてギャングに身売りしたかららしい。
抗争が激化する中、俺は一緒にこの町を出ようと要に言ったんだ。
俺やリリーと一緒に、安全な町に行こうと。
そして一から、まっとうに生きようと。
無理だ、と言われたよ。
組織の中枢近くにいる俺が、今更、組織を抜け出すことが出来るわけがない。
むしろ、俺やリリーに迷惑が掛かってしまう、と。
だから、お前とリリーだけで逃げるんだ。って。
そう言われたよ。
だけどリリーは、要の元へ行った。
愛する人の元へ行き、抗争に巻き込まれていって。
ある日、リリーと要は俺の前から姿を消した。
聞いた話だと、二人とも海に落ちて、そのままどこかに流されていったらしいと。
そして、死体は見つかってないと。
行方不明になってから一週間後。
俺は一人で、町を出たんだ。
二人は必ず、どこかで生きていると信じていた俺にも、さすがに一週間という時間には心が折れてな。せめて遺体だけでも見つかれば、とは思っていたが、それも叶わなかった。
残された俺は失意の中、隣町までの道を車で移動していた。
海の町にいたときよりも、絶望していたよ。
何回か車を止めて、涙をぬぐったことすら覚えている。
走っている最中に、海に面した町があったんで休憩することにした。そこでふと、足が海の方へと向かっていった。
何も考えず、ただぼーっと歩いていたんだ。
要とリリーと一緒に毎日見ていた海に、何か答えがあるだろうと思ってな。
海岸沿いを歩いていると、砂浜に打ち上げられた人に気がついたんだ。俺は一目散に近づいていったら。
……本当に偶然だった。
打ち上げられていたのは、衰弱しきった要だったんだ。
俺はすぐさま、医者へと駆け込んだ。意識はなかったが、大きな外傷はなく、お医者様にも二、三日安静にしておけば目を覚ますと言われた。
そして、三日後。
意識を取り戻した要は俺に言ったんだ。
どちら様ですか、って。
涙があふれ出たよ。
俺のことも、リリーことも、自分のことでさえも忘れちまいやがった。
泣いたよ。涙が涸れるまで泣いた。
そして、必死に考えたよ。
これからどうするか。
要は自分のことを思い出すのか。
リリーは無事なのか。
そして決めた。
リリーを探し出す。
あいつがどんな状態であれ、愛する人に会わせるのがイチバンだと思った。
それに、リリーも生きてるかもしれない。
要に奇跡が起きたんだ。この世に神様がいるならリリーにだって奇跡が起きるはずだ。
そう、自分に言い聞かせたよ。
要の退院と同時にあいつの名前や住所、要のありとあらゆる偽造を終えて、俺は要と一緒に町を出た。そしてあの町でシーポートをオープンさせたんだ。
店を開けてからも、俺は要に隠れてリリーを探していた。けれど、リリーの手がかりは何一つつかめなかった。
オープンして一ヶ月ほどしてからだ。
佳子さんと偶然、店の前で会った。
会って早々、憎しみを込めて言われたよ。
何であんたは。
あいつはのうのうと生きているんだ。
その言葉で初めて、リリーが死んだ事を初めて知った。悲しむ前に、苦しむ前に、振り絞るような声で俺は言ったよ。
申し訳ない。あなたのお姉さんを救えなかったと。
その場で深く頭を下げて、涙を流しながら謝った。
別に許して欲しいわけじゃなかった。
むしろ、断罪してくれた方がずっと楽だったかもな。
だけど佳子さんは。
こんなにも罪深い俺を、許してくれたんだ。
「そこからは、二人が佳子さんの話と一緒だ。二人で共謀して、要とリリーのことを隠すことに決めたんだ」
「そんなことが……」
「いいや。蓋を開ければこんなもんだ。俺達、いや俺は、要を止めたかったんだ。きっとあいつは俺のように、リリーを不幸にした自分を恨むからな」
「平内さんのように?」
「あのとき、無理矢理にでも連れ去っていれば、きっと何かが変わったろう。過去を振り返る度に、そう思えて仕方が無い」
「……過去は、過去です。どんなに悔やんでも、もう変えられない。それに平内さんが後悔しない選択をしていても、もしかしたら、どこかで歪みが出たかもしれない。ありきたりな言葉かもしれませんが、未来がどう起きるかなんて分からないもんですよ」
「ありがとうよ、探偵」
平内さんは、アイスコーヒーを一口飲んだ。
鼻から息を吸い、そして大きく呼吸をし、再び無言に戻った。
「それじゃあ、これが、真実ですね」
何も言わなかった平内さんに、オッちゃんは決め打ちしたように尋ねた。
「これが、この依頼の真相。そうですね」
「ちょ、ちょっと待ってよ、オッちゃん。私、一つ平内さんに聞きたいことがあるんだ」
会話を終らそうとするオッちゃんを私は制止した。まだ一つ、真実を知るには一つだけ、気になることがある。
「……なんだ?あまり関係ないことは聞くなよ」
あまり乗気じゃないオッちゃんは私にそう言った。少し不思議に思ったが、しかし、そんなことよりも優先してききたいことがある。
「『姉と約束したことがある』って佳子さんは言ってました」
「ああ、そうだな」
「佳子さんはその後も、約束のことについて語ろうとはしませんでした」
「ああ、そうなのか」
「その約束を、平内さんはご存じで……?」
「芹子ちゃん」
私の言葉を、オッちゃんは強めの声で遮った。
「それは、別に聞かなくても良いだろ。それに、平内さんに聞くことでもねえ」
「え、あ、そうかな……。依頼には関係あるかなと思ったけど……?あっ、もしかしてプライバシーに踏み込んじゃったとか」
「まあ、何というか、その……。別にプライバシーとかじゃなくてだな。その、リリーさんとの約束は佳子さんが受けたものだからな。聞くのは無粋だろうし……」
「お嬢さん」
今度はオッちゃんが平内さんに言葉を遮られた。
「なんで、そんなことを聞きたいんだ?」
「あ、えーと……。前に、佳子さんから聞いたんです。リリーさんは佳子さんに、隣町にいることを宇治川さんに伝えなくていいことや、希望を持って生きていて欲しいと言っていました。でも佳子さんが私達に言ったこと全て、約束じゃなくて、リリーさんの願望かなと、聞いていて思いました」
「ほお」
「だから、リリーさんと佳子さんがした約束って、一体なんなのか知りたかったのですが……。もしかして私、マズいこと聞いちゃいました?」
「いや。俺も話そうと思ってた。佳子さんとリリーの約束についてだ。探偵のほうは何か知ってるだろう」
平内さんの言葉に、オッちゃんは一瞬、目を見開いて驚き、そして渋々、着ているジャケットの左の内ポケットから、小さく折りたたまれた紙を取り出した。
「実は、芹子ちゃんには隠していたんだけど」
オッちゃんはそれまで固く閉ざしていた口を開いた。
「水無が見つけてきた資料。実はまだあったんだ。あいつは二つ、情報を提示してくれてたんだ」
「えっ?でもなんで隠してたの?」
「……記事を読めば分かる」
そう言って差し出した紙を私に差し出す。受け取った私は紙を開くと、中に書かれていたのは、以前見たものよりも小さい新聞記事をコピーしたものだった。
三日前に病院に担ぎこまれた人が意識を取り戻すも死亡した。死亡したのは二十代の女性、足利 里子さんであったと。
至って普通の記事を、読み進めていくと。
「女性は身重で……。身重って……!」
「里子さんは、お腹に赤ちゃんがいたんだよ」
「緊急手術をするものの、乳児は以前危険な状態でって……。この赤ん坊はどうなったの、オッちゃん!」
「分からん。なにぶん昔のことで、水無も調べられたのはそこまでだったらしい。でもリリーさんは亡くなって、乳児は危険な状態……。考えたくはねえと思うが、イチバンに思い浮かぶのは、赤子の死産だろう」
「そんな……」
「佳子さんがリリーさんにした約束ってのも、亡くなった赤子の心配だろう。もっとも、リリーさんがした約束が死んだ赤子に対するものなのか、リリーさんが死ぬまで生きていた赤子に対するものなのかまでは分からない。いずれにせよ、これを約束された本人から聞くのは、無神経が売りの俺も流石に出来なくてな」
苦虫をかみつぶした表情を浮かべるオッちゃんは話を続けて。
「だから俺はこの記事を他の誰にも、佳子さんにさえ黙っておいた。水無にも口止めはしておいたんだが。ま、バレたくない本人には速攻でバレたけどな」
探偵さん。
あなたも嘘つきね。
あのとき、リリーさんの話を聞かせてくれた佳子さんが、最後にオッちゃんに向けた一言を私は思い出した。
「俺が調べられたのはここまでだ。後は、平内さんから聞くしかない。もちろん、話さなくても良いですし。こんな話、話すのも聞くのもつらいだけだ」
「いや、それも話そうと決めていた。あってるよ。探偵の言うとおり、リリーと佳子さんの約束は、リリーの子供のことだ」
「その死産した赤ちゃんのことを、宇治川さんに隠し通すって事が約束ですか……」
「いいや」
平内さんは首を横に振る。
「リリーの子供は、死産なんかしていない。生きているよ」
「えっ!」
「まさかそんな……!」
私も、そしてオッちゃんも、大きな声を出して驚いた。当たり前と言えば当たり前だ。オッちゃんが亡くなっているであろうと考えたリリーさんの赤ん坊が、実は生きているなんて。
「今はもう、いい大人になって、高校生の娘までいるくらいだ。要とリリーからしたら、孫だな」
「そう、なんですね……。生きてたんだ……」
オッちゃんは唖然としていて、私は開いた口で何とか言葉を出し、平内さんに呟くように言った。平内さんは目を細めて薄ら笑い、そして話し始めた。
「俺がリリーと要を連れて逃げようと考えているときには、もうすでにいつ産まれてもおかしくない状態だった。だから俺は、必死に逃げる算段を立てていたわけだ。別の町で医者に診せて、安全に子供を産ませてやろうと考えていたんだ。まあ、結局は、無駄になったがな」
「赤ちゃんが産まれたのは、リリーさんが佳子さんと会ってから、ですか」
「ああ。海の町で起きた抗争に巻き込まれながらも、リリーは自分が生まれた場所に帰り、そして出産した。でも、リリー自身の体が衰弱していて、さらに出産も重なったこともあり、子供を産んでから数日後、リリーは息を引き取ったんだ」
「……そうですか」
「リリーは最後に、佳子さんに頼んだそうだ。『産まれた子をお願い』と。佳子さんは『姉さんに変わって、この子の行く末を見る』と約束した」
私は姉さんと約束したの。そして今も、その約束は続いている。
「だから、佳子さんは約束を守ろうとしてたんだ……」
ええ。私が死ぬまで、この約束は終らないし、終らせないわ。
「別に要にバレたところで、あいつの記憶が絶対に戻るって保証もねえ。だけど、何が引き金になるか分からねえ。結局のところ、あいつには何も伝えないことが、イチバンいいんだ」
「……産まれた子はどうしたんですか?施設とかに預けたとかで?」
「リリーの子は、長女として佳子さんが引き取ったんだ。リリーと約束した『行く末』を見るために」
「そうですか」
「佳子さんが言ってたよ。『私は恵まれていた』って」
「恵まれていた、ですか?」
「リリーの子を引き取るとなったとき、佳子さんは結婚を諦めようとしたらしい。けど、旦那さんは、それを承知で結婚した。そして、リリーの子を実の子のようにかわいがってくれたんだ。自分の娘が産まれても、分け隔て無く接してくれていたよ」
「……素敵な旦那さんですね」
「血液型も佳子さん一家は全員B型らしい。そしてリリーとその子供も、B型だ。ドラマでよく見る『血液型が違う』ってことで家族と血の繋がりはないことに気がつくことはないだろう。もちろん、リリーの子が気がついてないなんて言い切れないが、知らないと俺は信じたい」
「きっと、大丈夫ですよ。……これで、ご本人が元気でいれば何も問題は無いですね」
「さあ、最近俺も会ってねえからな。リリーの孫の方はちょくちょく会うが」
「へえ、どんな子なんですか?」
「お嬢さんもシーポートで会っただろ?」
「えっと、会いましたっけ?」
私は頭を横に倒しシーポートで会った人々を思い出して。
「…………あっ!」
一人だけ、当てはまる該当者に、言葉を失った。
とても活発で元気の良くて、明るい、無垢な子。
そして、宇治川さんを慕っているアルバイトの高校生。
私は、足利 郁美を、思い出した。
「え、でも、それじゃあ要さんは……!」
「そう、カウンターで隣にいる二人は、血縁関係だけ見れば祖父と孫になる」
「そんなことって……」
「あり得るんだよ。実際に今、現実じゃあり得ている。探しているリリーと自分との末裔がすぐ隣にいるなんて、神様がいるとしたらたいそうな皮肉っぷりだよ」
「その事を郁美ちゃんは……」
「さあな。『あなたのおじいちゃんは本当は誰ですか』なんて本人に聞くわけにもいかない。俺は知らないと願っている。そしてこれからも、知ることがないよう願っている」
「…………」
「これが佳子さんがリリーとした約束。そして、俺が知る要とリリーの嘘と真実だ」
ふっ、と笑った平内さんは、最後に私達に一言。
「昔の話だよ。今の俺達にはもう、関係のないことだ」
話を終えて、さてと、と席を立つ平内さん。
「悪いな探偵。送りを頼むよ」
「車を回しますね。自宅でよろしいんですか?」
「いや、シーポートでいい」
「分かりました」
オッちゃんは平内さんの頼みをすぐに聞き入れる。
「平内さん、もうお帰りで?」
「ああ。朝っぱらから悪かったな師草。コーヒーも美味かったよ」
「また近いうちにでも、来てください」
「俺が生きてたらな」
カウンターへ挨拶をして、ドアへと向かう平内さん。扉を開ける寸前で、何か思い出したように振り返り。
「そう言えばお嬢さん。佳子さんから伝言を頼まれてた」
私に向かって、平内さんは大きな声で言った。
「『私を救ってくれてありがとう』」
「……私は、何も出来ませんでしたけどね」
「そんなことはねえさ。あんたは俺達が望んだ歩きたい未来の道を指し示してくれた。要が記憶を取り戻すでもない。真実を知った誰かが悲しむわけでもない。曖昧で甘い、だけど俺達にとっては最良の選択だった」
「…………」
「依頼の完遂をありがとう、探偵助手」
そう言い残して、平内さんは店から出て行った。ドライバーであるオッちゃんも、行ってくると一言私に告げて平内さんの後をついていった。
「依頼の完遂、ね。ちゃんと出来てたのかな?」
二人を見送った私はポツリとそう呟き、師草さんが入れてくれたアイスコーヒーを持って元々座っていたカウンター席へと戻った。戻った私に、師草さんはお疲れ様と言ってくれたので、私は苦笑で返した。
「ねえ師草さん」
「なんだい?」
「人を愛するって、難しいね」
「そうだね」
師草さんは短く返事を返して、カウンターを離れた。オッちゃんと平内さんが使ったカップを回収して戻り、流しで洗い始めた。
「人を愛することが、簡単であっちゃいけないからね。きっと芹子さんも誰かに恋をすれば、人を愛する難しさに気づくと思うよ」
「恋と愛って、関係あるの?」
「恋をすることは、愛を知るための準備だからね」
「なんかロマンチックな言葉だね」
「中々、その言葉のようにはいかないけどね。惚れた側は惚れられた側を振り向かせるのに必死だから」
「師草さんはどっちでした?冬志さんに惚れた側?それとも冬志さんに惚れられた側?」
「もちろん僕が惚れたほうだよ。一目惚れ。何なら、時間の許す限り話すけど?」
「うーん、丁重にお断わりしようかな?」
「それは残念」
そしてお互いに、笑い合った。
そう言えば、私は今更ながらリリーさんについてある疑問がわいた。
「里子さんがなんでリリーさんって呼ばれてるのか聞けばよかった」
「『里から始まるのは海の町らしくない。前の文字を取ってリリコにすれば良い。港町にピッタリな名前だろ』って。『足利』の『利』と『里子』で、『利里子』。そのままカタカナ読みでリリコになって、そこからリリーとなっていったんだ。その昔、宇治川さんが里子さんにつけたあだ名なんだって」
「え、本当?てかなんで、師草さんがそんなこと知ってるんですか!?」
「平内さんから直接聞いたからね」
「えええっ!」
「ちなみに宇治川さんに六槻さんを紹介するよう冬志に言ったのも僕だよ」
「えええええええっ!」
「宇治川さんが冬志に相談する前に、僕が平内さんから相談を受けててね。その時に事情を聞いたんだ。だから僕は、佳子さんのことも、郁美ちゃんの事も、リリーさんのことも全て知ってる」
「そ、そんなぁ……」
なんか必死に調べていた私がバカみたいに思えてきた……。
「それでも、芹子さんや六槻さんに助言をしようなんて思わなかったけどね」
「え、なんでですか?」
「二人なら、真実を知ることが出来ると信じていたし、その先の未来を見つけることも出来ると思っていたから」
「その先の未来?」
「誰も傷つかない、誰も損をしない、そして何より、リリーさんが望んだ未来だよ」
「……見つけられたなら、良いんだけどな。自信がないや」
「見つけられてたよ。現に平内さんも佳子さんも、芹子さんと話して信じられたから、芹子さんに真実を話そうと思った。平内さんの話を聞いていて、僕はそう思えたよ」
師草さんの言葉に、私は少し照れながらも笑顔で返す。
「なら、よかった。こんな曖昧な答えでも望んでくれる人がいるなら、まあいいや」
「うん。いいと思うよ」
「でも、リリーさんのあだ名の付け方、今の宇治川さんからは考えられないくらいキザな言葉ですね。海の町に似合う名前になるからリリコだって。そんで、そこから愛称でリリーなんて。歯が浮く感じです」
「そう?僕は、格好いいと思うけどなぁ。男性が女性にこういうことが言えるってのは、同じ男性からしたら格好いいと思うよ。好きな人になら尚更ね」
「友達も『好きな人のために起こす行動は特別』って言ってたっけ。あのときは分からなかったけど、今ならなんとなく分かる気がする」
「おや?その友人に惚れたのかい?」
「そうじゃなくて、友達の言うことが何となく理解したてことですよ。好きな人のためなら、危険と分かっていても、体が勝手に動いてしまう」
リリーさんが何故、危険をおかしてまで宇治川さんの所へ行ったのか。
それはきっと、心の底から宇治川さんを愛していたんだろう。
だからこそ、一緒にいたかったのかもしれない。
最後まで、愛した人と、一緒に。
「ほんのちょっぴりだけ、ですけどね」
私は右目の前で右手の親指と人差し指を近づけた。師草さんは「ちょっぴりかい?」と目の前で私と同じポーズをして、そしてお互いに笑いあった。
「……いつか私にも好きな人ができて、そんな気持ちを味わえたらなあ」
「きっと、知ることができるさ。まあ、そうなったら六槻さんが発狂しそうだけどね」
「えー。なんでオッちゃんが?」
「娘を思う親の気持ちかな?恋人はまだ早い、何て言いそうじゃない?」
「どっちかって言うと、恋人作れって言いそうじゃないですけど」
「いやいや、心配に心配を重ねすぎて、胃に穴が空くかもしれない。ワイルドそうに見えても、六槻さんは結構繊細なところがあるから」
「えー?でも、それを言ったら師草さんだって、出雲ちゃんに彼氏ができたらショックじゃないですか?八雲君もモテるみたいだし、彼女とかひょっこり作ったりして」
「その時は素直におめでとうって言えたら良いなぁ」
「私は応援する師草さんを応援しますよ。もしもの時は六槻探偵事務所が格安で依頼を受けますよ?」
「その時は、芹子ちゃんにお願いしようかな?」
いひひ、と悪戯っぽく笑う私に、クスリと静かに笑う師草さん。
少し喋り疲れた私は、まだ一口も手を着けていないアイスコーヒーのストローを持ち、くるくるとかき混ぜた。氷が溶けきっていたために水面ギリギリだったので、調子に乗らず慎重にかき混ぜる。途中、師草さんからコーヒーを作り替えるかい、と提案されたが、せっかく頂いたものだからと言って丁重にお断わりした。一口飲んで水面を低下させた後、ガムシロップとポーションを入れ、再度かき混ぜる。
知らなきゃいけない真実なんてない。
つかなきゃいけない嘘なんてない。
大事なのはあなた自身が、どう事実を受け取ることができるか。
曖昧だって良い。
その曖昧さが毒にも薬にもなり、そして水にもなるのだから。
きっと君にも、この曖昧さが分かる時が来るから。
そして、いま。
少しだけ、この意味が分かった気がした。
かき混ぜたアイスコーヒーを一口ふくんだ。
少しばかりぬるいけど、一口目とは違って甘くまろやかで、そして一口目と同じほろ苦い味が口の中に広がっていく。
曖昧で、ぼやけた、真実から遠ざかった味だったけど。
「あー、おいしー」
私はやっぱり、この味がたまらなく好きなのだ。
探偵助手は見つけない 扇 直角 @chokuta
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